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第三話 名付け

 目の前の少女――チェルージュの発言を、ゆっくりと頭の中で吟味する。

 吸血鬼ヴァンパイア、という単語に大きな衝撃を受けていたが、正式な挨拶をされた俺が彼女に言うべきことは、それについてではない。


 姿勢を正している彼女に倣い、膝を直して彼女に向き合う。


「先ほども言った通り、自分の名前は忘れていてわからない。行き倒れていたのを助けてくれたのは、君が?」


 頷きながら、魔物モンスターに襲われないなんてあなたは運がいい、と彼女は笑った。


「おかげで助かった。ありがとう、チェルージュ」


 深々と頭を下げた。あのまま倒れていたら、ほぼ確実に俺は死んでいただろう。土地勘なし、重度体調不良、危険生物がいるらしい森の中で身を守る武器も持たずに行き倒れて意識を失う。どう考えても詰んでいた。

 この少女は命の恩人になる。礼は尽くさねばならない。


「気にしなくていいよ、君の運が良かっただけだから。――うん、君はほんとうに運がいい。もちろん、私もね」


 吸血鬼を自称する少女は、そう言って笑った。背筋がぞくりとする。

 彼女の笑みがただのそれではなく、意味深長なものに思われたのは、気のせいだろうか?


(血を吸って吸血鬼は仲間を増やすみたいな話を聞いたことがあるし、ひょっとして獲物にされちゃう、俺?)


 そうなったらそうなったで、仕方ないな、と考えている自分に気づいて、少し驚いた。

 

 助けられた命をどう使われてもしょうがない、とまでは恬淡と割り切れはしないものの、この少女には大きな借りがある。

 

 チェルージュを見たところ、肌が少し青白い以外は人間との違いは見当たらないし、吸血鬼として生きていけと言われたら、多少の葛藤はあっても受け入れるだろう。


 ――何より、この少女は可愛い。可愛い娘に血を吸われて一族になる。


(うん、悪くない)


 我ながらエロスな思考であるとは思うが、記憶がないので当面の目的もない人生である。そういう方向に進むのも一興であった。

 俺を見ながら興味深げに微笑むチェルージュを見ていると、俺を吸血鬼なかまにしたいのは間違いないように思われる。


「痛くないように頼む」


 上着の襟元をめくり、首筋をあらわにする。


「へ?」


 口をぽかんと開けて呆けるチェルージュ。しばらくしてから、盛大に笑い始める。

 あれ?なんだこの反応は。


「勘違いだね、仲間にしたいわけじゃないよ。それとも食べられたいの?」


 可愛い少女に食べられる。なんて魅惑的な響き――って。


「え、違うの?」


 真顔の俺を見て、またくすくすと彼女は笑う。君は面白いなあ、なんて言われてちょっと恥ずかしい。


「頼みがあるっていうのは間違ってないけど。もう少し話をしたら、君を人間の住む街まで送っていってあげるよ。君はそこで好きに生きたらいい。迷宮ダンジョンを中心に成り立ってる街だっていう話だから、退屈はしないと思うよ?」


 何事もなく人里に送ってもらえる、という話に、俺は拍子抜けをした。

 というか、今、迷宮ダンジョンって言った?


「そう、迷宮ダンジョン。中には魔物モンスターが住み着いていて、人間は彼らを討伐して、武器や防具の素材や、マナの結晶体である魔石を手に入れてるんだ。そういう冒険者を相手取った宿屋や、鍛冶屋、道具屋なんかの商売があって、どんどん街は発展していってるみたいだね。どう、興味はないかい――って聞くまでもなさそうだね」


 チェルージュは苦笑するが、さもありなん。今の俺は、尻尾を振る子犬ばりに目を輝かせてしまっていることだろう。

 だって剣と魔法の世界で魔物と戦うんですよ。倒したドラゴンの素材を使って強力な剣や防具を作るとかロマンだろう。


「頼みっていうのはそこなんだ。私たち吸血鬼はかなり強い種族なんだ。でも、その分、身体を維持するのに多くのマナが必要。私たちが住んでるこの土地は、マナの濃度がとても高いんだ。私たちはここを離れるとどんどん弱ってしまうから、この土地を離れられないんだ」


