Ⅷ
暮林はノートパソコンに映し出された3人を食い入るように見つめた。所長室に備え付けた監視カメラの映像は急ごしらえなもの故不鮮明であったが、そのうちの1人は、確かに、あの子だ。残りの男女に見覚えはないが、どこで知り合ったのだろうか。まあ、いずれにしても、深青さえ手に入れれば、いかようにもできる。
「恵菜」
彼は、部屋の中の機械を物珍しそうに見て回っている少女に声をかける。彼女は、部屋の真ん中に置かれているカプセルをコンコンと小突いているところだった。
呼ばれて振り向いた恵菜が小走りで駆け寄ってくる。
「所長、あの中、何が入ってるの?」
カプセルを指差して彼女が訊く。今は覗き窓にシェードを下ろしているので、中身を確認することができないのだ。
「内緒。大事なものだよ。それより、『仕事』の時間だ」
「あ、着いたんだ。どこにいるの?」
「んー、もうすぐこの階に下りてくる頃かな」
「あれ? どこかに閉じ込めているんじゃないんだ。ま、いいか。お迎えに行こっと」
「頼むよ」
「あんな子、チョロイよ」
そう言って、恵菜は出て行こうとする。その彼女を、暮林は呼び止めた。
「あ、ちょっと待って」
手招きをして引き戻させると、彼女の胸元に小さなカメラを着ける。
「何、これ?」
「ん? まあ、いいから、着けといて。念のため、だよ。さあ、行った、行った」
宥めつつ、しきりに胸元を気にする恵菜を外へと送り出した。
そうしてデスクへ戻ると、ノートパソコンの映像を切り替える。そこには、恵菜の視界よりもやや低い位置での世界が映し出されていた。
「さあて、何か面白いものが撮れるといいんだけどなぁ」
彼は呟いて、観察者に徹することにした。
*
階段を駆け下りた真也と深青は、地下1階に到着してすぐ、廊下の真ん中に佇む者に気付いて足を止めた。
「恵菜……」
ポツリと名前をこぼした深青を、真也は見下ろす。
「知っているのか?」
「うん」
答えながらも、深青は少女から目を離さない。彼女の小さな顔は、心持ち強張っていた。
「真也は、奥に行って、愛璃を助けて」
「はあ? 何言ってんの?」
「あの子の能力は、『精神感応』と『催眠』なの。真也の戦う力は要らないよ。前のわたしだったらダメだったけど、今のわたしなら、大丈夫、負けないから」
きっぱりと言う深青を、真也はジッと見下ろした。次いで、チラリと前方に立つ少女を見やり、また深青に視線を戻す。
彼女の眼差しには、揺らぎがなかった。
――任せても、いいのかもしれない。
今の深青なら、そう、思えた。第一、真也がここに残ったとしても、あの少女に対して手をあげられるわけもない。
「よし、任せた」
彼女の頭にポン、と手を置き、クシャリとかき混ぜる。そして、手を放し、駆け出す。
少女の脇を擦り抜ける時、彼女はチラリと真也に視線を流したが、それきりだった。
後ろ髪を引かれる思いだが、止むを得ない。とにかく急いで愛璃を解放するのが先だろう。
捕まえた男から聞き出した研究室の前に辿り着くと、扉越しに中の気配を窺った。
1人、いや、2人か。
あと、どれほど戦う必要があるのだろうか。恐らく、そう多くはない筈だ。仕入れた情報どおりならば、これで最後。先のことを考えるよりも、いかにスピーディーに事を成すかの方が重要になってきたか。
真也はバックパックからポケットへ、温存していた物を移しておく。
1、2、3。
心の中でカウントし、一気に扉を開けて中に跳び込むと、入り口近くに立っていた男に狙いを定めた。一瞬、呆気に取られたように見つめた彼の顎を突き上げるようにして、掌底を叩き込む。仰け反ったところで足を掬い取るように蹴りを出すと、堪らず男は後ろに倒れ込んだ。その鳩尾に、踵を落とす。
