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コキュートス  作者: 中遠竜
コキュートスからの脱獄
2/6

司法取引

 少し社会性の強い内容になっています。

 人によっては好き嫌いがわかれるかも……。

 浅く前かがみに座る兵藤に対して、リーシャは背もたれに体重を預け深く座っている。


「これはマスコミに発表していないし、公安部内や政府の閣僚も一握りの人間しか知らないことだから、君も決して他言しないでくれよ。例え刑務所の中だとしてもね」


 そう前置きしてから兵藤は説明を始めた。


「今から約五十時間前、CIA、ペンタゴン、FSB、MI5、BNDそして中華民国の国家安全中央情報局など、世界各国の情報機関のデータベースが一斉にクラッキングにあったんだ。日本の防衛省もだ。

 各国はすぐに調査に乗り出したよ。もちろん警視庁もね。

 だが捜査中……今日の昼前なんだけど、各国に潜入していた工作員や捜査官が潜伏場所でテロリストたちの強襲を受け、次々と殺されたんだ。工作員の潜伏場所や仕事内容は国防の最重要機密なのに、彼らは意図も容易く殺された。待ち伏せを受けていたケースさえある。

 僕たちはこのクラッキングをした人物が――もしくは集団が――テロリストにその情報を売ったのではないかという考えに至った」


 リーシャは黙ったままだったので、兵藤は続きを言った。


「クラッキングに使われたウィルスはずいぶん変わったものだったらしいよ。プログラムの数列式はDNAの二重螺旋構造をモデルにしていて、特殊なアルゴリズムが組まれていたんだ。それは一般企業はおろか、どの国の情報機関も使っていないものだったって。国際ハッカー集団のアノニマスやエマノンのものでもない。

 ただ演算処理のスピードは最新のスーパーコンピュータを悠々と越えた。しかも最初の演算からねずみ算式に連鎖反応を起こして、寄生したコンピューターの中で増殖し、最新鋭の並列コンピューターでもクラッキングに三十年はかかると言われる防衛省のファイアーウォールを、ものの三十秒で突破したらしい。

 警視庁のコンピューターも被害を受けてね、ネットワークOSのカーネルが完全にやられてたよ。今はネット配信を中止し、全てのOSの取り替えとデータの復旧作業でサイバーポリスが大わらわだよ。

 他にも、ホームページがつながらなくなったのはメンテナンスのためだとか、マスコミなんかへの対応もね」


「いい気味なのデス」

 リーシャがぽつりとつぶやいた。


「専門家が言うには、こいつの思考ルーチンはニューラルネットワークの究極到達地点なんだそうだ。ちなみにこのワームには“カスケード”って名前が付けられたよ」


「カスケード……?」


「コンピューター用語のカスケードじゃないんだ。生物学にも同じ言葉があってね、細菌の増殖とか、生物が刺激を受けたときに伝わるシグナル伝達トランスダクションの増幅作用もそう言うそうだよ」


「つまり……生き物のようだった。ということデス?」


「そう、プログラム自体が知性と意志を持っているみたいだったって話だ。おまけに発信源はたどれないし、エシュロンの情報監視にも引っかからなかったらしい。

 ひょっとしたら人間じゃなくて、何処かの研究施設から抜け出したAIがやっているんじゃないか、って言い出す人もいたよ」


「ふー……、そんなの、SF小説でもB級ネタなのデス」


「でも過去に、これとよく似たウィルスを使っていた組織がいたのを突き止めたんだ。そして、その組織内でナンバーワンの腕を誇ったハッカーが逮捕されると同時に、そのウィルスも世間から姿を消していった……。

 ちょうど一年前に……」


「それで盾の会と私が?」


 兵藤の沈黙が、リーシャの質問に是と答えていた。


「オマエ、寝ぼけているのデス? それとも日本警察は底抜けのアホなのデス?

