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太平洋核戦争  作者: 霊藻
9/9

voi ch'entrate.

西太平洋上空 高度13000メートル

アメリカ陸軍航空軍所属 爆撃機機内


まだ制式名称すら定まっていない、急造の超重爆撃機。

試作機に毛が生えたような機体で、塗装も最低限。

配線はむき出しの箇所があり、機体はやけに軋む。


────B-36の図体は、爆撃機というより「空飛ぶ建造物」だった。


格納庫で見上げたときから、誰もが同じ感想を抱いた。

翼は長く、胴体は輸送機より太い。

銀色の外板は周囲の明かりを鈍く弾き、まるで艦船のような存在感を放っている。


……こんな怪物が本当に飛ぶのか。


初めて見た整備兵が、そう呟いたのを思い出す。

だが今その怪物は、六基のレシプロエンジンを唸らせながら、夜の成層圏を飛翔していた。


重低音の振動が絶えず床を伝い、足裏から骨へと染み込んでくる。

与圧されている機内に、どこか冷えた金属と油とゴムの匂いが混ざっていた。


B-29に乗っていた者にとって、この機内は列車の車両のようだった。

通路があり、隔壁があり、前部区画と後部区画が長いトンネルで繋がっている。

その広さが、逆に落ち着かなかった。




……そして爆弾倉の向こう側。

爆撃機の腹の中には、人類史上、最も危険な爆弾が吊り下げられていた。


今回の「特別貨物」。

訓練弾を何発か使ったことはあっても、誰も本物がどういうものなのかを知らない。


だが全員が、それを意識していた。


整備時に見えた、異様なほど厳重な警備、触るな、近づくな、質問するなという命令。

爆弾というより、機密装置の扱いだった。


だからこそ、誰も、その話をしなかった。

代わりに、どうでもいい話題に逃げる。


「なあ」


無線封止で手持ち無沙汰な通信士が、姿勢をずらしながら口を開く。


「終わったら、まず何食う?」


唐突な話題だった。

副操縦士が苦笑する。


「は?」


「いや、帰ったらさ。基地の食堂、また古くなった材料だろ? 俺、もう我慢ならん」


「贅沢言うなよ。補給船が遅れてんだ」


「ステーキだ、ステーキ。血が滴るやつ」


「夢見すぎだろ」


航空機関士が工具箱を閉めながら割って入る。


「俺はビールだな。樽ごと飲む」


「任務中に言うなよ、喉が乾く」


「いいだろ、想像くらい」


小さな笑いが起きが、その笑いは、妙に軽かった。

これは縁起担ぎだ。

生きて帰る前提の、ささやかな儀式……喋っていないと、余計なことを考えてしまう。

航法士が地図を広げながらぼやく。


「しかしよ……東京か」


彼の指が海図の上をなぞる。

テキサスからフィジー、そこからダーウィンを経由して、東京。

とんでもない距離だ。

燃料計算は何度もやり直された。しかして帰投できる保証は、どこにもない。


「なんだ、怖気づいたか?」


「いや。ただ、遠い。とにかく遠い。テキサスからここまで飛んで、さらに日本だぞ。俺たち郵便屋か何かか?」


「世界一高い郵便だな」


「送料いくらだ?」


「祖国の命運、一個分」


短い、乾いた笑い。

その間にも、エンジンは低く唸り続ける。

一定の振動と単調な音、それは眠気すら誘うリズム。

だが、誰一人として本当に気を抜いてはいなかった。

爆撃手だけは黙っていた。

照準器の調整を何度も繰り返している。

レンズを磨き、角度を確かめ、またやり直す。


必要以上に丁寧だ。

その手元を見て、通信士が声をかける。


「おい、そんなに睨んでも逃げねえよ、東京は」


「……俺が落とすんだ」


ぽつりと返ってきた。


「そりゃお前の仕事だからな…」


「ボタン一個だぞ」


「どういうこった?」


爆撃手は少し迷ってから、言った。


「もっとこう……でかいレバーとか、両手で押すとか、そういうんだと思ってた」


「ヒーローの秘密基地みたいに?」


「そう。世界を変えるスイッチが、あんな小さいの、変だろ」


数秒、沈黙。

機関音だけが響き、副操縦士が肩をすくめる。


「戦争なんてそんなもんだ。引き金はいつも小さい」


「名言か?」


「そう、俺が今考えた名言だ」


また笑いが起きたが、誰も長くは続かなかった。

笑いが途切れた後、全員の視線が、無意識に爆弾倉の方へ吸い寄せられる。

予圧隔壁の厚いロック、その向こうにあるもの。

詳細は知らされていない。

ただ一つだけ、説明された。


『通常爆弾とは比較にならない威力』


それだけ。

その曖昧さが、逆に恐ろしい。


「なあ」


通信士が小声で言う。


「これ落としたら、ほんとに終わると思うか?」


誰もすぐには答えなかった。

やがて機長が言う。

 

「終わってもらわなきゃ困る」


それが答えだった。


「これで終わらなきゃ、俺たちは何を運んでるんだって話だ」


静かに、全員が頷く。

雲海の上、窓の外に星空が広がる。

黒い世界に、無数の光。

戦争中とは思えないほど、綺麗な夜。

地上に都市があり、人が眠っているなど、とても信じられない静けさ。


「……はぁ」


航法士が呟く。


「帰ったら、普通の仕事に戻りたいな」

 

