第二十六話 鋼
「こいつはまあ、見事にやられたなあ」
ダグラスの鍛冶屋に、鉄兜を持ち込むと、いかめしい筋肉の店主は、しげしげと破損箇所を眺めてから、楽しそうに笑った。
恐狼の牙に食いちぎられた断面は、ぎざぎざとしていて、再度の使用に耐えられるとは思えない。
「多分だが、直せないだろ?」
「これだけ破損しちまうと無理だな。面頬だけなら取り替えりゃ済むが、兜本体の方も少しカジられちまってる。どのみちこの兜は、初心者用に造ってるから、鉄板が少し薄いんだ。買い替え時だと思うぜ」
ダグラスの店は、今日は客がいないので、こうして喋っている余裕があるが、最近は少しずつ固定客が増えてきていた。商品の陳列をもう少し考えれば、新規の客を呼び込みやすいと思うので、彼の職人魂を傷付けない程度にちょくちょく、俺が助言をしていたりする。
「んじゃ、新しいの買うか。でも、最近、懐具合が厳しいんだよなあ。フィンクスの使ってた兜、使っちまうかな」
盗賊団の討伐時、迷宮素材で作られた防具を着ていたのは、ウキョウとフィンクスの二人だけである。二人とも、魔鋼の板金兜と、銀蛇の皮鎧一式を着込んでいた。
どちらも、俺にはとても手の出ない高級品である。
「なんだ、別の兜持ってたのか?」
「フィンクスの使ってた魔鋼の兜があるんだよ。俺には過ぎた装備だと思って、まだ装備してなかったんだが」
「鈍魔鋼をすっ飛ばして魔鋼か。確かに、あれなら末永く使えると思うが、かなり重いぞ? 今筋力いくつだ」
【名前】ジル・パウエル
【年齢】16
【所属ギルド】なし
【犯罪歴】0件
【未済犯罪】0件
【レベル】434
【最大MP】13
【腕力】16
【敏捷】13
【精神】14
『戦闘術』
戦術(29.2)
斬術(24.6)
刺突術(23.9)
格闘術(11.2)
『探索術』
追跡(14.1)
気配探知(16.2)
『魔術』
魔法(21.4)
魔法貫通(13.3)
マナ回復(35.3)
魔法抵抗(1.2)
『耐性』
痛覚耐性(17.1)
魅了耐性(100.0)
『始祖吸血鬼の加護』
血の紋章をダグラスに見せてやると、ほう、と感嘆の声を上げて驚かれた。
「ジル、お前さんずいぶんと成長が早えな。順調じゃねえか。先月、俺のところに最初に来たときは腕力値9だっただろ?」
「矮人やら豚人やらを狩りまくってたからレベルはいいペースで上がってたんだがな、武器スキルが最近伸び悩んでる。だから、恐狼を狙ってみたんだが、結果はご覧のザマだ」
「一人で迷宮に潜ってるのが効を奏してるな。中層で活躍する冒険者だって、こんなにレベルの上がりは良くねえよ」
「そうなのか?」
中層ほどの強力な魔物を倒してるなら、そっちの方が成長が早いと思っていたのだが。
「そりゃお前、いくら中層の魔物ったって、パーティ組んで袋叩きにしてりゃ上達は遅いだろうよ。魔物を倒したときに吸収できるマナだって、何人もで頭割りにするわけだろ? お前さんみたいに、自分が余裕を持って狩れる相手を、一人で延々と狩るのが一番成長が早いぜ」
「そっか。一人でやるのも利点があるのか」
「実入りは中層でやる方が美味いし、パーティ組めば格上ともやれるから武器スキルの上達が伸び悩むこたあないかもしれんが。恐狼に勝てるようになったら、しばらくはあいつで稼げるから、無理にパーティなんざ組まなくてもいいと思うぞ」
「なんだ、気にしてくれてんのか?」
迷宮の入り口でエディアルドに絡まれて以降、冒険者ギルドのパーティ募集の看板には、こんな文章が見かけられるようになった。
『中層入り口での狩り、レベル300以上の魔術師と狩人募集、ただしジルという人物を除く』
『中層での狩り、鎖鎧一式以上の防具持ちの前衛募集、ただしジル・パウエル氏以外で』
もちろんすべての募集ではなく、この文章が載っているのは全体の一割にも満たなかったが、それなりに広いパーティ募集会場にて、俺が名指しで否定されているというのは中々に恥ずかしいものがあった。どう考えても、エディアルド少年の仕業であろう。
その一文が載っている募集が一つだけではないことから、ギルド『竜の息吹』も関わっているのは明白であった。
正直なところ、怒るよりも、呆れた。エディアルド少年の言うことを鵜呑みにするギルドメンバーがいることもそうだったが、やることが子供じみている。
何も知らない冒険者がこれらの募集を知っていたら、何はともあれ、俺をパーティに加えるのは避けようとするだろう。素行、評判の悪い人物をパーティに加えたがる人間はいないし、最大手の『竜の息吹』に睨まれるのも嫌だろうから。
周辺への悪評を広められるという点では、俺にとっては痛いやり方ではある。
(しかし、これだと全面的に俺を敵に回すよなあ)
客観的に見ても俺が悪者ならば話は通るかもしれないが、俺は少なくとも身の回りの人間からは信用を勝ち得ているので、そのうち彼は自分の首を自分で絞める結果になるだろうと俺には思えた。
