Ⅴ
悠一郎は、突然目の前に現われた2人の少女に目を見張った。数日前に、長野の山奥で遭遇したのと同じ2人だ。
黒髪の少女が栗色の髪の少女に何か言っている。
栗色の少女は黒髪に二言三言返していたが、さらに強い口調で言い返され、少し困ったような顔をしながら、消えていった。
彼女の姿が完全に消え去るのを待って、ツンと顎を上げた黒髪の少女が悠一郎のほうへ歩いてくる。
「悠一郎、だよね?」
「あ、ああ……」
自分の年の半分もいかないような子どもに呼び捨てにされ、悠一郎は面食らう。そんな彼に構わず、少女は続けた。
「ねえ、『アヤ』って子、死んでたらどうするの?」
「……は?」
「だから、『アヤ』って子、もう死んでるかもしれないでしょ? そうしたら、どうするの?」
いったい、何を意図しているのか解からない質問だった。この少女は、恐らく『敵』側の者なのだ。目的は、何なのだろうか。
そう思いながらも、悠一郎は律儀に考える。
アヤが、死んでいる……?
有り得ない。いや、認めない。
悠一郎が信じている限り、アヤはどこかで生きているのだ。裏を返せば、彼が信じるのを止めた時点で、悠一郎の中の彼女の存在は消え失せる。
「あの子はいるよ。俺は、彼女を捜す。絶対に諦めない」
「あたしたちは長くは生きない。たぶん、大人にはなれない。それでも、生きてるって信じるの?」
『あたしたち』とはどういう意味だろうと考え、すぐに、思い当たった。
恐らく、『特殊な力を持った者たち』だ。
この少女の言葉は、どこまで真実なのだろうか。その真贋を確かめる術は、実際にアヤの消息を明らかにすることしかない。だから、結局、悠一郎は彼女を捜すことになるのだ。
「俺は捜す。自分の目で彼女がいないことを確かめたら、諦める」
「存在しないことを確かめるって、無理なことじゃないの? オバケと一緒じゃない」
「そうかもな」
苦笑交じりの悠一郎の返事に、彼女は軽く首をかしげて考え込んだ。そして、一つ頷くと、顔を上げる。
「あたし、恵菜。決めたわ。あんたと一緒に行く」
「……はあ?」
唐突な話運びに、悠一郎は思わず気の抜けた声を出してしまう。だが、彼女は全く媚びる気配も見せず、至極当然、という口調で言い放った。
「だって、あたし、独りじゃ生きていけないもの。こんな子どもなんだから、当たり前でしょ? だから、あたしの面倒みてよ。その代わり、あんたが彼女を捜す手伝いするから。何も知らないあんたが独りで捜すよりかは、ずっとマシでしょ。あたしもそのアヤって子は知らないけれど、最初にあんたを迎えに行った時、所長は『綾子』って名前を言ってた。それが『アヤ』なんじゃないの?」
突拍子もない申し出だ。こんな子どもにどんな手伝いができるというのか。
常識的に考えれば、そう答えるだろう。
だが、悠一郎は、すでに常識とはかけ離れた状況の中に身を置いているのだ。今更常識を云々するのは、意味のないことだろう。であれば、わらにも縋る思いでこの少女の持つ情報に一縷の望みをかけるのも、ありかもしれない。
「……わかった。一緒に行こう」
彼の返事で、少女は当たり前、という顔を見せるのかと思った。だが、その予想を裏切り、彼女はホッと頬を緩める。その強気の態度の陰には、意外に気弱な少女が隠れているのかもしれない。
男所帯で十年過ごし、このくらいの少女と過ごすのは、アヤ以来だ。
色々面倒なことも多そうだ、と悠一郎は内心で溜息をつく。そんな彼の悩みなど気にも留めず、彼女はスッと小さなナイフを差し出した。
「何だ?」
「あのさ、あたしのここら辺に――と、肩の辺りを指し――、なんかが埋まってると思うんだ。それを取ってよ」
「何かって……」
「たぶん、発信器。外に『仕事』に行った時、あたしを迎えに行くのに便利だからって言われて、鵜呑みにしてた――バカだよね。所長は、最初からこういう時のためにやったんだ」
「そんな、こと」
「やるわよ、あの人なら。ほら、早く! さっさとしないと、誰かが来ちゃう」
そう言いながら、彼女は肩をはだける。その傷一つない肌に、悠一郎はそっと触れ、辿る。スッと滑らせた指先に、微かな違和感があった。
「麻酔とか、した方がいいだろう」
「そんな暇ないんだって。所長に気付かれたら、すぐに追いかけてきちゃうの! あそこには、それができる子達がいるんだから。さっさとやって!」
