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第二十四話 性別固有魔法 後編

「ああ、ご主人の方ですか。もう間もなく仕上げが終わりますので、おかけになってお待ち下さい」


 エマたちを預けた床屋に戻ると、店主が椅子を勧めてくれた。

 弟子らしき人が紅茶を淹れてくれたので、ちびちびと啜りながら三人を待つ。


 落ちている髪の毛がわかりやすいようにという配慮なのか、白っぽい木材で作られた店内は、泡油樹サボナサボテンの清潔な香りに満ちていた。洗い場の周辺だけ、水避けのために分厚めの布が敷かれていて、四人の弟子が接客や床掃除で忙しそうに立ち回っている。

 

 布で顔を隠されたまま、台に仰向けになって頭を流されているのは、髪の色から察するとエリーゼである。弟子が、作水クリエイトアクアの魔法で黒髪についた泡を洗い流していた。頭をもたれかけさせる突起のついた洗面台には、直接下水へとつながる穴が開いているようだ。


「三人とも、頭を流せば出来上がりですので、もうしばらくお待ちを」


 必ず店主が手がけると噂の仕上げ調髪は終わっているのか、弟子に残りを引き継ぎ、細面の店主は俺のそばに腰かけた。

 若いころは女性に騒がれたであろう、顔の皺が渋い中年の男性である。


「定期的に頭を洗っているのか、三人とも髪の痛みは少なかったので、かなり化けたと思いますよ、楽しみにして頂いて結構です」


「化けた?」


「ええ。見違えたと思います。どういう髪型にしたいのか、他人からどう見られたいのか、この店では調髪の前に一人一人と面談することにしています。あの子たち――失礼、手がけた客をどうもあの子呼ばわりする癖がありまして――みな、表現の差はありましたが、女性として意識されたいという希望は共通していましたので、気合を入れてやりましたとも」 


「そうか。そりゃ気づかなかったな」


 考えてみれば、三人ともこの街の法では成人であった。女性として意識されたいということは、要するにいつまでも少女扱いをするなということであろうか。なるほど、言われてみればその通りである。


「少しずれている気がしますが、まあそこまで口を出すのは野暮ですかね」

 

 弟子の淹れた紅茶を啜りながら、店主は苦笑いであるが、その理由が俺にはわからなかった。


「お、終わったようですね」


 近づいてきた足音に顔を上げると、くすんだ金髪を、首のあたりで短く揃えた少女が立っていた。


「エマ、か?」


「おわりました、ごしゅじんさま」  


 本当に、見違えるようだった。今までのエマたちは、みな伸びるに任せて背中までぼさっと髪を垂らしていたのが、エマの場合、軽やかに切り揃えられているだけではなく、くすんだ金髪が艶を取り戻していた。

 血色のいい頬がほんのりと桃に染まっていて、丸みを帯びた髪型と相まって、直視するのが眩しいほどである。 


「では、この子から、施した調髪を説明していきますね。まず、ご覧の通り、全体的に短く切りました。可愛くなりたいという要望だったので、髪の美しさよりも雰囲気を重視して仕上げてあります」


 変わりすぎである。昨日までの、俺にちょろちょろと近づいてくる小動物然としたエマの姿から、いきなり一人の女の子に成長したようだ。店主が、化けると言っていた意味がよくわかる。


「唐突ですが、『開拓者フロンティア』のボーヴォ氏はご存知で?」


「面識はないが、凄腕冒険者の彼ならもちろん知ってるが」


「卵型の兜から飛び出た髪を、彼は邪魔だからという理由で、しばしば冒険のたびにすべて切り落としていました。そんなボーヴォ氏のあだ名から取って、ボブカットと呼ばれている調髪ですね。それが今回の彼女の髪型になります。通常はもう少し、首の方まで裾広がりに切るのですが、今回は首の後ろで絞るように短く切ってあります」


「なるほど」


 正直なところ、エマの変わりっぷりに驚くばかりで、内心ちょっと慌てていた。

 なので、すぐ近くに寄られるまで、もう一人の接近に気づかなかった。


「ご主人様、お待たせしました」


「お、おお。すまん。エリーゼも終わってたか――」

 

 声からしてエリーゼだと判断して、くるりと首を回した俺の前に立っていたのは、やはり化けた少女である。

 眉毛が隠れるか隠れないかぐらい、横一直線に前髪は揃えられており、くるりと身をひるがえすと、艶やかな黒髪が軽やかに背中で踊る。 


「この子は目が細いのを気にしていたようなので、長所をうんと伸ばす形で長髪のままとしました。方向性としては、美しい女性といったところですね。もともと綺麗な髪をしていましたので、暑苦しくないように全体の髪の量を削り、香油で艶を引き立たせています」