なお、この話をしたところ、最も激怒したのがダグラスである。次に怒ったのが、その場に居合わせて話を聞いていた、ダグラスの嫁である。
「お前、店番たのまあ」
「何言ってんだいあんた、私も行くさ」
「そうか。んじゃあジル、ちょっと俺ら夫婦は出かけるから、店、見といてくれ」
「いやいやいやいや。意味がわからん。俺の店じゃねえからここ」
「気にすんな。どうせ客なんか来ねえよ。もし来たら、すぐ帰るからって言って待たせとけ」
などと言い捨て、夫婦連れ立って出かけた彼らは、小一時間して戻ってきた。予想通り、客は来なかったので、暇を持て余した俺は、商品の提示をどうしたら見栄えが良くなるかなどを、彼らのかわりに考えたりしていた。
「よし、話通してきたぞ」
髭だらけの強面を、にこやかな笑顔で彩ったダグラスは、控えめにいってすさまじく暑苦しい。
「お父に言い付けといたから。あのクソギルドはヴァンダイン一門の鍛冶屋、全店で出入禁止にしたよ」
「はあ!?」
まさか、出かけた先は、ダグラス嫁の実父であるという、ヴァンダイン氏のところか。あと、奥様、言葉遣いが悪いです。
「俺の得意客に手ぇ出すとはいい度胸だ、あの小僧。自分が何やったか、ちゃんとわからせてやらんとな」
「気持ちは嬉しいんだが、大事になってないか?」
「あいつと出会っちまったのは、俺が出した採取依頼の最中だっただろう。俺にも責任の一端があらあな。それに、職人ナメられてるようで気分が悪い。戦うときは戦わねえとな。もうとっくに、お前さんだけの問題じゃねえのさ」
それが、つい先日の話である。エディアルドと揉めた一件を気にしてくれてるのか?と俺がダグラスに言った背景には、こうしたやり取りがあった。
「この街の腕のいい鍛冶師は、だいたい師匠の一門だ。そのうち向こうが根を上げるだろうよ。それよりも、ジルの腕力値は16か。魔鋼の兜は、さすがにちっと早えな。まだ重くて着れたもんじゃないだろう」
確かに、試しに持ち上げようとしてみたところ、すさまじく重かった。薄い板金に加工された兜であるというのに、ダグラスの依頼で持ち運んだ、鉱石の塊ぐらいの重さはあったように思う。あれだけの重量を、頭にくくりつけて冒険するというのは、今の俺にとっては枷にしかならないだろう。
「最低25、できれば腕力値30だな。そこまでレベルが成長すれば、魔鋼製の兜だろうと、防具に着られるなんて事態にゃならねえ。しっくり装備できて、信頼できる防具になるだろうさ」
「んじゃ、換算するとあと300レベルぐらいか」
腕力、敏捷、知性の基礎能力値は、10レベル上昇するごとに、どれかが1ポイント上がる。近接攻撃を主体として戦う俺は腕力が上がりやすくはあるが、それだけが成長するわけではない以上、魔鋼製の兜を心おきなく装備するまでには、あと300レベルほどを見込んでおいた方がいいだろう。
戦利品の魔石を売って生活費に当てている現状だと、豚人や矮人などの、格下の魔物を狩り続けて一日5レベル上がるかどうかである。最短で二ヶ月はかかるというわけだ。
「まあそう言うな。一日、命のやり取りをしたら、数日休む冒険者なんてザラだ。毎日、効率よく狩れる魔物をひたすら一人で狩り続けてる奴なんてそうはいねえよ。お前は他の奴より成長が早い、それは確かだ」
「地道にやるしかないってのはわかってるんだが、どうにも進展が少なくて、焦るんだよなあ」
「肉体の最盛期なんざ、どんな人間だって十年間ぐらいだ。その十年費やして、ベテラン冒険者ってやっと呼ばれる。そいつらのペースを考えたら、お前は早すぎる方だ。命は大事に、そのまま育て」
「おとんかお前は」
げらげらと笑いあう俺たちである。
「――ってなことがあってな」
晩酌の麦酒を飲みながら、今日あった出来事をエマたちに語っている俺である。
冒険から帰ったら、彼女たちと談笑するという日課が、自然とできつつあった。他愛もない話がほとんどだが、命のやり取りをした後で心の糸が張り詰めていても、彼女たちと話していると、いつの間にか緊張が解けていたりする。
気がつかないうちに、俺は彼女たちで癒されている。
「その、ご主人様はそれで大丈夫なのでしょうか? しばらくは他の方とパーティを組めないということですよね?」
「しばらくは一人で迷宮に潜るつもりだったから、大丈夫だ。パーティが組める実力が付く頃には、解決してるだろ」
エディアルド少年の素行を考えると、他にもあちこちで揉めていそうである。パーティが組めない風評被害の類も、時間が経てば、自然と解決すると俺は思っていた。
俺自身は、正直なところ、ほとんど気にしていないのだが、それでもエマたちの表情は晴れない。予想以上に心配させてしまったようだ。
「大丈夫だ、みんなが気にするようなことは何もないよ」
安心させようと声をかけるのだが、彼女たちは顔を見合わせるばかりである。一体どうしたというのだろう?
