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第三十六話 中層 その3

 日は変わって、翌朝。

 俺たちは、再び迷宮へとやってきていた。


 マナの結晶でうっすらと覆われている中層のベースキャンプの壁や天井は、かがり火と猫目灯に照らされて、本来の紫ではなく赤々とした色に輝いている。

 迷宮の中へと潜るべく、冒険者ギルドの職員に渡された番号札を手に、俺たちは順番待ちの最中であった。


「それにしても、いいお値段しましたね、素材の図鑑」

 

「そうか? 俺なんかは逆に、安いもんだと思ったがな」


 俺たちが持っている、魔物シリーズ図鑑と同じ作者が執筆した「魔物素材の剥ぎ取り方」と、迷宮内の採取可能な素材一覧が載った「迷宮素材百選」。合わせて、20,000ゴルドである。


 例によって、丁寧に魔物や素材の全体像と、換金できる部位が絵で描かれており、その後に具体的な刃物の入れ方や、植物の掘り方などがこれもイラスト付きで載っていてわかりやすいことこの上ない。

 皮革の剥ぎ取りなど、やり方がわかっていても素人では真似できないものも載っていたが、半数以上の素材は俺たちでも採れそうである。


 昨晩は、みんなで回し読みしつつ、内容を覚えることに終始した俺たちである。


「それにしても、早速、お金の計画が崩れたわね」


 眉間に皺を寄せているのはエミリアである。昨日は結局、宿代すら手元に残らなかったのだ。


 骸骨剣士スケルトンウォリアーと、魔角牛マナバイソンと、五体の麻痺茸パラライズファンガスの魔石。それらを換金した結果、7,000ゴルドになった。内訳は、それぞれ1,500ゴルド、3,000ゴルド、500ゴルドが五つである。

 これに、昼に稼いだ魔角牛などの15,600ゴルドを加えて22,600ゴルド。そこから図鑑代金の20,000ゴルドを引き、余った稼ぎは2,600ゴルドであった。宿代と貯蓄、合わせて10,000ゴルドという毎日の目標額に達していない。


「最初に貯蓄ができるまでは、手持ちの金を切り崩しながらやるのも仕方ないさ。今日、また稼げばいい」


「それもそうだけど、全員で迷宮に潜れる日ばかりじゃないっていうのを忘れてたのよね。ほら、ジル。私たちって女の子でしょ?」


「ああ、言いたいことはわかるよ」


 要するに、生理の日は冒険に参加できないと言いたいのである。


「身体の構造が違う以上、それは仕方のないことだし、わかっててパーティを組んでるんだから問題ないさ。誰かが冒険を休まなきゃならなくなったら、その間の生活費とかはみんなでカバーすればいい」


「極力、自分たちの貯蓄とかで何とかしようって話し合ったんだけど。やりくりが上手くいってなかったら助けてくれると嬉しいわ」


 俺は鷹揚に頷く。互助精神さえうまく働いていれば、何とかやっていけるだろう。


「俺たちが全員で迷宮に入れるのは、毎月のうち、まる二週間ってところじゃないかなと見積もってる。週末は休みにしてあるしな。今は色々と苦しいが、稼げる額が増えてきたら生活にも余裕ができるさ」


「ご主人様、欠員が出たときの狩りは、どうされるおつもりですか?」


「戦力的に、誰かが失敗したときのフォローがしにくくなるから、中層での狩りは禁止かな。各自で分かれて、浅い階層で豚人オークでも狩ればいいんじゃないかと思うが。俺は慣れてるから恐狼ダイアウルフを狙うけど」


 冒険者ギルドの職員が、俺たちの番号を呼んだので、話はそこで一旦打ち切られた。このあたりの話を、もう少し詳しく煮詰めておいた方がいいかと一瞬思ったが、俺は頭を振ってそれを打ち消した。

 中層での冒険なのである、上の空で油断するべきではないと、俺は思ったのだ。




 ベースキャンプから、前回とは違う入り口に案内され、俺たちは奥へと進んできたが、迷宮の基本的な構造はどの穴から進んでも変わらないようだった。扇状に少しずつ迷宮は広がっていき、ある程度の広さになると、左右の部屋とつながる狭い通路が現れる。


 多くの冒険者が足を踏み入れているせいか、やはりベースキャンプ付近の狭い部屋には魔物はおらず、採取できる迷宮素材なども見当たらなかった。


 魔物も冒険者もいない空き部屋をいくつか通り過ぎ、昨日に魔角牛らを狩ったところと同じぐらいに広い部屋までやってきたものの、すでに部屋には先約が入っているらしく、六人パーティが狩りをしているところだった。


