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王女の騎士 ―赤いローズと空の青ー  作者: 雛雪


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2/4

中編

私にしては、ちょっと長くなってます。

最後までお付き合い頂ければ嬉しいですm(_ _)m


それから十年の年月が経った。


「神の名のもとに、汝を騎士に任ず」


白亜の大広間は厳粛な空気が満ちていた。

十五歳になった王女ローゼンウィンは、兄姉たちの列の末端に静かに座している。

(……あの者が、新しい騎士なのね)


広間の中心、眩い光の中に一人の青年がいた。銀色の甲冑を纏い、傍らには長く鋭いランスを携えている。青年は王の前まで進むと、鮮やかな動作で(ひざまづ)いた。


「面を上げよ」


王の威厳ある声が響く。

青年がゆっくりと顔を上げた。その瞬間、ローゼンウィンの胸の奥で、説明のつかない小さな震えが走った。

精悍な顔立ち、戦場を渡り歩いてきた者特有の鋭い眼光。


(……どこかで会った?)


見覚えがあるはずはなかった。けれど、その真っ青な瞳がわずかに揺れたとき、彼女の脳裏に、いつか見た「空の色」が淡くよぎった。


「これより、そなたを我が王国の騎士と認める。そのランスを、王家の守護のために振るうが良い。……名は、何と申す」

「……フィンレイと申します。陛下」

その低く落ち着いた声を聞いても、まだ彼女には分からなかった。


王は満足げに頷き、朗々と宣言する。

「良かろう。皆、聞くが良い。この若き勇士は、王都を急襲した飛竜(ワイバーン)の群れに対し、並み居る騎士が怯むなか、たった一騎でその心臓を貫き、都を火の海から救った。その武勲、実に見事であった」

王が立ち上がり、儀礼用の剣を彼の両肩に静かに置く。

「姓なき勇士よ、これよりはフィンレイ・オブ・スカイフォールを名乗るが良い。その名は、我が王国の空を護った者の名だ」


青年――フィンレイは、一瞬だけ、列の端に座るローゼンウィンの方へ視線を走らせた。まるで見えない糸に引かれるように、静寂の中に佇む彼女の黒い瞳を、正確に探し当てたかのように。

ローゼンウィンは、十五年の人生の中で一度も感じたことのない、懐かしくも熱い何かが喉の奥にせり上がってくるのを感じていた。


「ローゼンウィン、前へ」

「はい、陛下」

ローゼンウィンは突然、呼び出され、内心の動揺を隠したまま、父王の見前、フィンレイの隣に立った。


叙勲の余韻も冷めぬまま、父王は淡々と告げた。

「フィンレイ・オブ・スカイフォール。そなたの初任務は、末の王女ローゼンウィンの護衛だ。影となり、その身を護れ」

居並ぶ兄姉たちは、新星の騎士を「日陰の王女」に宛がった父の差配を、惜しいとも思わぬ顔で眺めている。

ローゼンウィンの前で、二十歳の騎士が再び膝をつく。

傍らには、魔物の血を吸い続けた銀色のランス。

「……御命(ぎょめい)、謹んでお受けいたします」


目の前で跪く彼の(うなじ)を見つめながら、ローゼンウィンは、先ほどから喉元まで出かかっている「問い」を、必死に飲み込んだ。

なぜ、これほどまでに胸が騒ぐのか。

鉄の冷たさを纏って現れたその騎士は、理由もわからぬまま、いま彼女の視界を独占した。


◇◇◇


叙勲の儀を終え、ローゼンウィンは自らの宮へと続く長い廊下を歩いていた。

数歩後ろには、新任の騎士フィンレイ・オブ・スカイフォールが音もなく従っている。


静まり返った廊下に、鎧が擦れ合う硬い音と、軍靴が床を叩く規則正しい響きだけが反響していた。

これまで何度も歩いた道のはずなのに、背後に漂う鉄と戦場の冷たい気配のせいで、まるで知らない場所を歩いているような錯覚に陥る。


(……一言も、話さないのね)

