第十八話 奴隷 その4
(始祖吸血鬼、ねえ)
加護の名前が変わったことは確かに重要だったが、さしあたって俺には別の大きな用が控えているので、考えるのをやめた。どのみちギルド「アウェイクム」の面々には口止めをしてあるから騒ぎにはならないだろうし、せいぜいチェルージュって吸血鬼のお偉いさんなんだな、と深くもない感慨にふけるぐらいである。
名前が変わったのは、加護を一度でも発動させたことが原因なのだろう。
シグルドに半分持って貰ったが、それでも血まみれの首を両手にぶら下げながら、テントの立ち並ぶ商業ギルドの取引所に入場した俺には、奇異と忌避の視線が集中した。
一時は、過半数の取引が停止して取引所に少なからぬ混乱が起こったが、街への入場時に紋章を確認して犯罪歴がついていないことを確認した衛兵が一人付いてきてくれたので、何とか賞金首の持参であることが伝わり事なきを得た。
「買取っていうのも変だが、賞金首を討伐した。持ちこみはここでいいのか?」
普段は訪れる人間とていない、奥の方の小さなテントには、前触れがあったのか、熟達の貫禄があるおっさん――商業ギルドの職員が待ち構えている。
汚れ一つない銀色のトレイに生首を置くという行為は、なんだか躊躇われるものがあった。
「名前と額を確認する。ちょっと待ってな」
商業ギルドの職員は慣れた手つきで、生首の切断面から血粉を採取し、水と混ぜ合わせてから血の紋章とよく似た乳白色の板に押し付ける。すると、銀板はすぐさま赤く染まり、黒い文字が浮かび上がってきた。
「こいつは『槍の』フィンクスか。未済犯罪は182件、随分罪を犯したもんだ。賞金額は2,500,000ゴルド。『鬼才』ウキョウのもあるな。こっちは未済犯罪が113件、賞金額は200,000ゴルドだ。こいつら組んでやがったのか。まったく別のヤマで賞金がかかったはずなんだが。同じギルドに所属してるな」
フィンクスの賞金額を聞いて、内心飛び上がって喜びたい気持ちを抑える。
シグルドに譲ってもらったようなものだし、そもそも実際に倒したのは俺ではなくチェルージュだ。
「多分だが、ウキョウの方が頭目だったぞ。フィンクスが目立ってたが、賊の指揮とかはウキョウが執ってた。話し方も、同格っぽい感じだったな。それより、賊なのにギルドって作れるのか?」
「いや、未済犯罪があると作れない。登録時にメンバー全員の犯罪歴を確認するからな。綺麗な身の上のときにギルドを作って、街の外に出ていったんだろう。フィンクスたちのギルド――『赤』って名前だな。今じゃ盗賊団だから、『赤の盗賊団』って呼ぶか。ギルドに所属しているのは数人だけだな。他は全員、無所属だ」
「仲がいいパーティでギルドを立ち上げて、街の外に出て拠点を構築。その後、人数を増やしていった、ってところか」
「そんなところだな。ギルドストーンは冒険者ギルドで管理してるから、街に入れないとギルドには新たに参加できないからな。それにしても、『鬼才』ウキョウが頭目か。犯罪数の割に賞金額が低いのは、よほどうまく立ち回ったんだろうな」
「賞金ってどうやって設定してるんだ?」
「そいつの仕業だと犯罪が露見したときに、冒険者ギルドがヤマの大小とか残虐性、討伐難易度とかを考慮して設定してる。ウキョウの場合は、奴が手を下したと判明してない犯罪が多かったから、賞金は低めだな。まあ、気を落とすな」
「いいさ。フィンクスがいい金になった。シグルドもありがとな」
「お前の手柄だ、胸を張って受け取るがいい」
「他の盗賊団のメンバーには、ほとんど賞金が付いていないな。『赤』のギルドネーム持ちで、三名だけ小額の賞金がついてたが。それ以外はただの犯罪者の首になっちまうから、一律10,000ゴルドだな。待ってろ、今フィンクスとかのも合わせた全部の賞金額を出してやる――3,150,000ゴルドだ」
「おお、そんなになるのか!」
残り目標額の4,000,000ゴルドまで、あとわずかである。
