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第二十三話 性別固有魔法 前編

(おうッ、あいたたたた)


 職人や鉱夫連中が集まるだだっ広い酒場で、狂騒かと目を疑うほどの大宴会をした翌日、俺は二日酔いに苦しんでいた。

 なんとも荒々しい性格の男たちが集まって飲み明かすとあって、一気飲みはする、歌いだす、腕相撲をはじめて机を壊す、他の机で飲んでいる職人に絡みだしたりとやりたい放題である。もちろん麦酒エール葡萄酒ワインの空き樽が飛び交うなんていうのはしょっちゅうで、実に賑やかな酒宴であった。

 よくあの店を切り盛りしていられると、店主に畏敬の念を抱くほどである。


「ご主人様、お水を飲まれますか?」


「ああ、くれ」

 

 ずきずきと響く頭を抱えながら、俺はベッドに突っ伏していた。エリーゼの優しさが沁みる。


「だらしないわね。何で苦しむとわかってて飲みすぎるのかわからないけど」 


「つ、付き合い。そう、付き合いなんだ」


「みんな男はそう言うのよ。女にとっちゃいい迷惑だわ」


「返す言葉もございません」


 エミリアの言葉も、別の意味で心の傷に沁みる。


「覚悟はしてたんだが、この体調じゃ今日の迷宮はお休みだな。お、ありがと」


 エリーゼから木のコップを受け取り、一気に飲み干す。気休め程度ではあるが、かすかに痛みが和らいだ気がした。


「それにしても、一日中寝てるっていうのも、不健康だなあ。ちょうどいい、ダグラス――ああ、行き着けの鍛冶屋の店主な――に、昨日の任務報酬をちょっと色付けてもらったし、みんなの髪、切りにいこうか。午後には二日酔いも治ってるだろうし。みんな、午後は暇か?」


「ええと、実は最近、三人ともお仕事を見つけまして。晩御飯に近い時間は空けさせて頂きたいのですが、それでもよろしいでしょうか?」


「なにそれ初耳」

 

 自由時間であれば働いて自分の小遣いにしていいと確かに言ったが、まだ数日しか経っていない。エリーゼだけならともかく、エマとエミリアもこんなに早く仕事を見つけるとは、正直なところ予想していなかった。


「水臭いな、教えてくれよ。それじゃあ今日はお祝いも兼ねて豪勢にやろう」


「いえ、お気持ちは嬉しいのですが、それはどうか遠慮させて頂けますと。そこまでして頂いても、心苦しいばかりです」


 エリーゼの防御はいつも、魔鋼ダマスカス製の全身鎧フルプレートさながら鉄壁である。


「エリーゼはいつもお固いなあ。でも、他の二人はいいもの食いたいだろ?」


 エリーゼを出汁にするようでちょっと後ろめたいが、こう言えば残りの二人は乗ってくるだろうと、俺は思っていた。 

 

「いりません」


「いらないわ。エリーゼの肩を持つわけじゃないけど、確かにジルはやりすぎ。厚遇と甘やかしは別物よ」


 エミリアに贅沢を拒絶されたのも驚きであるが、それ以上にエマが明確な拒絶の意思を示したことが青天の霹靂であった。いりません、という短い言葉ながら、エマが俺の意思に反したのは初めてのことである。


 確かに、ここ最近というもの、エマの懐き具合が度を越していたので、いわゆる依存状態にならないか心配をしていたが、それは杞憂だったようである。少女たちは、俺の予想よりはるかに早く成長していた。


「エミリアはいいとして、エマもちゃんと自分の意見を言えるようになったのか。なんか感慨深いなあ。何かやりたいことがあったら応援するから言ってくれ」


「はい」


 無表情ながら、妙に嬉しそうに、縦に何回も首を振るエマである。

 ふとエリーゼの方を見ると、さっと視線を逸らされた。まるで、目を合わせるのを避けるように。不思議に思ってエミリアの方を向いてみると、何がまずいのか、脂汗を流しながら、やはり視線の先が左右に泳いでいる。

 何か、変なことを言っただろうか?


