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王女の騎士 ―赤いローズと空の青ー  作者: 雛雪


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3/4

後編①

長いので二つに分けました。

王城の至るところから、いまだ黒煙が立ち上っていた。

かつて父王や兄たちが誇り高く座していた大広間は、今や魔物の返り血と、隣国の兵靴に踏み荒らされた跡が残る。

その中央、唯一砕け散らずに残っていた石の階段に、ローゼンウィンは立っていた。


魔物の大発生と皇国の進軍。その二つの暴力に、王国はなす術もなく蹂躙された。だが侵略者であった皇国もまた、制御不能な魔物の群れに全滅の危機に瀕し、一時休戦という名の共闘を選ばざるを得なかった。

その最前線で、血に染まったランスを振るい、敵味方の境界を強引に切り拓いたのは、ただ一人の騎士、フィンレイだった。

王と王太子の兄は死に、生き残った姉王女は虚ろな目で壁の染みを数え、時折子供のように笑うだけ。もはや王の名を継げる者は、末娘の彼女しかいなかった。


「……今日、この時より。私がこの国の女王となる」

煤に汚れたドレスを翻し、十五歳の少女は、かつてないほど冷徹な声で宣言した。

瓦礫の広間には、生き残った数少ない老臣たちが彼女を取り囲んでいた。


彼女は父王の亡骸の傍らに転がっていた黄金の王冠を、自らの手で拾い上げた。宝石はいくつか欠け、ひどく歪んでいる。

(……ああ、重いわ。お父様)

かつて一度も触れることを許されなかった、王家の象徴。

彼女は自らの手で、その冷たい鉄の冠を頭へと載せた。鋭い縁が額に食い込み、細い赤い筋を作る。


「異論がある者は、前へ出よ」

静まり返った廃墟の中で、フィンレイだけが音を立てて跪き、血に染まったランスを捧げた。

その直後、瓦礫を叩くような、軽やかな拍手の音が響いた。


◇◇◇


大聖堂の空気は、香炉の煙と数千の蝋燭の光で白く霞んでいた。

先日の戦火の傷跡を隠すように張り替えられた豪奢なタペストリーが、かえって異様な静寂を際立たせている。

十五歳のローゼンウィンは純白の聖衣を纏い、祭壇の前で静かに跪いていた。

背後には生き残った数少ない老臣たちと、そして「同盟国の名代」として招かれた皇国の第三皇子カシハンが、冷ややかな微笑を浮かべて最前列に陣取っている。


大司教が金盆に載せられた黄金の王冠を高く掲げた。

父王の遺体から回収され、急ぎ磨き直されたその冠には、まだ消えない歪みと欠けた宝石の痕が残っている。


「聖なる油を注ぎ、主の御名において、王女ローゼンウィンをこの国の正統なる守護者として認める」

大司教の厳かな宣言と共に、彼女の頭上に王冠が戴せられた。

歪んだ黄金はあまりに重く、鋭い縁が額に食い込んで赤い筋を作る。けれど、彼女は微動だにせず、その重みを受け止めた。


「女王陛下に、栄光あれ」

列席者たちが一斉に唱和し、剣を掲げる。

その喧騒の中で、護衛騎士として彼女の背後に立つフィンレイだけが、音を立てて跪き、血を拭い去った銀色のランスを捧げた。

「……女王陛下。このスカイフォール、地の果てまで御供(おとも)つかまつる」


その誓いを聞き届けるように、隣国の王子カシハンがゆっくりと立ち上がった。

魔物の掃討と引き換えに、皇国が突きつけた和解の条件。

彼は周囲の視線を集めると、計算された優雅さで女王の前に歩み寄り、その手に唇を寄せた。


「実に見事だ。絶望の淵で咲く一輪の花とは、まさに貴女のことだ、女王陛下。……さて、国を救った『盟友』として、我々の今後について話を詰めようではありませんか」


祝辞という名の、残酷な通告。

これが、女王となった彼女が最初に受け取った「政略結婚」への引き金だった。


◇◇◇


婚礼の儀が粛々と進むなか、ローゼンウィンはただ無心に正面を見つめていた。

隣に立つ皇子カシハンの勝ち誇ったような気配も、大聖堂に響く聖歌も、今の彼女には遠い世界の雑音にしか聞こえない。


(……これで、終わり。すべて、終わるのね)