鍛冶屋のダグラスは、鈍鋼の長剣一本を作るのに500,000ゴルドかかると言っていた。盗賊から剥いだ中古の装備のため売値はいくらか下がるだろうが、フィンクス達が使っていた魔鋼の長槍や戦斧などを売れば、エマたちの身請け代金を捻出できそうである。
「それにしても、ギルド『アウェイクム』の面々が揃い踏みだっていうのも剣呑としてるが、本当にその若いのが『赤の盗賊団』のフィンクスとウキョウを倒したのか?」
悪意はなかったが、訝しげに俺を見てくる買取のおっちゃんである。
無理もない。駆け出し然とした、ただの皮鎧を身につけた俺のような奴が熟練の賞金首を倒したと言っても、俄かには信じられまい。
「ギルドの名前と、全ての属性神に誓って事実である。ウキョウとフィンクスを含め、賊の半分ほどはジルが討伐した。この数字に一切の嵩増しなんぞしておらん」
「そこまで言うなら本当なんだろうな。驚いたもんだ」
腕を組みながらしきりとうんうん頷く商業ギルドのおっちゃんである。
「ジルさん! 無事でしたか!?」
大声に振り向くと、ディノ青年が息せき切って走りこんできていた。
「お、ディノ、おいっす」
「冒険者の生存者がたった二名だと聞きました。最悪の結果を予想していたんですが、よくぞご無事で――!」
「紆余曲折あったが、最高の結果で終われたぞ。借金は返せそうだ、明日にでも盛大に奢らせてくれ」
賞金首の買取カウンターに並んだ首や、「アウェイクム」の面々を見回して、ディノ青年は深く安堵のため息をついた。シグルドが今回の討伐成果を教えてやると、絶句して目を白黒させていた。
「朱姫様に助けられて、な」
その一言で、ディノ青年はようやく納得したようだった。
「それより、『赤の盗賊団』から剥いだ装備を売りたいんだが――」
「鯨の胃袋亭」の階段を上がり、自室へと続く扉をノックする。
たった半日離れただけなのに、多くのことが起こりすぎて、やけに懐かしく感じられる我が部屋である。
「帰ったぞー」
お帰りなさいませ、と出迎えてくれたエリーゼの言葉は、尻すぼみに消えた。
「お怪我を!?」
少女たち三人の表情が、驚きで固まっている。無理もなかった、ウキョウの戦斧で右肩から左腰まで斜めに切り割られた皮鎧はぱっくりと割けており、断裂面の周囲はおびただしい血痕でどす黒い。
「大丈夫だ、治ってるから。といっても、このなりじゃ出歩けんな。すまんがエリーゼ、ちょっと下まで行って、湯と布をもらってきてくれるか?」
かしこまりました、と叫びながら階下に走っていくエリーゼの後ろ姿を眺めつつ、俺は装備を外す。皮鎧の大きなパーツは普通の衣服のように着脱できるが、紐や止め具で固定する外付けの部分は脱ぐのがちょっと手間だ。
「持ってきました!」
普段より大きめの木桶と、何枚もの布を抱えたエリーゼが戻ってくる。何やら血相が変わっていた。
「下着一丁の姿を見られるのは恥ずかしいので、そっちを向いててくれると」
「何を言ってるんですか! 早く脱いでください!」
「あ、はい」
それどころじゃない、とばかりのエリーゼの剣幕にたじたじとなり、少女達の前での脱衣を強要されてしまう。皮鎧をすべて脱ぎ、真っ赤に染まった上半身の布鎧も脱ぎ捨てると、血糊でべったべたになった半裸男の完成だ。
肩から腰にかけて刻まれた、深い傷に息を飲む少女達。
なんだろうこの羞恥プレイは、などと心で泣きながら、湯をしみこませた布で上半身を拭う。
「エリーゼ、いいよ。自分でできるから」
「早く下もお脱ぎになって下さい!」
「あ、はい」
エリーゼの剣幕に押され、腰まわりはやはり血に染まった下半身の布鎧もしぶしぶ脱ぐ。いわゆる短パン一丁の男というものは、何とも切ない。
「すいません、ちょっと最後の一枚は勘弁して頂けると」
おずおずと申し上げた陳情を聞き届けた様子はなく、みんなも!というエリーゼの号令の下、はっとなったエミリアばかりか、なぜかエマまでが布を手に取り、たどたどしい手つきで俺の身体を拭き始めた。