「まあいいや、じゃあご馳走はなしだ。でも、みんながちゃんと、一人前の人間として、自立の意思を示してくれたことは俺にとってはやっぱり嬉しいことなんだ。床屋はやっぱり奢らせてくれ。みんなのさっぱりした姿も見たい」 


「ありがとうございます」


 エリーゼが何か言うより先駆けて、エマがぺこりと頭を下げたので、床屋に行くことは決定事項になった。ふとエリーゼと見ると、エミリアと視線を見合わせて、何やら困ったような顔をしている。

 本当に、一体どうしてしまったのだろう?




 昼飯として、床屋に行く道すがら、揚げ鳥のチシャ葉巻きという料理を食べる。

 迷宮焼き(サンドメイズ)のような、いわゆる「持ち歩きもの」としてこの街に定着している料理で、瑞々しい葉野菜に、揚げた鳥肉をくるみ、乳精を使ったまろやかなソースをかけてかじるのだ。

 皿を使わないで食べられるようにと、大きめの葉野菜にくるまれたそれは、大口を開けてかぶりつくと、瑞々しいチシャ葉の中から旨味たっぷりの揚げ鳥の肉汁があふれ出してきて、乳精のソースとまろやかに絡む。行儀は悪いものの、かじりついたチシャ葉の隙間からソースが溢れてきてちょっと慌てるところまで定番となっている、街の人々に親しまれた食べ歩き料理だ。

 


「じゃあ、俺は外で待ってるから。綺麗な子にしてあげてください」


 にこやかに愛想笑いをする床屋の主人に三人分の3,000ゴルドを前渡しして、俺は床屋を後にする。

 女性の身だしなみというのは軽んじていいものではないと俺は思っているので、椅子一つを商売道具に露店を出しているような理髪師ではなく、しっかりと店を持っている床屋にまで赴いたのだ。弟子に調髪を任せることはあるが、仕上げはしっかり自分でやるというこだわり派の店主がやっている店である。

 

 なお、ひげの形など、首から上の体毛にこだわる人は多く、この街では人によっては毎朝、床屋に赴く。

 俺が払った一人1,000ゴルドというのは床屋の相場としては高い方なので、いい仕事をしてくれるだろう。前もってドミニカに評判のいい床屋を教えてもらったので、外れはないはずだった。いつの時代も、女衆の情報網というのは深く広いものである。


「さて、何をして時間を潰そうかな」 


 この街で一ヶ月と少ししか暮らしていない俺のことである。友達と呼べる人間は少なかった。

 キリヒトは捕まらないだろうし、ディノ青年のところに行くにしろ、特に用はない。一時間だけでは酒も飲めないし、二日酔いの後で酒を飲みたいとは思わなかったし、何より真昼間から押しかけては単なる仕事の邪魔だ。

 

(ん?)


 ちょっと後戻りして、露店の立ち並ぶ区画でも冷やかして歩こうかと思っていた矢先、何やらぱたぱたという羽音がする。

 警戒心の強い野鳥が、街中を飛ぶことは珍しいので、だんだんと近づいてくる羽音の方に視線を向けると――


 こうもりが、じっと俺を見ながら目の前三十センチほどを滞空していた。


(!?)


 有り得べからざる光景に、俺は脳の処理が追いつくまで固まってしまった。

 

 ねずみに似ている特徴的な顔つき。豆粒のように小さい、漆黒の瞳。枯れ枝のような腕から広がる、血管の透けた翼。

 間違いなく、こうもりだった。それも、足の鉤爪が発達していることから、これはチェルージュの元にいたこうもりである。


(いやいやいや)


 何が一番おかしいかといえば、その発達した鉤爪で、一通の手紙をつかんでいることだった。しっかりとたたまれた手紙には、こうもりが象られた赤い封蝋まで施されている。

 恐る恐る手紙を受け取ると、満足したのか、こうもりはどこかへと飛び去っていった。鉤爪で掴まれていたにしては、皺一つない、まっさらな手紙である。


 こうもりが手紙を運んできたという事実はやはり驚愕するものであったらしく、周囲の人々が遠巻きに俺を見てはひそひそ声で何やら喋っているので、俺は赤面しながらその場を後にした。


 少し離れた喫茶店兼、軽食屋のような店に入り、一杯の甘糖珈ココナカカオを注文する。まろやかで濃く、甘いながらもビターな味わいの飲み物で、迷宮で産出する甘糖珈の種子から作るものだ。

