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第一話 始まりの森

 まず最初に感じたのは、濡れた草の匂いだった。

 次いで、むわっとした、土の匂い。



 匂いという情報を受け取った脳が動き始める。

 眠りから目覚めていく実感があった。



 瞼を開けると、真っ暗だった。

 枯れ草が夜露にぬれて、うっすらと光っているのがわかった。




(――地面?)


 俺は、どうやら地面に突っ伏して寝ていたらしい。


 急速に覚醒し、俺はがばっと起き上がった。

 上を見ると、ぶ厚く重なりあった葉と葉の間から、わずかに月の光が漏れ出ていた。


 周囲を見れば鬱蒼と生い茂る樹木、足元を見れば根と根が絡みあっている中に枯れ葉や草が積もり、目の届く範囲では、少なくとも道らしい道は見当たらない。


 そして、自分を見ると、半袖の肌着と、膝までしかない股引きのようなもの、何かの革っぽい足首までの靴。それ以外に、何一つ持ってはいなかった。



(いくら何でも軽装すぎるだろう、これ)



 ずいぶんと奥深い森のようだし、腕も脛も丸見えのこの格好が、夜の森という、それなりに危険な場所に相応しくないということぐらいすぐわかった。



(――目的?)



 なぜ俺はここにいるのだろう。森の中に来る用事なんてあっただろうか?

 いや、そもそも――



「俺は、誰だ?」



 口に出してしまったその言葉は、夜の森に溶けるように消えていった。








 夜の森は、静かだ。ときおり吹くわずかな風が、頭上を覆う葉と葉をゆらし、ざわめく。



 意識を取り戻した俺が最初にしたのは、自分の状況を整理することだった。

 自分の名前は、覚えていない。なぜこの森にいたのかもわからない。自分の職業は何だったのだろう?森で何かを採取するような仕事だったのだろうか。それにしては、この身軽な服装は森をなめすぎていると思うから、素人には違いないと思う。



 闇で見えづらいのを我慢して、自分の指や腕、足を順番にチェックしていく。

 例えば何かしらの武道を修めていたら、どこかにタコがあったり、腕が太かったりするはずだ。そういう特徴から自分が何者かのヒントが得られれば、連動するように記憶を取り戻すのではないか、そう思ったのだが――


(何の変哲もないな)


 細くもなく、太くもなく、筋肉質でもなく、痩せぎすでもない。

 手のひらや指先もきれいなもので、少なくとも肉体労働とは無縁だったようだ。


 どこかに鏡でもあれば、自分の姿を見ることもできるだろうから、その時に何かわかるかもしれない。

 森の中では鏡はないだろうけど、泉ぐらいならあるかもしれないし、民家が見つかれば事情を話して宿を貸してもらおう。


 そこまで考えて、はたと気づく。


 

(もしかして、今の俺、けっこう、危険な状態なのでは?)



 ここがどれくらい深い森なのかはわからないが、食料も水もない状態なのだ。それも、視界の確保できない夜の森だ。野犬や熊に襲われたらひとたまりもない。蛇や蜂なんかの、毒を持った生物に出くわしてもだめだ。


 なんせ、自分の服装は、肩から先および膝から下が露出していて、外敵からの防御を一切期待できないのだ。



(露出が多い方がいいのは女の子だけだ)



 とっさにそう考えて、俺は立ち尽くした。たった今の自分の思考をなぞるように思い返して、自分のことが少しだけわかったような気がする。


 

 (女好きだ、俺)



 間違いない。こんな薄暗い、危険な夜の森を歩いていて、真面目な思考の最中にエロいことを考える。これは間違いなく女好きである。

 鏡がないから自分の顔がわからないが、下手をするとおっさんである可能性もあった。

 

 自分が熟年男性である可能性について、不快感は特にない。おっさんだったら、それはそれで楽しみもあるだろう。


 妙に嬉しくなって、ふふ、と声を出して笑う。自分を再発見するというのは、面白いものだ。

 少し元気が出てきたような気もする。



(とりあえず、歩こう)