「ふぐぅッ!」
一連の動きは数秒で完結した。呻き声を上げた男は、口から泡を噴いて悶絶する。
「貴様はッ!?」
その数秒間のうちに、もう1人の方には戦闘態勢を整えられてしまったようだ。
真也は油断なく構えた巨漢に、対峙する。
その隙のなさに、真也はこれまでの男たちとは格が違うことを察する。少し、てこずるかもしれない。
部屋はそこそこ広く、壁際に並べられた何かの機械といくつかの椅子程度しか置かれていない。その中を、真也は視界全体を使って周囲の状況を把握しながら、ゆったりと、弧を描くように移動する。
その動きが、止まる。と、足元にあった椅子を、勢いよく蹴り上げた。それは狙い違わず真っ直ぐに男へと飛んでいく。
それなりの重量がある椅子を、彼は苦もなく払い落とす。だが、一瞬の隙はできた。真也は一気に距離を詰めると、右ボディブローを叩き込む――が、それは男の腕に阻まれた。間髪を容れず顎を狙った左拳は、紙一重でかわされる。
殴打と蹴りの応酬は流れるように繰り出されるが、双方とも、決定打を与えられない。
どちらも無言で、ただ、肉体がたてる物音だけが室内に響く。
転機をもたらしたのは、真也の方だった。
男の頬に叩き込もうとした真也の拳が弾かれ、男の脇に挟み込まれる。勝機、と思ったのか、彼の口元が微かに緩む。が、次の瞬間。
真也は流れるように空いている方の手をポケットに入れると、そこに忍ばせてあったものを抜き取り、男に押し当てる。
見開かれる男の目。
直後、バチン、と何かがはぜる音が響く。
「グアッ!」
短い悲鳴と共に男が白目を剥き、崩れ落ちた。それきり、ピクリとも動かない。
「悪いね」
ニッと笑って、真也はスタンガンをポケットに戻す。
「さあて、と。どうしてやろうかな」
呟いて、グルリと部屋を見回した。
*
「誰、あれ?」
恵菜は真也を見送って、ただそう訊いただけだった。
「わたしを、助けてくれた人」
「へえ、ま、どうでもいいか。あたしの『仕事』の相手はあんただけだもの」
そう言って、笑みを浮かべる。ペロリと、舌の先が覗いた。
「あんたなんか、チョロイわ。ほら、見せてみなさいよ」
恵菜は言葉と共に、片手を深青に向けて真っ直ぐに伸ばした。それと共に、深青は言いようのない不快感に襲われる。まるで、脳を無理やりこじ開けられるような感覚だ。
「うぅっ! イヤッ!」
深青は咄嗟に頭を抱えて、自分を守ろうとする。けれど、恵菜の力の前では、それは何の意味も成さない行為だった。
「ほら、抵抗したって無駄なのよ」
恵菜の見えない手は、深青が一番見たくないものを心の奥底から引きずり出してくる。
「わぁ、なんて、醜いの? 醜い、獣。『あの時』、その感覚はどうだった? 肉を引き裂いて、食いちぎったんでしょ?」
「イヤ……やめて……」
「あら、でも、力を使うことを受け入れたのね。あんな力を? もしかして、『あの味』を美味しいとか思ったの?」
「違う……違う……、わたしは……」
深青は頭を振って、耳に、そして脳に直接侵入してくるその声を払おうとする。
恵菜はニッと笑みを浮かべる。
不意に、彼女は、それまでのいたぶるような声を、優しく、労わりを含ませたものに変える。
「ねえ……? あたしたちに力を委ねなさいよ。そうしたら、迷いもつらさもなくなるよ? 楽になれるよ? これ以上、イヤな思いなんて、したくないでしょ? ……楽に、なりたいでしょう?」
深青を丸ごと包み込むような、その声。
包み込んで、取り込んで、深青を閉じ込めようとするような、声。
――『楽』になる?
それが、わたしの望むもの?
