Ⅴ
「手がかりなし、だな」
真也が宣言した『3日』が過ぎた。東京中に散らばる知り合いの情報屋全員に声を掛けたのだが、結局、愛璃らしき少女を見かけたものは皆無だった。人力だけではなく、警視庁が各所に仕込んでいる監視カメラのネットワークに侵入し、彼女の特徴を有するものをピックアップするようにもしていたのだが、それにも全く引っかかってこなかった。こうなると、彼女が東京に辿り着いていない可能性の方が高くなる。
「まさか、道に迷ってるってことはないよな。東京の場所がわからない、とか」
比較的前向きな希望的推測を真也が述べるが、深青は首を振った。
「それはないと思う。愛璃は……何度か東京に来させられているから、ちゃんと場所はわかっていると思うの。愛璃は力を使い切ると眠り込んじゃうのだけど、だいたい、一日くらいで眼を覚ます筈。3日経っても着いてないなら……」
そう言って、深青が口を閉じて俯いた。その台詞の先を汲み取った珂月は、彼女の肩を抱いてやる。
「『奴ら』のところにいるってことか」
後を引き取った真也の言葉に、深青は小さく頷いた。
「そうなると、あの発信器を持ってかれちまったのが、ちょっとイタイか。あちらさんの手がかり、皆無なんだよなぁ。いっそ向こうがこっちを見つけてくれりゃぁ、話が早いんだが……」
「愛璃が捕まっちゃったのなら、わたしが東京にいるっていうことは知られてると思うの。愛璃はESPを持っていないから、精神感応で覗かれたら、何をしようとしていたのかは、すぐにばれちゃうと思う。この国のどこにいるのかわからない人は見つけられないけれど、東京の中くらいなら、精神感応の子とか遠視の子とかが探索すれば、すぐに見つけられる筈なのに」
「じゃあ、実は捕まってんじゃなくて、何かの理由で動けねぇから、東京まで辿り着けていないとか」
「それも、ないと思う。愛璃はわたしと約束したから、捕まってさえいなかったら、何が何でも東京に来てくれるよ」
「となると、やっぱり、お姫様は囚われの身、か……クソ、どうしてくれようかな」
真也が、ガシガシと頭を掻きむしる。
それを横目で見ながら少し考え、珂月は口を開いた。
「禿げるぞ、止めろ。外をうろついてみるか」
「え?」
彼女の台詞の前半と後半がつながらず、真也が怪訝な顔をする。禿げ云々には言及せず、珂月は自分の案を補足した。
「この3日間、深青をここに隠していただろ? 狙われないように、と。それをやめて、積極的に外に出てみたら?」
「でも……建物の中にいても外にいても、見つかる見つからないは変わらないよ?」
「そうなのか? まあ、あとはほら、人目を気にしてたりしないのかな。このマンションにいるから、攻めあぐねているのかもしれない。人気のなくなった公園とか、そういうところをウロウロしていれば、手を出してくるかも」
珂月の提案に深青は心許なげな顔をしたが、真也は顎を撫でながら頷いた。
「まあ、確かにそれは一理あるかもしれないな。これまで、『超能力者』のことは全然世に知られていない。つまり、奴らがそれだけ隠せていたってことだ。目立ちたくねぇと思ってんのは、確かだな」
「だろ? で、奴らは自信満々だろうから、罠だと思っていても食いついてくるに決まってる」
「そう言うお前も、自信満々だよな……」
呆れたように言う真也に、珂月はニッと唇を引くように笑みを返す。
「虎穴に入らずんば――って言うだろ?」
「背水の陣、とも言うぞ、これは」
「それはそれで、勝機にするさ」
「お前なぁ」
珂月自身、変に高揚していることは判っていた。けれども、彼女にとっては長い間待ち続けていた好機でもあるのだ。これを掴み損ねれば、二度とやつらには近づけないかもしれない。
普段は冷ややかな珂月の紅潮した頬に、真也は苦笑する。そして、つい、と手を伸ばすと、まるで深青にするように、クシャクシャと彼女の髪を撫でた。それは、二人が出会って間もない頃にはよく見られた仕草だったが、珂月が成人してからは、彼もしなくなっていたのだ。
「何だよ?」
思わず払いのけ――いや、叩き落し、そう訊く。
「いや、何となく。お前にもまだまだ可愛いところが残ってたんだなぁ、と」
赤くなった手を振りながらの真也の言葉に、珂月の頬にはカッと血が上る。思わず拳を飛ばしそうになったが、ヒタと見つめてくる深青の視線に気付き、寸前で収めた。
「……とにかく、やるからな!」
断固として、宣言する。
「わかった、わかった」
どこかいなすような、会って間もない頃のような真也の態度に、珂月の腹の中では何かが泡立つような、奇妙な感覚が生まれた。
*
ひらりと、蝶が羽ばたく。
「動くの?」
――そう。あの人たちは、次の手を選んだよ。
鮮やかな紫の翅をはためかせると、金色の鱗粉が微かな光を放った。そうして、伸ばされた少女の指先に、とまる。
――場所を選んで、あの子のガードを解くよ。そうしたら、明日には、『彼ら』が来る。
蝶は、ふと、何かに気付いたように翅をゆらゆらと開閉した。
――どうしたの?
