アフターマス
1945年3月25日 アメリカ合衆国
ホワイトハウス
───フランクリン・D・ルーズベルト大統領
報告を聞き終えた後も、執務室は静まり返っていた。
ホワイトハウスの大統領執務室。
分厚いカーテン越しに、春の光が差し込んでいる。
その穏やかさが、今しがた告げられた内容と、あまりにも噛み合わなかった。
「……もう一度言ってくれ」
ルーズベルトは、低い声で言った。
向かいに立つ海軍連絡将校は、姿勢を正したまま、言葉を選ぶ様子もなく繰り返す。
「第5艦隊が、日本軍の新型兵器による攻撃を受けました。日本本土近海での航空戦で大損害を受け、ウルシー泊地に撤退……後にそこにも日本軍の攻撃が行われ……空母11隻、戦艦6隻、護衛艦艇数十隻、その他多数の補助艦艇が撃沈、もしくは行動不能で放棄せざるをえませんでした……」
大統領の手が、肘掛けを強く掴んだ。
第5艦隊、もしくは第3艦隊は太平洋における米海軍主力中の主力。
それが一夜にして屋台骨をへし折られた。
「……新型兵器、とは?」
「詳細不明です。ただし、各報告に共通しているのは───」
将校は一瞬、言葉を切った。
「凄まじい破壊力を持つ爆弾だと」
ルーズベルトは目を閉じた。
思考の奥で、先の戦争の影がちらつく。
第一次大戦……毒ガス、機関銃、戦車、戦闘機……技術が一線を越えた瞬間、戦争そのものが、それ以前とは決定的に変質したあの感覚。
「……ニミッツは?」
問いは短かった。
「ウルシー泊地が攻撃を受けたのと同日から、グアムとの……太平洋艦隊司令部との連絡も途絶えており……」
沈黙。
暖炉の中で、薪が小さく音を立てて崩れた。
「スプルーアンスは、生きているのか」
「不明です……現地は通信がほぼ完全に遮断されています……」
大統領は、深く息を吸った。
「………直ちに、協議が必要だな」
執務室の空気は、重かった。
陸軍、海軍、統合参謀本部、国務省、財務省。
呼び集められた顔ぶれは、この国が持つ知性と権力の縮図だったが、誰一人として自信のある表情をしていなかった。
最初に口を開いたのは、この場では一番階級が低いであろう男、レズリー・グローヴス陸軍少将だった。
「とある計画」の責任者である彼は、慎重すぎるほど慎重な言葉を選んでいる。
「大統領……仮説の段階ですが」
その前置きだけで、ルーズベルトは察した。
「現在、我々が進めている極秘研究……」
「マンハッタン計画、だな」
グローヴス少将は、ゆっくりとうなずいた。
「はい。そこで開発されている新型兵器……原子爆弾の推測される効果と、今回太平洋で観測された現象が……あまりにも一致しています」
ルーズベルトの指が、机の上で止まった。
「強烈な閃光と火球、おそらく極めて短時間に高いエネルギーが放出された時の現象……現時点で、核分裂反応としか考えられません」
一枚の資料が回される。
そこには、ウルシー泊地と艦隊周辺で観測された被害分布の概略図が描かれていた。
「……つまり」
ルーズベルトは、静かに言った。
「日本は、我々と同じもの──原子力兵器を先に実用化した可能性がある、と?」
誰も否定しなかった。
一瞬、室内が完全に沈黙する。
日本が……資源も、工業力も、科学力も劣るはずの日本が。
「……信じがたいな」
それは感想であり、率直な驚きだった。
「大統領、こちらを」
次に提出された報告は、戦況図でも損害レポートでもない。
それは、企業名と年表だった。
「これは……何だね」
ルーズベルトの問いに、財務長官が答える。
「日本の一部財閥──戦前に急成長した、新興の工業資本です。表向きは発電事業、重工業、化学工業への投資を行っていましたが……」
財務長官は、一枚の資料を指で叩いた。
「二十年近く前から、特定の原料を異常な量で買い集めています。
ウラン鉱石、重水関連設備、分離機に必要な資材……名目はすべて『次世代発電技術の研究』です」
室内が、ざわついた。
二十年。
それは、この戦争よりも、ずっと前だ。
「……計画的、ということか」
ルーズベルトは低く言った。
「はい。欧州、アジア、中南米……世界中から分散して、これらの……当時からすれば必要性に疑問のあった資材を調達し続けています」
偶然ではない。
戦時の苦し紛れでもない。
「では……」
大統領の脳裏に、別の報告が浮かぶ。
「南京……!」
誰かが、はっきりと口にした。
1937年。
説明のつかない大破壊。
都市の一角が、単に焼け落ちたのではなく、消えたとしか言いようのない被害。
「当時は、爆撃か火災と処理されましたが……」
グローヴス少将が言葉を継ぐ。
「もしその時、日本がすでに実用段階の原子力兵器を保有していたとすれば……」
ルーズベルトは、ゆっくりと息を吐いた。
戦争が始まる前から。
いや、世界がまだ「次の戦争」を想像すらしていなかった頃から。
日本は、そこに辿り着く道を進み続けていた。
「……狂気だな」
だが、その狂気は今、現実になっている。
「だが、現実がそうだと言うなら、問題は次だ」
ルーズベルトは視線を上げる。
「対策はあるのか?」
陸海軍の各々からの即答はなかった。
代わりに、グローヴス少将が口を開く。
「構造上、原子爆弾は小型化に限界があります。どうしても……重く、大きくなる」
「ということは?」
「小型、中型機には搭載できません。だとすれば、考えられる手段は限られます」
黒板に、簡潔な図が描かれる。
四発の重爆撃機、そして、もう一つ。
「……潜水艦」
誰かが呟いた。
「はい。航続距離、秘匿性、搭載量を考えれば、自爆的運用を前提とした潜水艦による接近は……理論上は、考えられます」
自爆。
その単語に、ルーズベルトの表情がわずかに歪む。
「彼らは……そこまでやる、と?」
「日本軍はすでに特攻を戦術として採用しています。兵器が変わっただけ、と考えれば……」
言葉は、そこで止められた。
続きを言う必要はなかった。
ルーズベルトは、ゆっくりと背もたれに身を預ける。
日本が先に実用化した原子爆弾。
使われて初めて実感する、地獄の縁に辿り着いたような、禁断の兵器。
「……我々は」
大統領は、低く言った。
「とんだ怪物を、叩き起こしてしまったのかもしれんな」
誰も、否定しなかった。
「大統領」
参謀総長が前に出る。
「敵の運用手段が、重爆撃機および潜水艦に限定されるのであれば……防御の余地はあります」
ルーズベルトは、即座に頷いた。
「やれ」
声は、もはや迷いを含んでいなかった。
「日本軍の潜水艦を、本土沿岸に近付けるな。哨戒線を拡張し、対潜網を二重、三重に敷け」
「爆撃機もだ。レーダーでも見張り塔でも何でも使って、一機たりとも合衆国の領空に近付けるな」
「マンハッタン計画は最優先で進める。日本と同じ物を持たなければ勝負にすらならない」
日本は、怪物を生み出した。
そしてアメリカもまた、同じ道を進んでいる。
だが今は……我々が手も足も出ないうちに──
「──合衆国の国土を……次の爆心地にするわけにはいかない」




