第十九話 四人
三人の少女を家族にしてから、俺の生活は劇的に変わった。
まず、ほとんどの日において、エリーゼの「おはようございます、ご主人様」から一日は始まる。寝たいときに寝て、起きたいときに起きるという自堕落な生活は、エマたちと共に暮らすなら改めるべきであったので、彼女たちと相談の上、家族を起こすのはエリーゼの担当になった。
能力の高い人間が仕事を押し付けられるのは、世の常であるが、エリーゼばかりに負担をかけてはいられないという俺の意志もあって、当初は持ち回りの当番制にした。
ところが、エミリアが時間になっても起きてこなかったり、時間になっても寝ている俺のベッドにエマが潜り込んでくる事件が多発したため、なし崩し的にエリーゼが専任することになったのである。
値段が高かったので手を出していなかったが、細工ギルドで作られている、目覚まし機能つきの水時計を買うことをそろそろ真面目に検討した方がいいかもしれない。
赤の盗賊団の一件があってから、エマはすっかり俺に懐いた。
相変わらず表情の変化は乏しく、言葉も少なめであったが、最近では何となく喜怒哀楽も読めるようになってきた。もっとも、エリーゼとエミリアの二人は、エマの表情を見ただけで彼女が何を言いたいかわかるらしく、エマがちょっと視線を動かしただけで、彼女の求める物を差し出してやったり、「そうね、そろそろお昼ね」などと言っていたりする。
(しかしなあ、あれは困る)
エマとの距離の近さに、正直なところ、かなり戸惑っているのだ。
初めてベッドの中に潜りこんでこられた時は、少なくない混乱があった。みんなが寝静まった深夜に、なにやらもぞもぞと布団の中で動く感触があったかと思うと、人の重みを感じたのである。一瞬で覚醒した。
暗闇で顔がわからなかったが、ここのところ距離が近かったので、すぐに匂いでエマだ、と気づく。定期的に風呂に行かせているので、清潔なエマからは、淡いながらも脳をくすぐる異性の匂いがした。
じいっ。
どう声をかけていいのか、何をしにエマが布団に来たのかもわからぬまま、暗闇の中で見つめあうことしばし。
俺の胸元に顔をうずめながら、エマは寝息を立て始めた。
(ちょっと――!?)
まだ朝までは時間がある。つまり、しばらくはこの状態でいなければならない。
すうすうと寝息を立てるエマを追い出すかどうか真剣に悩んだが、一回ぐらいならば、とそのまま寝かせることにした。
結果から言って、これは失敗だったといえよう。
同じ部屋で三人の少女と寝起きするという環境上、俺は禁欲生活を強いられていた。早い話が溜まっているのである。
まだ幼い少女とはいえ、第二次性徴とともに成人と見なすこの街の法においては、エマはもう成人であった。食事環境が改善された今、痩せぎすだったエマの身体には少しずつ肉がついてきており、ちゃんと女の香りがするのである。
その上で、俺の胸に顔をうずめているということは、それなりに身体も密着しているということで、思わず反応してしまった俺の下半身を誰が責められるというのだろうか。
端的に言って生殺しである。
下半身の状態をエマに悟られぬよう、腰だけを後ろに引き、まんじりともせず一夜を過ごした。寝返りもできない不自由な態勢で朝まで過ごすという行為が、多大な心的疲労を俺に強いたことは説明するまでもあるまい。
翌朝、いつものように、誰よりも早くエリーゼは起きてきた。
ベッドにエマがいないことを見つけ、ついで俺の状態に気がつくと、「あらあらまあまあ」と満面の笑顔を浮かべる。こっちはそれどころではないので、アイコンタクトで何とかしてくれと訴えるも、「甘えさせてあげて頂けませんか?」と予想外な台詞が返ってきた。
んぅ、などと寝声を立てるエマの頭を撫でながら、「親の愛情を受けたことがなかったでしょうので」とエリーゼに言われてしまっては、もはや手詰まりである。 それからも度々、エマの侵入を受けている俺のベッドであった。
顔を洗って朝の食事が終わると、各人の行動は分かれる。
エマとエリーゼは、商家出身のエミリアに読み書きを教わっている。これは俺の発案であった。何も言わなければ、エリーゼは家計の足しになるべく鯨の胃袋亭の皿洗いを手伝いに行ったり、冒険者ギルドに赴いて日雇いでできる作業を探してきかねないので、こうして文字を覚えさせている。
出版技術の低いこの街では、本というものはそれなりの高級品なので、教材は俺が商業ギルドで買った魔物シリーズ図鑑の序章を流用している。毎日勉強の時間を取るという発案はエミリアに好評だったし、エマ・エリーゼの両名も、知識が増えるということで積極的に覚えようとしているようだ。