 私は今、刑務所の中なのデス。パソコンはおろか、テレビやラジオや洗濯機などの家電製品すら触れられないというのに……。

 しかもそうさせた張本人は誰なのデス? いたいけな少女に手錠をかけて愉悦に浸ったことを忘れるとは、とんだヘンタイサド男なのデス」


「……君があらゆる情報端末とのアクセスを禁じられているのを忘れているわけじゃない。それに君がやったなんて一言も言ってないし、思ってもいない。

 だが君の作ったワームを使った可能性は高い。こんなプログラムを組めるのは世界広しといえど君しかいない。……と僕も思う。

 君は逮捕される直前に、自分の作ったプログラムは全てデリートしたと言っていたね。あの時、君が嘘をついていたとは思ってはいない。

 ならば……君に気づかれず、君のプログラムをコピーすることの出来る人物がいなかったのかどうか探るのが、妥当だろう」


「むふー……そこまでわかっているのなら、私に訊きに来る必要などないのデス。あとは盾の会を徹底的に捜査すればいいだけなのデス」


「既にしているよ。けど、一筋縄じゃいかなないんだ。君に説明する必要もないだろうが、盾の会は巨大な組織だ。しかも内部では色々な派閥が存在している。

 今回はその中でも相当過激なグループが単独でやっているみたいなんだけど……」


 兵藤は持っていたクリアファイルから、数十枚のA4用紙を取り出した。


「盾の会の主要構成員やプログラマー、関係がありそうなハッカーのリストだ。一年前、君が捕まるまで所属していた者も含めた。ただ、こう数が多いと被疑者を絞り込むのも難しくてね」


「内部の捜査もかなり済んでいる……では、そのうち目ぼしいのが出てくるのデス。何せ叩けばいくらでもホコリの出てくる奴ら……」

 そこでリーシャは何かを察したようだった。

「すでに主犯格らしき人物は特定してる……のデス?」


 兵藤は満足そうに頷いた。

「盾の会の、小林 勲男いさおと言う男を知っているかい?」


「……名前だけは……」


「盾の会・広報部門の主任で、ネットワークシステムにも詳しい男だ。カスケードが盾の会と関わりあるとわかった時点で、怪しいと思われる構成員を何人かマークしたんだけど、この小林だけ……」


「……行方が分からなくなった」


「そう。昨日の夜、小林をマークしていた公安の捜査官二人と連絡が取れなくなったんだ。同時に警視庁のネットワークシステムがカスケードのクラッキングにあったよ。

 そして捜査官の一人がさっき、多摩川で水死体になって発見された。もう一人は現在も行方不明だ。こういった状況から鑑みて、公安は小林が一番疑わしいと考えている」


「……あのバカ、大失態なのデス……」

 リーシャが呟いた。


「ん? 何だって?」


「何でもないのデス。それで? 続きを」


「……恐らく、クラッキングも捜査官を殺したのも警告だろう。こうなると迂闊うかつに手を出せない。

 警視庁のファイアーウォールでも、カスケードにとっては障子紙並みの脆弱さだ。

 さらに、一年前のブラッディウィーク事件で、盾の会相手に多数の警官が殉職している。僕たちも慎重にならざるを得ない。下手に動き回って反撃されたらたまらないからね」


「……なるほど」


「小林に正面から当たるのはナンセンスだ。奴を追いつめるのに、僕らは情報が少なすぎる。今のまま捜査を続けていたら、いたずらに新たな犠牲者を増やすことになりかねない。だから周りの関係者から当たることにした。

 このリストから、小林と関係があって、ネットワークシステムに通じていて、尚且つ君のワームを盗みとれる人物がいないか見てくれないか? できれば潜伏先も教えてくれるとありがたいかな」