 本来はもう少し苦い飲み物なので、砂糖と牛乳を少し足しているのだろう。


 喉を潤してから、恐らくはチェルージュがこうもりに持ってこさせたであろう手紙を開くと、ふんわりと、花のような香りがした。

 香水か何かを付けてあるのだろうか、芸が細かい吸血鬼である。



念話テリングの指輪を一組買って、こうもりに渡してあげて。ジルと私の連絡用だから、片方はそっちで持っててね。すぐマナがなくなる安物じゃなくて、一番いい奴で』


 

「お、おう」


 手紙を読み終えて、まっさきにこみ上げてきたのは、言葉にできない、もやっとした気持ちである。一体何の用かと思ったら、まさかただのお使いなのだろうか。


 逸りをすかされたというか、妙にがっくりした気分になるが、他ならぬチェルージュの依頼である。森で行き倒れていた俺を助けてくれた恩もあるし、この街で生活するだけの資金となる魔石をくれたのも、フィンクスたちとの戦いで命を助けてくれたのもチェルージュである。


 それこそ、返せないほどに借りがあるし、お使い程度ならば安いものだ。


 なるべく早めに希望を叶えてやろうと思い、急いで残りの甘糖珈を飲み干すと、喫茶店を後にした。

 

 魔法ギルドへは、魔法を唱えるための魔石を何回か買いに行っているので、道にも慣れたものである。街の中心地、中央広場から円周上に広がる、冒険者ギルドの本部などと並んだ、石造りの大きな建物がそれだ。もう俺が歩く路地の先には、魔石を象った紋章の、魔法ギルドの看板が見えている。



(たっか)


  

 魔法ギルドに入り、念話テリングを始めとして、暗視ナイトサイト帰還リターンなどの魔法の指輪が並べられた一角で、値札を見比べていた結果、それらに並んだ0(ゼロ)の数に俺は少なからず引いた。

 念話の指輪の中でも、最高級の魔石を使ったという注釈付きの上等品は、一組で200,000ゴルドもした。一日一回使うだけなら、千年は内臓のマナがなくならないとのお墨付きである。丸一日喋っていても、数年は保つそうだ。


 念話の指輪だけに200,000ゴルドとは、庶民にはおいそれと手の出ない価格であるが、それはあくまで実用品の中での話で、金に精緻な彫刻が施されたものや、様々な色の石を嵌めこんだ指輪などもあって、そっちはもっと値段が張った。文字通り、桁が違う。


「この指輪、ください」


 俺が指し示したのは、地味ながらも最高級の魔石を使ったと言われる、先ほどの200,000ゴルドの指輪である。手近な男性のギルド職員に声をかけたのだが、俺が指し示した指輪の値段を見て、彼はやり手そうな女性職員を手招きした。


(なぜわざわざ、別の職員を呼ぶ?)


 この流れは、何か嫌な予感がする。具体的には、買う予定のないものを、話術巧みに買わせようとする、店側の策略の臭いがする。


「あらあらまあまあ、念話の指輪のお買い上げで。女性の方への贈り物ですか?」


(女性と言われれば、まあそうだな。人間ではないが)


 頷いた俺を見て、喜色を浮かべた中年の女性職員は、品の良い笑顔を浮かべながら指輪をあれこれと取り出し始める。


「お客様のような凛々しい方から指輪を贈られるなんて、幸せな女性でございますね。普段使うだけならこちらの装飾のない指輪でも結構なのですが、ちょっとした彫刻であったり、磨いた宝石を散りばめてありますと、女心としては嬉しいものでございます。贈り先の方が、左の薬指に指輪を通されるかもしれないことも考えますと、こちらの指輪などはいかがでしょう」


 店員の女性が手袋をした手で丁寧に差し出してきたのは、金の指輪に何やら彫刻が施されたものである。 


(やっぱりそうか)


 上客と見て、売り上手な店員を呼んだというところだろう。買い物に来ている以上、無下に追い払うのも気が進まないので、結局は話に付き合わざるを得ない。


「えっと、実用品を贈る予定なんだが、左の薬指に指輪を嵌めると何かあるの?」


「あら、ご存知ありませんでしたか。左の薬指に対となる指輪を嵌めた独身の男性から、女性に指輪を贈りますと、一般的には求愛のしるしになります。女性の方も、左の薬指に受け取った指輪を嵌めますと、男性からの愛を受け入れたことになるのですわ」


