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fairy tale  作者: トウリン
シュウケツの時
29/35

 コンコン、とノックの音。

 まただ――また来た。

 わたしがうんともすんとも言わないのに、ノックの主は全然めげない。

 随分長いこと、ノックを続けていた。

 ……声だけでも、聞いてみようかな。

 ドアを開けなければ、安全だもの。この中は、絶対安全。

 どうしようかな……でも、やっぱり怖いな。

 そう迷っているうちに、ノックは聞こえなくなった。

 誰なのか知りたい気もするし、知りたくない気もする。

 次にまた来たら、声だけは聞いてみようかな。

 声だけなら――それなら、大丈夫だよね。

 そう決めたわたしは、ゆるゆると心地良い眠りに落ちていった。


   *


 『彼女』にアクセスを試みて二日が経ったが、彼女は反応する様子を見せない。あの仮想コテージの中に、誰かの気配は感じる。しかし、ジッと警戒する小動物のように、物音一つ立てずに息を潜めているのだ。

 もう、二日を費やし、タイムリミットは明日に迫っていた。

 悠一郎ゆういちろうの中には焦る気持ちが充満していたが、少女二人が力を尽くしてくれていることは判っているので、これ以上の無理を強いることはできなかった。

 微かな手ごたえは感じている。何となく、扉のすぐ向こうに誰かがいるような気配を感じたり、窓を分厚く覆うカーテンがわずかに揺らいだりしたような気はしたのだ。

 だが、「アヤ」と呼びかけてみても答えはなく、コテージは静まり返ったままだった。

 両手を握り締めた悠一郎に、恵菜えなが珍しく気遣うような色を含んだ声を掛ける。

「たぶん、聞こえてると思うんだけど……やっぱり、彼女自身が接触を拒んでるのかな。こういう場合、彼女の深層心理を反映することが多いから、人の声じゃなくて何かの物音くらいにしか感じていないのかも。人を拒んでいるから、人の声として――人の呼びかけとして認識していない、とか」

 彼女の説明を耳から耳に聞き流しながら、悠一郎は、きっと驕っていたのだと自嘲する。自分の声が届いたなら、彼女はきっと応えてくれる筈だ、と思っていたが、アヤにとって彼はそんなにたいした存在ではなかったのだ。

 あるいは――と、悠一郎はもう一つの可能性も考える。

 あるいは、アヤは目覚めたくないのではないだろうか。両親を失い、拠り所を失った現実に帰ってくるよりは、このまま夢の中にいることを望んでいるのだろうか。

 そう考えた時、恵菜がまさにそれと同じことを言葉にした。

「起こされたくないのかな。その人、このままでいた方がいいって、思ってるのかな。だったら、そっとしといた方がいいのかな」

 ポツリと呟かれた台詞は、悠一郎の胸をえぐる。

 もしもアヤがそれを望むのであれば、彼はこれ以上何もできない。

 だが、唇を噛み締めた悠一郎の耳に届いたのは、呆れたような真也しんやの声だった。

「はあ? 何言ってんの?」

「え?」

 声をあげた恵菜と同様に、悠一郎も真也を見つめた。彼は「そんな当たり前のことも判らないのか」といわんばかりの顔をしていた。

「あのさぁ、そんなんいいわけないじゃんか。だいたい、男ってのは、その手で大事な女を幸せにして何ぼだろ? 『彼女が望んでいるからぁ』とかいうのはな、逃げだよ、逃げ。女に責任押し付けてんの。惚れた女がいるなら、彼女の幸せのために身を引く、じゃなくて、俺だったら彼女を幸せにできる! って胸を張るもんだよ」

 真也のその台詞は、まさに悠一郎を示していた。言葉の一つ一つが彼の胸に突き刺さる。無言の悠一郎のことをどう受け止めたのかは判らないが、真也は目顔で彼の気持ちを訊いてくる。まるで、悠一郎の中の迷いを見透かしたかのように。

 悠一郎は、眼瞼を閉じてこれまでを振り返る。自分の中に、どこか諦めや疑いのようなものはなかっただろうか。何があっても彼女を受け止める、という気概が欠けてはいなかっただろうか。