違う、と思った。
そんな『楽』は欲しくない。
確かに、自分はあの力を使うことを、人を傷付ける力を、受け入れた。けれども、それは、ただ一人の人の為だ。
そう、彼女の為に――いや、彼女『の』為にではない。自分『が』愛璃と一緒にいたいが為に、戦うことを決めたのだ。
溢れた涙が頬を濡らす。
大事な人のことを大事とも想えずただ日々を過ごしていくだけの、安穏とした『生』などいらない。
たとえどんなに心が引き裂かれるような痛みを覚えたとしても、この想いを抱き締めて生きていきたいのだ。愛璃と一緒に。
恵菜の言葉は心の中の傷を抉って血を流させる。
けれども、その痛みに負けてはならない。つらいからと言って痛みを投げ出しては、いけないのだ。それに、分かち合う誰かがいれば、痛みにだって、耐えられる。
「イヤ! わたしは、愛璃と一緒に、ここを出て行くんだから!」
凛と響いた、深青の声。それは恵菜の呪縛をバラバラにする。
そして、その声と共に、目の前に現れた、ヒト。
自分に背を向けて立つその姿に、深青は新たな涙を溢れさせた。
*
ああ、もう! いい加減にしてよ、これ!
愛璃は腹の中で苛立ちの声をあげる。
脳の疲労のせいで、身体にも力が入らない。
あのクソオヤジ、いつか見ていなさいよ!
そう罵ってみても、打つ手がないことには変わりがなかった。
今頃、深青はどうしているだろうか。
寂しがっていないだろうか。つらい思いをしていないだろうか。
誰か、傍にいてくれるヒトを、見つけてくれるだろうか。
そんなことになったら、悔しい。けれども、あの子が寂しい思いをするよりは、いい。
ああ……今すぐ、傍に行きたいよ。
そう、思った時だった。
不意に、頭が、身体が、軽くなる。
「え?」
あの、羽虫の唸りのような不快感が消え失せ、全てが清澄になる。
「なんで? 何かの、罠?」
あの暮林が何の理由もなくこんなことをするとは思えない。この事態をどう受け止めていいものなのか、決めかねた。身体を起こして、取り敢えず座った。この数日、この動作一つでも全身の力を総動員しなければならなくなっていたというのに、何の苦もなく背筋を伸ばすことができる。
「どうしよう……」
跳んで、みようか。
そう思っても、踏ん切りがつかない。
と、その時。
「何、これ?」
目の前に現れた、もの。
それは紫の翅を閃かせながら、愛璃の周りを数回回った。何かを、促しているのか。
「何……? 何なの?」
なかなか動こうとしない愛璃に痺れを切らしたかのように、それは彼女の額にとまる。
「え!?」
その瞬間、脳裏に溢れてきた映像に、愛璃は息を呑んだ。
あれは確か、恵菜と呼ばれている少女だ。そして、彼女と対峙しているのは――。
「深青!?」
大事な少女は、目に悲痛な色を浮かべ、滂沱の涙で頬をぐっしょり濡らしている。
許せない。
そう思った時には、彼女の元へ、跳んでいた。
*
セキュリティロックを解いたパソコンのモニターには、ようやく少女たちのデータが映し出され始めていた。
データの中に、名前はない。
番号と、年齢と、顔写真。それ以外は、能力についての記述ばかりだ。
名前で検索ができないとなると、どうやって調べたらいいのだろう。
珂月は、100人近くに及ぶ少女たちのデータを絞るべく、思案する。
年齢はどうだろう。だが、ざっと見る限り、少女たちの年齢はかなり偏っていた。絞り込むためにはあまり役に立たなそうだ。
画面をスクロールしながら、珂月は考える。
あの子は――紫は、いったい、どんな力を持っていたのだろう。あの子がしていたのは、どんなことだった?
危険を、教えてくれた――多分。
父親が骨を折った時、あの子は何度も何度も忠告していた。彼女に、どんな光景が見えていたのかはわからない。珂月が知っているのは、父親が骨を折ったということだけなのだ。
『未来』――検索――ヒットなし。
『予測』――検索――ヒットなし。
『予見』――検索――ヒットなし。
あとは、どんな言い方があったっけ? 少し考えて、思いつく。
『予知』――検索――1件ヒット。
1件。
珂月の胸がドキリと高鳴る。
クリックすると、少女の写真が現れた。それは、珂月が覚えているよりも、6年ほど年を重ねている。
年齢――12歳。いや、違う。あの子は、今、13歳の筈だ。
心臓の鼓動が速まっていくのを、抑えることができない。
もっと、何かないのか? 今はどこにいるんだ?
画面をスクロールしようとして。
電源が、落ちた。