第十五話 遠征 その2
頭の中で地図を広げた。開拓村までの道のりは、頭の中に叩き込んである。
ここはちょうど、街と開拓村の中間あたりだ。
街の近くから開拓していけばいいのではと思っていたが、平坦な土地や水場の確保などの兼ね合いから、そうもいかないらしい。
集落を作るのにちょうどいい立地でもっとも近いのが、今俺たちが向かっている、開拓村を作っている土地であり、そこまでは馬車を走らせても、街から一時間はかかってしまうのだ。
この、騒ぎを起こしてもすぐに街に伝わらず、衛兵も駆けつけられないという距離が、山賊が生きていける土壌となっている。恐らくは、付近の森のどこかに拠点を作って、街から開拓村への道行く人々を襲っているのだろう。
俺は再び、気を引き締めた。俺の予想では、盗賊がもし来るならば、このあたりだと思っている。
原生林を切り開いたとはいえ、道を通しただけだ。周囲にはいくらでも人が隠れる林があり、それでいて一本道は俺たち側の増援があるかどうかを調べやすい。馬車が通っている道はというと、左右を人の背丈ほどの崖に挟まれていて、そこを登らない限り、とっさに身を隠せる障害物がない。待ち伏せにはもってこいの立地である。
もし俺が盗賊なら、高地から後続の馬車、言い換えれば増援があるかどうかを偵察した上で、このあたりで襲う。
ピィヒョロロ、と鳥が鳴く声がした。未だ、山賊が襲ってくる気配はないが、先ほどの老剣士が、ピクリと反応した。
他の冒険者たちも、険しい表情に変わっている。
ピィヒョロロ。今度は別の方角から、先ほどと同じ鳥の鳴き声がした。
「出たぞ」
誰かが呟いた。みな、剣の柄や弓に手をかけ、臨戦態勢になっている。喚声の類はなかったと思うが、出たというのは、山賊だろうか?
俺も念のため、かた膝をたて、いつでも走り出せるようにしておく。
「あの鳴き声は、盗賊の合図だろう。俺たちが討伐隊だと気づいていなければ、襲ってくるはずだ。馬車三台は大きい獲物だからな。偽装だと気づかれていたら来ないだろうが」
老剣士が、親切に教えてくれた。
しばらく、まんじりともせずに、張り詰めたまま、時を待つ。
ややあってから――前方から、轟音がした。一拍遅れて、めきめきという音がしたかと思うと、馬車ごと地面が揺れた。
「道がふさがれた。出るぞ!」
誰かの声を皮切りに、いっせいに、馬車から外へ飛び出していく冒険者たち。
遅れじと俺も外へ出ると、進行方向の道が、切り倒された二本の巨木によってふさがれている。先ほどの轟音はこれが倒された音だろう。
ひゅん、ひゅんという風切り音がする。多数の矢が、馬車から出たばかりの俺たちを目がけて飛来していた。
前の馬車の方角から、絶叫があがった。見ると、矢を避け損ねたのか、魔術師が一人、腹に二本の矢を受けて、倒れた。起き上がろうとする彼に矢が集中し、針鼠のようになった。魔術師はもう動かない。
「多いぞ!」
「森に入れ!」
誰かが叫んでいるが、それどころではなかった。
高速で飛来する矢という武器が、これほど恐ろしいものだとは思わなかった。
自分にはどうか当たらないでくれ、と念じながら、姿勢を低くしつつ森へ向かって走る。耳元でぶん、と矢が通り過ぎる音がするたびに鳥肌が立つ。
ほんの数秒も走れば辿りつくであろうわずかな距離が、とても長く感じた。
崖に取り付いてよじ登ってから、森に駆け込み、矢が飛んできた森の奥から隠れるように木を背にして、やっと一息つく。