感情を殺し、一筋の涙も流さずに儀式を終えようとした、その時だった。


背後に控える護衛騎士フィンレイの、銀色の籠手(こて)。その大きな(てのひら)の中に、場違いなほど鮮やかな一輪の赤いローズが握られているのが見えた。


燃えるような、赤。


その色が網膜を焼いた瞬間、彼女の脳裏に埃を被っていた古い記憶の断片が、鋭い痛みと共に(あふ)れ出した。


泥だらけの手。

「あたまをあげてよいぞ」と精一杯背伸びをした、幼い日の自分の声。

そして、「おそらのあおだわ」と見入った、あの鮮やかな瞳。


(……ああ。……あなた、だったの?)


その衝撃に、ローゼンウィンの大きな黒い瞳から、一粒の涙が頬を伝って(こぼ)れ落ちた。


目の前にいる鉄の塊のような騎士は、あの日、孤独な庭で自分を見つけてくれた「庭師の少年」その人だったのだ。


フィンレイは、列席者には悟られぬほど僅かな動作で、兜のバイザーを上げた。

露わになった彼の青い瞳は、もはや冷徹な戦士のものではなかった。そこには、十年間、戦場を彷徨いながらも希望だけを追い続けた、深い愛と献身が静かに満ち溢れていた。

声に出さずとも、その瞳がそう告げていた。


「これからも、あなたを護り抜く」


その誓いが、重い甲冑の奥にある彼の鼓動と共に、ローゼンウィンの指先にまで伝わってくるようだった。


隣国の皇子の隣で女王となった彼女は、涙に濡れた瞳で彼を見つめ返した。

それは、地獄のような現実の中で二人が手に入れた、唯一の、そして最後の愛の誓いだった。


◇◇◇


婚礼の儀が終わり、重い静寂が王宮を包み込んだ。

女王ローゼンウィンの寝所の前で、フィンレイはランスを握りしめ、石像のように立ち尽くしていた。

カシハンが勝ち誇った笑みを浮かべ、重い扉を閉ざそうとしたその時、女王が低い声で命じた。


「――夜が明けるまで、何があってもこの扉を開けることは許しません。いいわね、フィンレイ」

それが彼女の、女王としての最初の「命令」だった。


鍵が掛かる乾いた音が響く。扉の向こう側から何かが砕ける音や、押し殺したような吐息が漏れ聞こえてきた。

フィンレイは無機質な甲冑の中で、ただ呼吸を整えていた。

指先がランスの柄をわずかに軋ませるが、足元は一歩も動かない。

夜が明けるまで、彼はそこにいた。


翌朝、扉が開いたとき、現れたのは青白い顔のローゼンウィンだった。

彼女は何も言わず、フィンレイの横を通り過ぎようとする。


「……陛下」

掠れた声で呼びかけたが、ローゼンウィンは一瞬だけ彼を無機質な瞳で見つめ、それ以上は何も語らずに歩み去った。


◇◇◇


女王となったローゼンウィンは、皇国への献上金を打ち切り、戦火に荒れた農村への支援を強行した。

「民が花の一輪も植えられぬ国に、明日などない」という彼女の執政は、自国の利益を優先する王配カシハンとの間に、修復不能な亀裂を生んでいた。


そんな緊迫した日々の中で、唯一、彼女が呼吸を許される時間があった。


王宮の片隅、手入れの届かぬ古い東屋。

「フィン、今日は何を植えているの?」

背後から声をかけると、跪いて土を弄っていたフィンレイが無言で立ち上がった。

女王となって以来、彼女は二人っきりの時は彼を「フィン」と呼ぶようになっていた。


「……陛下。これ以上、近づかぬよう。ドレスが汚れます」

フィンレイは無愛想に応えながらも、彼女が座るためのベンチを、あらかじめ自分の上着で丁寧に拭った。


「いいのよ。ねえ、二人だけの時はその『陛下』はやめてって言ったでしょう?」

彼女は悪戯っぽく笑い、彼の顔を覗き込む。

今の彼女にとって、この幼い頃のようなやり取りだけが、カシハンの影から逃れられる唯一の聖域だった。


「……ローズ。……これで満足ですか」


「ええ、とっても」

満足げに隣に座った彼女は、彼が土を弄る手元をじっと見つめていた。


「ねえ、フィン。あなたが農村に届けてくれた種、芽吹いたそうよ。いつかこの国中を、花でいっぱいにしたいの。……皇国の顔色なんて伺わず、誰もが安心して、土の匂いを嗅いでいられるような、そんな国に」