朝の勉強は三時間ほど続き、その後、彼女たちは昼飯の時間である。俺が迷宮にもぐっている間も、彼女たちは昼飯やら何やらで金が必要なので、会計係もエミリアにやってもらうことにした。昼食費とお小遣いも込みで、一日1,000ゴルドずつ、彼女たちに渡している。
「ジル、余ったお金はどうすればいいのよ。これだと1,000ゴルドぎりぎりの良い物を食べた方が私たちが得じゃない。あんたのところに返すために節約するなんて嫌よ」
最近は、このエミリアの独特の言い回しにも慣れてきた。
要約すると、「ジルの出費がかさむし、高い物を食べると気後れするからそっちで指定してよ」という彼女なりの気遣いなのである。
「好きな物食ってくれて構わんぞ。そもそも余った金はお前たちの小遣いだ。飯を減らして金を溜めるも良し、奮発してちょっといい物を食おうが、おやつを買うのに使おうが自由だ。返さなくていい」
エミリアは信じられない、とでも言いたげである。
「奴隷の私たちに給料を出すってこと?」
最近では、エミリアの驚愕ポイントもわかってきた。エリーゼは、風呂に入らせたり、ちゃんとした食事を与えるなど、普通の奴隷と違って待遇が良いことに驚くことが多いが、エミリアは自由を与えると驚く。
自由時間を与えたり、小額とはいえ好きに使える金が手に入るといったことが、商家出身の彼女にとっては抜群の待遇に値するものであるらしい。
「給料ってほど大した額でもないがな。俺の洗濯物とか部屋の掃除もみんながやってくれてるし、その報酬みたいなもんだ。エミリアは、最低限の食事をみんなが取ってるかと、金銭の管理を頼む。飯代を浮かせるのはいいが、完全に抜くのはダメだ。ちゃんと一日三食しっかり食わせて欲しいのと、もし余った金を溜めたいとか、持ち歩かずに預けておきたいってなったら、エミリアが責任持って管理してくれ」
「本当に、返さなくていいのね?」
「いいぞ。エミリアの管理に口は出さないから、金の保管場所とかも俺に一切話さなくていい。ただし、額の間違えとかがないように、しっかり頼む」
「わかったわ。みんなのためだもの、任せなさい」
つんけんしている態度は変わっていないが、少し顔が紅潮している時は喜んでいるときのサインである。今は、かなり喜んでいるときの顔だ。
そんなエミリアであるが、一度だけ、エリーゼの大きな雷を落とされた。
「エミリア、もういい加減、子供でいるのはやめなさい。ご主人様の誠意は伝わっているのでしょう? ご主人様が許しても、あんた呼ばわりは許しません」
例によって、エミリアの態度を見過ごせずにエリーゼがお説教をしている図だ。
「本人がいいって言ってるんだからいいじゃない」
「私にそれが通じると思ってるわけではないでしょう? 甘えたいなら、ちゃんと甘えたいと言いなさい。ご主人様が奴隷ではなく家族だと仰ってくれているのは、本来はありえないことです。もしその厚意を受け取ったのだとしても、家族の長であるのはご主人様です。普通の家庭だって、あんた呼ばわりされている家長なんていません。あなたはもう少し甘え方を覚えなさい」
甘えというか、エミリアのつんけんした態度は、「ここまでしたのに怒らないのかな?」「どこまで許してくれるのかな?」という探りのような物だと思っているので、慣れてしまえば可愛いものである。悪戯をして、怒られないかこっちの反応を見る仔犬のようなものだ。
「わかったわよ、あんた呼ばわりをやめればいいんでしょ。ジル。今日からはジルって呼ぶわ」
ぶすーっとしているエミリアとは裏腹に、エリーゼの怒りは加速しそうであったので、さすがに止めに入った。
「納得がいきませんが、ご主人様がそう仰るなら」
と、エリーゼが矛を収めるところまでいつもの流れである。
まあ、それ以来、俺はエミリアから名前で呼ばれることになった。たまにあんた呼ばわりが復活するのはご愛敬である。
さて、そんなエマたちは昼飯を食い終わったら自由時間だが、俺は朝飯を食ったらすぐに迷宮に潜ることにしている。
晩飯は一緒に食いたいと思っているので、俺は夕方までには狩りを切り上げることにしているので、朝飯の後から、夕方までが俺の狩りに当てられる時間になる。
赤の盗賊団の頭目、ウキョウの一撃によって皮鎧が修復不可能なほどに斬り割られたので、今は下っ端の盗賊たちが使っていた鋲皮鎧を着用している。体臭や血痕が染み付いていたのには閉口したが、泡油樹を溶かした水に数分漬け込んでから丁寧に布で拭ったところ、ある程度の改善があったのだ。
俺の身体にちょうど合うものを選んで着こんでいるが、仕立屋サフランの女将に確認したところ、サイズが違う鋲皮鎧でも、少し時間をもらえれば俺に合わせて手直しができるということで、予備の鎧もしばらくは必要なさそうだ。
戦利品で手に入れた武器防具のうち、武器はすべて売った。中古とはいえ、主に対人で使われていたせいか痛みが少なく、ウキョウとフィンクスが使っていた魔鋼製の長槍と戦斧の二本だけで、2,000,000ゴルドもの大金になった。