 拳を握り込んで、その力を確かめる。十年かけて、肉体の強さは手に入れてきたけれど、反面、心の強さは手放してしまっていたのかもしれない。

「そう、だな」

 呟いた悠一郎に、真也が眉を片方持ち上げた。その仕草で先を促され、彼は続ける。

「自分は――オレは、彼女を取り戻したい。オレが彼女の笑っているところを見たいんだ。彼女の両親の分まで、オレの手で彼女を笑わせてやったらいいんだよな」

 徐々に力を増していく悠一郎の声に、真也がニッと笑みを浮かべる。その顔に、もしも弱音を吐いていたら頬の一つや二つは張られていたかも、いや、完膚なきまでに叩きのめされていたかもしれない、と悠一郎は思う。数分前の自分を前にしたら、彼自身がそうしていたに違いないから。

「よし。まあ、あと一日あるんだ。明日に期待しようぜ」

 相も変わらず楽観的な真也の口調に、思いつめている自分が愚かに思えてくる。悠一郎は、改めて気を引き締めると、姿勢を正した。

「そろそろ、作戦を立てておかないか?」

「作戦?」

 真也が「何その言葉?」と言わんばかりの顔をする。悠一郎は、何の計画もなくことを進めるつもりだったのだろうかを思いかけ、まさかそんなことはあるまいと胸中でかぶりを振った。だが、続く真也の台詞で、それが『まさか』ではないことを知らされる。

「そんなん、出たとこ勝負に決まってるだろ? 計画なんざ立てても、それどおりになんて進まないって」

「しかし、独りでの潜入だけならまだしも、複数での行動には多少の道筋が必要だ」

「大丈夫、大丈夫。何とかなるって」

「だが……」

「出たとこ勝負が一番なんだよ。臨機応変って言うだろ?」

 ヘラッと笑った真也が軽く受け流す。この男は、時に鋭い洞察力をほのめかせて見せるのに、たいていは浅薄な考え方をする。楽観的と言えば言葉がいいのかもしれないが、それよりも浅慮といった方が適していると、悠一郎は思った。

 呆れた顔を隠そうとする彼だったが、きっと、表に出ていたに違いない。

 もう一度真也を説得しようとした、その時。それまで黙って彼の隣に座っていた珂月かづきが右手を上げたかと思うと、手首のスナップを利かせて真也の後頭部をひっぱたいた。

 スパン、といい音が響く。

「イテッ!」

「聞こえのいい言葉で飾ろうが、お前のはちゃらんぽらんなだけだ。今回はいつもと違うだろ? 私たちだけではないんだから、ちゃんと他の者の意見も聞け」

「痛ぇなぁ、おい。ちょ、待てって! 解ったよ、聞くって!」

 二発目――今度は拳骨――を食らわそうとした珂月を、両手のひらを上げてブロックすると、真也が慌ててそう言った。そして、居住まいを正して悠一郎に向き直る。

「で?」

「で、偵察は、予定通り、明後日にあなたと恵菜、愛璃あいりに行ってもらうのでいいと思う。向こうに着いたら、君だけで行動するんだろう?」

「そうだな。お子様二人には隠れておいてもらうよ。その方が、俺も動き易い」

「問題はその後だ。偵察に行ったことが相手に知られなければいいのだが、何しろ、常識では計り知れない力の持ち主がいるわけだから……相手に感づかれることを前提に考えた方がいい。となると、速やかに行動する必要があるだろう?」

「ま、確かにな」

 流石に正論だと思ったのか、真也も素直に頷いた。

「いっそのこと、そのまま突入ってのはどうだ?」

「それも一理あるが……できたら、先に少女たちを戦闘不能にできないだろうか。眠らせてしまうとか」

 伝え聞く『所長』の様子だと、事態が手に負えなくなれば、きっと少女たちを戦闘に駆り出すに違いない。それは、できれば避けたいところだ。

「やっぱり、それだよなぁ。となると、中の様子を知りたいとこなんだけどよ……やくざの事務所に突っ込む方が、遥かに楽だな、こりゃ」

 警備の男たちなど、出会った傍から殴り倒していけばいい。だが、少女が相手ではそうもいかない。真也はそうボヤいて頭の後ろで両腕を組むと、天井を仰ぎ見た。

「……あたしたち、たぶん、寝ちゃったら何もわからないよ?」

 口を挟んだ恵菜に、真也がムクリと身体を起こす。

「そうなのか?」

「当たり前でしょ? あたしたちにとっちゃ、目や耳みたいなものなのよ? そりゃ、よっぽど大きな『音』を立てられたらそれで起きちゃうけど、普通の生活レベルで聞こえる程度じゃ、いちいち反応してられないわ」