 同じ長髪でも、しっかりと手入れをするとここまで違うのかと、俺は驚きを禁じえなかった。伸びるに任せっぱなしでぼさぼさしていた背中の髪はすっきりして、櫛を丁寧に入れたのか、髪は流れるかのようだ。

 

「ご主人の方、もしお持ちでなければ、髪に付ける香油と櫛だけでも買っていかれませんか? 洗髪の後に櫛をかけて、香油を伸ばし塗ってやるだけでこの髪の艶は出ます。どうも、櫛をかけたこともないようでしたので」


「俺が櫛なんか使ったことがなかったからなあ。男だと、そのあたりの女性の機微がわからなくて困るんだよな。女性しか使わないようなものとか、みんな遠慮して欲しいって言わなかったりするから。すまんが店主、一通り、あった方がいいものを見繕ってくれるか? 櫛とか化粧道具とか」


「かしこまりました。個人的な意見ですが、髪の長い子は、化粧が似合うはずです。自分の目が細いことを気にしていましたが、上手なお化粧をすると、今よりもっと化けますよ」


 確かに、エリーゼは背が高くて目が細いので、ちょっとキツネっぽい印象はあるが、気にしてたのか。今度、少女たちに化粧を教えてくれるよう、宿のドミニカに頼んでおこう。


「身近な人間がいきなり別人になったみたいで心臓に悪い。これ以上化けさせるのは今度にしておくよ」


「ははは。おっと、最後の一人も終わったようですね」


 残りはエミリアである。よしもう驚くまいと、覚悟を決めたのは一瞬のことで、椅子から立ち上がってこちらを向いたエミリアを見た瞬間、やはり俺はその化けっぷりに驚愕するのであった。


「何よ。やっぱり変?」


 手間のかけ方で言えば、エミリアが最も時間を使っているだろう。

 エリーゼよりもやや短くした、胸元ぐらいまでの栗毛は、どうセットしたのか、毛先が波立っている。俺が買ってやった、お揃いの粗末な服装にさえ目を瞑れば、どこかのお嬢様としか思えないほどに品があった。


「ほら、何か言ってあげないと」

 

 わき腹を肘で小突かれ、俺は我に帰った。


「あ、ああ。よく似合ってるよ」


「もう、変なら変って言えばいいのよ。マスターのお世辞に乗ってこんな風にしたけど、馬鹿みたいだわ」


 これはやばい。拗ねた顔つきではなく、真顔でぼやくときのエミリアは本当に機嫌が悪い。


「いや、すごく変わったから驚いたんだ。大丈夫、可愛くなってるよ」


「そう? ならいいけど」


 褒められてまんざらでもなさそうなエミリアである。


「まあ、どうせ髪を洗うときにセットなんて崩れちゃうんだけどね。毎回この髪型にするために1,000ゴルド払う気にはならないわ」


「大丈夫、最小限な道具と鏡さえあれば家でもセットできるから。ご主人の方が買ってくださるそうだよ?」


「櫛に鏡、化粧品、全部ひっくるめて今日のうちに買っておこう。あって困るものでもないし」

 

 それこそ自分たちの使う物なんだから自分たちで買うべきでは、なんて言い出しかけてるエリーゼを手で制す。


「じゃあ、最後にご主人の方に、全員に施した調髪をまとめて説明しますね。髪型にはそれぞれの持ち味が出た方が良いですので、個性を引き立たせる方針で切りました。そっちの小さい子、エマちゃんは金髪を短めのボブカットに、背の高い子、エリーゼちゃんは黒髪を長くストレートに、エミリアちゃんの茶髪は背伸びしてお洒落したい女の子風にカールをかけて。お気に召して頂けましたか?」


「いやあ、さすが専門の職人ですよ。感服です。ここまでみんなが化けるなんて」


「私が言うのも何ですが、あんまり女の子の前で化けるなんて言っちゃだめですよ? 細かいことを気にする年頃なんですから」


「店主には適わないな。気をつけるよ」 


 俺も店主も、苦笑いである。


「後は、基本的な道具だけ見て頂きましょうか。櫛に香油、鏡、あとは髪の毛をセットするカーラーと、髪留め針ぐらいですかね。カチューシャみたいな、飾り気のある装飾具は女性に贈ると喜ばれますので、後日に気が向いたらまたいらしてください。作風クリエイトウィンドの魔法が髪の毛を乾かすには便利なんですが、うちでは扱っていませんので、それも必要でしたら魔法ギルドまで行って頂いて」