 第一目標は人を探すことだ。民家があれば嬉しいし、街の明かりでも見つかればなおいい。そうでなくても、道らしいものが見つかれば、それに沿って歩いていけば人に出くわすだろう。

 

 どの道、食料もないのだ。夜の森で歩き回る危険については何となくわかるが、いつまでもこうしていてもしょうがない。


 ひんやりとした樹木に手を付けながら、木の根が入り組んだ地面に足を取られないよう、足元を見ながら歩く。ときおり、人の生活している灯りが見つからないかあたりを見回す。

 

 今のところ、危険な生物が近くにいるような物音はない。そのかわり、人の気配や、生活の灯りもまた見つからない。

 慣れない山道で息があがるのが早くて、自分の息遣いや鼓動がやけに大きな音に聞こえる。


 まず、黙々と歩くことだ。








 「異常」だとは、一時間以上前から気づいていた。

 しかし、異常を看過できなくなったのは、二時間ほども歩いたときだった。


 

 眩暈がする。頭がガンガンと痛む。



 最初は、慣れない山道で息があがっているだけだと思っていた。ちょっと眩暈がしても、この森がかなり標高があって、空気が薄いのか?ぐらいに思っていた。そのうち慣れるだろうと楽観して歩き続けたのがまずかった。

 治まるどころか、時間が経つにつれてどんどん症状は悪化していった。



(――何かの病気持ちか? 俺)



 事前にチェックした時に、そんな感じはしなかった。発汗にも異常はなかったし、熱もない。

 いくら運動をあまりしていなさそうな身体だといっても、こんな症状が出るのは予想外だ。


 今や、頭痛は耐え難いほどになっている。

 

 歩いている途中で、獣道と呼ぶにはやや幅が広い、両手をぎりぎり伸ばせないぐらいの細道を見つけたので、それからはずっとその道を歩いていた。眩暈がひどくて、まっすぐ歩いていられないほどだったので、道の左右に生えている樹木に最初は手を付きながら、途中から寄りかかるようにして、歩き続けていた。



 呼吸が荒い。



 早鐘を打つような心臓の鼓動の一回一回で、頭の芯が殴られたように痛む。

 何も考えていられないほどだった。



(夜道を歩いたのは、失敗だったか?)



 陽の光が出てくるまで待てば、視界が確保できて歩きやすかったかもしれない。遠くまで見渡せて、人や民家も見つけやすかったかもしれない。



 今考えても、後の祭りだった。



(――どれくらい、歩いただろうか)



 もはや朦朧とした意識の中で、寄りかかっていた樹から、汗でずり落ちてしまった感覚があった。

 目を開くと、地面があった。



(さっき目を覚ました時と、一緒だな)



 意識を手放してしまえば、楽になれる。自分の身体が間断なく訴えてくるその欲求に、必死で抗う。どんな生き物がいるかわからないこんなところで、倒れてしまうわけにはいかない。


 暗いから気づいていないだけで、きっと服とか手はいま、土でドロドロだろう。二回も地面で寝ているのだ。


 寝ていれば、症状が良くなるかもしれない、とは考えなかった。倒れこんでからも、頭痛はひどくなる一方だ。耳元で楽器を全力で鳴らされ続けたらこんな風になるのかな、なんてどうでもいいことを思ったりした。


 動かなければいけない、とずっと考えていたけれど、実際に一歩でも進めたかといえば、否である。

 もう、指一本動かす元気もなかった。試しに動かそうとしてみたら、全身に電気を流されたみたいに痛みが走った。


 意図せずに、目蓋が落ちてくる。

 閉じていく瞳の、まつげ越しのかすれた視界の隅に、何かが映った気がした。



(人影――?)



 俺が意識を手放さないでいられたのは、そこまでだった。



推敲が甘いため、今後も予告なく本文の編集を行う可能性があります。

登場人物名の変更など、大きな修正をかけた場合は告知します。

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