第二十話 狩
俺は、迷宮の中を、一歩一歩、下へと降りていく。
一ヶ月もの間、毎日潜っていることもあって、何となく土地勘もできている。
どの入り口から迷宮に入ることになっても、地下十階程度までならば、自分がどのあたりにいるかを、出没する魔物から類推できるようになっていた。
「グルしゅ、うぶしゅ、ウゴルオゥ――」
聞き覚えのある唸り声が、俺の耳に入ってきた。元から足音は抑えながら歩いているが、より慎重に動く。
曲がり角からそっと顔を出すと、鼻息も荒く、口元から涎と泡を垂らしながら、矮人の死体を貪っている豚人がいた。
矮人と豚人は、仲が悪い。前者が捕食される側なのである。
生息する階層が違うので両者が出会うことは少ないが、身体能力の差があるため、よほどのことがない限り豚人が勝つ。
稀にこういう、他種族同士が争う現場に遭遇することがあった。
まあ、俺にとって重要なのは、獲物が武器から手を離し、無防備に食事をしているということだけだ。
「――!」
無言で走り寄り、鈍魔鋼で外刃を付けた長剣を下段に振るう。
「ギョアアアアア!!」
豚らしからぬ激しい叫び声を上げ、豚人は片膝から下を斬り飛ばされて転倒した。
足を最初に狙うのは、俺の得意戦術である。迷宮で数多くの魔物を討伐してきた結果、動きを止めるために足を狙うことが有効であることが多かったのだ。特に、人型の、二足歩行の魔物にはとてもよく効いた。
相手が、腕力も素早さも俺より格下ならば、上段から力任せに剣を叩きつければいい。しかし、俺のレベルが上がったとはいえ、ほとんどの魔物は俺より力が強かった。正面から斬り結んでも、急所は中々狙えない。相手だって動いているし、どんな魔物だって得意な攻撃方法の一つや二つは持っているのだ。
豚人の場合、その得意な攻撃というのは、腕力に物を言わせた、武器によるゴリ押しである。
正面から律儀に斬り合ってやる必要はない。足狙いなど、泥臭い戦い方だと我ながら思うが、これが効果てきめんなのである。
倒れこんだ豚人に、体勢を整える時間は与えない。
そう高くない身長と比較して、全身の筋肉が異常なまでに発達した豚人の心臓は、狙うだけ無駄である。心臓まで刃を届かせるためには、分厚い胸板に長剣の半分は刺しこむ必要はあるだろう。
残っている片足で膝立ちになり、苦し紛れに振り回してきた棍棒の一撃を冷静に避け、無防備な片手に長剣を振り下ろす。豚人の右手を斬り落とした後は、返す一撃で豚人の残った左手も斬り付けると、豚人が棍棒を取り落とした。
右手、左足を失い、残った左手にも傷を負って武器を取り落としている。
ここまで下ごしらえをして、ようやく急所を狙えるようになるのだった。
叩きつけるように上段から長剣を振り下ろし、逃げようともがく豚人の頭蓋をかち割って、とどめを刺した。
豚人が動かなくなったことを確認すると、俺は急いでその場から離れる。増援が来ることを恐れたのだ。豚人の死骸はそのままで、まだ迷宮に吸収されて魔石にもなっていない。
通路を二回も曲がると、そこそこの距離を死体から取ることができる。匂いで察知されることもあるため、長剣の血糊や返り血は布で拭き、俺がいる場所とは別の方向に投げ捨ててある。
(――いないか)
新たな生物が接近してくる足音、息遣い、喋り声や鳴き声、そのどれもなく、迷宮は静まりかえっている。
死体が魔石になる頃合を見計らって現場に戻り、残された魔石を背嚢に押しこんで足早に立ち去る。
豚人そのものの武器は強靭な肉体だが、二つ目の特徴は社会性である。
ランク1に分類される低階層で群れを形成することは少ないが、二、三匹までの組で迷宮を闊歩することは珍しくない。知性は低く、逃げ道を塞いだりする頭は持っていないし、雑兵扱いの下っ端は鎧を着ていることもないので一対一ならそう危険のない相手だが、それでも複数の豚人に行き止まりにでも追い詰められれば話は別だ。
俺の着ている鋲皮鎧は、皮鎧と違って、金属の鋲で補強してあるためにマナ回復スキルに悪影響がある。全身に着込んでいると、普段着や皮鎧のときと比べて、半分以下の速度でしかマナは回復しない。