「何となくわかってたが、女性陣の身の回りの品は本当に数が多いなあ」


「私が言った分は、道具の中でも、本当に最低限のものだけですよ。こだわる方は大量の道具が入った化粧棚を持っていますし。その気がおありなら、腕の良い細工師を紹介しますよ?」」


「はは、それぐらい買ってやれるように出世しないとな」


「はい。髪の毛も、自分だけでの手入れには限界もありますので、伸びてきたかなと思ったらまたお越し下さい」


 にっこりと笑う店主に見送られて、床屋を後にする俺たちであった。





『やっほー。ジル元気ー?』


 四人で家に帰り、各人がベッドや椅子に腰かけ、一息ついたところで、部屋の中に桃色の声が響き渡る。妙に気の抜ける声の発生源は、俺の右手薬指だ。念話テリングの指輪の魔石がうっすらと輝き、声はそこから発せられている。


「おう。元気ではあるが」


 加護もチェルージュのこともエマたちには言っていないので、彼女たちにとっては見知らぬ女性の声である。現に、何事かとみな、固まってしまっている。


「ずいぶんかけてくるのが早いな。どうした?」


『今日暇でしょ? 買出しというか、調べ物をちょっと頼まれて欲しいんだけど』


「欲しいもの、指輪だけじゃなかったのか。構わんが、何をだ?」


 指輪、といったところでエマたちは三人ともぴくりと反応した。視線は俺の嵌めた指輪に注がれている。


『あ、指輪はありがとうね、すごく気に入ったよ。左の薬指に嵌めてるよ』

 

「おいこら」


 求愛した覚えはない。

 左の薬指、という単語でエマたちの血相が変わったのは気のせいだと信じたい。


『調べ物だけど、ちょっと量が多いんだよね。メモって取れる?』


 うちに紙なんてあったかな、と目を泳がせると、エリーゼが麻布の切れ端とペンを差し出してくれた。勉強用の道具なんて俺は渡していないので、自分たちで調達してきたのだろう。手振りで礼を言う。


『えっとね、まずは、隷属の首輪か、衛兵の使ってる誓約の腕輪、このどちらかが欲しい。できれば前者がいいな。魔法ギルドで手に入るかどうかと、あとは開拓者フロンティアのボーヴォさん。彼との面識が欲しい』


「おいおい、穏やかじゃないな。首輪が欲しい理由もよくわからんが、彼と喋ってどうするんだ? チェルージュ、一応魔物の枠に入ってるんだし、先方に迷惑かけるならお断りだぞ?」


『迷宮内で沸く、原初の魔物なんかと一緒にされたくないなあ。ジルは知らないかもだけど、地上で生活するありとあらゆる魔物は迷宮で生まれたんだよ? 森人エルフや吸血鬼、人間だってそう。矮人ゴブリンも、迷宮の中の原種族よりも、街の外で暮らして経験を積んだ個体の方が強いでしょ?』


「いま、さらっとすごい重要なことを言われた気がするんだが。それって一般常識なのか?」


 少女たちの方を見ると、エリーゼとエミリアは全力で首を横に振っていた。


『あれ、そうなの? ちょっと考えればわかると思うんだけど。確かに迷宮は広いけどさ、生まれる魔物全員が食べていけるだけの食料はあそこには自生しないんだよね。種として繁栄しようと思ったら、薄いマナで弱体化するのを覚悟して地上に出てくるしかないし』


「なんか、知られたら大事になるような情報がぽんぽん出てくるな」


『そのあたりの迷宮は、人間が出口をすべて封鎖してるから気づかなかったのかもね。迷宮はそこだけじゃなくて、世界のありとあらゆるところにあって、また別の生存競争があるんだけど。まあ本題から逸れたから、この話はこれでお終いにしようか。できればこの情報は公にはしないでね』