「もっと奥に進まないとダメか」


 未知の領域に足を踏み入れなければならないことを若干の不安に思うが、部屋が空いていなければ仕方がない。一部屋ぐらいでは、生息している魔物の種類が大幅に変わるということもないだろう。


 中央部分の森の中から、爆発音や剣戟の音が聞こえてくる中で、部屋の外周の平地には見張りらしき人物が立っていた。鋲皮鎧スタデットレザーアーマーを装備しているので、新たな魔物湧きを警戒する狩人レンジャーなのかもしれない。


(空いている部屋が近くにあるか聞いた方がいいか?) 


 俺は進み出て、彼に向かって頭を下げたが、狩人の彼は俺たちを一瞥した後、忌々しそうに舌打ちをした。俺は彼に話しかけるのをやめて、エマたちを引き連れて外周の通路を歩き、次の部屋へと向かう。


「なにあれ。感じ悪」


 幸い、森の中に足を踏み入れることなく、平地だけを通って次の部屋へと繋がる通路にたどり着けた。エミリアは、先ほどの狩人の態度が気に入らないらしく、愚痴をこぼしている。


「まあそう言うな。狩りの邪魔になってたかもしれない。気にしないで行こう」


 理由もなく嫌がられることに、若干の腑に落ちない気分を感じつつも、俺は場の雰囲気を和ませることに努めた。今のところ、エマたちはみな嫌な顔一つせずに付いてきてくれるが、士気の低下は避けなければなるまい。

 一人で迷宮に潜るならともかく、パーティを組んで冒険をする以上、不協和音はなるべく取り除くように心がけるべきだった。


(おや、あれは)

 

 次の部屋へと足を踏み入れるも、そこにもやはり先約というか、先に狩りをしているパーティがいた。ただし、その三人のパーティには、見覚えがあった。昨日、俺たちが初めて迷宮に入ってまごついているときに、後ろから俺たちを追い抜いていった戦士、狩人、魔術師の三人組である。


「昨日の新人じゃないか。誰も死ななかったんだな」


 彼らも俺たちのことを覚えていたらしく、戦士の男が鉄兜の面頬を上げて俺たちに笑いかけてきた。


「おかげさまで。覚えて頂いてたんですね」


「そりゃそうだ。若い女の子を三人も連れまわしてるパーティなんかそうそうないからな。無事に狩りを終わらせられたなら、しっかりと連携が取れてるんだろう。大したもんだ」


 彼の台詞を聞いて、俺は気づいたことがあった。目から鱗が落ちるというか、一つ前の部屋で、狩人の男が俺たちに敵意を向けた理由に思い至ったのである。


「ああ、それでか。前の部屋で、空いている狩場がないか聞こうとしたんですが、

挨拶をする前から嫌われた様子だったんで不思議だったんですが」


「がはは。普通のパーティは、女を入れるのを嫌うからな。それが三人もいるのは珍しいよ。装備からしてもあんたがリーダーに見えるし、色男っぷりを妬まれたんだろうよ」 


「なるほどなあ。パーティに女性を入れるのってそんなに珍しいですかね? レベルさえ高ければ能力的には男女差はないはずなのに」


「そりゃあそうだ。男だけの所帯なら何でもないところでも、排泄やら生理やらに気を使ってやらなきゃいけない。その上、男とはどうしても血の気の多さが違うからな、血生臭い生活に女の方が根を上げることも少なくないし、パーティの中で紅一点となりゃあ、恋愛沙汰で揉めもする。好き好んで女をパーティに入れたがるやつは少ないな。差別してるわけじゃなく、女は戦うように身体ができてないのさ」


 ふとエマたちの方を振り返るも、特に気にした様子はなかったので、俺は胸をなでおろした。口が悪いように見えて、この戦士の男は、冒険者という荒くれが集う職業の中では上品な方である。エマたちにもそれがわかっているのだろう。


「部屋なら、右隣が空いてたはずだ。見に行ってみたらどうだ?」


 頭を下げ、丁寧に礼を述べて、俺は彼が教えてくれた部屋へと歩を進める。




「これはまた、妙な構造ですね。まるで迷路のような」


 困惑顔のエリーゼである。俺の第一印象も同感だった。

 この部屋に生えている木は、細い幹が隣の木の幹とねじれ合うように生えており、壁のようになって隣の通路への通行を妨げている。五メートルほどの高さに天井があるのだが、そこには先細りした幹が、まるでつたのようにびっしりと葉と蔓を張り付かせている。人が通れそうな隙間など、どこにもない。