「となると、『お子様はお休み中』に行きゃ、なんとかなるのか」

 呟きながら、真也が懐に手を潜らせた。そこから取り出したのは禁煙パイプで、悠一郎はそれが彼に妙に似合っていることにそっと笑みを漏らす。真也の部屋の壁の色調などを見れば、彼がヘビースモーカーだったことは容易に知れる。いったい、いつから禁煙していることやら。そのきっかけを推察するのに、頭を働かせる必要はなかった。

 くわえたパイプを噛むようにして、真也はなにやら考え込んでいる。と、不意に身を乗り出した。

「よし、じゃあ、明日の夜中に行こう。で、俺が中を見てくるわ」

「中?」

 怪訝な顔で声をあげたのは、愛璃だ。

「ああ。お前って、物をどこかに跳ばしたり引き寄せたりできるじゃんか、ほら、『物体転送』ってやつ。それを俺にやってくれよ。それなら、監視カメラがないところに送れるんじゃないのか?」

「でも、人でやったことない」

「ああ? やればできるって。何事も『最初』はあるもんだ」

「……わかった」

 信頼されていると言うべきなのか、それとも真也が能天気すぎるのか、それを見極めきれない愛璃は複雑な顔をしながらも頷いた。

「で、女の子達がどんな状況に置かれてるのかを確認して、一回撤収。部屋の状況やら人数やらに応じて、そうだな……催眠ガスでも使うか。俺と悠一郎を先に跳ばしてもらって、手分けしてガスを放り込んでいく。彼女たちが動かなければ、どうとでもなる。遠慮なく、一気にやろうか。基本、男は殺さなきゃ何でもあり」

 真也がグルリと一同を見回す。誰からも異議は出なかった

「じゃ、次。二手に分かれようか。悠一郎、恵菜、深青みお、愛璃はアヤさんを捜しにいく。俺と珂月は、こいつの妹の捜索と、そのついでにデータやらシステムやらを破壊していくよ」

「二人だけでいいの?」

 深青が心配そうな顔で訊いた。悠一郎としても、人数的なアンバランスが気になるところだ。彼女たちは年端も行かない少女とは言え、場合によっては、その力は大の大人よりも優れた戦闘能力を発揮するだろう。真也と珂月の方が、随分手薄になる。

 だが、真也はニヤッと笑って平然と返した。

「俺たちは大丈夫。いつもこいつとやってきてるからな。お前たちはそっちを手伝ってやってくれ。深青は愛璃が暴走しないようによく見張っとけよ? で、そうだな……グループ間のやり取りは、無線を使うか。用意するよ。お互いの目標をクリアしたら、撤収だ。細かいところは、それこそ臨機応変ってやつで」

 かなり大雑把ではあるが、こんなものだろう。あまり細かく設定しても、ハプニングはつき物だ。

「オレはそれでいいと思う」

 声に出して賛同したのは悠一郎だけで、珂月は肩をすくめただけだった。恐らく、相棒のやり方に慣れているのだろう。少女三人は頷きを返した。

 あとは、アヤが悠一郎に応えてくれればいいのだが。


   *


 夜遅く、珂月は真也のもとを訪れていた。

「やっぱり来たか」

 玄関のドアを開けて彼女の姿を認めた真也は、苦笑混じりにそう言った。

「入るぞ」

 珂月は真也を押し退けるようにして玄関に入り、そのままリビングへと向かう。鍵を閉めてから真也が後を追うと、彼女はリビングの真ん中で腕組みをして立っていた。

「座れば?」

「……」

 珂月は応えない。真也は肩をすくめると、自分だけソファに腰を下ろした。

「で? まあ、何を言いたいのかはだいたい判ってるつもりだけど」

 いつもと変わらぬ、飄々とした風情。だが、その腹の中には『怪物』を飼っているのだ。

 問われた後も、しばしの間はジッと彼を見つめていた珂月だったが、やがて口を開く。

「お前、殺る気だろう?」

「……単刀直入だなぁ」

「ごまかすな!」

 否定も肯定も返さない真也を、珂月は睨み付ける。

 少女たちと行動を共にしない理由の一番大きなものは、きっと、『ソレ』だ。

 珂月が真也と行動を共にするようになって、七年。その間、多くの依頼をこなしてきた。それらのうちで、彼女が疑問を抱いた結果が、いくつかある――『対象』が姿を消したり、命を落としたり。これまで、決定的な場面は目にしたことがない。おそらく、今回も途中で単独行動をするつもりだったのだろう。あるいは、『偵察』の時に「あわよくば」と思っていたのかもしれない。