 君がここに来る前に行き倒れてたのは、多分マナ酔いのせいだろうね。君の身体には、この森のマナは濃すぎたんだ、と言われて、俺は深く納得した。彼女は紅茶を飲みながら続ける。


「ずっとこの館で暮らすというのは、とても退屈でね。君には私のになってほしいんだ。具体的には、君との間にマナの回路を繋げて、君を通じて人間の街の様子や、ひいては君の人生を眺めたい」


「なんだ、そんなことか。構わないぞ?」


 今度はチェルージュが拍子抜けしたような顔をする。


「ずいぶん安請け合いするね。君の任意で、見られたくない時は情報を遮断することはできるけど、その瞳を維持する代償として、君はマナを常に消費することになる。具体的には、君のマナの10%を常に瞳にもらう。君はもっとも調子のいい時でも、 最大マナの90%までしか発揮できないことになるね。君はまだ体験したことはないだろうけど、マナが減ると気分が悪くなってくるんだ。マナが空っぽに近くなると、さっきのマナ酔いみたいな症状が出るよ?」

 

 チェルージュの言葉に、マナ酔いの症状を思い出す。すさまじい頭痛と、眩暈だった。確かにあれは二度と起こしたくない。


「構わないぞ、それぐらいで恩が返せるなら」


 それでも、さっくりと承諾する。そもそもチェルージュがいなければ死んでいただろう俺である。返せないほどの義理がこの娘にはあるのだ。それぐらいでいいなら安いものである。


「そう言ってくれると嬉しいよ。実のところ、私はこの生活に飽き飽きしていてね。暇で仕方なかったんだ。人間の街に興味があったんだけれど、私はこの土地から離れられないからね」


 同じ家でずっと過ごす。確かにそれは、退屈だろう。その手助けができるならばしてやりたいと思う。任意で見せたくない時は隠せるらしいから、トイレや風呂の時なんかは目を瞑っていればいい。


「じゃあ、血を吸うから首出して」


「なんでやねん」


 思わず突っ込んでしまった。いい反応速度だったと、一仕事終えた後のような達成感を覚える。俺がいた元の世界で覚えた動きなのだろうか、平手の裏で相手を叩くポーズがすんなりと出てきた。


「マナの回路をつなげるのに必要なの。心配しないでも吸血鬼になったりしないから」


 言うや否や、机を挟んだ向こう側の椅子に座っていたはずのチェルージュの姿がかき消えた。顔のすぐ近くに人のあたたかみと気配を感じたのは一瞬のことで、すぐに右の首筋に尖ったものがあてられたことに気づく。


 まず感じたのはチェルージュの匂いである。オールバックに結んだ髪からは、いい匂いがした。

 次に、おそらく牙を突き立てられているのだろう首筋から、何かが身体の中に入ってきたような感じがした。

 魅了の魔法をかけられた時に感じたものと似ている。それは首筋の噛み痕からせりあがってきて、両瞳をひとしきり撫でまわして、消えた。いつの間に離れたのか、もうチェルージュは向かいの椅子に座っている。


「もう終わったよ、大丈夫」


 少し身体がだるかったが、それ以外に特に変化は感じられなかった。両瞳にも、何の違和感もない。


「ずいぶんあっさりとしたもんだな。改造手術みたいなものがあると思ってたのに」


「手術って言葉がわからないけれど、怪我を治す行為のことだったら、傷を癒す魔法もあるよ? 傷を負ってから時間が経ってなければ、四肢欠損ぐらいだったら治せるような奴。人間は、回復薬ポーションを作って冒険の時は持ち歩くらしいし」


「うへえ」


 すごいな、魔法って万能だな。常識に囚われてると、できることとできないことの区別を誤りそうだ。空を飛ぶぐらいならできそうだし。


「もう君を送っていってもいいんだけど、それだけじゃ味気ないからね。しばらく話でもしない? 君も聞きたいことあったんでしょ?」


「そうだな。この世界の常識とか、聞いておきたいことはいっぱいある。でもまずは、さっき思いついた仮説なんだが、聞いてくれるか?」




 俺は、チェルージュに自分が考えていたことを洗いざらい話した。


 俺は、違う世界からこの世界に来たのではないか、ということ。


 なぜなら、記憶がないはずの俺が、すでに「常識」を持っていて、それがこの世界のそれと噛みあわないこと。魔法という概念自体は知っていたのに、それはおとぎ話の中にだけ存在するもののように思っていた、など。