 それでいて、通路のような床には一切の植物が生えていないのだ。整地されているようにすら見える。


「これは、エリーゼを先行させるのは危険か? 迷いかねない」


 綺麗に整った格子状の迷路であったならばまだしも良かったのだが、通路は蟻の巣めいて曲がりくねっていて、壁がわりの木々のせいで先々を見通すことが困難であった。


「地図を、少しずつ埋めていきましょう。頭に地形を叩き込むまでは、深入りはしない方がいいかも」


 地図係のエミリアも、この迷路を前にして頭が痛そうである。


「あまり離れず、ゆっくりと進みます。すでに、魔物の気配はしていますので。視界が悪くてどこにいるかわかりませんが」


 エリーゼが慎重に進み始める。左右を木々に塞がれている分、警戒するべきなのは前後と上下である。地形を調べながらゆっくり、じっくりと進むエリーゼを俺たちも追従する。


 三分ほどもエリーゼの後を追ったころ、行く手に分かれ道が出現した。


「道が左右に分かれています。魔物の気配は左の方向から感じますので、先に地図を作るなら右かと」


「そうしてくれ」 


 エリーゼほど熟練してはいないが、俺の気配探知スキルにも魔物の気配は引っかかっていた。左の方向から感じるそれは、動き回っている様子はない。俺たちに気づいていないのかもしれなかった。


 分かれ道を右に曲がると、その先はさらに左右へ枝分かれしている。

 なるべく入り口に近い方から迷路の構造を調べたいので、ときたまエミリアの描いた地図を覗き込みつつ、俺たちは進む。


 さらに数分が経過し、迷路の構造も、だいたいは判明した。恐らくはこの部屋、この迷路も扇状で、魔物の気配は左奥にある。最奥まで踏み入っていないので全体の広さまではわからないが、以前に足を踏み入れた森の広さを基準に考えると、手前から三割ほどは地図が埋まったように思う。


「順調だな。このまま行こう」


「はい――ッ!?」


 笑顔で振り返ったエリーゼの顔が、一瞬で強張る。

 その表情の急変に、背後から魔物でも忍び寄っていたのかと焦って振り向くが、何もいなかった。 


「どうした、エリーゼ?」


「気のせいかもしれないのですが――糸が張ってあったかもしれません。透明で見えなかったのですが、ほんのわずかに、指先が何かに触れたような」


「どれだ?」


 エリーゼが指差したあたりに近寄って目を凝らしてみるも、何も見えなかった。


「罠の類だったら、もう発動してるはずだよな。気のせいじゃ――」


 俺の台詞半ばで、エリーゼが弾かれたように短剣を抜いた。一拍遅れて、俺も長剣を構える。先ほどまで静止していた魔物の気配が、すごい勢いで動き始めていた。


「敵襲!」


 エマが前に進み出る。その次に俺、エリーゼ、エミリアの順だ。 

 職に直すと、重戦士、戦士、狩人、魔術師である。特に指示を出さずとも、戦闘に入ればみな、基本形に並ぶ。 


 すでに、エマとエミリアの未熟な気配感知スキルにも引っかかっているようだ。

魔物はかなり近い。ねじれあった木々の壁一枚隔てた向こう側で、何かが高速でごそごそと走り回っている。


 やがて――俺たちの正面、その天井あたりに、二メートルほどの巨大な全長と、わさわさと動く茶色い八本の足が現れた。


毒大蜘蛛ポイズンスパイダーだ!」


 胴体だけなら1メートルに届かないぐらいだろうが、体毛に覆われた八本足を広げた全長はかなり巨大に見える。タランチュラ種に似た、蜘蛛にしては太めの足で器用に天井に張り付きながら――毒大蜘蛛は、逆さになったまま天井を走って俺たちへと迫ってきた。巨体の割にすばしこく、どんどんと距離は縮まってくる。


火矢ファイアアロー!」


 エミリアの放った魔法が毒大蜘蛛の背中に突き刺さる。身体の一部を抉り、焦がされたことで一瞬だけ怯んだが、毒大蜘蛛は天井から落ちたりはせず、そのまま走り続けた。

 天井に張り付いているからして、エマの斧も、俺の長剣も届かない距離なのだが――前衛のエマと俺を通り越して、エリーゼの真上に来たあたりで、毒大蜘蛛は広げていた足を縮めた。


(飛び降りてくるつもりか!)