「エリーゼから言いにくいなら、私が言うわよ?」
「そう――お願いできる?」
何やら、俺に言いたいことがあるらしい。それも、エリーゼが口に出すのを躊躇い、かわりにエミリアが言わざるを得ないようなことが。それほどに重大な話なのかと、俺は姿勢を正して身構える。
「ジル、あんた、私たちはやりたいことを自由にやっていいって言葉、あれに二言はないわね?」
「基本的にはないぞ? 人の道に踏み外したことをしようとしてたら止めるが」
彼女たちの親代わりのようなものだと最近では思っている俺である。例えば、明日から体を売って稼ぎたいなど、どんな親が聞いても否定するようなことを言ってきたら強権を発動してでも止めねばなるまい。
「毎日、昼までの勉強が終わったら、夕方は私たちの自由時間なのね? それと週末も、休日にしてくれるのよね?」
「そうだ。今までもそうしてきただろう?」
「わかったわ。それじゃあ――」
言う言うとエリーゼには啖呵を切ったものの、何やらエミリアも言いにくそうにもじもじしている。
「わたしがいう」
そんなエミリアに代わって、今度はエマである。なお、彼女は今、例によって俺の背中に張り付いているので、俺は背中越しに喋られるという稀有な体験をしていることになる。
エマはとてとてと俺の前に回ってくると、揃いの安物の服から、懐をごそごそと探って何かを取り出した。
それは、乳白色の、手のひらに収まるぐらいの、小さな板。
「おま、それ――」
「エマたち、ぼうけんしゃになる」
ふんす、と鼻息も荒く、手に持った血の紋章を、堂々と俺に見せつけてくる、エマである。
(エマ、たち?)
見ると、エリーゼもエミリアも、懐から血の紋章を取り出して、俺に見えるように、胸元にかざしてみせた。
「ダメダメダメダメダメ。ダメだろ。ダメだ」
かなり長いこと、言葉の意味を受けいれるまで固まってしまったが、我に返った俺は、即座に前言を翻した。男の矜持も、場合によりけりである。男に二言はあるのだ。
「人の道は踏み外してないわよ?」
「危険すぎるだろ! 迷宮の危険性を理解して言ってるのか? とにかくダメだ」
「何よ。私たちを自立した人間として、奴隷扱いしないって言ったのジルじゃない。あれは嘘だったわけ?」
「いや、嘘じゃないが――」
「じゃあ、認めなさいよ。他ならぬ私たちが、自分から、やりたいことを言い出してるんじゃない」
「家長として認めません。そんな危険なことをする必要はありません。大体なんで迷宮に入ろうなんて思ったんだ。いいか? 危険汚い臭いの三拍子揃ってる上に、身体に傷が付くし、冗談抜きで死ぬぞ?」
「それは、ジルだってやってることじゃない。自分はいいのに私たちはダメなわけ?」
「そうだ。魔石やマナを取り込んで身体能力が上がれば、男も女も、そりゃ力は等しくなる。それでも冒険者の大半は男だ。それはなぜかというと、迷宮の中が過酷な環境だからだ。全身の肌に傷は付く、排泄だってパーティを組むなら仲間の近くでしなきゃならん、言ったら何だが、例え生理中だろうと魔物は手加減してくれんのだ、体調管理は重要になる。挙げたのは一例だけだ、迷宮で稼ぐっていうのは綺麗事じゃないんだぞ?」
「そんなの、わかってるわよ。個人的な意見を言うと、私は反対だったわ」
「へ? じゃあなぜ言ってきた」
エリーゼとエミリアが口を開くより先に、エマが俺の前に立ち、俺の目を見つめた。どこを見ていたのかも定かではなかった、あの頃の瞳ではない。しっかりと、俺を見据えた、輝く目だ。
「わたしがいったの」
「お、おう?」
「ごしゅじんさまのやくにたちたい。だから、わたしはめいきゅうにはいる」
そうかあ、などと適当に相槌を打ちながら、予想だにしなかった展開に俺は頭脳を酷使して打開策を考える。エリーゼも、エミリアもいい。理屈で話せばわかってくれる。しかし、エマの意志なのだ。果たして説得してわかってくれるだろうか。