「それはわかった。欲しい情報は、首輪が買えるかどうかと、ボーヴォ氏との面識だけでいいのか?」


『今はそれだけでいいよ。後はこっちでやるから』


「重ねて言うけど、悪用するなよ?」


『悪用の定義によるけど、ジルに迷惑はかけないよ。研究に使うだけだし、後者は個人的な興味があるだけだから』


 まあ、それならいいか、と俺は納得する。有名人の住所を教えたところで、まさか闇討ちにはすまい。チェルージュは、金にも力にも困っていないので、その必要性がない。


『後は、みんなに私のこと紹介しておいてね。隠してるわけじゃないんだよね?』


「言って信じてもらえるかは別問題だが、まあ了解だ」


 エマたちは顔を見合わせる。どことなく不安そうな表情だ。


『私はチェルージュ・パウエル。ジルの上司みたいなものだね。言ってみれば、ご主人様のご主人様だ』


「こらこら、そこまで首輪付けられた記憶はないぞ」


『あ、命の恩人にそういうこと言っちゃう? 指輪まで贈ってくれたのにな、私悲しくなっちゃうな』


「誤解されるのがわかってて楽しんでるだろ、お前」


『そりゃそうだよ。私はジルの瞳を通して、どんな顔で彼女たちがジルを見てるのかがわかるからね。知らぬは当人ばかりなり、ってね』


「まあ、よくわからんがわかった。首輪が手に入るかはわからんが、そのときはこうもり寄越してくれ」


『了解、またねー』


 ぶつん、と何かが消えるような音がして、念話の指輪の輝きは消えた。部屋には、重苦しい沈黙が残っている。エマたちは三人とも、「話して頂けますよね?」ぐらいの顔でこちらを睨んでいる。


(どう説明したものか)


 俺はじりじりと近づいてくる少女たちを前に、頭を悩ませるのであった。






「――なるほど、要約すると、先ほどの女性は、街の外で暮らしている吸血鬼で、ご主人様に加護を与えた方だと。そういうわけですね?」


「そうだな。通称、朱姫あけひめ様だ」


「加護の内容は、常にMPの一割を使って、瞳にマナを溜めるというもの。そのマナを使って、朱姫様はご主人様の見ている光景を遠くにいながらにして把握したり、ご主人様が瀕死になったときは、溜まったマナを使って助けてくれる、これで合ってますね?」


「そうだな。合ってる」


 今の俺はというと、椅子に座ってはいるのだが、壁を背にしていて、三方を同じく椅子に座った少女たちに囲まれている。逃げ場がない上に、至近距離から三人の真剣な瞳に射抜かれていて、すさまじく居心地が悪い。


「先ほど、盗賊団の討伐の時まで、後ろ半分の加護の詳細を知らなかったと仰っていましたが、つまるところ、ご主人様はそこで死にかけたのですね?」


 俺を詰問しているのは、代表者としてエリーゼである。日頃、怒られているエミリアに助け舟を出している俺だが、矛先がこっちに向くと、これは中々に威圧感のあるものである。床屋帰りからそこまで時間が経っているわけではないので、エリーゼの見た目は綺麗系の美女のままなわけだが、そんな彼女が真顔で詰め寄ってくるのである。


「死にかけたというか、正確には一度死んだ。あの日帰ってきたときに、胸元に大きい傷あったろ? あれは賊の頭目から斬られた傷で、肩から内臓までばっさりいかれたんだ。チェルージュの助けがなければ、即死だったと思う」


「――その傷を受けるまで、朱姫様が助けてくれることは知らなかったのですね?」


「そうだな。正直なところ、斬られた瞬間は、終わったと思ったなあ。走馬灯とかも見えたぞ、ははは」


 にこやかに笑って場の空気を変えようとした俺の目論見は、まるで意味を為さなかった。エマは真顔でずっと俺を見ているし、エリーゼは眉間を抑えて考え込んでいるし、エミリアは、わなわなと震えていた。


「ねえジル、つまり、たまたま朱姫様?が助けてくれただけで、本当は死んでたってこと?」


 黙りこんでしまったエリーゼに代わって、二番手はエミリアである。


「その通りである」


「私たちの身請け金、そこで稼いだのよね? 盗賊団の討伐隊に参加して」


「そうだな。俺を含めて生き残りは二名だけだ。最後にチェルージュが来てくれなければ全滅してたな。もう一人が、命が助かったことを俺に感謝してて、賞金をほとんど全部くれたんだ」


「危険だってことはわかってて、討伐隊に参加したのね?」


「元々、俺が参加していいような集まりじゃなかったからなあ。討伐隊は、みんなベテラン冒険者ばっかりだった。本当は、賞金首の一人でも倒せたらいいなって思ったんだが、賊の方が上手だったから、返り討ちになったわけだ」


「――私たちがいなかったら、討伐隊には参加しなかった?」


 素直に言うかどうかちょっと迷ったが、事ここに至っては隠し通しておける気がしなかった。


「そうだな。俺は、安全圏を多めに取って狩りをしてたからな。実力に合わない依頼なのはわかってたから、参加はしなかったと思う」


 はあ、と深いため息をついて、エミリアはぐったりしてしまった。


「何で、言ってくれなかったのよ。いい格好したかったわけ?」


「結果的にはそうなるのかなあ。前からさ、みんなを奴隷商人のところから引き取ったり、飯を食わせたりしてるのを、気にしなくていいって言ってたろ? あれはそのままの意味で、実際に元出の金をくれたり、稼がせてくれたりしたのはチェルージュだからな。俺の手柄じゃないんだ」


 ばつが悪くなって、頭をぽりぽりと掻く。


「言わなかったのは―ー何でだろうな。金の出所を心配させたくなかったって言えば通りがいいけど、確かに指摘されてみれば、チェルージュのやったことを横取りしてるようなもんだからなあ」


「そっちじゃないわ」


 目を抑えていたエミリアの頬を、しずくが一滴、伝い落ちる。


(え、泣かせた?)


