第十話 成長
俺が森の中で目を覚ましたとき。
言い換えれば、俺がこの世界で暮らし始めてから、一ヶ月が経った。
初めて買った長剣は使い潰したので、ダグラスの勧めで新しい長剣を一本買った。毎日迷宮に潜り、毎日修理のために持ち込んだ長剣を、嫌な顔一つせずに修理し続けてくれたダグラスには、いくら感謝しても足りないほどである。
「気にするこっちゃねえよ。それだけ使い切ってくれりゃ作った方も満足だ」
人当たりの悪さで損をしているだけで、ダグラスは職人魂のかたまりのような男である。買った装備に対して真摯に接していれば心を開く、気持ちのいい男だった。
最初の長剣は、研ぎすぎて磨り減ってしまい、武器として用を為さなくなったので、ダグラスが引き取った。打ち直して包丁にでもするという。
新たな長剣は、ただの鉄製ではない。芯となるのは今まで通りの鉄だが、その芯鉄を覆うように鈍魔鋼で外刃を付けるのだ。
「師匠が得意としてる二層構造だ。芯にやわらかい鉄を使い、外っかわに硬い迷宮産の魔鋼を使うことで、衝撃への強さと切れ味を両立してる。芯にも魔鋼を使えばより重く鋭く作れるんだが、かなり高くついちまうからな。この二層構造はかかる費用を抑えて頑丈に作る、中々にいいやり方なんだ。本当は師匠みたく、打ち出した武器に魔力付与ができればいいんだが、あれは師匠にしかできねえからなあ」
「魔力付与?」
「魔法武器って奴だ。例えば、俺と同じ手順で同じ武器を作っても、師匠が作ると魔力を帯びるんだ。切れ味が増したり、壊れにくかったりする。暗黒龍時代の剣神クラッサスが、どんなに敵を倒しても切れ味が落ちない魔法の武器を使ってたっていう伝説があるが、恐らく師匠の剣みたいなものを、当時の英雄は使ってたんだろうな。どれだけ剣を打っても、そんな武器は一度たりとも俺は打てたことがない。というか、師匠以外の誰も打てないのさ。だから師匠は、鍛冶師の誰しもが尊敬する男なんだ」
「街で唯一、魔力武器を作れる職人か。奥さんの親父なんだっけ?」
「そうだな。苗字はない。ヴァンダイン、それが俺の師匠の名前だ。俺に言われちゃ終いだと思うが、中々に偏屈な人でな。気に入った冒険者にしか武器を打たないんだ。技術を教える分には気前良く何でも教えてくれるんだがな」
「意外だな。偏屈だって自覚あったんだな、ダグラス」
「うるせえ。職人ならこだわりの十や二十あって当たり前だ――開拓者って知ってるか?」
「あのおっさんなら、何度か遠目で見たことがあるよ。一番強い冒険者なんだろ? 半裸で迷宮に潜ってく姿を見て、なんだこいつはって驚いたもんだ」
「あいつぐらいにレベルが高くて強靭な肉体になると、戦う相手も規格外だからな。防具もすぐ壊れて役に立たないんだ。あいつが今よりは名前が売れてない頃に武器を打ったのがうちの師匠だ。すげえ武器だったぜ。ただの一本の剣に恐怖を覚えたのなんざ後にも先にもあれっきりだ。高すぎる壁だがな、あれを超えてえって思って、俺はずっと鍛冶を続けてるんだ」
「ほう。人に歴史あり、ってやつだな」
「茶化すんじゃねえよバカヤロウ」
この一ヶ月で、俺はじゅうぶんな手ごたえを感じていた。
迷宮の低階層の中でも、中階層との境目付近にあたる地下八階付近を主な狩場にしている。それ以降は恐狼の出現域になるので、俺では荷が重い。
大ムカデや豚人などが相手になることが多いが、一度だけ、ランク2に分類される魔角牛を狩ったこともある。例によって、弱小な個体が上の階層まで追われてきたものだ。
ランク2、中階層に分類される魔物からは、素材の値段がぐんと上がる。苦労して倒した魔角牛は、角はもちろん、肉から内臓まで高級食材とあってほとんど全身が売れるので、帰還の指輪を使って丸ごと持ち帰った。
帰還の指輪を改めて買う金額を抜いても、実に10,000ゴルドの利益だった。
といっても、ランク2からは危険性も跳ね上がる。知性を持つ魔物や、縄張りに罠を張る魔物も増える。魔角牛のような肉体派は、与しやすいかわりに能力が非常に高い。俺が倒せたのは、弱っていた個体だからだ。
それでも、一端の冒険者を名乗るなら、ランク2の魔物は避けて通れない道なのだ。そして、危険に釣り合うだけの見返りはじゅうぶんにある。今の目標は、ランク2の魔物を安定して狩れるようになることだった。
とはいえ、格上に好んで挑んでいるわけではない。安全を最優先にする潜り方は今でも変わっていない。
そんな、命の危険が少ない相手を選んで狩りをしている俺でも、最近は一日の冒険で、何とかその日を食いつなぐ収入が手に入るようになってきたところだ。
ダグラスの勧めで長剣を買ったことで、現金での預貯金がほぼ底をついた。
魔物から取れるこまごました魔石はすべて吸収したが、チェルージュからもらった1,000,000ゴルド分の魔石だけは換金せずに取ってある。できればこのまま使わずに置いておきたい。
新たな武器を握って迷宮に潜ったときには、使い慣れない武器を握るということで、いつもより安全重視で進んだ。いざ使ってみると剣の性能に何一つ不満はなかった。素晴らしく、斬れる。