ローゼンウィンは前を向いたまま、その沈黙に耐えた。

スカイフォール。そう名乗った男から放たれる空気は、これまで見てきたどの騎士とも違っていた。

背後から射抜くような、逃れられない視線の重み。

それを振り切ることができず、彼女はふいに歩みを止めた。


「……フィンレイ、と言ったかしら」

ゆっくりと振り返ると、逆光の中に銀色の甲冑を纏った大柄な影が立っていた。

長いランスを傍らに立て、彼は微動だにせず、ただ静かに控えている。

「は」

地を這うような低い声。その響きには、抜き身の剣のような鋭さと、底の知れない静寂が同居していた。


「スカイフォール――空を落とした騎士様。あなたは、以前からこの王宮に?」

問いかけながら、ローゼンウィンは彼の兜の奥にある瞳を覗き込もうとした。

北の戦場を渡り歩き、功績を挙げて叙勲されたばかりの男。自分のような日陰の王女とは無縁のはずの存在。

燃えるような夕映えの中で、彼の瞳だけが、透き通った青を(たた)えていた。

その色を目にした瞬間、ローゼンウィンは、説明のつかない懐かしさに胸を突かれた。


フィンレイは、長いランスを握る手に力を込めた。

今の自分は魔物の返り血を浴び続けた、ただの「空を落とした武器」に過ぎない。十年前、泥だらけの手で彼女に笑いかけたあの少年とは、あまりに遠い場所に立っていた。


「……かつて訪れたことがあります」

フィンレイは言葉を絞り出すように答えた。

「一度だけ、この城の庭に参ったことがございます。……もう、十年も前のことですが」

その「十年」という言葉が、ローゼンウィンの脳裏に、埃を被った古い記憶の断片を呼び起こそうとする。


(十年前……。このお城の、お庭に……?)

彼女の黒い瞳が、戸惑うように揺れた。

フィンレイはその揺らぎを、静かな眼差しで見つめていた。彼にとってあの庭でのひとときは地獄のような日々を生き抜くための、たった一つの温かい糧だった。


ローゼンウィンはそれ以上、問いを重ねることはしなかった。

「……そう。奇遇ね」

短く、それだけを口にすると、彼女は再び前を向いて歩き出した。

二人の間に、再び甲冑の音とドレスの擦れる音だけが響き始める。


ローゼンウィンは、これ以上踏み込んではいけないような、けれど一度触れたら引き返せないような予感に震えながら、自らの静かな宮へと足を踏み入れていった。


◇◇◇


叙勲式の翌朝、ローゼンウィンは自室の窓辺で、侍女が淹れた茶の湯気に目を落としていた。

「……姫様、あの方、夜明け前からあそこにいらっしゃいますよ」

茶菓子を並べながら、古参の侍女が苦笑まじりに庭を指差した。

窓の下、朝露に濡れた庭園の隅に銀色の甲冑を纏った騎士が一人、彫像のように立っていた。傍らに立てた長いランスが、朝日を跳ね返して眩しく輝いている。


(……昨夜から、ずっと?)

ローゼンウィンは、昨夜、宮の入り口まで自分を送り届けた後の彼の背中を思い出した。

「フィンレイ。……もう、お下がりなさい。ここには私と侍女しかいないわ」

そう声をかけたとき、彼は一度だけ、兜の奥にある真っ青な瞳を彼女に向けた。

「……御命(ぎょめい)に背くようですが、私は『影』となり護れと命じられております。闇が晴れるまで、ここを離れるわけには参りません」

その声は低く、けれど岩のように揺るぎなかった。

結局、彼は一晩中、一睡もせずに彼女の宮を、そしてあのローズの庭を見守り続けていたのだ。


「あんなに真面目な騎士様は初めてですわ。これまでの方は、交代の時間が来ればさっさと詰め所へ戻ってしまわれたのに」

侍女が感心したように言葉を続ける。

「姫様がテラスにお出になる時は、必ず風上に立って、冷たい風が当たらないように配慮してくださるんですよ。……不器用な方のようですけれど」


ローゼンウィンは、窓越しにその背中を見つめた。

自分はこれまで、完璧な礼法と、滞りない衣食住の中で「放置」されてきた。

誰もが自分を「日陰の王女」として、義務的に透明な存在として扱ってきたのだ。

けれど、あの騎士だけは違う。

彼は自分を一人の「守るべき主君」として、あまりにも重々しく、そして真っ直ぐに扱っている。

(……どうして、そんなに一生懸命なの?)