しかし、すぐに剣戟の音があちこちから聞こえ始めた。いつ抜いたかも覚えていないが、俺は抜き身の剣を握っている。
木々で視界が遮られる中、俺は老剣士の姿を探した。
ちらりと、遠くに黒光りする鎧が見えた。必死に、その方向へ向かって走った。森に入って射線が途切れたせいか、矢は飛んでこない。
「ぬん!」
根に足をとられそうになりながらも、俺が彼の元へ駆けつけた時――老剣士は、組み伏せた賊の胸を足で押さえつけ、長剣を喉に突き入れているところだった。
ちらと俺を見、敵でないことを確認すると、血に濡れた切っ先を一振りして、雫を飛ばす。
「こやつら、寄せ集めではない。しっかりした指揮の元、攻めてきておる」
俺は、何と言葉を出していいかわからなかった。そうか、とだけ答えただけである。
迷宮の魔物なら、駆け出しとはいえそれなりに数を狩った。格上と戦った経験もある。それでも、人同士が殺しあう戦闘は初めてだった。魔物相手とは、まったく別の緊張がある。
「ぼさっとするな。死ぬぞ」
走り出した老剣士に遅れないよう、俺も後ろを付いていく。
喚声や絶叫、剣と剣が打ち合う金属音がどこかから響くたびに、木々の隙間から賊が襲ってきやしないかと恐ろしかった。
老剣士についてきた自分の判断は正解だったと思う。自分ひとりだと、恐怖に怯えて縮こまるか、考えるのをやめて闇雲に攻め上がってしまいそうだ。
「敵の方が多いな、三十はいるだろう。こちらは三名がやられている。早めに『槍の』フィンクスを倒さねばまずいな」
老剣士の行く手をふさぐように、二人の賊が現れた。得物は、長剣よりはやや短い帯広剣と、片手用の斧で、鎧は鋲皮鎧だ。
老剣士は迷わず、手斧を持った方の賊に襲いかかる。より破壊力のある武器持ちを優先して倒すのだろうか?
「もう一人を足止めしておけい!」
「おお!」
俺も走りよると、老剣士の横っ腹に切りつけようとしていた、帯広剣持ちの賊に、長剣の切っ先を突き出した。賊は背後に跳んでそれを避けると、舌打ちしながら俺へと斬り付けてくる。早い。
双方の、武器の特徴が出ていた。俺の長剣は射程が長いが、その分重い。
賊が使っている武器は帯広剣という名前だが、細剣よりは刀身が広い剣という意味なので、むしろ長剣などと比べると細身の軽い剣に分類される。
上段から振り下ろされた剣を、俺は長剣で受ける。衝撃は軽かったが、その後の鍔迫り合いで、俺は押され始める。
(――腕力と剣術は不利、使っている剣は俺が有利)
とっさに俺は、そう見てとった。賊が使っている帯広剣は、ただの鉄製だ。武器だけならば、俺の方がいい。力押しで負けている俺は、剣を握る両拳に力を込めて、突き放すように後ろへ跳んだ。
その瞬間、帯広剣が俺の小手を狙い、空を斬った。すさまじい早さの斬撃だ。皮鎧の小手の表面を、少し切り裂かれた。とっさに腕を引かなければ、片手を斬り落とされていただろう。全身に汗が吹き出てくる。
俺は前に出た。剣の技術では適わない。俺の強みは、武器だけだ。
肩に長剣を担ぐようにして、走りこむと同時に、武器ごと叩き斬るつもりで、渾身の力で振り下ろした。
剣で受けてくれれば、鉄の帯広剣ごと斬り下げるつもりだった。しかし、賊は冷静に、後ろに下がって避けた。長剣を空ぶらせて前のめりになる俺の隙を見逃さず、賊は上段に帯広剣を振りかぶった、狙いは無防備な肩か?
