第二十一話 蜜月
日当を出せていないので迷宮探索を続行するか迷ったが、今日の狩りは先ほどの大ムカデで終わることにした。大ムカデの口撃で、鋲皮鎧に傷が付いたということもあるが、もう一つは、MPが切れそうになったからである。
迷宮入り口の広場で、作水の魔法で装備や身体を洗い流しながら、鋲皮鎧の利点と欠点を考えざるを得なかった。
防御力は、皮鎧と比べてはるかにいい。今日戦った大ムカデも、皮鎧であれば、肉の一塊ぐらいは食いちぎられていたかもしれない。
しかし、マナの回復速度が遅いという欠点もまたあるのだ。現に、火矢を二回と、生活魔法を少し使っただけでマナ切れになっている。火矢一回の消費MPは四だ。生活魔法を三回使うより、一発の消費は激しい。
仮に、生活魔法を使わずに済むよう、そのまま食べられるものを持ち込んだとしても、火矢の分のマナは確保できないのだ。
酸水母や大ムカデなど、火矢が使えたら損耗なしで倒せる魔物であっても、マナがないがために被害が出たり、あるいは討伐できないために交戦を避ける必要が出てくる。
(皮鎧に戻すべきか?)
血糊のこびりついた鋲皮鎧に水流をかけながら、なおも俺は悩む。
皮鎧であれば、一撃もらってしまった時の被害は甚大だが、火矢による先制攻撃を行える回数が増える。マナ回復を阻害しない鎧だから、攻撃魔法の回転率を上げられるのだ。もしダメージを受けても、小回復の魔法で傷を癒すことができ、薬の消費を抑えることで、経費削減にもつながる。
だが、それはあくまで、魔法での攻撃が有効な魔物と対峙しているとき限定の話だ。恐狼など、ランク1の最上位とみなされている強敵などを相手にするなら、持久戦になるため防御力は必須である。密着して戦っているときに、火矢を使っている余裕などないのだ。
鎖鎧や板金鎧など、強靭な防御力を誇る金属鎧であっても、いざ装備してみたらそれはそれで欠点はあるのだろう。物音で魔物が集まってくる上に、今の俺がたびたび成功させている奇襲ができなくなる可能性が高い。
例えば今日の狩りでいうと、矮人の死体を貪っていた豚人に、飛び出し様の一撃を加え、足を斬り飛ばしてそのまま押し切った戦闘があった。金属鎧を装備していたら、事前に音で気づかれ、豚人と正面からの戦闘になっていただろう。
(痛し痒し、だな)
中々、思うようにはいかないものである。
「あ、お帰りなさいませ、ご主人様!」
洗い終わった鋲皮鎧を肩に担ぎながら「鯨の胃袋亭」に帰還すると、エリーゼが喜色もあらわに出迎えてくれた。
「お帰り」
エマに勉強を教えていたエミリアも、無愛想ながら出迎えてくれる。笑顔でこそないものの、以前と違って、表情に険がないので、嫌われてはいなさそうだ。
エマはというと、こちらも無表情だが俺が部屋に入るなり、するりと近づいてきて腰に抱きつく。
家族とは、いいものだ。
仕事帰りに、笑顔で迎えてくれる人がいる。それは、俺が今まで知らなかった、ほっこりとあたたかい気持ちにさせてくれるのだった。
身寄りがなかった俺は、ひょっとしたら心のどこかでこういう繋がりを求めていたのかもしれなかった。家に帰り、一人きりで過ごしていたあの頃は、気づいていなかったけど寂しい生活だったなあ、としみじみ思う。
「まだ勉強してたのか。感心感心」
朝から昼までの勉強時間は、もうとっくに過ぎているはずなのに、エマとエミリアは教材の魔物シリーズ図鑑を広げている。
「エマが教えてくれって言ってきたのよ。意外と飲み込みがよくて、簡単な文章なら時間がかかるけど読めるようになったわ」
「おお、すげえな。やり過ぎて勉強が嫌いになっても本末転倒だから、根は詰めすぎないようにな」
わしわしとエマの頭を撫でてやると、大層嬉しそうに、ふんす、と鼻息を一つついて、俺の腰に顔をうずめる。
何度もベッドに侵入されているうちに、頭を撫でられるのがエマは大好きであることが判明した。安心するのか、少し撫でてやるとすぐに眠りに落ちるのである。
エマが俺に密着してくることが多々ある上に、共同の空間である大部屋に狩りの血臭を持ち込むのは気が引けたため、最近は毎日、風呂屋に行って身体を洗ってから帰るようにしている。
一年を通して、過ごしやすい適度な気温と湿度にあるこの街では、おおむね発汗量が少なくなるため、俺のように汚れる仕事をする人間以外は毎日風呂に入る必要はない。富裕層でもないなら、三日に一度も風呂に入れば、じゅうぶん綺麗好きと呼ばれるほどであった。
が、俺だけ風呂に入り、さっぱりするというのは公平という観点から心苦しかったので、彼女たちも風呂に入れるよう、毎日200ゴルドの入浴料は渡している。
二日に一度の入浴は義務づけているが、風呂に行きたくなければ使わずに小遣いにしていいと言い渡してあるので、ほとんどの場合、入浴は二日に一度で済ませて浮いた金は溜めているらしい。
「よし、飯にするか」
大机には、人数分の晩飯が並んでいる。今日の献立は、屑肉のミンチ料理だ。内臓や肉の切れ端など、見栄えがしないため肉屋で安く買える部位であっても、高い料理スキルを持つドミニカの旦那の手にかかればこの通り、熱せられた鉄板の上でじゅうじゅうと油を弾けさせる庶民のグルメに早変わりだ。
なお、料理の量は、安心と信頼の、鯨の胃袋亭基準である。
(――靴?)