食うや否やのカツカツではあるが、冒険一筋で日銭を稼いでいるという意味では、ようやく俺は、堂々と冒険者を名乗れるようになったのだと思っている。もちろん、少なからず嬉しかった。
血の紋章で確認すると、スキルも先月までとは比べ物にならないほど成長している。
【名前】ジル・パウエル
【年齢】16
【所属ギルド】なし
【犯罪歴】0件
【未済犯罪】0件
【レベル】292
【最大MP】9
【腕力】11
【敏捷】8
【精神】10
『戦闘術』
戦術(19.6)
斬術(14.6)
刺突術(14.8)
格闘術(3.2)
『探索術』
追跡(6.5)
気配探知(7.2)
『魔術』
魔法(12.3)
魔法貫通(4.2)
マナ回復(24.5)
魔法抵抗(1.2)
『耐性』
痛覚耐性(7.1)
魅了耐性(100.0)
『朱姫の加護』
一番の大きな進歩は、元が230だったレベルが292に増えたことだろう。
この世界のレベルとは、溜め込んだマナの総量を表す数値そのもののことであるから、別にレベルが高くなったから次のレベルに到達するまでがより大変になることなどない。常に同じ量のマナを吸収すればレベルが上がるのだから、少しずつ倒す敵が強くなっていくにつれ、加速度的に自分のレベルが上がるのも早くなるのが道理である。
初期は、一日に1レベル上がればいい方だったのだが、討伐する魔物が少しずつ強くなっていった結果、レベルの上がりも早くなってきて、今では一日に3レベル上がることも珍しくない。
どうやら10レベル上昇ごとに、腕力や精神などの基礎ステータスのどれかが1上がるらしく、冒険を始めた当初に比べると、かなり力が付き、俊敏に動けるようになったと思う。
戦術スキルや、武器の習熟度も上がってきたことも軽視できない。
攻撃を避けては当てようとしてかわされた、一ヶ月前の矮人との闘いと比べると雲泥の差だ。今では苦もなく矮人の攻撃を避けられるし、回避に専念した矮人の急所に長剣を叩き込むこともできる。
魔法スキルも地味に役立っている。
ほぼ失敗せずに火矢を撃てるようになったため、遠距離から先制の一撃を加えることができる上に、成功率は高くないものの小回復の魔法を使えるようになったため、回復薬の消費が減った。
マナは放っておけば回復するので、元手がかかる回復薬を使うよりマナを使って回復魔法を詠唱する方が安上がりなのである。
これらの、実力の上昇と、危険を極力回避して、安全に狩りができる相手を模索していった結果、矮人や豚人と、大ムカデといった、ランク1の後半に差し掛かったばかりの敵、迷宮の階層に換算すると地下7~8階あたりの魔物が今の俺の相手にちょうど良く、俺は主にその階層を巡回して狩りをしていた。
(うむっ)
俺は自信を持ち始めていた。事実、手ごたえはじゅうぶんにあるのである。
そして――自信が油断につながるということを、俺は知っていた。
ランク2に分類される魔角牛も、弱小個体とはいえ、一対一で討ち取ったことがある。万全の体制で戦ったのであれば、通常の個体ですら倒せるかもしれない。
中階層に出没する魔物の情報や、その得意な戦い方や危険性も熟知している。
(そこが落とし穴なんだろうな、きっと)
一見、簡単に倒せるように見える、はぐれの魔物といえど、近くに敵の魔物がいれば、戦闘の音で接近してきて、一気に状況がひっくり返ることなどよくあることだ。
そんな最悪の状況なんて、滅多にあることではない。魔物が二体以上、近くに固まっているなんてことは、そうないのだ。魔物は自分の縄張りを大事にする習性を持っているから、他の生物の縄張りには滅多に近づかない。
だから、魔物と戦闘になったときに、他の魔物が乱入してくることなんて、そうはない。
だが、確率を無視して考えたら、どうだろう?
とある魔物と戦闘になる。たまたま付近にいた魔物が合流してきて、俺に襲いかかる。不利だと見て、逃げようとした俺の退路をふさぐように別の魔物が現れる。
これで俺は死ぬ。
これは、決してありえないことではない。極めて薄い確率ではあるが、ありえることなのだ。
(99%勝てる戦いでも、逃げるべきです。百回に一度、死ぬのですから――)
何度も何度も思い返した、ディノ青年の忠告が、俺の頭には刻み込まれている。
これから俺は、何度、迷宮に潜って、魔物と戦うのだろう?今までだって、何百匹という魔物を倒してきた。これからその討伐数は、もっと増えるだろう。冒険者をやめる気など、俺にはないのだから。
ならば、何千匹、あるいは何万匹という魔物を、これから討伐することになる。
百回に一度負けるようでは、挑んではいけない。まさに金言である。目指すべきは、ノーリスクだ。ありとあらゆる危険性を排除していかなければ、いつか突発的な事故に遭う。だから俺は油断しない。自信は持っても、慢心はしない。
何があっても、命だけは失わずに対処できるように、安全域を多めに取って狩りをする。それが、俺が会得したスタイルであり、俺の冒険者としての型だった。