俺は振り下ろした長剣の重みに逆らわず、地面に突っ伏せるようにして上段の斬撃を避ける。半身だけ転がり、何とか剣を構えるも、立ち上がる余裕は与えてくれなさそうだった。
俺は仰向けに寝て長剣を持っているだけ、相手は俺を見下ろすように帯広剣を構えている。 帯広剣の鋭利な切っ先が、今まさに、俺に突き入れられようとしている時――賊の顔面付近に何かが飛んできて、爆発した。賊がくぐもったような苦痛の声をあげてよろめく。今しかチャンスはない。
俺は上半身だけをとっさに起こすと、今度は前に倒れこむように、長剣を賊の足首あたりを狙って横殴りに叩き付けた。足首を斬り放すまでには至らなかったが、しっかりした手ごたえがあった。賊は後ろに下がろうとして、よろめいて地面に倒れこんだ。
俺はその隙に立ち上がって、近づき――
「おおおおお!!」
振りかぶった長剣を、倒れている賊に向かって全力で振り下ろした。
とっさに胸の前で帯広剣を構える賊の、剣と、腕を物ともせず、長剣が胸元に深々とめりこんだ。
うめきながら血を吐き出す賊の腹を踏みつけながら、俺は長剣を兜の面頬のさらに下、喉元に突き入れた。ひとしきり痙攣し、賊は動かなくなった。
「ふうっ!」
大きく息をつく。
手助けがあったとはいえ、賊を一人、倒すことが出来た。無我夢中だった。我に返ると、額にびっしりと汗をかいていた。人を殺した罪悪感など、感じている暇がそもそもなく、斬りあう前に感じていた怯えも、どこにも残っていなかった。
ただ、死なないために、必死に戦っていただけだ。
「うむ、童貞を捨てたか?」
ふと横を見ると、手斧を持った賊をすでに片付けた老剣士が、腕を組んで俺を見つめていた。
「初めて人を殺したかって意味なら、そうだな。先ほどの爆発は、あんたが?」
「炎帝石という素材で作った爆薬だ。錬金術ギルドで売ってるぞ。安くはないんでな、貸し一つな」
「ああ、命一個、借りだな」
あの爆薬がなければ、俺は賊に勝てなかっただろうから。
「俺が駆けつけたら、まあ一、二回刺されるぐらいで済んだであろう。命の貸しというほど、大げさではないな。行くぞ、味方の数が減っている。早く頭目を倒さねば囲まれる」
「わかった」
確かに、周囲から聞こえていた怒号や戦闘音が、先ほどよりは数が減って聞こえるような気がした。老剣士の言を信じるならば、味方が劣勢だということになる。
「商人を襲うための布陣ではないな。奴ら、冒険者が潜んでいても倒しきれるように念を入れて襲ってきておる」
「その通り」
老剣士の声でも、俺の声でもなかった。
(第三者――? )
意識を警戒へと切り替えるよりも早く、老剣士に、黒くて大きな何かが殺到してきた。残像が見えるほどの速度で、何か長いものが突き出されているのを、老剣士は剣で払う。
軽やかに後ろへ跳び、体勢を整えなおした男の姿を見て、ようやく俺は、そいつの姿をしっかりと捉えることができた。
長槍の穂先は黒光りする魔鋼製で、全身に纏う皮鎧も、通常のものと違って銀色に鈍く輝いている。頭部も魔鋼でできた板金兜、面頬を降ろしていて表情が見えないにも関わらず、動作から軽薄な人柄が伝わってくる。
しかし、真に注目するべきはその強さだった。俺では、見て取ることもできないほどの素早い動き。老剣士を静とするなら、彼は動。その佇まいは老剣士に勝るとも劣らない、実力者の趣きがある。
真紅に染めたマント、黒の兜と槍、銀色の皮鎧。色の対比で、やけに目立つ男だ。
「『槍の』フィンクスか。探しにいく手間が省けた」
「そういうあんたは、ギルド『アウェイクム』のシグルドだとお見受けするが、合ってるかい?」
「うむ。ならず者に死を。我がギルドの悲願故な」
「赤ネーム専門の対人ギルドか。俺たちの天敵だな。マーサは今日は来てるのか?」
「さあ、どうであろうな」
やれやれ、とフィンクスは肩をすくめた。
五件以上の未遂犯罪を持つと、血の紋章を起動させたときに、赤く光る。赤ネームとは、紋章の起動時に赤く光る重犯罪者のことを指す。
「この場にはいなさそうだが、どうせもう遠話の指輪で報告をしてるんだろう? なら、早いとこお前を仕留めてとんずらしないとな。奴が来ちまう」
「できるものなら――」
何かを言いかけた老剣士――シグルドと呼ばれていた――が喋ろうとしたその瞬間、フィンクスの手が翻った。ぴきり、と空気が凍る音とともに、シグルドがそれまでいた場所に、1メートル四方ほどの氷の花が咲く。炎帝石の、氷バージョンみたいなものだろうか?