「そうなのか。まあ色恋沙汰で指輪を贈るわけじゃないからなあ」


 興味本位で、指輪に付けられた色々な額の値札を流し見していると、ふと、一つの指輪が目に止まった。


「それでも、ほんの少しの可愛さで、嬉しくなるのが女性というものですから」


「なあ、こういう装飾がついた指輪って、念話の魔力ってどうなるんだ? 実用品と比べて、すぐ魔力がなくなるとか」


「いいえ、指輪に嵌める魔石は、お客様のお好きなものと交換頂けます。念話機能を使わないお客様には、圧縮量の少ない魔石を用いればお値段も軽くなりますし、どの指輪に最高級の魔石を嵌めることも可能でございます。先ほどお客様が手に取られていたのは、200,000ゴルドの最高級の魔石を、実用のみ考えられた無料の指輪に嵌めたときの額でございますから、女性に贈られるなら、いささか――」


「なるほど。さっきの指輪は、タダの指輪に一番いい魔石を使った値段か」


 本来の俺であれば、指輪に金をかけるなんて言語道断である。そんなものに興味はないし、贈り先のチェルージュにも、求愛のつもりで贈るわけではないのだ。

 

(とはいえ――)


 俺の視線は、先ほどから、一つの指輪に注がれている。


 金の肌に、心臓ハートの形の小振りな琥珀が嵌められているものだ。どことなく、チェルージュの瞳の色に似ている。

 考えてみれば、今の俺があるのはチェルージュのおかげである。感謝の気持ちを、ちょっとばかり物で表してみるのもいいかもしれない。チェルージュのなめらかな白い指に、琥珀と金の指輪。何となく、似合っている気がした。


「こちらの指輪がお気に召しましたか?」


「ああ。贈り先の、瞳の色に似てたんだ。これに、最高級の魔石を嵌めてくれ」


「お目が高うございます。腕の良い細工職人が作った指輪でして、彫刻も見事でございますが、指輪の底に魔石を嵌める窪みを設けてありますので、生活をしていて邪魔になりにくい機能美もございます」


 店員はうきうきと魔法ギルドの奥に引っ込むと、赤い絹布の上に二つの指輪を載せて持ってきた。そういえば、一対ってことは、俺の分もあるんだったな。


「男性側から特に求愛をしないときは、どの指に嵌めればいいんだ?」


「男性、女性ともに、右手の薬指に嵌められる方が多いようです。冒険者の方は、宝石を傷つけないために石を手のひらの側に向けることが多いですわ。指輪を嵌められましたら、『契約コントラクト』と仰って頂ければ念話の機能が使えるようになりますので、失礼ながらお先に御代を頂けますと」


「わかった」


 財布がわりに使っている懐の小袋から、金貨を銀のトレイに並べていく。

 一対の念話の指輪、魔石の代金込みで460,000ゴルド。金細工に職人の手間賃があるだろうから、貴金属の装飾品ということを考えれば妥当な値段なのだろうか。


「さて、契約(コントラクト)


 右の薬指に嵌めてから宣言すると、ぶかぶかだった大き目の指輪が淡く光り、俺の指の太さにぴったりと合うように縮まった。なるほど、気にもしていなかったが、装着者の指のサイズに合わせてくれるらしい。


「これで、お客様の側では手続きは完了です。後は、贈り先の女性が指に嵌めまして、同じく契約の宣言をして頂ければ念話が使えます。ご利用方法ですが、指輪にマナを流して頂ければ、指輪が反応して起動状態になりますので」


「わかった。じゃあ早速、届けるとするか。ご丁寧にどうも」


 半ば商魂というか、営業トークではあったのだろうが、指輪を選ぶ一助であったことは間違いないので、軽く礼を言って魔法ギルドを後にする。

 少女たちの調髪もそろそろ終わっているかもしれないので、急ぎ足で床屋まで歩き出す――。


 ぱたぱた、という羽音に空を見ると、チェルージュのこうもりがまたしても飛んできていた。


「ずっと待機してたのか、お前?」


 小首を傾げたこうもりは、俺が右手に持っていた、指輪を納めておくための小箱を、翼の先でぺしぺしと叩く。


「開けろってか」


 俺が小箱を開けると、こうもりは発達した鉤爪で無造作に指輪をつかむと、足にぶらさげたまま、彼方へ飛び去っていった。

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