「たかがネズミ一匹に、ずいぶんと念の入れようなのデス……」

 リーシャは嘆息した。


 兵藤は、盾の会の構成員名の書かれたリストを、受け渡し用のボックスに入れ、リーシャのいる壁に向かって押した。ボックスがリーシャの手元に来る。


 だが少女はそれを見ようとしない。じっと探るように兵藤を見つめていた。


「どうしたの? 協力してくれるじゃないのかい?」


「話しを聞いてやると言ったのデス。オマエは、まだ全てを話し終えてないのデス。それでは協力するかどうか、判断できないのデス」


「全てを話し終えてない? いいや、これで全部だよ。事件の経緯は今話したので全てだ」


「No! オマエは一番重要なことを隠しているのデス」


「一番重要なこと?」

 兵藤は首を傾げた。


 するとリーシャは小型犬のように「うー」と小さく唸った。

「あくまでシラを切るのデス? やっぱりオマエたちのような、男二人で仲良くしているホモセクシャルどもには、何も話さないことに決めたのデス。捜査協力は断るのデス」


「何だと、どういうことだクソジャリ」

 佐武がいきり立つ。


 兵藤がすぐに手で制した。

「ふーん、どうして僕が君に隠し事をしてるなんて言えるのかな? 証拠でもあるのかい?」


 兵藤の澄まし顔に、リーシャは苛立った口調になった。


「オマエは、事件の発生から現在の捜査状況まで順を追い、実にわかりやすく丁寧に教えてくれたのデス。話しの内容や捜査手順にも矛盾点は見当たらない。私に捜査協力を頼みに来た理由も、最もと言えるものなのデス。

 ……と、凡人なら思うのデス。しかし、私はごまかせないのデス。

 オマエは無差別テロにしろ、特定の政治家を狙った暗殺にしろ、新聞の三面にしか載らないような街角の殺人にしろ、捜査をする上で最も重要なファクターを隠して説明したのデス」


「……最も重要なファクター?」


「そう、それは……」


「それは……?」




「……動機!」


兵藤の眉間がピクリと動いた。


「犯人は何故こんなことをしたのデス?

 盾の会は愉快犯ではないのデス。テロリストというのは、どこの国でも民族でも、一様に思想を持っているものなのデス。これほどの世界を巻き込んだサイバーテロをするからには、それなりの理由と目的があるはずなのデス。

 では何のためにこんなことをしたのか? ただ世界各地の戦火を広げるため? なるほど、奴らの下部組織には、傭兵会社もあるのデス。紛争が激化すれば、会社は儲かるのデス。しかし、地域紛争に参加しているのは、兵隊を実戦で育てるのと活動資金を稼ぐ為であって、究極の目的ではないのデス。

 そのためにアメリカを初め、世界中を敵に回すバカでないのは、私がよく知っているのデス。逆に自分たちが潰されると、奴らもわかっているのデス。今までそんなことはしなかったし、これからもするはずはないのデス。

 奴らの最終目的は、日本国憲法九条の改定と自衛隊の国軍化、ならびに核保有なのデス」


 リーシャはそこまで一気に言い放った。


「日本政府に政治的な要求や、犯行声明はなかったのデス? 無いのなら、盾の会は無関係であって、小林をマークする必要はないのデス。

 ……いや、盾の会であれ、別に犯人がいるのであれ、意図して私に話さなかったということは、何かあるのデス」


「……犯人の動機は不明だよ……」

 兵藤に動揺した様子はなく、ポーカーフェイスもまったく崩さない。


「嘘なのデス。だったら先にそういうのデス。触れようともしなかったのは、私に話したらマズいことがあるのデス」


 リーシャはじっと兵藤を見つめた。ややあってから、兵藤は諦めたようにため息をついた。


「……わかった、話すよ」


「兵藤、待て、それは……」


 佐武が止めようとした。でも兵藤は既に諦めていた。


「こうなっては仕方ないだろう、佐武。全部話して、僕たちに協力するかどうか決めてもらうしかない。

それと、リーシャは元テロリストってだけじゃなくて、名うてのハッカーだ。だから情報がどれだけ重要で危険かちゃんとわかってる。無暗に他人に話したりすることもないよ」


「どうなっても知らんぞ……」

 佐武は舌打ちした。


「リーシャ、これから話すことは、捜査をしている公安部の中でも、さらに一握りの人間しか知らないことだ」


「その前置きはもういらないのデス。では、犯行声明が?」


 兵藤は頷いた。

「世界各地のエージェントが殺された直後だから、今日の正午前だ。盾の会だとは名乗らなかったけど、首相官邸にサイバーテロを起こしたのは自分だという電話があったよ。それも災害時の非常回線に割り込んでね。やけにテンションの高い女性だったって話だよ」