「どんな?」


「郵便屋でもいい」


「結局それかよ」


小さな笑い、そして──


機長の声。

いつもと同じ、落ち着いた声色。

だが、わずかに硬い。


「全員、持ち場に戻れ。まもなく目標空域だ」


空気が一瞬で変わる。

冗談が止まり、装備の擦れる音だけが残る。


雑談の時間は終わり。

誰も言葉にしなかったが、全員が同じことを思っていた。

……これは、歴史に残る任務になる。



それからの与圧区画の中は、異様なほど静かだった。

エンジン音は聞こえている。

六基の巨大なプロペラが、夜気を引き裂き続けている。


それでも機内は、深海とも錯覚するほどの重圧があった。


誰も、無駄口を叩かない。


「目標まで、あと5分」


後席から報告。


「迎撃機の機影ゼロ。対空砲火も確認できず、探照灯はまだ此方を捕捉してないな」


それはあまりにも、あっさりしていた。

日本はこれまで、夜でも迎撃してきた。

探照灯、夜間戦闘機、必死の対空砲火。とはいえ、日本の有するそれらの対抗策は、超高高度を飛行するこのB-36に対して有効ではないと判りきっている。

それに、そもそも発見されていなければ対応など出来ないだろうとも。


「……死んだ街に向かってるみたいだな」


副操縦士が呟く。

その下に、東京湾が見えた。

黒い水面、灯りはほとんど見えない。

停電か、灯火管制か、それとも──


────戦争疲れか。


巨大な都市のはずなのに、影しかない。


「最終進入コースに乗る、爆撃手」


機長がスロットルを微調整し、機体がわずかに震える。

爆撃手が爆弾倉のスイッチに手をかけた。


手袋の中が汗で滑る。


「……これで終わるのか?」


誰に言ったのでもない言葉。

腹の下にぶら下がる“それ”の重みが、機体全体を引きずっているように感じる。


この一発だけで何万人、何十万人が消える。

それを理解しているが、任務はただ単純だ。

目標上空に侵入し、扉を開き、落とすだけ。


「目標まで1分」


機内時計の秒針だけが、やけに大きく響いた。


「……目標上空」


爆撃手の声が、やけに乾いていた。

機内灯は落とされ、計器の緑色の光だけが顔を照らしている。

照準器の中で黒い都市の輪郭が、ゆっくりと流れていく。


地形は全て地図と一致する。

間違いない、東京だ。


「扉を開く」


機長が短く言うと、爆弾倉のモーターが唸った。


金属のロックが外れる鈍い音。

次の瞬間、高空の冷たい空気が流れ込み、爆弾倉の中を風が吹き抜けた。


爆撃手の親指がスイッチにかかる。

この指一本で、歴史が変わる。


彼はノルデン照準器に高度、対地速度、風向、気温、湿度などを入力し、投下目標を東京都中心部に合わせた。


「……投下」


カチリ。

感触は、あまりにも軽かった。衝撃も、反動もない。


ただ…………機体が、ふっと持ち上がる。


「あ……」


誰かが息を呑んだ。

数トンの塊が消えただけで、これほど違うのかというほど、B-36は軽くなった。


「投下確認。落下中」


爆撃手が小窓越しに追う。


小さな黒い影。

それが、ゆっくりと、確実に、都市へ吸い込まれていく。


「よし、待避する! 全速!」