他にも、下っ端の盗賊たちが使っていた弓矢や、帯広剣なども売ったので、エマたちを買う代金の足しにしたり、鯨の胃袋亭の逗留費を一月分前払いした分を差し引いても、およそ1,000,000ゴルドほど、生活費の余裕ができた形になる。
現在の目標は、この1,000,000ゴルドを使いきる前に、三人を養っていける収入を手にすることだ。
余談が二つある。
ウキョウたちを討伐した後、赤の盗賊団の拠点を探して潰すのは、対赤ネーム専用ギルド「アウェイクム」のマーサたちに一任した。血の紋章を起動させたときに、乳白色の板が赤く染まる重犯罪者の討伐を目的として結成されたギルド、いわば専門の人間に後は任せた方がいいという判断である。俺とシグルドは街に戻り、彼女たちは現場に残って盗賊団を探すという風に分かれたのだ。
後の話になるが、マーサたちが見つけた赤の盗賊団の拠点には、そこそこの金銭と、膨大な量の回復薬や食料などの物資が備蓄されていたらしいが、シグルドに処理を打診されたので、二つ返事でギルド「アウェイクム」ですべて使ってもらうことにした。
彼女たちには迎えに来てもらった上に盗賊の装備を剥いでもらった恩があるので、これぐらいは手間賃としてすべて差し上げるべきだろうと思ったのだ。
どうやら、赤の盗賊団には、普通に街に住んでいる協力者が物資などを手配していた形跡があるらしく、母体ギルドである「赤」のメンバーを尋問するなど、冒険者ギルドではその協力者の割り出しに躍起になっているようだ。
シグルドによると、「これで街の外にいる盗賊は、中核をなくしてしばらくは収まるだろう」らしい。
もう一つの余談は、討伐団の中でも、戦死した冒険者たちの遺品についてだ。
彼らの装備は、遺族や、所属しているギルド、パーティがわかっている場合は、引き取ってもらった。
マーサたちの、後発組の馬車に死体を積んで帰ってきてもらったので、彼らに遺品の処理も委ねようとしたのだが、それは断られた。俺に渡せるものは渡すよう、シグルドの強い推薦があったというのである。
所有権が俺にあったところで、冒険者たちの死体まで剥ぎ取って装備を売るのは気が進まなかったので、冒険者ギルドに頼んで、身寄りのない死体の装備は、家族を失った家庭の足しになるように手配してもらった。葬儀の代金など、何かと当面をしのぐだけの金が必要であっただろうから。
なお、打算が入るようだが、これは自衛という面でも必要な措置だと自分では思っている。
討伐隊に参加した中で、生存者はシグルドと俺の二人だけ。そして、俺は新人である。「アウェイクム」は信用のあるギルドだったが、それでも戦利品をすべて俺が手にしたとなると、人によっては、俺とシグルドが共謀して良からぬ企みをしたのではないか、と邪推する者も現れるかもしれない。
ただでさえ、人は大きな成功を手にした者を妬むものなのだから、反感を買わないように気をつける必要があった。
それ故に、冒険者の装備は、遺族の役に立つようすべて返したのである。綺麗事ではないのだ。
俺だけならば、飛躍のために装備をすべて頂いてしまったかもしれないが、今はエマたちもいる。自分の悪評は、彼女たちにも降りかかってくる悪評なのだ。彼女たちが肩身を狭い思いをしないよう、行動には気をつけるべきだった。
もちろん、装備を遺族に返したというのは、現在の貯金で、何とかやりくりできる目算があってのことだった。現在の貯金は、およそ1,000,000ゴルドである。
俺たち四人が一日に使う金額を、頭の中で計算してみると、こうなる。
鯨の胃袋亭の宿泊費が5,000ゴルド。入浴費が800ゴルド。昼食費件、三人のお小遣いが3000ゴルド。備品を買ったりもするので、おおよそ10,000ゴルドずつ、毎日使っている計算になる。
もちろん、回復薬や、帰還の指輪も使うときは使うので実際はもう少し費用がかさむが、俺が平均5,000ゴルドほどの日当を持ち帰ることもあって、厳しく見込んでも半年は余裕で生活できるだろう。
ただ、俺の目標は、ここで終わりではなかった。
身近な目標としては中層、ランク2の敵を狩れるようになることであるが、将来的にはエマたち三人の市民権を買ってやりたい。一人頭、2,000,000ゴルドという大金を冒険者ギルドの戸籍課に納める必要があるが、客観的にはエマたちは俺の奴隷であり、もし俺が不慮の事故で死んでしまえば、彼女たちは国有奴隷になってしまう。犯罪奴隷ほどではないが、今よりも生活環境は悪化するのは間違いない。
万が一を考え、俺が死んだときには、鯨の胃袋亭の二人に奴隷を相続する手続きを取っておいた方がいいかもしれなかった。