鎖鎧や板金鎧と違って、防御力も心もとないが、その分、鎧がこすれ合って物音を立てることがないので、先ほどの俺のように、新たな敵の出現に気をつけながらの狩りができるというわけだ。
恐らくは、この俺のやり方に、隠身スキルを組み合わせ、死角から急所を狙うのがディノ青年のスタイルだったのだろう。なるほど、狩人は一人での迷宮探索に向くと推薦してくるだけはあった。リスク管理がしやすいのだ。
しばらく、新たな獲物を求めて迷宮をさ迷う。狙っているのは、豚人、それから大ムカデである。
ちなみに、もっと金を稼ごうと思ったら、こいつらは効率が悪い。魔石の効率だけでいえば、質はやや下がるものの、俺でも数を殺せる矮人の方がいい。俺がそれをしないのは、スキルが育たないからである。
どうも、同格ないしは格上とやらなければ、戦術や斬術といった、武器の習熟度は上がらないようなのだ。無造作に斬り込めば勝てる矮人たちをいくら討伐しようが、スキルの伸びは非常にゆるやかなものなのである。
反面、格上と戦えばスキルの伸びは早いのだが、俺自身が危険である。安全域を確保しつつスキルを伸ばすなら、今の俺にちょうどいい獲物は豚人や大ムカデになるというわけだ。
しばし進むと、迷宮の低層では数少ない水場に近づいてきた。空気が湿り気を帯びてくる。ここに水場があることは知っていたので、俺は慎重に、壁の上下を調べながら進む。
ちなみに、今まで他の冒険者に滅多に遭遇しないのは理由がある。
地下七階付近ともなると、同じ深度であっても、迷宮はどこまで続いているかわからないほど横に広い。更なる地下へ進むための最短ルート付近には人がごった返しており、狩りにならないので離れる必要があった。
蜘蛛の巣を想像してもらえばわかりやすい。最短ルートを進む中央から、網を広げるように安全域が広がっている。その付近では、せいぜいはぐれの魔物が迷い込むぐらいで大した狩りにはならないため、わざわざ安全な中央を離れ、蜘蛛の巣の外で土地勘を養い、自分の狩場を作っているというわけだ。
人の少ないもう一つの理由が、実入りの少なさである。矮人、大ムカデ、豚人。どれも、金になりにくい魔物なのである。
俺は、彼らを数多く討伐し、得た魔石を換金することで日当を得ている。だが、もう少し地下に潜れば、ランク1でも毛皮が素材になる恐狼や、ランク2帯、中層と呼ばれる地域の魔物を狩ることができるため、金が目当ての冒険者はパーティを組み、下層をスルーして中層へと進出することがほとんどだった。
金に目が眩むことも多々ある。
ちょっと危険だが、中層の魔物は討伐したときも見返りも大きい。
頻繁に俺に囁きかけてくる誘惑を、ぶんぶんと首を振って断ち切る。
今の俺は下積みである。黙々と魔物を狩り、スキルとレベルを鍛えるのだ。
やや思考が逸れたが、俺は水場を注意深く観察し、一匹の魔物が陣取っていることを看破していた。酸水母である。
水場では、特に彼らに注意しなければならない。今も、よく観察しなければ見分けられなかったであろう、半透明の身体を1メートル強に伸ばし、天井に張り付かせて、獲物が通り過ぎるのを待っていた。
俺は長剣を鞘に収め、火矢の魔法を唱える。
習得用の魔石を一度取り込んだ魔法は、呪文名を口に出すだけで、自動で体内のマナを魔法の形に整えてくれるようになる。今も、俺の火矢の詠唱と共に、両手にマナが集まっていき、弓と矢の形にマナが整えられた。
酸水母の中心に狙いを付けるように、弓を引き絞り、火矢を放つ。
魔法による火矢は、必ずイメージ通りの場所に飛んでいくので、弓を撃ったことがない俺でも外すことはない。
ジュッ!と水分が蒸発する音とともに、酸水母の広がった身体を貫通し、天井の岩場にぶつかると、火矢は小さな炎を上げて消えた。身体のどこかにあるという核を射抜けていれば一発だったのだが、今回は外れたようで、三分の一ほどを蒸発させて体積を減らした酸水母は、地面にぼとりと落ちて水場へと這い出していく。
水場に入られては追えないため、もう一度俺は火矢を詠唱する。