急かされ、悠一郎は観念する。できるだけ傷が小さくて済むように心がけた。刃先が皮膚に埋まった瞬間、彼女の肩がビクリと震える。だが、切り裂いたからには、先に進まなければならない。注意深くナイフを繰り、異物を取り出す。幸いにしてそれは浅い位置に埋められており、さほどの出血はなく摘出できた。ハンカチを当てて、強く抑えて置くように恵菜に指示する。
出てきたのは、小豆ほどの大きさの装置だ。悠一郎はそれを大きめな石の上に置いて、踵で踏みにじる。
「ああ、清々した!」
そう言った恵菜だったが、どこか寂しそうに見えたのは、気のせいなのだろうか。彼女の表情を窺う悠一郎に、彼女は晴れやかな顔で言う。
「じゃあ、まずは『仲間』を捜さないとね!」
「『仲間』?」
「そう。あっちは、そうは思ってないかもしれないけど。あたしから話をしたら、きっと、信じてもらえない。でも、あんただったら聞いてもらえるよ。取り敢えず、この場所を離れなくちゃ。リサがまた来させられるかもしれないから」
恵菜は先に立って歩き出す。悠一郎は彼女の後を追いながら、この数日で急変した事態をどう受け止めていいものか、決めかねていた。
吉兆なのか、それとも、凶兆なのか。
自分は、アヤを取り戻せるのだろうか。そんな迷いがふとよぎり、彼は強くその気持ちを打ち払う。
いや、必ず、見つけ出すのだ。
変化はきっと、良い兆に違いないのだから。
悠一郎は、大事な少女に向けて心の中で気持ちを送る。
絶対に探し出してやるから、待っていろよ、と。
*
瞬間移動能力を持つ少女たちを前に、暮林はいつもの薄笑いを消し、渋い顔で頬杖をついていた。その力を持つのは三人。彼女たちは項垂れて暮林の言葉を待っている。柴山はその様子を少し離れた場所に立ち、見つめていた。
「で? あの子を連れてってやったのは、リサなわけね?」
名指しされた彼女はびくりと身体を震わせると、小さく頷いた。
「所長に言われたからって……恵菜がイメージを送るからって……男の人が見えて……その人のところに行って欲しいって……」
「で、行っちゃったの? いつもみたいに地図で場所を指定されるんじゃなくて? そんなの、したこと無かったじゃない。おかしいなぁ、とか、思わなかったの?」
そして、大きな溜息。
リサは小柄な身体をよりいっそう小さく縮めた。その様を見ている柴山の方がいたたまれなくなってくる。
暮林はしばらくジッと彼女を見つめていたが、やがてもう一度溜息をついた。
「まあ、いいや。君たちに『何か考えろ』っていうのが無理な話なんだよね。もう、せめて、連れてった場所くらいはわかるでしょ? 地図で教えてよ」
それで勘弁してあげるから、と言わんばかりの彼の声に、リサは泣きそうな顔になる。
「わからないです」
「え?」
「恵菜のイメージを目印にしたから、恵菜がいてくれないとわからないの」
その時の暮林の顔は、完全に無表情だった。苛立ちすら表していない。
あまりに動きがないことに少女たちがそわそわと身じろぎを始めた頃、暮林は出し抜けに笑顔になった。
「わかった! じゃあ、君たちはもう部屋に戻っていいよ。ご苦労様」
そう言って彼女たちに退室を促す。三人が部屋から出て行き、扉が閉まると同時に、再び彼の笑顔は拭い去られたように消え失せた。
しばらく、無言で時が過ぎる。と、不意に彼が呟いた。
「まったく」
そして、また、無言。柴山は余計なことは口にせず、ただジッと待つ。
「どうして、どうして、どうして!」
爆発したように机相手に同じ言葉を繰り返す暮林を、柴山は冷ややかな眼差しで見守った。やがて彼は奔流を留めると、フッと柴山に視線を移す。
「ねえ、どうしてだと思う? スゴく順調に行ってたんだよ? でも、ここに来て次から次へと予定が狂ってく。あの子たちが逃げ出してからだよね。もう少し……もう少しで、僕の望みは叶うのに。ホント、あと少しなんだよ。……それなのに! ねえ、何でかな?」
「自分には判り兼ねます」
彼の問いに、柴山は口ではそう答える。だが、薄々解かっていた。
少女たちの離反は、彼自ら引き起こしていることなのだと。
もしも暮林が少女たちのことをちゃんと見ていてやったら、きっと彼女たちはここに留まっていただろう。家族から疎んじられたり、周囲から奇異の眼差しを注がれたりする者にとって、ここは安住の地に成り得る場所だ。そんな境遇にある少女たちが、殆どなのだから。暮林が彼女たちの心の奥底にあるものを見抜き、そして彼女たちが欲しているものを与えてやってさえいれば、良かったのだ。
「ああ、もう、ホントに、何でかなぁ」
暮林の呟きは、冷ややかな空気に溶けて、消えていった。