鉄板の上に、ずしりと鎮座する、巨大なハンバーグの塊は、靴に見紛うばかりの、圧倒的な存在感を放っていた。もちろん、俺は大歓喜である。我が食欲、未だ衰えを知らず、といったところだ。
ナイフで切るためにフォークで肉を押さえつけると、たっぷりの肉汁がハンバーグの表面にぷつぷつと浮かんでくる。黄色い脂の光沢をまとった肉汁は、熱々の鉄板に流れ落ちると、じゅう、と音を立てた。
一口でぎりぎり食えるかどうかという、大きめの塊にハンバーグを切り、一気に頬張る。口の中で爆発する旨味を味わいながら噛み締めた後に、きんきんに冷えた麦酒を喉に流し込む。油たっぷりの肉汁を、果実の香りがする芳醇な麦酒が、炭酸の泡を弾けさせながら押し流していき、胃の腑へと堕ちていくのだ。
「うほああああ!」
あまりの美味さに、思わず奇声を上げてしまった俺を誰が責められるというのだろう。エマたちはというと、そんな俺の奇行には慣れっこなので今更驚かず、おいしいねなどと和気藹々にハンバーグを食べていた。
エマたちがまだおらず、一人部屋で寝起きしていたとき、麦酒は小樽一つで100ゴルドであった。食事とは別料金だったのだが、今はタダである。
大部屋に四人で暮らすようになってから、この店の食事を、エマたちの分だけ減らしてくれるように、以前頼みに行った。成人男性ですら食べきれないほどの量はお腹に入りませんという、少女たちを代表したエリーゼの意見を採用した形だった。
「女衆が食べきれないから量を減らして欲しい? わかった、じゃあかわりに毎日、麦酒一樽ただにしてあげようかね。何? 自分だけ贔屓されるのは嫌だから、彼女たちに甘い物か果物の絞り汁でも付けて欲しい? 奴隷と同等に扱われたいとか、あんた変わった主人だねえ。まあ嫌いじゃないよ、甘い物だね、わかったよ。麦酒も一樽付けてやる」
とのことで、毎日一樽の麦酒をおまけしてくれるばかりか、エマたちに甘い物まで用意してくれるようになったのである。長期滞在している分のサービスと受け取ることもできるが、こういう細かい交渉ができるため、この宿は居心地のいい宿であった。
少女たちが若干食べ過ぎているので、太りすぎないか気になるところではあったが、今までが痩せぎすであったのでちょうどいいかもしれない。まあ、彼女たち本人に任せておけばいいことではあった。
「わあ――」
よほど食後のデザートが気になっていたのか、ハンバーグを怒涛の勢いで食べ終えたエミリアは、フォークを片手に目を輝かせた。女性は誰しも甘い物が好きだが、うちの三人の中ではエミリアが別して甘味好きである。
今日のデザートは、乙女の敵のタルトである。
病人食に使われるほど栄養素豊富、ずしりと重いそのナッツの実は、素晴らしい美味と反比例して、とても太りやすい。
香ばしく焼き上げられたタルトを口に入れると、感極まったように満面の笑顔で打ち震えるエミリアであった。
「食べながら聞いてくれて構わない。明日は前もって伝えていた通り、休みにするが、一ヶ所だけ行っておきたい場所があるんだ。そこだけ付き合ってくれ」
「いいけど、本当に週末は休んでいいの?」
もっきゅもっきゅと菓子を食べながら、腑に落ちないといった表情のエミリアである。俺と話しているときのエミリアは、意識してむっすりした顔を作っていることが多いが、タルトの美味さににやけそうになるのを我慢しているのが伝わってくる上に、たまに菓子や料理を手づかみするため、今も指と口回りが砂糖でべっとりしていて色々と台無しである。
これはエミリアだけではなくエマもそうなので、そのうち礼法や食事作法も教える必要があるだろう。
「いいぞ。一人で出歩いてもいいし、部屋で休んでてもいい。今後も、週末――光の日は丸一日休みにするから」
休みを貰えたというのに、ちょっと暗い顔をしているのはエリーゼである。