身体の中心を射抜かれた酸水母は、今度こそ核を失ったようで、その場に溶けて水のように広がり、煙を出しながら消えた。魔石はすでにその場に転がっているのだが、刺激臭のする酸の蒸気が消えるまで、少し離れたところで時を待つ。
剣で斬りかかっても、半透明の身体のどこに核があるかがわからないため、基本的に酸水母は魔法でしか倒せない。強酸で武器が溶けるだけだ。棍棒のような鈍器で殴りつければ、運よく核に攻撃が当たれば倒せるだろうが、何とも分の悪い賭けになる。飛び散った酸水母のしずくも強酸性なのだ。
一度、豚人の死体から腕を切り離して、試しに酸水母の待ち構えているあたりに放り投げてみたことがある。
音もなく1メートル強の酸水母が落ちてきて、豚人の腕を取り込んで丸まったかと思うと、二十秒もしないうちに骨まで溶かしつくされて何も残らなかった。肉の部分だけなら、溶かすのに十秒もかかっていないだろう。すさまじい強酸だった。
低階層での冒険者の事故死としてはかなり多いケースだと魔物シリーズ図鑑に書いてあった通り、一度取り付かれたら逃げられないと見るべきだった。対処法としては、核を一撃で倒せる範囲系の魔法で被害者もろとも攻撃するしかないとまで書かれており、実際、酸水母に全身をくるまれた冒険者が生還としたという話は聞かない。
注意深く、他の酸水母がいないことを確認した俺は、水場から少し離れた通路で、昼飯を食うことにした。
インゴットという二つ名があるぐらいの堅パンを歯で削るように食っていたあの頃とは違い、今の俺は作火の魔法が使える。あたためて食うタイプの保存食は、美味くはないとはいえ、そもそも食うのに困るほどではなかった。
細かく刻まれた干し肉と、同じく乾燥させた麦粉の丸薬を布袋から出し、手のひら大ほどの小振りの鍋にあける。干し肉には強めに塩が振ってあり、これに水を加え、木屑を固めた燃料に着火してあたためれば完成だ。
小さな布袋一つで、およそ十食分になって、お値段は1,500ゴルドである。
ちゃんと塩味のついたスープで、干し肉も食える固さまで湯で戻したとはいえ、美味いものではない。麦を練って作った団子も、食感は微妙だった。一日一回程度ならまだ我慢できるが、これも毎日続くとげんなりしてくる。
なお、実は、俺のように日帰りで狩りをするなら、保存食はいらない。地上で迷宮焼きでも買って持ち込んだ方がはるかに精神衛生上よろしいだろう。ならばなぜ保存食を調理してまで食っているかというと、物を知らない頃に二組、二十食分買い込んでしまったからである。
(マズいなあ)
腐らせるよりはましだと我慢して食っているが、正直なところ苦痛であった。
作水の魔法で鍋を洗い流し、背嚢にしまった俺は、再び迷宮で狩りをするべく足を進める。
火矢を二発と、作火・作水を計三回使ったので、MPが底を尽きかけており、軽いマナ酔いの症状が出ているため、矮人などが主に出没する、危険が少ない階層まで登って獲物を探す。
(そんな時に限ってこいつか)
悪いことは重なるもののようで、俺と向き合い、威嚇するように牙をがちがちと打ち鳴らしているのは、成体の大ムカデだ。初陣のときの苦痛が思い出されるので、あまり戦いたくはない相手である。
こいつに関しては、今の俺では必勝法がない。「無傷で」という条件なら、だ。
不意をついて、感覚器官の集まっている頭部に火矢を当てればかなり有利に戦えるのだが、今の俺はマナ切れである。その上、今回は大ムカデも俺に気づいているので、正面からの殴り合いになってしまうことが確定であった。
大ムカデも成体ともなれば、怒涛の勢いで地面を這う。力強く身体をくねらせ、素早く飛びかかってくるのだ。
「せいッ!」
大ムカデの胴体に、長剣がめり込む、確かな手ごたえ。
半分が鈍魔鋼で出来ている長剣と、成長した俺の腕力を持ってすれば、しっかりと一撃を当てると、甲殻にめり込ませるほどの威力は出せる。だが、それは先制でそこそこの傷を与えたに過ぎず、成体の大ムカデともなれば、以前と違って少々の傷は怯まずに食らい付いてくるので――
(やっぱ痛えええええ!)