 俺はエリーゼとの距離を詰めた。俺の予想は当たっていて、毒大蜘蛛は空中で器用に半回転し、腹を見せながら落ちてくる。


「お――らぁッ!」


 毒大蜘蛛の飛びつきを、エリーゼは跳んで避けている。獲物のいない空間に落ちてきた蜘蛛の腹を、俺は長剣の切っ先で迎え撃った。やわらかな膜と内臓を貫いた感触。狙い過たず、針の上に落ちてきた蜘蛛さながら、俺の長剣の中ほどまでが、蜘蛛の腹に深々と突き刺さり、体液が飛び散る。だが――


「ぐっ!?」


 腹を長剣で串刺しにされたまま、毒大蜘蛛はその八本の足で、俺の全身をくるむように捕まえてきた。目の前には、茶色い毛で覆われた毒大蜘蛛の顔がある。黒真珠のような、六つの個眼と、目が合った。


 八本の足と、二本のトゲめいた触肢のさらに内側、巨大な全長からすると驚くほど小さい、人間とそう変わらないサイズの口を開けて――口内の牙で、毒大蜘蛛は俺の肩に噛み付いた。


「ぐあっ!」


 ここ最近忘れていた、鋭い痛み。銀蛇シルバーサーペント皮鎧レザーアーマーに覆われた俺の肩は、しかし毒大蜘蛛の牙によって傷を受けている。一瞬遅れて、焼けるような熱さが肩から全身に広がった。


「ふッ!」


 咄嗟にエリーゼが毒大蜘蛛の首あたりに短剣を突き立てるが、切っ先が僅かにめりこんだだけで貫き通せない。柔らかいのは腹だけで、背中側は甲殻に守られているようだ。


「どいて、エリーゼ!」


 エリーゼが跳び下がるや否や、エマが横薙ぎに闘斧バトルアックスを一閃し――背中側から甲殻ごと、毒大蜘蛛の胴体をぶった切った。腹回りを、ほとんど両断された毒大蜘蛛は俺から足を離し、最期の苦しみにもがき始める。


「くそッ! よくもッ! ご主人様に! よくも!」


 エマの勢いは止まらない。振り上げた斧を、倒れ伏した毒大蜘蛛の頭部や、胴体めがけ、何度も、何度も振り下ろした。


「エマ! ジルの回復が先!」


 エミリアの叱責に、ぴたりとエマの動きは止まった。そのころには、痙攣すらできない、もとは毒大蜘蛛であったものの肉片があたりに飛び散っている。


「なん、だ、これ――?」


 視界が回っていた。膝をついた俺を覗き込む、エマ、エリーゼ、エミリアの三人の顔が、いやそれだけではなく周囲の景色までが、酒精で酩酊しているときのようにぐるぐるぐにゃぐにゃとして焦点が定まらない。


 左肩を始点に、焼けつくような痛みが左腕すべてと上半身に広がっている。熱病に冒されたように顔が熱い。心臓の動悸、それに連動した頭痛が耐え難いまでにキツい。

 呼吸も苦しかった。息をいくら吸っても、楽にならない。もっと、もっと息を吸わなければ――


解毒キュアポイズン!」


 エミリアの指先から、何かが俺の中に入ってきた。頭から入ってきたそれは、身体の中に浸透していくにつれ、痛みや苦しみをすうっと消してくれた。楽になった俺は、大きく深呼吸をして安堵した。


「助かったよ、エミリア。そうか、毒だったんだな」


 毒大蜘蛛という名前の通り、口腔内の牙に毒があったのだろう。

 

「ご主人様、私をかばって毒を――。申し訳、申し訳ございません。私がご主人様の盾になっているべきでしたのに」


 蒼ざめた顔色で、エリーゼがわなわなと震えだしたので、俺は苦笑した。


「避けられなかったらかばうつもりだったけど、エリーゼは自分で避けてただろ。

後衛を前衛が守る、当たり前のことだし、魔物と戦ってたらそりゃ傷も負うさ。たまたま毒持ちの敵だっただけだ。迷宮の中にまで上下関係を持ち込むのはやめようぜ。できれば迷宮の外でもそうして欲しいけどさ」