三人の少女達に全身を拭かれる。ここで堂々としていれば、まだしも女性に世話をさせている男性然として格好が付くのかもしれないが、現実はただ恥ずかしいだけであった。
「ねえ、この傷は、今日?」
胸元の傷まわりを拭きながら、エミリアが怖るおそるといった体で聞いてくる。
「ああ。傷付いてからしばらく回復薬が飲めなくてな。まあ男の勲章みたいなもんだ」
あの後、残っていた手持ちの低級回復薬を飲んだが、効果が足りず、完治には至らなかった。シグルドもフィンクスとの死闘で回復薬を使い果たしてしまっていて、譲り受けることができなかったのだ。
瞳に溜まった分以外に、俺のマナまでチェルージュは根こそぎ持っていったらしく、治癒を詠唱したくともマナが足りなかった。遅れて駆けつけた「アウェイクム」のマーサに治癒をかけてもらって傷を完全に治した時点では、身体に定着して傷痕は消えなくなってしまっていたのである。
この傷痕は、歴戦の冒険者じみていて、正直格好いいと自分では思っている。
「本当に、無茶はなさらないでくださいね」
「一回だけはまあ、見逃してくれ。そうでもしないと目標が達成できなかったし。ああ、もういいぞ」
下着姿に耐え切れなくなったので、強引に切り上げいそいそ普段着に着替える。
忘れないように金貨のつまった袋を懐に入れ、俺の身体を拭いて汚れた三人の手を木桶に残った湯で洗わせる。
「前もこの時間だったし、多分まだやってるだろ。ちょっとみんなで出かけよう」
「この時間からどこかにお出かけですか? かしこまりました」
ぞろぞろと、四人で連れ立って外に出る。時刻はちょうど、夜の飯時である。
途中、階下の酒場に顔を出し、四人分の食事の確保と、明日から正規の値段で大部屋を借りたい旨を「鯨の胃袋亭」のドミニカに伝えた。
身体を清めて、普段着に身を通した肌に、夜風が気持ちいい。
酔客や、迷宮帰りの冒険者もちらほら見受けられる中、俺たちは黙々と歩く。
「その、どこへ行かれるのですか?」
「まあ、いいからいいから」
しばし歩いた後、歓楽街へと到着した。目的地である奴隷商人の店は、すぐそこである。
「よし、ついたっと――うおっ!?」
喜色満面、後ろを振り向いた俺は、エリーゼとエミリアの、ぱっと見でもわかるほどの暗鬱な表情に驚いた。
「やはり、私たちは返品されるのですね。ご主人様と過ごした日々、厚遇して頂いたことは忘れませぶしっ」
語尾が面白かったのは、俺のデコピンが軽やかな音を立ててエリーゼの額を弾いたからだ。額を抑えながら涙目のエリーゼである。
優等生な彼女の面白語尾は、かなり俺のツボに入ったのは内緒だ。
「これはこれは――! ジル様、ようこそお越しに。ささ、どうぞこちらへ」
店に入るなり、慇懃な奴隷商人が揉み手をしながら出迎えた。耳通りのいい声だからこそ、不快感がいや増す。
前回と同じ、ふかふかのソファにどかりと腰をかけると、奴隷商人はせわしなく麦酒を出してきたり、つまみを従業員に申し付けたりしていた。
「さ、本日はどういったご用件でしょうか」
「この娘たち三人の、分割払いにしてた代金だけどな」
「これはこれは。娘たちが何か粗相でも致しましたでしょうか」
「いや、粗相とかではなく――」
そこまでは、俺は平静を装っていた。だが、奴隷商人が三人をじろりと見た瞬間、エマたちはびくりとし、その様を見ていた俺も、怒りで眉間に皺が寄るのを自覚した。
「エミリアか、エマか? お前達、大事なお客様に何をしたのか言ってみろ。え?ジル様がお怒りだろう。申し訳ありませんね、ジル様。私どもの躾が足りませんでしたでしょうか。もしかしますと、代金の値引きをお求めだったり? もしご不満がおありでしたら、ええと、何でしたら一度奴隷達を引き取りまして、再度、躾を施させて頂きますとも。その間は日割りの代金などもお勉強させて頂きますし――」
「黙れ」
俺と奴隷商人を挟んでいる机を、膝で蹴りつける。木の机が立てた大音に、奴隷商人は口を開けたまま固まった。