「お休みを頂きすぎではありませんか?」
と、以前の彼女なら言っていたであろう。奴隷といえど家族として扱い、労働で搾取することはない。俺の持論を再三教えたので口を開かないだけで、エリーゼの目は彼女が自分の考えを捨てていないことを雄弁に語っていた。
働かなくて済むならそれでいいじゃない、などと楽観的に俺が考えていても、彼女の中の奴隷像とは相容れないようである。
自立できるための勉強などを強制させているので、俺としては彼女たちは教育の義務を果たしていると思っているのだが、エリーゼはそうは考えないようだ。勉強はむしろ奴隷に技能を与えるという施しであり、仕事の範疇には含まれない。毎日、やっていることといえば洗濯ぐらいで、それ以外の時間に何をすればいいかわからないといったところであろう。
「ほら、エリーゼ。早いとこタルト食わないと、エミリアに狙われるぞ」
「狙わないわよ!」
茶化してみたのだが、エリーゼは苦笑しただけである。話題を逸らすのに失敗したようだ。
「ご主人様、私の言いたいことは伝わっておりますか?」
「ああ、これ以上ないほどびしびし伝わってくる。でもダメ。子供は勉強して遊んで食って寝るものだ」
「その。もう成人です」
ちょっと頬を染めるのは、初潮と同時に成人として扱うこの街の法ゆえである。
自ら成人であると告白するのが恥ずかしい年頃であるのは理解できるので、これは俺の誘導がまずかった。
「言い方が悪かった、すまん。でもダメ」
「せめて、自由時間に働きますのでそのお金を受け取って頂けませんか?」
「働く経験を積むのは悪くないと思うので、勉強さえしっかりしてれば働いてもいいが、金は受け取らんぞ?」
はあ、と溜息をつくエリーゼである。
「ご主人様は頑固です」
「エリーゼといい勝負だと思うが」
タルトを食い終わったエマが、無言のまま椅子の後ろに回って、肩に張り付くように密着してくる。最近の悩みはエマとの距離が近すぎる上に、おもむろにエマが俺の匂いを嗅ぎだすことだ。甘味に目を輝かせるエミリアとは別の意味で犬っぽい少女である。
「こういう言い方は心苦しいのですが、施しをされているような気分です。奴隷は主人のために働くものです。優遇されるぐらいならば嬉しいのですが、ここまで自由を頂いても、かえって戸惑ってしまいます。私たちに何かお返しできることはないのですか?」
「じゅうぶん返してもらってるさ」
家族のあたたかみ、家に帰ってくると出迎えてくれる人がいる嬉しさ。
これは彼女たちにもらっているものだ。
「いまは勉強して、家の外に出ても食っていける教養や技能を身につけてくれればそれだけでいいさ。冒険者稼業なんて、いつ死んでもおかしくないんだ。俺がもしいなくなっても一人立ちできるようになってくれ。そうじゃないと心おきなく迷宮に行けない。それに、働きづめの人生なんて面白くないぞ? 若いうちに遊んでおくんだ」
もう何回目になるのかわからない、いつもの会話、いつもの結論だった。
背中にくっついていたエマが、俺の上着の肩口をぎゅっとつかむ。
「身体を巡る血を、手のひらに集めるイメージで、魔石をマナで覆うんだ――そう」
翌朝になって、宣言していた通り、みんなの休日にした光の日である。
いま俺たちがきている魔法ギルドを始め、公的な機関は今日も運営しているが、個人経営の商店などは今日は店を閉めて羽を伸ばす。冒険者も、やっている店が少ないということもあって、迷宮入りを休むことが多い。
もちろん、その裏を狙って、前もって冒険の準備をしておき、人気の高い狩場を
独占しようと目論む冒険者や、商店が閉まっている日こそ稼ぎ時だと考えて店を開いている商人もいる。
「わっ」
火、水、氷、三種の作成魔法を最初に覚えたのは、エミリアだった。
魔石を取り込む感覚は、初めてなら驚くのも無理はない。俺もそうだった。
