第十四話 遠征 その1
満足に舗装されていない道を、馬に曳かれた車輪が、がたごとと打ち鳴らす。商人の座る席には敷物があるものの、俺たち冒険者は木の床に腰を据えるしかないため、皮鎧と布鎧で緩和しきれない振動が尻に響く。
いま俺は、近場の開拓村へ向かう馬車の中にいる。剣も鎧も装備した、迷宮に潜るときと変わらぬ装備である。なぜ俺が馬車の中で揺られているかというと、発端は昨日、ディノ青年に金策を相談に行った時まで遡る。
「今月末までに、最低で4,000,000ゴルド、作りたい。命の危険は問わない。今後の生活が送れなくなるならから犯罪は困る。知恵を貸してくれ」
深々と頭を下げる俺に、ディノ青年は面くらいながらも、いつもの机に誘ってくれた。
「借金ですか?」
「そうだな。正確には、毎月1,000,000ゴルドの借金で、四ヶ月後まで払い続ける必要がある。延滞はできない。払えないと、死にはしないが、同じぐらいの目に遭うと思ってくれ」
「――昨日、そんな素振りはありませんでした。酒場で別れた後から、今日までに作られたのですね。率直に聞きます。キリヒトのせいで作った借金ですか?」
「キリヒトのせいでは、まったくない。キリヒトと別れた後に、俺が自分の責任で作った借金だ」
重い溜息をつきながら、ディノ青年は疲れを誤魔化すかのように目元を指で揉んだ。ディノが困ったときや、考え事をするときの癖である。
「女と奴隷、どっちですか?」
「なんのことか、わからんのう」
いわゆる、モロバレである。本気で隠し通せるとも思わなかったので、思いっきり白々しく口笛を吹いてやった。
「個人的には後者だと思ってますけどね。今日の昼間には冒険者ギルドに駆け込んでこれたということは、借金を作ったのは昨日の夜か。こういう事があの界隈じゃあり得るから案内しろって言ったのに、キリヒトの野郎、ナメやがって――」
周囲に人がいないということもあるが、冒険者ギルドでは素を出さないディノが、珍しくマジギレしていた。このままではディノとキリヒトの仲に傷が付く。
「知恵を借りに来た分際で言うこっちゃないが、キリヒトもそのへんは気にしてたな。最後まで案内しないとディノに怒られるって。案内はいらない、一人で帰れるって無理を言って、別行動を言い出したのは俺だ。キリヒトは義理を欠かしてないどころか、良くしてくれた。責めるのはやめてくれ」
もしディノの怒りの矛先が俺に向いたとしても、そこは譲ってはいけないところだ。
実際のところ、キリヒトに罪はない。一人でうろついた俺が馬鹿だっただけだし、その結果、エマ達を買うことになったとしても後悔はしていないのだ。
しばらく、ディノ青年は真顔だった。あからさまに怒鳴ったりするよりも、押し殺した深い怒りが伝わってくる。
「案内しろという言葉には、帰路も無事に送り届けろという意味まで含まれています。そこを果たせなかったことは無視できません。スラム出身者の連帯は、上下関係が物を言う世界ですから、そこを許せば私の面子が立ちません。ですが――わかりました。ジルさんがそこまで言うなら、釘を刺すに止めましょう」
「ディノ、気持ちはわからんでもない。キリヒトとの間柄とか、そういうのは俺にはよくわからんが、言った通りの事が果たされてないってことを重く見てるのはよくわかるんだ。けどな、実のところ、借金をしたことに後悔はしていないんだ。ディノの推察通り、見捨てられなくて奴隷を分割払いで買ったんだけどな。俺は逃げることもできたのに、自分で買うって決めたんだ。ディノからシバきが入って俺とキリヒトの友情にヒビが入るのも困る。返しきれないほど溜まってるが、借りにしてくれても構わん。不問にしてくれないか?」
俺の台詞を聞いて、ディノ青年は苦笑する。色々なところで、本当にお人よしですね、などと呟いている。
「わかりました。水に流してなかったことにします。分割払いを指定してるあたり、あまり良い商売はしていなさそうなので、奴隷商の店の名前と場所は後でください。要注意で周知しておきますので」