「女……。む~ん……で、要求は?」


「現在、世界各国の刑務所にいる盾の会・元構成員の中で、ある五人を解放しろって……。外務省の関係筋からの話しだと、他にも囚人の解放を要請されている国があるそうだ」


 そこまでの内容で、リーシャは全て悟ったようだ。少しだけ引きつった笑みを口元に浮かべた。

「その五人の中に私も含まれているのデス?」


「……」


「なるほど、確かにそれは私に教えたくない内容なのデス。黙っていれば私は釈放される。普通は捜査協力などしないのデス。ちなみにこの国のトップの判断は?」


「……首相は……すぐに結論は出せないって、返答期限を延ばしてもらっている」


「この国の政治家がよくやる、事なかれ主義の常套手段なのデス。そうして時間を引き延ばししている間に、犯人を逮捕する……のデス?」


「そういうこと」


「次に返答するのはいつなのデス?」


「……今日の午後六時」


「あと一時間半……。Noと言ったら、また機密情報を流すと?」


「いいや。機密情報をテロリストたちに流したのは、本気だとわかってもらうためのデモンストレーションにすぎないそうだよ。

 本番では……空港の管制塔をクラッキングして、9.11よろしく、旅客機をビルに突っ込ませるってさ。

 さらに国際線、国内線を含め、今後旅客機の離陸時間や空路を急に変えたら、今飛んでいる旅客機を落とすそうだ」


「飛行機テロとはまた古典的な。しかし効果は高いのデス」


「少し話しすぎじゃねえか、兵藤」

 佐武が口を挟んだ。


「仕方ないだろう。今までのやり取りわかっただろう、この子に隠し事や嘘は時間の無駄だ」



 一方、リーシャは少し呆れ顔だった。

「オマエ、もう午後四時半なのデス。万が一、私が情報を与えることがあっても、時間内に解決するのはほぼ不可能なのデス。どうしてもっと早く来なかったのデス?」


「僕は盾の会の犯行とわかった時点で、君に協力を頼もうと提案したよ。

 でも上司や周りが許さなかったんだ。彼みたいなのが多くて……」


 兵藤は目配せして、佐武を示した。そして小声で言った。


「彼は一年前の事件で、君を捕まえるとき、SATの突入チームを指揮していたんだ。君も知っての通り、そのチームからは殉職者が出ている。君を仲間の仇だと思っているんだ。同じように、警視庁の中には、君のことを快く思っていない人が多くてね……」


「それで私に頼るのを嫌がって、ここまで事態を悪化させたのデス?」


「笑えばいいさ。だがどんなに笑われても、手ぶらでは帰れないんだ。頼れるのは君しかい、頼む……」

 兵藤が頭を下げた。


 リーシャは黙って少しの間、佐武の顔を見た。そして口を開いた。


「……去年、私が捕まった二ヶ月後……青山に、新しいジェラート専門店が出来たはずなのデス」


 一瞬、少女が何を言っているのかわからない刑事二人だったが、すぐに兵藤は理解した。


「明日持ってくる。約束する!」

 声のトーンが一オクターブ跳ね上がっていた。


「海の底で食べても味気ないのデス。おひさまの下、デートで映画を見て、ブティックへ寄って、その帰りに食べるところに付加価値があるのデス。ムードは必要不可欠な調味料なのデス」


「うーん……時間はかかるが、半日くらいの外出許可なら、僕の警察官人生をかけて交渉してみよう。もちろん厳重な護衛付きだけど」


「おい、兵藤……」


「半年前にPS5が発売されたはずなのデス」


「百サイズの液晶テレビとゲームソフトも十タイトルつけよう」


「対戦相手がいないとつまらないのデス」


「僕でよければ」


「今度嘘ついたら……殺す……のデス」


「この命でよかったら、差し上げよう」


そこでリーシャはようやくボックスの中にあるリストの紙を手に取った。

 現在の日本では、正義の切り売りはしないという方針から、司法取引は行われておりません。

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