 いずれにせよ、真也が『何か』をしようと企んでいることは明らかだった。

 ヒタと珂月が睨み据える中、真也は小さく溜息をついた。見上げ続けるのに疲れたのか、ヤレヤレという風情で立ち上がる。

「あのな、俺はあの子たちを護る。その為に一番いい手を打つ。それだけだ」

「けどな――」

「このまま、こそこそと隠れながらの生活をさせるのか? あの子たちが大手を振って好きなことをできるようになるには、大元を叩かなくちゃならん。その大元は、『所長』だろう」

 普段の軽薄な口調ではなく、物静かな、冷淡ささえ感じさせる声音に、珂月は唇を噛む。この声を出す時の真也は、妥協を赦さない。それは、徹底的にやる気になった証拠なのだ。

「おそらく、急先鋒は『所長』だ。他の者はそれほどの『根性』はないだろう。後は、烏合の衆――頭を潰せば、なし崩しになる。研究は続くかもしれないが、たいしたことはできなくなる筈だ」

「でも、だからと言って、殺すのは……」

「止めてくださいと言って止めると思うか? 俺は、そうは思わん」

 珂月も、そうは思えない。きっと、その男が生きている限り、同じことが続くのだろう。いや、エスカレートしていくのかもしれない。

 唇を噛んだ珂月に、ふと目を和らげて、真也が小さく笑う。

「お前の妹を奪って、お前の両親を殺したかも知れない相手だぞ?」

「それは、そうかもしれないけど……でも……」

 目の前で奪われたなら、殺されたなら、きっと、この手で殺したくなるほどの増悪を抱くだろう。だが、それらはどちらも彼女の知らないところで行われており、それゆえに、自分をコントロールできなくなるほどの強い感情を持つまでには至っていないのだ。

 珂月の中にあるのは、奪ったものを殺したいという気持ちではなく、ただ、奪われたものを取り返したいという気持ちだけだった。

 拳を握り締める珂月の頬に、真也の手が触れる。俯いていた顔を上げると、穏やかな彼の眼差しと、惑う自分のそれが交差する。

「お前は、それでいいんだよ。俺は俺の倫理に基づいて行動する。俺にとっての第一義は、これから取り戻すお前の妹も含めて、あの子たちが平和に暮らせるようになるにはどうしたらいいかってことだ。だが、これが正義だとは、これっぽっちも思っちゃいない。正義なんて、どこにもない。だから、『俺の』倫理だ」

 そう言って、真也は触れていた手で、宥めるようにヒタヒタと彼女の頬を叩く。

「お前はお前の倫理で動けばいい。ヤツを殺すのが嫌だと言うなら、邪魔をしたらいいさ。俺は、全力で遂行するけどな」

 やれるものならやってみな、と、まるで気軽なゲームを吹っかけるような口調で、真也が笑う。

 珂月の中にあるのも、深青や愛璃――そしてもちろん妹が、幸せに暮らせるようにしてやりたいという気持ちだ。だが、彼女には、その為に人の命を奪えるほどの覚悟はない。

 揺らいだ彼女の眼差しに何を思ったのか、真也の笑みは苦笑に変わった。

「いいんだよ、お前はそれで」

 呆れたような、どこか愛おしむような色を含んだ声で、先ほどの言葉を、もう一度繰り返す。そして、ガラリといつもの口調に戻った。

「だいたいな、俺もお前も暴走してたら、ただの危ないヤツらだろ? お前は堅物なくらいの方がいいんだって。さ、もう寝ろよ」

 言いながら彼は珂月の身体をくるりと回すと、背中をトンと小突く。決して強い力ではなかったが、彼女はふらりと一歩を踏み出した。

「じゃあな、おやすみ。ちゃんと眠れよ」

 その台詞に押されるようにして、彼女は真也の部屋を後にする。

 俯きがちに自室に戻りながら、自問する。

 己の中の倫理観と、少女たちを想う気持ち。

 その天秤が、どちらに傾くのか。

 その答えは、まだ、珂月の中に育ってはいなかった。

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