少女の情報
リーシャは兵藤から渡された盾の会の名簿を見入っていた。その手が途中で止まり、目の前の刑事に視線を送った。
「気になった人物がいたら、このマジックインキでチェックを入れてくれ。ペンは尖っているから渡せないけど、マジックなら大丈夫だって許可はもらっている」
兵藤はリストの時と同じように、マジックをボックスに入れてリーシャへ送った。
リーシャがそれを使って手早くチェックを入れる。
「ありがとう。助かるよ、リーシャ」
「ふんっ」
リーシャは無愛想な態度で、リストを兵藤へ送りかえした。
兵藤が鋭い目でそれを見る。
「これが知っている人かい? 多いね」
「No. 既に死んでいる奴らなのデス」
「え?」
「しかも私はこの一年、ずっとここにいて外部の情報に触れていないのデス。つまり……」
「この人たちは一年以上も前に既に死んでいると?」
「yes」
「しかし警視庁がそれを把握していないなんて。ずっとマークしていた組織なのに……」
「そいつらが死んだ原因は海外での傭兵業、もしくは組織内での粛清なのデス。そういう死に方をすると、盾の会の外部には漏れにくいのデス。内部で処理を済ませてしまうから……」
「予想以上に閉鎖的で機密の多い組織だったんだね」
兵藤はゴクリと唾を飲み込んだ。
「ずいぶん古い情報を掴まされていたのデス。情報は常に変化している……古い情報に固執しているのは命取りなのデス。尾行していたヤツらが殺されたのも頷けるのデス。
そのリストは処分した方がいいのデス。警察が自ら手にした情報を疑いたくないのはわかるけど……」
「これで情報が得られると思ったら、むしろマイナスだったとはね……はぁ……。いや、古い情報に振り回される時間が減ったというだけでもよしとするか」
「……これからどうするのデス? 一時間半後に私は自由なのデス?」
「そうだね、背後にライフルのスコープが張り付いている自由だよ」
「……逃がすぐらいなら、いっそ殺してしまえ……なのデス?」
「……」
「……なるほど、お前がそのライフル越しにいるスナイパーということなのデス?」
「そういうことだね」
「悪くないのデス」
「僕は撃ちたくない」
「……」
「僕に子供を……君を、殺させないでほしい」
少しの沈黙の後、リーシャは溜息をついた。
「そういえば、タガミはそのリストにはなかったのデス?」
「え? タ……ガミ……?」
「仕方ないのデス。私も死ぬには若すぎるのデス」
「ちょっと待ってくれ。タガミ? 田上? それとも田神か? いや、このリストには無かったハズだ」
「それだけでも日本警察の情報網なら多くを得られるはずなのデス。これ以上は私も危険なのデス。例えコキュートスにいても……」
そこまで言うと、リーシャは少しだけ微笑んだ。
兵藤は笑って返した。
「まさか、君が手を貸してくれるとはね。ほとんど無理だと思っていたから……」
「釈放されても、事件が解決した途端に射殺されてはたまらないのデス。
私は安全で、仕事もせず、一年中ゴロゴロしながらマンガやライトノベルを読んでいても文句の言われない、ここの暮らしが気に入っているのデス。
盾の会に戻ったら、また危険な仕事を押し付けられて、こき使われるのが嫌なだけなのデス」
「……完全なニートだね。言っとくけど、ここは君の別荘じゃないよ。コキュートスの設備を維持するのも、君が一日三回きちんと食事をとれるのも、日本国民の血税あってのことだからね」
「……ふん。ただひとつ、耐えがたい不満があるのデス」
少女は右手の親指と人差し指を立てて銃をつくり、照準を優男の刑事に合わせた。
「Bang!」
そこへ看守が現れ、面会時間の終了を告げた。
「待て。まだ終わってねえ」
佐武が椅子から立ち上がるリーシャを止めた。兵藤が怪訝な顔をする。
「タガミってやつの潜伏場所は何処だ?」
「さあ? オマエらで調べればいいのデス。ただ、一年前も複数のアジトを移動していて、決まった場所にはいなかったのデス」
「ふざけるな。俺たちは真剣に人命のかかった捜査をしているんだ。小学生が喜ぶなぞなぞや推理小説のヒントをもらうためにきたんじゃねえ。
そのアジトの場所を全部吐け。ついでに盾の会の幹部で知っている奴らの名前もな!」
「そこまで警察に協力する義理などないのデス」
「こっちは捜査情報をほとんど言った。それで名前だけなんて割に合わねえだろ!」
「佐武、もういいだろう。面会時間もオーバーしてる」
兵藤が口を挟んだ。
「そもそもリーシャを相手に情報が引き出せるなんて普通はありえないんだ。それが、例え人名のみといえども教えてくれたのは、一年前の事件を悔いているからじゃないか。犠牲になった君の仲間に対して……。これが彼女の精一杯の償いの気持ちなんだよ」
「イツキ、やめるのデス。何を勘違いしているのデス。別に償うつもりなどないのデス」
そういうリーシャの頬には少し赤みがさしていた。
だが……
「別にお前に謝ってもらっても、何にもうれしくねえよ! 俺も、死んだ仲間もな!」
佐武は少女を睨みつけた。
「例えお前の情報で事件が解決しても、俺の仲間が生き返ることはないんだからな!」
言った直後、少女が見せた表情に佐武は凍りついた。
憎たらしいまでに生意気で横柄な、あのリーシャが悲壮に満ちた顔をしていたからだ。胸が締め付けられるほどに……。
佐武はそれ以上、何も言えなくなってしまった。
少女は黙って足早に面会室を出て行った。
「佐武、君は……」
兵藤が渋面をつくって、佐武を睨む。
佐武は横を向いて舌打ちした。それが面会室にやたら大きく響いた。
本編中に出てくる盾の会という政治活動組織は、アメリカのブラックウォーターのような民間傭兵派遣企業を経営しています。
主な仕事は、地政学リスクの高い外国で働く日本の民間企業を護衛するというものです。
資源の乏しい日本はその傭兵企業護衛の下、危険地帯からでも資源を輸入しているというわけです。
つまり日本の経済界に大きな影響をもたらしているため、国も迂闊に手を出せないという設定です。