「俺の中で吸血鬼のイメージっていうと、人の血を吸って生きる魔物で、吸われた人間は性行為の経験がない奴は新たに吸血鬼になって、そうじゃない奴は知性のないゾンビみたいな奴になるって感じかな。他にも太陽の光を浴びると灰になるとか、流れる川を渡れないとか、他人の家には招かれない限り入れないとか、十字架やにんにくが嫌いって話もあったな。あとはこうもりに変化できるらしい。力は強いけど弱点も多いって感じかな」


 俺の吸血鬼像を聞いて、チェルージュはけたけたと笑った。よく笑う娘である。いいことだ。

 つられてこちらまで明るい気分になる。


「なにそれ変なの。ちょっとだけかすってるのがあるのが面白いね」


「かすってる?」


「流れる川を渡れないとかの弱点は、さっき説明したマナの濃い土地でないと生きられないっていうので説明がつくね。太陽って炎帝ヘリオスのことだよね? 確かに闇属性の魔物は、光や炎の属性が苦手だし、十字みたいな複雑な形の武器は強度の高い鉱石で作られてることが多いから、どんな強い武器なのかと警戒はするだろうね。にんにくが嫌いなのはよくわからないけど、人間もすごい嫌な臭いがする場所とかに近づきたくないでしょ? きつい香水が嫌いっていうのと同じレベルのものだと思うけど」


 あと、エッチしたことあっても仲間にはなれるよ、と彼女は付け足した。恥じる様子がなかったのが残念でならない。

 恥らう女の子に猥談をしかけて反応を楽しむのは男子の嗜みだというのに。


「でも、こうもりになれるっていう言い伝えは見過ごせないかな。血を吸う動物なんていっぱいいるのに、何でこうもりが吸血鬼の変化した姿っていう言い伝えを君が知ってるんだろう」


 チェルージュは真顔で首をひねる。

 

「そういえば何でだろうな、吸血鬼とこうもりに共通点ってあんまりないよな」


「一番の問題は、私たちの一族の家紋がこうもりなんだよね。かなり昔のご先祖様が、隠れ住む吸血動物っていう点に着目して家紋に取り入れたんだ。これは私たちの一族固有のもののはずなんだよ。それなのに君が知ってるの言い伝えと符号しているのは、偶然の一致で片付けるにはちょっと引っかかるかなあ」


「俺だって、『そういうものなんだ』ってなぜかわかるだけで、何でこんな常識を持ってるかなんて、こっちが聞きたいぐらいだよ」


「そもそもこうもりなんて、血を吸わない種の方が多いんだけどね。だいたいのこうもりは葉っぱの汁とか蜜を食べて生きるのに」


「まあ、あんまり気にしないでくれ。自分のことはわからない男の言うことだし。ああ、そういえば」


「そうする。どうかした?」


「鏡ってこの家にある? おっさんかもしれなくてさ、俺」


 目的の一つである、自分の顔の確認を今までさっぱり忘れていた。


「おっさんが突然出てきた理由がよくわからないけど、鏡ならあるよ?」


 チェルージュが卓上の、青銅の鈴を凛と鳴らすと、左手にある重厚な扉が音もなく左右に開き、二羽のこうもりが羽ばたいてきた。

 俺の頭ぐらいほどの大きさしかないこうもりが、俺の身長ほどの巨大な鏡を爪でつかんで飛んでくる様はシュールである。どれだけ力が強いんだあのこうもり。


 鏡は、折り紙でいうところの銀紙みたいな色をしていた。馴染みのない青年の顔が映っている。



(――青年?)