「それは構わんぞ。犯罪にならなきゃ迷わず斬り殺すほどのクズだ」
「悪い商売だって気づかずに騙されるほど馬鹿じゃないでしょうに、情にほだされて買ってしまうあたり、何ともジルさんらしい気がしますよ。四回分割払いで、借金総額は4,000,000ゴルドですね? 紋章を見せて頂けますか?」
俺は頷き、スキル一覧等のすべてを表示させた紋章をディノ青年に見せる。
難しい顔で、ディノ青年はそれをしばらく見つめてから、目を閉じてなにやら計算をし始めた。
「んん、残り二十九日で、条件は犯罪不可、危険は厭わないとしてもこのレベルだと、迷宮の適正はランク1の深層から、成長予測分を加味して月の後半はランク2の初期層、一日十体――は無理か、体力が尽きるまで狩れても六、七体。素材を持ち帰るのに、満杯まで荷物を持って、徒歩より指輪の方がもう効率はいいか、回復薬と保存食と指輪だけで済ますとして――日当30,000ゴルドも、出ないかなあ」
俺にも聞こえるように呟いてくれているので、俺はディノが何を考えてくれているかがよくわかった。最高効率で迷宮を探索した時に、どれだけ稼げるかを脳内で計算してくれているのだ。
そして、その結果があまり芳しくないということも。
「迷宮のランク2帯からは、一人で狩れる魔物がぐっと減ります。魔角牛など、一人でも戦える相手はいるのですが、あれは素材が非常に重いので一体仕留めたら帰還しないとお金になりませんし、生命力が高いので討伐に時間がかかります。状態異常を使ったり、群れを作る魔物が増えることから、ランク2帯から、パーティの必要性がぐっと上がるのですよ。一人で狩るなら、相当の熟練者でないと厳しいところです」
「魔角牛か。弱ったはぐれを一体だけ倒したことがある。確かに、物凄い時間がかかったな。行動は猪突猛進するだけだから、しっかり見極めれば相手にはできるんだが」
「結論から言うと、迷宮での探索で月に1,000,000ゴルドは無理です。せめて半年後であれば、毎日迷宮に潜り、極めて運が良いことに死ななければギリギリ達成できるかもしれないラインですが、今のジルさんでは無理です。冒険者には業者ですら金を貸したがらないので、借金で当座を誤魔化していく方法も無理でしょうね」
「選択肢の一つに入ってたが、やっぱ借金は無理か」
「いつ死ぬかわからない冒険者が金を借りるには、偉大な名声か担保のどちらかが必要ですから」
「八方塞がりか」
俺は肩を落とした。死ぬか死なないかギリギリの戦闘を繰り広げても実現できないのなら、迷宮で必死に稼ぐ意味は、今はない。
「別方向からの借金を促すようで恐縮ですが、ジルさんの恩人に泣きつくことはできないのですか?」
チェルージュの顔が思い浮かぶ。確かに金には困っていなさそうではあった。そもそも吸血鬼が生きていくのに金が必要なのかが疑わしい。
「無理だな。そもそも遠い場所にいて、俺はそこに辿りつけない。街を出た郊外の、森をいくつも越えた先だ」
「じゃあ、賞金首を狙うぐらいしか方法がないですね。まず勝てないので私でしたら避けますが」
「賞金首?」
一瞬、口をすべらせたとでも言うように、ディノ青年の顔が曇る。
幾ばくかの逡巡の後、彼は話を続けた。
「捕まっていない重犯罪者、いわゆる盗賊のような存在に、冒険者ギルドで懸賞金をかけているのです。高い首だと、1,000,000ゴルドを超える者もいます。もっとも、討伐しようにも、恐らく街の外に拠点を築いていて場所がわからないので、確実性がない上に、失敗したらまず死にますので、私でしたら賞金首を狙おうとは思いません。盗賊の巣の場所を見つけて報告するだけでも報奨金は出ますが」
「見つけたら率先して狙ってみようと思う。どのあたりに出没するとかの情報はあるか?」
「あまり、情報を教えるのも気が進みません。賞金をかけられても逃げ延びているだけあって、どの首も手錬れですから」