「そうよ。私を見習えばいいのよ」


 ぺしんぺしんと、鉄兜をかぶった俺の頭頂を叩くエミリアである。


「あああなた、ご主人様になんてことを――」


「む。ご主人様を馬鹿にするのは、エミリアでもダメ」


 なぜかエマまで参戦して、エマ・エリーゼ対エミリアの二対一の構図になっている。


「エリーゼはただの下克上恐怖症だからいいとして、失敗というか、ミスの度合いでいったらエマが一番ひどいわよ? 毒大蜘蛛からは素材が取れるのに、あんな挽き肉(ミンチ)にしてどうするのよ」


 俺に咬毒を与えた加害者であるところの毒大蜘蛛は、全身をずたずたに切り刻まれて、体液まみれの死体を晒していた。腹部からは、衣類の極上の素材となる糸嚢が取れるはずだったが、あの様子ではまず間違いなくダメになっているだろう。 


「うう」


 痛いところを突かれ、黙り込んでしまうエマに、容赦なくエミリアの口撃は続く。


「そもそも、自分たちの命が懸かってるっていうのに、そうやって主人だ奴隷だっていうのを迷宮内に持ち込むから、判断を誤るのよ。連携の妨げになるから、身分差は忘れようっていう方針を忘れたの? ジルの気持ちを汲み取ってないのはあんたたちの方よ?」


 普段、俺への不敬をエリーゼからがみがみ言われているだけに、絶好の反撃チャンスで口達者に二人を詰るエミリアであった。


「まあ、そのへんにしとけ、三人とも。実際に毒を食らってみて、良かったかもしれないと今は思ってるよ。あれは放っておくとヤバい。戦闘どころじゃなくなる。状態異常は最優先で治していくことにしよう」


 強引な話題転換であるが、三人とも頷いてくれたので、場の空気を切り替えることには成功した模様である。毒自体はエミリアの解毒で抜けたものの、身体から何かをごっそり抜かれたような倦怠感は消えていない。


小回復ヒール


 ベルトのポーチに入れてある回復薬を使うか迷ったが、魔力量に余裕があったので、魔法を使うことにした。淡い光が俺を包み、いくらか楽になる。やはり、毒のせいで体力が大幅に落ちていたらしい。


「――――」


「どうした? エリーゼ」

 

 どんよりと落ち込んでいるというか、俯いて唇を噛み締めている。あまり見たことのない表情だった。そんなにも、エミリアに言われたことが悔しかったのだろうか。


「エリーゼ、気にするな。口も態度も悪いが、エミリアだってああ見えてパーティのことをしっかり考えてるからこそ、キツく当たってしまうんだろう。切り替えて次に行こうぜ」


「誰の口と態度が悪いって? 帰ったら覚えてなさいよ」


 俺の背中や尻をばしばし叩くも、銀蛇の皮鎧のおかげでダメージがないことに苛立つエミリアである。


「いえ、そこではありません。結果的には無事でしたが、罠を見破れなかったのを後悔しています」


「罠? ああ、透明な糸だかに触ったかもって言ってたな。あれのことか?」


「はい。あの糸に触れた直後に動き出したことを考えると、ほぼ間違いなく、毒大蜘蛛が張っていた糸です。糸が何かに触れたら、獲物がいると判断して襲ってくるのでしょう。今回は何とかなりましたが、あれが致命的な罠だったらと思うと、狩人失格です」


「エリーゼが気づかなかったなら、他の誰にもわからないさ。次に活かそうぜ」


「わかっています――いえ、失礼しました。了解です」


「うん、落ち込んだまま探索をしても、いいことは何もないだろうから。迷路の策敵、続けてもらえるか?」


 頷き、自らの頬を叩いて気合を入れてから、エリーゼは再び歩き出した。

 後に続きながら、俺はそっと自分の左肩を撫でる。恐狼の牙からも俺を守り通してくれた銀蛇の皮鎧は、毒大蜘蛛の牙によって一本指がすっぽり入るほどの穴を開けられていた。


 銀蛇の皮鎧ともなると、小さな傷を直すだけでも、10,000ゴルドは取ると仕立屋サフランの女将は言っていた。装備の値段が上がると、修繕費も上がるのは自然なことではあったし、狩りに慣れて危なげなく中層の敵を倒せるようになるまでは魔物の攻撃を食らってしまうのも仕方ないことではあったが、予定外の出費となりそうで、つい肩を落としてしまう俺であった。

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