機長が叫び、エンジンが唸りを上げる。

巨体が必死に速度を稼ぐ。


訓練で技術者連中に何度も聞かされた。

───うかうかしていれば、自分たちも、爆風に巻き込まれる、とにかく離れろ。振り返るな、と。


だが…………誰もが振り返っていた。


十秒。


二十秒。


三十秒。



「……まだか?」


その瞬間───────



───────夜が、裏返った。



窓の外が、真っ白に塗り潰される。

夜が、消えた。


太陽が、もう一つの太陽が地上から昇った。


「────ッ!?」


光。

ただただ、閃光。


機内の影が逆転し、全員の骨格が透けたように見えた気がした。爆撃手が悲鳴を上げる。


「なんだ、これ……なんだよ、これ……!」


数秒遅れて、地獄の沼のように濃い焔が、地面からゆっくりと広がる。

爆発、というよりは、溶岩の海が盛り上がってくるようだった。

都市が、飲み込まれていく、建物も、橋も、何もかも。

光と焔の中に溶けていく。


「……神よ」


航法士が呟いた。


「ソドムとゴモラ……」


誰かが、笑った。

引きつった笑い。


「やった……やったぞ……これで終わる……これで戦争は終わるんだ……!」


歓喜。拳を振り上げる者。

涙ぐむ者。


「ざまあみろ、日本……」


歯を食いしばる者。復讐を叫ぶ者。


だが、機長だけは、何も言えなかった。

窓の外、ゆっくりと立ち上る、黒と赤の柱。


きのこ雲。


雲を突き抜け、まだまだ、上へ伸びていく。

自分たちと同じ高度に届きそうなほどに。


「……あの下に、人がいるのか」


誰にも届かない声。

手が震える。

…………自分たちは今、何を落とした?


あれは兵器という枠に収まるようなものなのか?

それとも────



遅れて、衝撃波が来た。

巨人に殴られたような衝撃で、機体が跳ね上がる。


「揺れるぞ!」


歓声と、嗚咽と、沈黙が入り混じる機内。

誰一人、同じ顔をしていなかった。


ただ共通していたのは。


もう後戻りはできない、と。

全員が理解してしまったことだった。


背後、夜の東京の上。

新しい太陽が、ゆっくりと咲いていた。






1945年8月6日 午後11時頃

東京都、六本木上空高度600mでガンバレル型原子爆弾「リトルボーイ」(核出力15kt)が炸裂。


同時刻、大阪市北区上空でインプロージョン型原子爆弾「ファットマン」(核出力21kt)が炸裂。






翌日未明、ソビエト連邦が日ソ中立条約を破棄し、日本に対して正式に宣戦布告。


数時間後、報復核攻撃によりニューヨークおよびモスクワは壊滅した。





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― 新着の感想 ―
アメリカもソ連も大都市は軒並み核の炎に包まれそう結果的に史実世界より全体的人口減りそうやなこれ
特攻しているんだから、今更怖いもんねえ。一億火の玉さ。
お前が「帰ったらステーキを食うんだ!」なんて言うから、ニューヨークにフラグがッ!
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