アトミック・エイジ
1945年3月25日 マリアナ諸島
最初に感じたのは、凄まじい圧力だった。
空気そのものが、殴りつけてきた。
全身をフルスイングでぶん殴られ、肺が押し潰され、身体が床に叩きつけられる。
何が起きたのか、理解する暇はなかった。
誰かの声が聞こえた気がする。
次の瞬間、世界が白くなった。
テニアン島北部のノースフィールド航空基地、日本本土への爆撃を実行する爆撃隊の発進基地。
その外れにある強化コンクリート製陣地の補強通路……本来なら人が長居する場所ではない。
彼は、ただ雨を避けるつもりで、そこに入り込んでいただけだった。
光が、壁を透かして突き刺さる。
目を閉じても意味がない。
瞼の裏まで、焼けるように白い。
続いて、遅れて来た音。
雷鳴とは似ても似つかない。
地面が唸り、建物が悲鳴を上げ、鉄扉が内側に歪む。
次の衝撃で、彼は意識を失った。
…………どれくらい経ったのか。
数秒か、数分か。
あるいは、世界が終わってから再び始まる程か。
意識が戻った時、耳鳴りだけが残っていた。
音はあるはずなのに、何も聞こえない。
「……一体何が?」
自分の声が、頭の中で反響する。
喉が焼けつくように痛い。
身体を動かす。
動く………折れてはいないようだった。
彼は、よろめきながら通路の外に出る。
そして────そこにあったのは、もはや基地とは呼べない“何か”だった。
並んでいたはずのB-29。
爆撃待ちで、整然と並べられていた銀色の機体。
そのいくつかは、影だけを残して消えていた。
機体の形そのままに、コンクリートに焼き付いた黒い跡。
残っている機体も、無事ではない。
主翼がねじれ、胴体が潰れ、内部から炎が噴き出している。
熱…………まだ、空気が熱い。
風が吹くたび、焼けた金属と油の臭いが鼻を刺す。
「攻撃……?」
口から出た言葉は、自分でも信じられなかった。
爆弾か?砲撃か?
一体何を使えば、こんなことが可能だと言うのか。
遠くで、また光った。
今度は、北側……サイパン島の航空基地の方だ。
遅れて、地鳴りが追いかけてくる。
天高く立ち上がる黒い煙の傘を背に、彼はその場に立ち尽くしていた。
1945年3月25日 夜
テニアン島ウェストフィールド飛行場、ノースフィールド飛行場、サイパン島アイズリーフィールド飛行場上空で、伊十三型と推定される潜水艦から発射された核弾頭型ロケット弾(推定核出力5~20kt)が炸裂。
同飛行場に展開していた爆撃隊が壊滅する。
フィリピンの湿った風は、作戦室の中にまで入り込んでいた。
マニラ湾方面の地図に、赤鉛筆で引かれた線は、もはや海岸線を越えて内陸へ伸びている。
島嶼部の日本軍抵抗拠点には、いくつもの×印が重ねられていた。
ダグラス・マッカーサーは、静かに地図から視線を上げた。
「海軍は……やられたな」
呟きは独り言に近い。
硫黄島、ウルシー、グアム。
報告は断片的で、どれも信じがたい内容ばかりだった。
日本軍の新兵器、艦隊を一網打尽にする威力の爆発。
だが………
「我々は違う」
彼は、フィリピン全域を示す地図を指でなぞった。
日本軍は、もはや組織だった抵抗を維持できていない。
補給は断たれ、支援もほぼ存在しない。
山岳部や密林に散った残党はいるが、それは時間の問題だ。
「フィリピンは、ほぼ奪回した」
海軍がどれほどの損害を受けようと、陸は違う。
地を踏みしめ、都市を取り戻し、旗を立てる………それがマッカーサーにとっての戦争だ。
「……よし」
彼は、背筋を伸ばす。
「残りは掃討戦だ。抵抗拠点を一つずつ潰す。残党の連携を断ち、各個撃破していく。そうすればフィリピンに残る日本軍は、終わりだ」
参謀たちが頷く。
誰も異論は挟まない。
不安は残る………だが、戦争とは常に不安の中で進むものだ。
マッカーサーは、窓の方を向く。
外は、穏やかな昼だった。
雲は高く、空は澄んでいる。
────そして、光が来た。
太陽が、目の前で爆発したかのような白。
影が消え、輪郭が溶け、世界が一瞬で塗り潰される。
反射的に目を閉じる暇すらない。
「な──────
次の瞬間、衝撃波が牙を剥いた。
1945年3月26日 フィリピン
マニラ、タクロバン、サンボアンガ上空で熱核弾頭搭載試作型弾道弾(推定核出力1.2Mt)が炸裂。
ダグラス・マッカーサー陸軍元帥が行方不明。
軍人・民間人合計総死者数、約48万人。