「ああ、その、エマ、そのな? 迷宮は、すごい危険なところでな?」
「ごしゅじんさまのためなら、しんでもいいよ。わたしはめいきゅうにはいる」
ヤバい、予想外に重いぞこの子。
俺の役に立ちたいという気持ちは、素直に感動するほど嬉しいものの、言っている単語が物騒である。俺はエリーゼたちに、必死で何とかしてくれ的な視線を送るが、彼女たちの落ち着いた反応を見るに、説得に回ってくれる可能性は薄そうである。
「エマほどではありませんが、私も一部分には同意します。受けた恩が大きすぎて、このままでは返せそうもありませんし。もともと、私は狩人のスキルを持った奴隷として売られていたのです。父の教えてくれたスキルで、ご主人様の冒険の供となれるなら、本望です」
予想だにしていなかった。まさかの、ストッパー役であるエリーゼが敵である。
「私は正直なところ反対よ。危険だもの」
「そうか、そうだよな。さ、他の二人を説得してくれ」
「聞く耳を持たなかったからこうなってるんじゃない。エマたちだけ迷宮に行かせて、私一人、この部屋で待ってるなんて嫌よ。だから、私もこうして血の紋章を作って、渋々同意してるんじゃない」
「ちょっと待て、ちょっと待てよ。色々考えるから」
俺には二つの道がある。まず、何が何でも、つまりは隷属の首輪の契約状況を彼女たちの意思を無視して変更してでも迷宮への立ち入りを禁じること。利点としては、彼女たちを諦めさせることができる。
だが、これはやってはいけない。せっかく、自分たちでやりたいことを見つけてきたのである。ここで権力を振りかざして押さえつけてしまっては、彼女たちの正常な成長に悪影響が出てしまう。
それは俺の主義にも反するし、せっかく勝ち得た彼女たちの信頼も、失ってしまうかもしれない。つまり、俺にはもう、彼女たちを止められる手段がない。
「ふとした疑問なんだが、対外的にはみんなって奴隷身分だよな。迷宮って入れるのか?」
「前回の休日に、冒険者ギルドに行って確認済みよ。主人の許可があれば、単独で迷宮に入るのも問題ないってさ。よくジルの話の中に出てくる、ディノって人を探して聞いたら丁寧に教えてくれたわ」
俺は頭を抱えた。なんという手回しの良さだろう。彼女たちの行動力を侮っていたと言わざるを得ない。
「それにしても、よく血の紋章作る金があったな。50,000ゴルドだろ、それ?」
「毎日、食事と入浴代で1,200ゴルドもくれてるの、ジルじゃない。節約しながら午後は働いて、しかもそのお金は全部もらっていいとなったら、これぐらい二週間で溜まったわ」
「迷宮に入る武器とか防具はどうするんだ? あれだって結構高いぞ?」
「それはわかってるから、ジルが協力的かどうか、反応を見てから考えようって話になったわ。もし私たちの迷宮入りに賛成してくれるなら、使ってない防具ぐらい貰えるかもしれないし。でもまあ、貰えなかったとしても、エマは止まらないわよ。私だって説得したもの」
そう言って肩を落とすエミリアである。きっと彼女のことだ、何とか思いとどまらせようとはしてくれたのだろう。
「苦労させたな。俺も、説得できる材料がもう見当たらん」
「そうでしょ?」
二人してため息をつく俺とエミリアであった。
くいくいと、袖を引っ張られる感触に目を向けると、エマが満天の星空のような無垢な瞳を俺に向けていた。
「ごしゅじんさまは、エマがまもるの。ごしゅじんさま、エマとパーティ、くんでください」
「よしよし」
エマの頭をわしわしと撫でてやる。出した結論はともかく、俺の役に立ちたいと思ってくれたのは、素直に嬉しかった。エマの自立の端緒になるかもしれず、そこは喜ぶべきことであろう。
さて、状況を考えるに、エマたち三人が迷宮に入ることは、ほぼ確定してしまっている。ならば、先ほども考えた、二つ目の選択肢を取るしか、俺に残された道はない。
つまり、彼女たちが絶対死なないように、全力で環境を整えてやることである。