「不思議な感じね、これ。身体に吸い込まれたみたい」
「最初は半分も成功しないと思うが、使っていけば魔法スキルが上がって成功しやすくなるからな。火事になっても困るから、作火の魔法は燃えるものがないところでやるんだぞ」
「わかってるわよ」
今日は、エマたちに初級魔法を覚えさせているのである。ドミニカの亭主やスラム街の酒場の主人などがやっているように、飲み物を冷やす魔法を使えれば仕事を見つけやすいかもしれないし、火や水の魔法があれば日常生活が便利だった。
「洗濯がはかどりますね」
嬉しそうなのはエリーゼである。今までは、俺が作水の魔法で作り置きしていた水を使っていたが、それを自分たちでできるようになるのだ。街のあちこちに共用の井戸が掘られているが、魔法で作った水に比べるとやや塩辛く、不純物も混ざってしまうから、下水などにしか使われない。
鯨の胃袋亭では毎朝、ドミニカの亭主が大樽に水を満たして、補洗機などが置いてある水場に置いてくれるのだが、それこそ限度があり、他の宿泊客も使うので無尽蔵には使えないのである。
「普段から使わないと成長しないからな、定期的に唱えるといい。使いすぎると気分が悪くなるから注意するんだぞ」
俺も、何か魔法を買おうかとしばし悩む。
魔法石は、もっとも格の低い作級なら一つ30,000ゴルドである。だが、その次の、矢級になると50,000ゴルドになり、魔法の属性ごとの特徴が強く現れてくる色級――水属性の小回復はこのクラスだ――になると100,000ゴルドと、どんどん値段が跳ね上がっていくのだ。解毒など、魔法スキルを上げる練習にもなるので欲しくはあったが、値段を見てやめた。
それに、俺もそろそろ、戦士・狩人・魔術師のどれかに、職を絞った方がいい時期だろう。
今のままでは、ランク2の中層で狩りをするためには、多大な時間がかかってしまう。自分の得意分野を明確にして、パーティを結成するなり、どこかに入れてもらうなりして、中層で実入りのいい狩りをするべきかもしれない。
貯蓄を食い潰しながら生活をしているという点では、初めて迷宮に赴いた先月と何も変わっていないのだ。
「ちょっと失礼、用件は終わったかな?」
「あ、これは気がつきませんで」
魔法石を扱っているカウンターの前に陣取ってエマたちに魔法を覚えさせていたので、後続の人を待たせていたようである。ギルド職員を表すローブを着込んだ、壮年の男性であった。胸に魔石を象ったネックレスを提げていることから、彼は魔法ギルドの所属だとわかる。
彼はカウンターで用を済ますのかと思いきや、俺たちの方へと向き直る。
「ふむ。奴隷に魔法を教えているのか。実に結構なことだ、魔法はもっと多くの人々に周知されるべきだと思わんかね?」
「は、はあ? そうだと思いますが」
正面から見ると、彫りの深い顔立ちに皺を入り組ませ、頑固そうに口を結んだおっさんである。美形ではなく、味のある頑固親父と評すべき人物に見えた。
「そして君は冒険者か。これも結構なことだ。もし迷宮の深層部で、未知の魔法を魔物が使ってきたら、ぜひ魔法ギルドに詳細を報告してくれたまえ。内容如何では報酬ははずむぞ」
「はあ。覚えておきます」
言いたいことを言ってしまうと、彼は魔法ギルドの職員に何事かを話し始めたので、俺はその場を離れる。ずいぶんな変人に思えたが、魔法ギルドの職員はかちこちにかしこまって彼と応対していた。
「あれが、魔法ギルドのマスター、カヌンシル氏です」
帰り際に、別の職員が耳打ちしてくれた。なるほど、お偉いさんだったのか。
頑固そうに見えた顔も、そう言われると研究に没頭する魔術師のそれに見えてくるから不思議である。
深層の魔物が使う未知の魔法を教えてくれと言われても、そんな場所に赴く機会はしばらくは来ないので、俺があのおっさんと再び話す機会は、恐らくはないだろうと思えた。