「誰これ?」


「誰って、君でしょ?」


 試しに自分の顔をぺたぺたと触ると、鏡の中の若者も同じように顔を触った。

 好青年めいた顔つきをした、爽やかな若者である。秀麗な面差しではないが、さっぱりとした黒い短髪が快活そうだ。


「嘘だあ!?」


 思わず後ずさると、鏡の中の青年も間抜けな面で後ずさった。認めねばなるまい。どうやらこいつは俺のようだ。


「エロそうな顔をしてない!?」


 驚愕さめやらぬ俺を見て、チェルージュはちょっと引いた表情である。


「自分の顔を見たことがなくて驚くのはいいとして、エロそうな顔って何?」


「いや、記憶をなくして夜の森をさ迷ってた頃に、自分が女好きなことに気づいてな。きっとエロそうな顔か、さもなきゃ好色そうなおっさんなんだろうなってずっと思ってたんだ。それがこんな青年とはねえ」


「自分のことを青年っていう人は初めて見たよ。なるほど確かにおっさん臭くはあるね」


 けたけたとチェルージュは笑う。


「私には、君がどういうヤツなのか何となくわかってきたよ。君に変な常識があって、記憶がない理由も説明がつく。まずね、君は異世界から魔法なりで召還されてきたわけではないね」


 さらりと、彼女は告げた。あまりに突然、重大なことを言われたせいで、すぐに返事ができない。


「――そう思った理由を聞かせてもらっていいか?」


「そんな魔法はないもの。既存の魔法ではないし、これから編み出そうとしてもおそらく無理だね。記憶を一時的になくす魔法ぐらいなら頑張れば作れると思うけど、それなら鎮静トランキライトで治ってないとおかしい。私のマナ総量で、かけた鎮静が抵抗レジストされる精神系の魔法なんて、この世界の誰にもかけれないよ。言ったでしょ? 吸血鬼はかなり強い種族だって。私、その中でも強い方だし」


 語りながら、チェルージュは飛んできたこうもりから紙と万年筆のようなものを受け取り、何かを書き始めた。


「もう一つは、異世界がもし仮にあって、その場所――この世界からの距離とか――が特定できていたとして、君一人を召還するだけでこの世界のマナをごっそり使うよ。人間たちが挑んでいるダンジョンの核って、実は大地の中心部に根を張った巨大なマナの結晶なんだけど、そこからマナが抜かれた様子もないしね。あ、ダンジョンの核のことは人間には内緒ね?」

 

 そう言いながら、彼女は先ほどから何かを書き込んでいた紙を俺に見せた。

「炎帝茶」と「ヘリオスティー」の二つの単語が書かれている。


「私の仮説が正しければ、君、多分この文字読めるでしょ? 特定の文字の組み合わせで、本来とは違う読み方をするんだけれど、炎帝茶って書いてヘリオスティーって読むことは知らなくても、それぞれの文字は読めない?」


 俺はまじまじと紙を眺める。確かに、炎帝茶、とヘリオスティー、の二つとも、文字として読める。

 どこで習ったかもわからないが、この世界の文字を、俺は読むことができるようだ。


「確かにな。炎帝茶って、ヘリオスティーって読むのか。どっちも読めるよ」


「それが、君が異世界から来たわけじゃない証拠だね。言葉が通じない生物と会話する魔法はあるけど、文字を読める魔法はないから」


「――そうか」


 俺は力が抜けて、ソファにぐったりと背をもたれかけた。


「結局、俺の素性はわからずじまいか」


「いや、私はもうわかってるよ? 教えてあげないけど」


 勢いよく跳ね上がった俺は、勢いあまって机に両手をついてチェルージュの方へと乗り出す。


「マジで?」


「うん。マジマジ。教えてあげない理由だけど、それは君がこの世界で生きていくのに不要だから。これを教えてしまうと、君の人生が色々と台無しになりそうな気がするからね。教えてあげない。もし君が人間の世界で大きく名を上げて、この世界で一番強い魔物たちと対等に話せるようになったら教えてあげる。具体的には私と同じぐらい強くなったらいいよ。まず無理だと思うけど」


 そこをなんとか教えてくれ、と言いかけて、俺は言葉を引っ込めた。

 目前の吸血鬼の少女がにこやかに微笑む中に、どうしようもない拒絶の意志が見え隠れしたからだ。どのように問い詰めても、この少女は口を割ったりしないだろう。そして本人の言を信じるならば――そして俺は彼女を信じているのだが――それを聞いてしまうと、俺にとって、良くないことが起きるのだろう。