皮鎧しか着ていなかった以前と違い、今は鋲皮鎧であるので、大ムカデの牙といえど易々とは通さない――
そんな夢のような話はない。以前と違い、全長四メートルを超えようかという、堂々とした成体の大ムカデだ。食いちぎられるかどうかは別として、大アゴから伸びた牙は鋲皮鎧を貫通し、俺の左足の太ももにがっちりと食い込んでいる。
痛覚耐性のスキルも以前よりは上昇しているため、無様に泣き声を上げるほどではなかったが、あくまで歯を食いしばっていればギリギリ叫ばずに済むだけであって、牙を肉に突き立てられるのが激痛なのは当然のことである。
大ムカデの習性として、獲物を確実に仕留めるために、一度食いついた後、身体を巻きつかせてくることが多い。対象にぐるぐる巻きにした後、噛み付いた傷口を牙で広げながら、口腔で肉を貪るのだ。毒を失ったかわりに、蛇のような戦い方を身につけたのだろうか?
なお、この状態に持ち込まれた時の解決策は、簡単だ。
壁や床などに身体を打ち付けたり、あるいは固めた拳などで、大ムカデの頭部に強い衝撃を与えてやればいい。
(すると、このようになる)
大ムカデの脳がどのようになっているかはわからないが、巻きつきを解いて苦しみ始めるので、のたうっているところを、滅多切りにしてやればいい。
頭に攻撃を食らうと、大ムカデはまっすぐ獲物目がけて噛み付きにいけなくなるようで、見当違いの場所を噛み付こうとしているうちは無防備なのだ。
とはいえ、面倒臭いことには変わりはない。
動きが鈍くなるまで刻むか、うまいこと頭を抑えつけられれば急所への一撃ですぐに終わるのだが、未だに俺の腕力と剣術では、動き回る大ムカデを両断できない上に、動きが鈍るまでは頭を狙って斬れないため、泥臭く何度も斬り付ける必要があった。弱い個体を倒した初陣の日から、この倒し方は変わっていない。
(割に合わんなあ)
大ムカデの落とした魔石を回収しながら、俺は肩を落とす。
MPさえ残っていれば火矢を使うだけで済むのだが、今回のように真っ向からやりあうと、どうしても一撃はくらう。あくまで俺に噛み付いているから頭部に打撃を加えられるだけで、先手を取って頭に攻撃を当てられることは少ない。
防具も傷むし、傷をふさぐのに低級回復薬を一本使わなければならず、魔石を売った金はそれで相殺されてしまう。どうにかこいつから日当を出そうと思うと、体液まみれになりながら甲殻を剥がざるを得ず、そうすると荷物が増えるため、多くても二、三匹倒したら街まで戻らなければならない。それでいて、完品でも一匹あたり500ゴルドにしかならないのだ。
(このあたりで狩りをする冒険者がいないわけだよ)
かかる手間の割に、実入りが少なすぎるのだった。