「……彼に、温かいスープを運んであげて。王女の命令だと、そう伝えてちょうだい」

ローゼンウィンは侍女にそう命じた。

それが二人の新しい「日常」の、本当の始まりだった。


運ばれてきた碗を、フィンレイはしばらくの間、黙って見つめていた。

「姫様からの差し入れですわ」

侍女の声に促され、彼はゆっくりと兜を脱いだ。

露わになった金色の髪が、朝の光に透ける。

彼は一度、離れた窓辺に立つ王女へ向けて静かに(こうべ)を垂れ、それから恭しくスープを口にした。


喉を通る熱が、冷え切っていた鎧の奥まで染み渡っていく。

ふと脳裏をよぎったのは、かつて泥にまみれた手で父と分け合った、あの塩辛いだけのスープの記憶だった。

あの日々には、今の自分にはない「明日」を信じる温もりがあった。


ふ、と。

厳格な騎士としての彼の口元が、ほんのわずかだけ(ほころ)んだ。

それは戦場を渡り歩いてきた「スカイフォール」の顔ではなく、かつてあの庭で「おそらのあお」と幼い王女が見入った、十歳の少年の顔だった。


窓越しにその様子をじっと見守っていたローゼンウィンは、思わず息を呑んだ。

鉄の塊のようだった騎士が、スープ一杯で、あんなに幼く、優しく笑うなんて。

理由もわからず、彼女の喉の奥にある「熱い何か」がいっそう激しく揺さぶられた。

その笑顔が、あまりにも自分の知っている「何か」に似ていたから。


◇◇◇


それから季節は二つほど巡った。

二人の間に流れる空気は以前よりも少しだけ、穏やかなものへと変わっていた。

王女の宮の庭に、フィンレイが護衛として立つ姿は、もはや風景の一部となっている。

王女ローゼンウィンは、以前よりも頻繁に庭へ降りるようになっていた。彼と会話を交わすことは稀だったが、同じ空気を吸い、彼の鎧が擦れ合う微かな音を背中に感じているだけで、不思議と心が安らいだ。


(……あの赤いローズが、もうすぐ咲きそうだわ)

五歳の頃、一輪だけぽつんと咲いていたあの名もなきローズの末裔が、今年も蕾を膨らませている。

けれど、その蕾に手を伸ばそうとしたとき、背後でランスを構えるフィンレイの気配が、一瞬で鋭く尖ったのを彼女は感じ取った。


「……フィンレイ?」

振り返ると、彼は王女を見ていなかった。

その青い瞳は城壁のさらに向こう、魔物が蠢く北の空を、獲物を狙う鷹のような鋭さで見据えている。


「ローゼンウィン様、室内へ。……風の匂いが、変わりました」

その声は低く、聞いたこともないほど冷徹だった。

かつて「空を落とした」男の直感が、何事もないはずの青空の向こうに、破滅の足音を聞き取っていた。


数日後、その「前兆」は形となって現れた。

国境を守る砦が一つ、一夜にして沈黙したという報せが王宮に届いたのだ。

王も、兄王たちも、それを「いつもの小競り合い」と笑い飛ばしていたが、フィンレイだけは、その日から一度もランスを手放さなくなった。


「スカイフォール。そなたの考えすぎだ。我が騎士団が後れを取るはずがなかろう」

父王の傲慢な笑い声が響く中、列席の末端でそれを聞いていたローゼンウィンは、震える指先を組んだ。


王宮の誰も信じていない危機を、たった一人、自分の護衛騎士だけが確信している。

その夜、庭に立つ彼の背中は、月光を浴びてひどく孤独に見えた。

まるで、これから訪れる巨大な闇を、自分一人で食い止めようとしているかのように。


◇◇◇


前兆は黒い雨と共に訪れた。

北の国境を埋め尽くすほどの魔物の大群――。


かつてない規模の「大暴走」が王都を襲ったその隙を、隣の皇国は見逃さなかった。救援を装って入城した皇国の軍勢は牙を剥き、混乱に乗じて父王と兄王たちの首を瞬く間に跳ね飛ばした。


「……王都が、燃えているわ」

ローゼンウィンは自宮のテラスから、紅蓮(ぐれん)に染まる都を呆然と見つめていた。

華やかな兄姉たちの笑い声があった王宮は、今や絶叫と鉄の音にかき消されている。

唯一生き残った姉は、目の前で起きた惨劇の衝撃に、ただ虚ろな瞳で虚空を見つめるだけの人形と化していた。かつての美貌も気高さも、泥にまみれたドレスと共に失われていた。


「ローゼンウィン様、ここも長くは持ちません。お逃げください」

背後でフィンレイの低い声が響く。

彼の銀色のランスは、既に返り血でどす黒く汚れ、その青い瞳には凄まじい殺気が宿っていた。


「……逃げて、どこへ? お父様も、お兄様も……もう、いないのに」


ローゼンウィンが力なく首を振ると、フィンレイは一歩踏み込み、彼女の肩を掴んだ。

厚い手甲(てこう)が、彼女の細い肩を強く()す。そこには、言葉にならないほど切実な想いが込められていた。


「私がおります。……あなたが、この国の唯一の光だ。たとえ世界が敵になろうとも、この命を賭して、貴女を護ります」


燃え盛る炎が、二人の顔を照らし出す。

主従という立場を忘れて、二人はただ見つめ合った。

「逃げて」という彼の声を聞きながら、彼女は、自分がもうどこにも行けないことを悟っていた。

明日の夜に完結になります!

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