 俺のためを思って言っていることぐらいは、何となくわかる。


「そっか。じゃあ、早いとこ強くならないとな。チェルージュをしばき倒せるようになるまで」


「あはは、気長に待ってるよ。私は吸血鬼と人間のハーフ、いわゆるダンピールってやつだけど、人間よりはだいぶ寿命が長いからさ」


 なにそれ初耳、とおどけた調子で俺が言うと、チェルージュも苦笑した。


「吸血じゃなくて、父さんと母さんは人間と同じように結ばれて私を産んだからね。ある日、一族の長だった父さんが人間の女性をさらってきて、目を覚ますなりプロポーズした時は一族みんなひっくり返ったらしいけど。母さんも母さんで、初対面の男から誘拐されておきながら、友達からお願いしますって返したらしいからね。ちょっと前に母さんは死んだけど、父さんはそれから引き篭もっちゃうし、いい夫婦だったんじゃないかなあ」


「そりゃすまんことを言わせた。悪かったな」


「まったく気にしてないから大丈夫。だって母さんの死因、老衰だし」


「へ?」


 何のことかわからず、呆けた表情になってしまう俺に、チェルージュは苦笑した。


「私、寿命が長いって言ったでしょ。そろそろ五十歳よ?」


「おばちゃんだー!」


 女性の年齢を揶揄するのは、最も身近にある地雷を踏むことと同義である。殴られることを覚悟でボケたのだが、彼女はけたけたと笑っている。人間ができているなあ。この場合吸血鬼ができているっていうのか。


「他に聞きたいことがなければ、そろそろ人間の街まで送ってあげるよ。もう少し引き留めたいけど、この館には人間用の食べものがないんだ。私の主食は血でね、お茶は嗜好品だから置いてあるけど」


 そう聞くと、とたんに腹が減ったような気がする。気のせいではなく、腹の虫が鳴いた。昨日の夜から何も食ってないのだから当然といえば当然である。


「人間が使う金貨とかはないから、お土産に魔石をあげるよ。人間の街で換金できるはずだから」 


「おう。何から何までありがとうな」


 こうもりがごつごつした突起のわかる小袋を持ってきたので、受け取って立ち上がる。


「最後に、君にもう一つ贈り物をしたいんだけど」


「もらえるものならもらうが、何だ?」


 後先考えていないのもあるけど、君は朗らかで楽しいね、と彼女は笑った。


「名前がないと不便だろう。ジル、っていうのはどうだい? 吸血鬼の始祖の名前なんだけど」


「ジルか。悪くないな。自分でそのうち名付けようと思ってたから、ありがたく頂くわ」


「気に入ってくれたなら嬉しいよ。私の家名とあわせて、ジル・パウエルと名乗るといい」



 ジル・パウエル。口の中で呟くと、妙にしっくりきた。

 俺は今日から、ジルだ。



「うん。気に入った。これからはこの名前を名乗ることにするよ」


「それは良かった。いつかまた力をつけたら、今度は自分でこの館に来てみるといいかもね。歓迎するよ」


「そりゃそうだ。チェルージュに勝てるようになって俺の素性を教えてもらわないといけないしな」


 あははは、と心底愉快そうに彼女は笑った。


「今日はいい出会いだった。君の冒険がうまくいくことを祈っているよ」

 

 別れを告げて、館を出る。空は青く、雲ひとつない。誰が送ってくれるんだろうと首をひねっていると、二匹のこうもりがぱたぱたと飛んできて、俺の両肩を爪でがっしりつかんだ。気を使ってくれているのか、意外と痛くない。


(いわゆる使い魔って奴なんだろうか?)

  

 こうもりが二匹とも羽ばたくと、俺の身体は地面から離れて、吸い込まれるように大空を飛んだ。


 重力もあまり感じないし、風の抵抗も心地良いぐらいだ。これも何かの魔法なんだろうか?

 

 

 果てしない空を飛ぶのは、素晴らしい開放感だった。いつか俺も、自分で空を飛びたいなあ、なんて思う。

 眼下に広がる森は、とても広く、ところどころに覗いた山の峰がなければ地平線の彼方まで続いているように錯覚しただろう。

 ふと後ろを見ると、もうチェルージュの館は豆粒ほどに小さくなっていた。


 未だ見ぬ冒険に思いを巡らせて、心が躍る。

 風を切るように大空を飛ぶ中で、俺はもう一度、チェルージュに心の中で礼を言った。




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