俺は懐から小袋を取り出すと、中から500,000ゴルドの大金貨を八枚取り出して、机に並べた。
「分割で払うことになっていた残りの代金、4,000,000ゴルドだ。今すぐ、三人の本契約を俺に移せ。それと、今日この店を出た瞬間から、この三人は俺の家族だ。今まで通りの態度を取ったら許さんぞ? うちの三人とお前は、出会ったこともない赤の他人ということにしてもらおうか」
事態の把握に脳が追いついていないのか、奴隷商人は口をぱくぱくさせている。
「よーし、料理は並んだか」
エマたち三人の本契約を完了させた俺たちは、まっすぐ宿に戻ってきた。
エマ達の首に嵌っていた仮契約の首輪は、俺に命令権のある本契約の首輪へと付け替えられている。本音を言うと取り外してしまいたかったのだが、奴隷はその身分を表すためにも、隷属の首輪の着用が義務付けられているので、こればかりは仕方がなかった。
「忘れないうちにやっておこうか。『命令』『条件』『処罰』」
俺が言葉を発すると、三人の首輪がうっすらと青く光る。これが所持している奴隷に命令や条件付けをさせる、隷属の首輪、本来の機能らしい。何でも、俺の言葉そのものを正式な契約として首輪に認識させるのだとか。
「『命令』、特になし。自由に動いて良い。『条件』、犯罪に抵触しない限り、一切の禁止事項をなくす。『処罰』、隷属の首輪に組み込まれた、一切の処罰、懲罰用の機能は働かないものとする。『更新』」
説明書としてもらった一枚の紙を見ながら、首輪の機能をいじっていく。
俺が更新、と言った瞬間から、首輪から発せられていた青い光は収まり、消えた。これで、俺が再び首輪の前で条件を変更しない限り、少女たちは首輪の影響を受けずに過ごすことができる。
俺以外の誰にも、もはや彼女たちを縛ることはできないのだ。
「葡萄の絞り汁も並んだか?」
今まで俺たちが過ごしていた部屋から移ってきて、ここは大部屋である。今日から正式にここで暮らすことになるのだ。
本当はここをエマ達三人の専用部屋にし、俺は今まで通りの小部屋で寝起きする予定だったのだが、二部屋も借りる宿泊代金がもったいない上に恐れ多いというエリーゼの強硬な態度に俺が折れた。
今日からここで、俺は少女達と生活を共にすることになる。ちゃんと寝れるだろうか、俺。
というのも、家に帰ってきてからというもの、エマがずっと俺の袖を掴んで離さないのである。一体どうして懐かれたのか、今も料理が所狭しと並べられた横長の大机の前に、俺と椅子をぴたりくっつけて座っている。
「エマ、飯が食いにくいのだが」
「ん」
ようやく袖を離してくれたと思ったら、今度はさらに椅子を寄せ、エマの右半身と俺の左半身をぴたりとくっつけてくる。
飯の食いにくさという点では大差ない気がしているが、エリーゼがそれはもう満面の笑顔で、エミリアも珍しくご機嫌ににこにこ笑いながらエマを見守っているので、無理に引き剥がすのはやめることにした。
「飲み物よし、食事も食いきれないほどある、と」
大部屋一ヶ月分の金を前払いした上で、迷惑をかけたことを詫び、いいことあったから宴会用の食事作ってくれ、と頼んだところ、ドミニカは事のほか上機嫌で料理を作ってくれた。
その料理がいま、ベッドほどに大きい横長の机に、色とりどりに並び、湯気を上げて食べられるのを待っている。
「じゃあ、食う前に簡単に乾杯だけ、な」
この世界にも、酒を飲み始める前の乾杯の風習はある。
俺が、麦酒の樽を持つと、エリーゼとエミリアも葡萄ジュースの入った樽を持つ。すぐ横のエマには、みんなで乾杯をするんだよと俺が教えてある。
「今まで色々あったかもしれないけど、今日から俺たちは家族だ。仲良くやろう。今日はそのお祝いだ。ひたすら飲んで食って騒ごう。乾杯!」
「「乾杯!」」
喉によく冷えた麦酒を流し込むと、炭酸が心地よく喉を焼く。宴会は夜通し続き、いつまでも笑顔が絶えなかった。