 がっしり俺の胸倉を両手でつかむエミリアの瞳は赤かった。やばい、泣かせた。


「私たちは、家族だったんじゃないの!? 困ってたことがあるなら言いなさいよ! それも、私たちのことで! 口では大丈夫って言いながら、あんた一人で危険な狩りに行って――」


 がくんがくんと俺の首から上を揺らしながら、エミリアは吠える。


「いまさら、誰に手助けしてもらったからってあんたに恩を感じてない子なんていないわよ! そうじゃなくて、隠し事をするなって言ってるの! 私たちのせいで無理したんでしょ!? それで死にかけてたら意味ないじゃない!」


「はい、ごめんなさい」


 確かに無理をしたが、俺が隠していたのはチェルージュに助けられたことであって、エマたちの身請け金を捻出するために討伐隊に参加した時点では、俺たちは家族である宣言はまだしてなかったわけで、あの段階で相談するのは無理だったんじゃないかなあ。当時のエミリア、かなりつんつんしてたし。


 もちろん、そんなことを思っていても口には出さない。なんだかお互いの論点がずれている気がするが、こういう状態の女性陣に口答えするのは禁忌である。間違いなく痛烈な反応が返ってきてしまうだろう。


「ご主人様」


 泣き伏してしまったエミリアと交代で、今度はエリーゼである。


「安全重視で狩りをしていると仰いましたが。賊の討伐に参加された後は、危険な冒険はしていませんね?」


「まあ、迷宮に潜ること自体が危険といえば危険だが、かなり自重してるって。今後の人生、ずっと冒険やるなら、百回に一回死ぬぐらいだったら挑戦すべきじゃないしな。何万回行っても事故らずに帰ってこれる、そういう狩りをしてる」


「わかりました。それでも、何かしらの事情ができてしまったら、また無理をしてしまいそうですね。どうしたものでしょう」


 ふう、とため息をつくエリーゼ。


「おいおい、そんなに俺は信用ないか?」


「仮に、何らかの理由で、私たちのせいではないのに、私たちに莫大な借金ができてしまったら、また払おうとして無理をしないと言い切れませんか? 自惚れではなく、ご主人様ならそうしそうと思っただけですが」


「多分するわ」


 少し考えてから、俺は言った。博打のカタで借金ができたとか、贅沢しすぎて生活費がなくなったとかなら悩むだろうが、彼女たちのせいではなく借金を背負ったなら払おうと俺は考えるだろう。

 先だって、エリーゼは俺のことを家長と言ってくれたが、それが家長の義務だと思うのだ。


「だいじょうぶ」


 俺の返答を聞いて、悩みだしたエリーゼを横目に、エマが俺の腰に密着しつつ告げた。身体のどこかしらにエマが張り付いていることに違和感を覚えなくなってきた今日この頃である。


「ごしゅじんさまがしんだら、わたしもしぬから」


「はあ!?」


 エマからそんな物騒な発言が出てくるとはまったく思っていなかったので、無表情で俺に張り付くエマをとっさにガン見してしまった。


「エマは一体何を言い出してるんだ」


「あとおい?」


「どこでそんな言葉覚えた!?」

 

「べんきょう」


 一体何を教えているのか、と文句を言おうとして、エミリアはまだぐずっていたのに気づき、言葉を飲み込む。


「ごしゅじんさまなら、たぶんこういうのがいちばんきく」


「ああ、ああ、わかった。わかったよ、無理しないから。エマも冗談でもそういう物騒なことは言うんじゃない。驚いたわ」


 小首を傾げてから、俺の背中に顔をうずめて、すんすんと呼吸するエマである。俺は匂いを嗅がれてるのだろうか。


 何とはなしに、この話は終わったかのような、弛緩した空気が部屋に流れていて、俺はほっとした。俺が糾弾されている話題なんて、長く続けたくはない。

 

 ちょっと気を抜いた隙に、ぼそりと、俺にだけ聞こえるように呟いたエマの囁きに、俺は少し背筋が凍った。


「ほんきだよ?」



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