こうしているうちにも、残り一ヶ月の時が、どんどんと失われていっているという焦りがあった。エマ達の顔を思い浮かべる。あの少女たちを、再び奴隷商人のところに戻さなければならない事態は避けなければならない。
「無理だと思ったら避けるぐらいの知恵はあるさ。多少危険でも、今は情報が欲しい。頼む」
まあ、賞金首一覧は冒険者ギルドに張ってあるので見ようと思えば見れますし、とぼやきながら、渋々と言った体でディノ青年は続きを話す。
「最近、名を売っているのは、開拓村へと続く道の途中に出没する、『槍の』フィンクスという男ですね。少人数ながら護衛を連れた荷車が一台、襲われて全滅しているので、それなりに配下を連れていると考えられています。開拓事情に少なからぬ悪影響を及ぼしている上に、冒険者時代は腕利きで鳴らした男なので賞金は高めについていますが」
「拠点もわかってないのか?」
「はい。襲撃された人間で、生き残りがいませんので、規模もわかっていません。スラムでも情報が回っていないので、恐らくは身内、仲の良い人間同士で組まれた小規模の賊だとは思うのですが。討伐隊が組まれることが予定されています。というか、ちょうど今日ですね」
「討伐隊の詳細を頼む」
「そう来ると思っていました――はあ、やっぱり賞金首の情報を教えたのは失敗だったかな。止めてもジルさんが行ってしまいそうな気がしてならないですよ。盗賊と言っても、恐らく元は冒険者です。それなりにレベルもあるでしょう。力量差はかなりあると見ていいです。やめませんか?」
「いや、可能性があるなら危険でも俺は行きたい。死んだところで恨みはしない。教えてくれ」
「ジルさんは貴重な加護持ちです。大成しそうな素質もありますし、無理をして欲しくはなかったのですが――少数の護衛しか連れていないと見せかけて、馬車の中に冒険者が複数待機している馬車が今日の正午に、出発します。賞金の分配方法は、五割が頭割り。五割は賞金首に最も多くの被害を与えた人間が持っていきます。
これとは別に、一人頭30,000ゴルドの参加報酬が、盗賊の出没有無に関わらず全員に配られます。賞金首を捕獲した場合は本人を、死体の場合は首から上を切り取って冒険者ギルドに持ち帰ってください――」
これが、事の顛末であり、俺がこうして馬車の中、窓や入り口から見えない死角に身を潜めている理由でもある。
街を出たばかりであるが、同乗の冒険者たちは、すでにピリピリしていて、気を張っている。開拓村まで、馬車で一時間もかからないとのことなので、いつ襲われてもいいように身構えているのだろう。
馬車は三台である。そのうち真ん中の一台は、本物の商人が物資を積んでいる。前後二台の馬車には、討伐隊に参加した冒険者が計十五名、乗り込んでいた。
討伐隊として集まった冒険者たちが初めて顔合わせをしたとき、俺への視線に好意的なものは少なかった。ある者は憐れみ、ある者は敵意をこめて俺を睨んできた。
面と向かって「場違いだ」と言われなかったのは、冒険者は自分の身を自分で守るという鉄則が染み付いているからだろう。貧弱な装備から、俺のことは新人だとみなわかっていても、親切に声をかけてやることなどしないのだ。盗賊に襲われて死ぬも、参加報酬の30,000ゴルドに目が眩んで参加するも、本人の自由である。
「場違いだ」「死ぬぞ」「頭割りの報酬が減る」「帰れ」
彼らの冷たい視線は、俺の立場をこれ以上ないほどにわからせるものだった。そもそも、ベテラン冒険者でもないのに盗賊団の討伐に参加すること自体が身の程知らずと言われても仕方がない。
だが、俺とて退けない理由はある。盗賊団ならともかく、今は味方であるはずの彼らに気おされていてはやっていけない。俺は胸を張り、敵意をこめた視線を受け止めて堂々としていた。それで、彼らも何も言わなかった。
がたごとと、馬車が揺れる。舗装されていない道は、少なからず尻に応えるものであったが、そんなことを言い出せる雰囲気ではないので俺は黙って座っていた。
(これなら、背嚢を持ってきて、尻に敷いておけば良かったか?)