わずかな動きでそれを避けていたシグルドに、目にも留まらぬ槍の刺突が襲いかかる。
剣で払う、下がって避ける、上体を揺らして避ける、盾でいなす、ありとあらゆる回避方法で、電光の刺突を避ける。俺の目には、細かな線が二人の間を行き交っているようにしか見えない。
だが、じりじりとシグルドが後ろに下がり、フィンクスが前に出てきているのを見ると、劣勢なのは間違いなさそうだ。魔鋼で出来ているはずの黒い板金鎧に、亀裂が少しずつ増えていく。
「シグルド! 加勢する!」
「あほう、いらんわ。お前なんぞ、こいつの一突きで即死じゃい。他のところに加勢に行け」
わかった、と言い捨てて俺は走り出す。確かに、レベルが違いすぎる。俺が変に割り込んでも逆効果なだけだ。
背後で、シグルドの声と、嬉しそうなフィンクスの声が聞こえた。
「大丈夫か、『槍の』? このままだとお仲間さんはすべて倒されてしまうぞ?」
「知ったことか。こんな良い相手を、他の奴にくれてやれるかよ」
「戦闘狂か。惜しいな、お前ほどの男が赤ネームになった理由がそれか」
シグルドたちの剣戟の音が、背後へと遠ざかっていく。かわりに、賊と斬り結ぶ冒険者の姿と、弓弦を引き絞ってそれを狙うもう一人の賊の姿が目に入る。
できるだけ足音を殺しながら、後衛の弓使いの賊に向けて走る。それでも、賊は俺に気づいた。一瞬だけ、俺を狙おうとして、間に合わないと悟ったのか弓を投げ捨て、賊は短剣を引き抜いた。
見たところ、ただの鉄製の短剣だ。これならば、勝機がある。
上段から、大振りに長剣で切りかかる。と見せかけて、力を込めてはいない。賊が横に跳んで上段の攻撃を避けようとしたところに、本命の斬撃を、横殴りに叩き込んだ。
切っ先のあたりで、賊の鋲皮鎧と、硬い骨を断った手ごたえがあった。見ると、鎖骨のあたりを切り裂いている。形勢が不利と見た賊は、傷口を手で抑えながら逃げようとする。俺も追いかけようとしたが、傷の深さからか賊はすぐによろめき、木の根に足を取られて転んだ。
俺は勢いそのままに突進し、長剣で背中を突き通した。まだ動く賊の尻を踏みつけ、首と背骨の間あたりを貫く。強固な骨を砕きながら、賊を地面に縫い付ける感触とともに、賊は動かなくなった。
この賊が狙っていた冒険者も、斬り合っていた賊をいま、倒すところだった。二対一で苦戦していただけで、平均的な個々の技量ならば、冒険者の方が高いというのは間違ってはいなさそうだ。
「新人だと思ってたがな。目利き違いを詫びよう。助かった」
この冒険者の戦士も、面頬に隠れて顔がわからなかったが、かなり若い声だった。
「そんなことより、シグルド――魔鋼の板金鎧を着たおっちゃんが、フィンクスと一対一やってる。レベルが高すぎてついていけねえ。他の賊を掃討してくれって頼まれた」
「確かにあの御仁は群を抜いて強そうだったが、『槍の』も同レベルか。わかった、雑魚を倒そう」
走り出した冒険者の後を、俺も付いていく。鬱蒼と茂った森の中であるが、暗視の指輪の効果で、視界は明るい。木の根に足を取られないよう、そしてレベルと身体能力が俺より高い冒険者に遅れないよう、必死で走る。