フィンレイは黙って手を動かしていたが、その胸には、彼女が女王として成し遂げようとしている理想が深く刻まれていた。

食い繋ぐために剣を取ったはずの彼が、守りたい「空の青さ」を、本当の意味で知ったのは、この時だった。


「……お望みのままに。ローズ」


だが、そんな穏やかな時間は、扉の向こうに潜む狂気によって無惨に引き裂かれることになる。


◇◇◇


「これでは、民が花の一輪も植えられぬではありませんか」

ある日、ローゼンウインの怒りに満ちた声が王城に響いた。


その言葉は、かつて名もなき庭師の見習いだったフィンレイが、泥にまみれて土を耕していた姿をどこかで重ねていたのかもしれない。

だが、王国を皇国の属領(ぞくりょう)として差し出そうとするカシハンにとって、それは許しがたい反逆だった。


「口を慎め。路傍(ろぼう)に転がる石のような者たちのために、我が国との盟約を汚すつもりか」


寝所の扉の奥で繰り返される諍いは、日を追うごとに激しさを増していった。

ローゼンウィンが民のために良政を敷こうとすればするほど、カシハンの暴力と焦燥は制御のきかない狂気へと変貌していく。


女王としての正しさが、皮肉にも彼女を死の淵へと追い詰めていった。


カシハンにとって、若き女王ローゼンウィンはもはや王国を完全に手中に収めるための障害でしかなかった。


その夜も寝所の外にはフィンレイが立っていた。

扉の内側から、カシハンの荒々しい怒声が響く。


「黙れ! どこの馬の骨とも知れぬ外の兵卒(いぬ)と同じような目で、私を睨むなと言ったはずだ、ローゼンウィン!」

室内で凄まじい衝撃音がし、続いて、短く絶ち切られたような悲鳴が上がった。


「……陛下ッ!」

フィンレイは扉に手をかけた。だが、彼の動きを止めたのは、あの夜から続く「開けることは許さない」という女王の呪縛のような命令だった。


しかし、次に響いたのは、すべてを断ち切るような、鈍い衝撃音。


「……知るものか、そんな命令」


彼は初めて、女王の命を背いた。

扉を乱暴に蹴破り、室内に踏み込んだとき、だがすべては終わっていた。


崩れ落ちるように倒れたローゼンウィンの胸元には、カシハンが握る短剣が深く突き刺さっていた。


「……あ……」

フィンレイはランスを放り出し、膝をついて彼女を抱き上げた。


返り血を浴びたカシハンは、扉を蹴破って現れたフィンレイの狂気に呑まれ、悲鳴を上げて夜の闇の中へ逃げ出した。


フィンレイは震える手で、彼女の体を抱き寄せた。

「……陛下、ローズ! 申し訳ありません、私が、もっと早く……!」


事切れる直前、ローゼンウィンは重い瞼をゆっくりと開けた。

血に濡れた黒い瞳は、どこか安堵したような光を宿して彼を見つめていた。


「……いいのよ、フィン。……最後に見えたのが、あのお空の青さで、よかった……」


その指先が、彼の頬に触れようとして、力なく床に落ちた。

十五歳の女王は、血の海の中でその短い生涯を閉じた。


静まり返った寝室に、一人の男の、獣のような慟哭が響き渡る。

生きるために騎士となり、王女を護るために生き続け、けれど最後には彼女自身の「命令」に縛られて、扉の向こう側で立ち尽くすことしかできなかった。

それが、二人のあまりにも早すぎた「悲恋」の終焉だった。







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