討伐素材を入れるわけでもなかったため、身軽さを重視して、背嚢は置いてきたのである。低級回復薬の小瓶だけ、ベルトにくくりつけた革のポーチに三本、入れてあった。
いつ襲撃が来てもいいように、俺は左腰に吊った剣の柄を撫でながら、今日集まった討伐隊のメンバーに思いを馳せる。俺を含めて戦士が八名、狩人が五名、魔術師は二名である。
覆いのついた屋根に守られた御者が三人いるが、彼らは非戦闘員だ。三台の馬車は、二頭引きである。
戦士であれば、みな俺より拵えの立派な剣を持っていて、身につけているものも鎖鎧か、板金鎧である。それも金属の色からして、鉄製ではなく、鈍魔鋼の鎧だ。一人は見たことのない、黒光りする色の金属鎧をまとっていて、あれがダグラスの言っていた、魔鋼でできた鎧なのだろうか?
魔鋼の鎧は使い込まれて彼の放つ空気にしっくりと馴染んでいて、羽織ったマントの、細かな糸ほつれと布のくたびれ具合は歴戦の戦士じみて何とも頼もしい。肌を刺してくるような威圧感はなく、ただ佇んでいるだけなのに、彼の周りだけ、空気が落ち着いているような気がした。一際、風格が違っている。
もし盗賊団との乱戦になれば、彼に付いていこう、と俺は目星を付ける。恐らくは、戦士だけで見ても、そして恐らくは他の狩人や魔術師たちを含めても、一番の実力者は彼だ。場数の差なのか、最も落ち着いているのも彼だ。
彼はフルフェイス型の兜の面頬を上げていて、白いものの混じった立派な髭と、精悍と呼ぶにはやや頬のこけた、初老にさしかかった男の横顔が覗いている。
「俺に何か用か? 若いの」
じろじろと見ていたのに気づかれていたのか、彼が口を開いた。低くて渋い声だった。話しかけられるとは思っていなかったので、少し面食らう。
「すまん、気に障ったか。あんたに付いていけば死ぬことはなさそうだな、と」
「誰と一緒にいようが死ぬ時は死ぬ。わざわざ守ったりはせんぞ」
「勝手についていくさ。ケツをちょろちょろするのを許してくれればそれでいい」
ふん、と彼は鼻を一つ鳴らし、そのまま黙り込んだ。馬車には、再び静寂が訪れる。
馬車は、平坦な道を越え、小高い山と丘がいくつも連なった森林を進んでいく。
二台並んでしまえば馬車が通れないほどの広さしかない道の左右は、植物の根があちこちに飛び出ている、人の背丈ほどの小さな崖だ。崖の上は、もう森である。
開拓のために、木々を伐採してここに道を作ったのだろうか。森の緑と比べると、道は黒ずんだ土と砂、そして小岩だけだ。
切り開いてからそこそこの年月が経っているのか、崖から飛び出た根の回りには新たな雑草が力強く葉を広げている。
(俺も雑草みたいに、強くならにゃいかんな)
まだ幼い、わがままさが残ったエミリアの顔を思い出す。世の中金よ、と彼女は言った。その通りだ。金を作る力がないと、三人の子供は、守れない。