その問いに、少女が少し唇を尖らせて、答える。
「そんなに強い精神感応の力も持っているだなんて、言わなかったじゃないか。あたしがしばらく行かなかった時も、会いたいと思えばそっちから会いに来れたんだ。でも、会いに行くのはあたしの方ばっかりだっただろ? ……あたしに会いたいと、思わなかった?」
拗ねたような口調に、宥めるような彼女の声が響く。
――だって、全部、あなた自身の意志でして欲しかったのだもの。わたしがしてしまうのではなくて、あなたに動いて欲しかったの。
「……お前は、そればっかりだ」
悪あがきでそう呟いたけれど、彼女の言葉の裏にあるのは、『信頼』なのだ。少女がちゃんと自分自身で選んでくれる筈、という信頼。
それがわかっているから、長くは拗ねていられない。
「もう、いいよ」
そう囁いて、少女は指先の蝶に、そっと口付けた。
*
ようやくもたらされた、心の底から待ち望んでいた報告に、暮林は目を輝かせた。
「やっとか! で、どこにいたんだい?」
「は、新宿です」
「へえ、それはまた、人が多いなぁ」
「はい。それに、少し奇妙なんです」
「え?」
見上げた暮林に、柴山は言葉を選ぶようにして、ゆっくりと告げる。
「深青の存在が確認できたのは、新宿御苑の中だけ、なんです。しかも、夜中に」
「ふうん……」
「その前後は、またふっつりと途切れました」
暮林は眼鏡を外すと、ゆっくりとシャツの裾で拭った。そうして、しばし考え込む。柴山は直立不動で、ジッと彼の次の言葉を待っていた。
やがて、暮林は口を開く。
「やっぱり、ねぇ……罠なんだろうなぁ」
その罠のシナリオを書いているのは、誰なのか。『彼女』なのだとすれば、いささか分が悪い。何しろ、相手はこれからどうなるのかが見えているのだから。
「賢しい子は厄介だねぇ。まあ、いいか。やるだけやってみよ!」
明るい声でそう言い放ち、両手で膝をポンと叩く。
「取り敢えず、今晩、昨日あの子が確認できたっていう時間にその場所に行ってみてよ。ああ、深青は臆病だからねぇ。どうせ、たいした抵抗なんかできないだろうから、君たちだけで行ってきて」
「は……」
柴山は頭を一つ下げると、踵を返して出て行った。
一人になった暮林は、誰に聞かせるつもりもなく、ポツリと呟く。
「なんだか、イヤな流れになってきたなぁ」
頬杖をついてこめかみを指で叩いていた彼だが、不意に立ち上がると所長室を後にした。そして、廊下を進み、地階へと向かう。
1枚目のドアのセキュリティは、フリーパスで特に制限なく、誰でも入ることができる。
5部屋並んでいる研究室では、数人の研究員がそれぞれの作業をこなしている筈だ。
2枚目は、責任者クラスのみが通過できる。
ここに、希少な妖精を収容している。が、残念なことに、今は愛璃一人を入れているだけだった。彼女がいる部屋の前を素通りして、更に進む。
3枚目は、暮林だけが開けることができる扉だった。それは、更なる地下につながるエレベーターになっている。
辿り着いた部屋の中央に置かれているのは、鈍い光沢を放つ、銀色の巨大なカプセル。かなり大柄な男でも、余裕で横たわることが可能であろうサイズだ。そこからは無数のコードが伸び、壁際にずらりと並ぶ用途不明な装置の数々につながれていた。
この部屋は真上に核爆弾を落とされても、びくともしない。電源も室内に設置した自家発電装置を用いており、停電になったとしても、ここだけは機能し続ける。
ここは、彼の宝物を置いてある部屋だった。
暮林はカプセルに歩み寄ると、唯一ガラス張りになっている部位を覗き込んだ。そこに見えるのは、一人の女性。整った顔を縁取るのは、波打つ銀髪。眼瞼に隠された両の目の色は、見えない。
彼は、ガラス越しに彼女の頬に手を添える。
「僕の、タイターニア」
その声は、さながら、愛しい恋人に囁く男のそれだ。
妖精の存在を初めて目にしてから、30年余。
超心理学という眉唾な学問に身を投じる彼は、多くの科学者の嘲笑の的だった。大学の研究室では学生集めのためのイロモノ学科として扱われ、提出した論文は「科学的根拠がない」と全て却下された。取材に来るのは、オカルト雑誌か、テレビの特別番組か。
そんな彼が、同じように『正しき学究の徒』から爪弾きにされている学者たちの集団のことを知ったのは、15年ほど前のこと。声を掛けてきたのは、彼らの方からだった。
その研究分野は医学、化学、物理学、電子工学などなど、多岐に渡っていた。学者としてはこの上なく優秀な者ばかりだったが、それゆえに発想が突飛過ぎたり、倫理を越える実験を行ったりして、世間からは排除された存在だった。
暮林は喜んで大学を辞め、その集団に参入した。
誰がスポンサーなのかはわからない豊富な予算。研究施設は充実し、人も集まった。
妖精たちの情報も津々浦々から集まるようになり、日本中から集めることができるようになった――いずれ、世界にも手を伸ばしたいところだが。
大きな転機は、10年前に訪れた。
目の前に眠る、妖精の女王。彼の、タイターニア。
彼女を手に入れて、暮林の夢は大きく現実に近付いた。
「ああ、待ち遠しいなぁ」
夢見るように、彼は呟く。そう、彼は、まさに夢の中にいる心地だった。