東南アジア、ビルマ。
メイクテーラの街は、まだ煙の匂いが残っていた。
瓦礫の間を縫うように、英印軍の兵士たちが進む。
銃声は止み、日本軍の抵抗はすでに散発的なものになっていた。
イラワジ、メイクテーラでの戦闘……その山場は、確かに越えたはずだった。
「やっとだな……」
誰かが呟いた。
決して良いとは言えない地形、日本軍の頑強な抵抗。
それらすべてを乗り越えて、ようやく掴んだ要衝だった。
だが、その達成感は、命令一つで崩れ去った。
「撤退命令?」
前線司令部に呼び出された将校は、思わず聞き返した。
「この街を、放棄しろと?」
連絡将校は、疲れ切った顔で紙を差し出した。
そこには、簡潔すぎる命令文が並んでいる。
『────第17インド師団は直ちに後退準備に入れ』
「…………理由は?」
一瞬の沈黙、そして、抑えた声。
「ダッカが、壊滅しました」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「何だと………?」
将校は、もう一枚の報告書を机に置いた。
「……インパールもです」
空気が、凍りついた。
ダッカ…………東部インド最大級の補給拠点。
インパール…………かつての激戦地であり、ビルマ戦線の要。
「……何が起こった」
しばらくして、ようやく出た声は掠れていた。
「詳細は不明。恐らくは日本軍の新兵器……街一つを短時間で破壊する程の破壊力を持つと思われる、新型爆弾です」
将校は、思わず笑いそうになった。
馬鹿げている。だが、司令部がこんな笑えない冗談を言ってくるとは思えない。
「つまり……」
彼は、ゆっくりと息を吐いた。
すぐ後方の兵站拠点が消え去った、つまりは……
「ここを取った意味が、なくなったということか」
誰も否定しなかった。
前線で血を流し、泥にまみれて奪った街は、
遠く離れた場所で起きた“何か”によって、一夜で無価値になった。
「撤退準備を始めろ」
命令は、機械的に下された。
兵士たちは戸惑いながらも従う。
その傍ら、イラワジの川は何も知らぬ顔で流れ続けていた。
同日 英領インド
ダッカ、およびインパール上空でフィリピンに投入されたものと同型の試作型弾道弾が炸裂。
推定総死者数 約30~40万人。
翌日 ハワイ
パールハーバーの朝は、穏やかだった。
海は青く、湾内にはいつも通りの艦艇が並んでいる。
あまりにも平和、故に───胸の奥に、嫌な静けさを感じていた。
ジョン・ヘンリー・タワーズ大将は、司令部の窓から湾を見下ろしていた。
航空畑一筋。空母と航空戦力の可能性を信じ続けてきた男だ。
「……静かすぎるな」
独り言のように呟く。
副官が入ってきたのは、その直後だった。
「大将。グアムへ送った救援部隊の報告です」
紙を受け取る。
目を通すにつれ、眉間に深い皺が刻まれていった。
太平洋艦隊司令部が壊滅的被害。
第5艦隊は事実上、消滅。
原因は不明。だが、通常兵器では説明不能。
「……またか」
思わず、低く唸る。
ここ数日、同じ文言を何度も目にしていた。
理解不能な攻撃と、前例のない破壊。
参謀が言葉を選びながら続ける。
「生存者の証言によれば、閃光の後……強い衝撃波が」
タワーズは、手を上げて制した。
「もういい……」
彼は椅子に深く腰を下ろす。
視線は、再び湾へ。
湾内の艦艇、港湾施設。
そして、陸上には航空基地。
………紛うことなき重要拠点だ。
「ここは……狙われやすいな」
参謀が息を呑むのが、背後でも分かった。
「大将、それは────」
「分かっている」
タワーズは静かに言った。
かつて、日本軍がこの湾を奇襲した時の記憶が、否応なく脳裏をよぎる。
あの時も、ありえないと思っていた。
まさか、ここを……と。
だが、今は違う。
「もし、彼らが“それ”を本気で使うなら……」
言葉を切り、ゆっくりと続ける。
「ここは、最優先目標だ」
司令部の空気が、重く沈んだ。
図らずも、タワーズのその言葉は直ぐに証明されることとなる。
1945年3月27日 朝
ハワイ、オアフ島上空で試作型MRV弾道弾(推定核出力約150kt、弾頭数3)が炸裂。
パールハーバーは基地機能を喪失、ジョン・ヘンリー・タワーズ大将が急性放射線障害で死亡。
4月に入り、日本軍の核攻撃を恐れた米軍が西太平洋地域でのすべての作戦行動を中止、自然停戦状態となる。




