グランドフィナーレ
ウルシー泊地は、かつてないほど満ちていた。
外洋から戻ってきた艦艇が、環礁の内側を埋め尽くしている。
空母、戦艦、巡洋艦、駆逐艦……だが、整然と並ぶはずの艦列は崩れ、間隔は不揃い、曳航索を垂らしたまま動けない艦も少なくなかった。
飛行甲板が焼け落ちた空母。
上部構造を失い、応急補修の木材がむき出しになった巡洋艦。
艦尾を沈め、喫水線ぎりぎりで辛うじて浮かんでいる駆逐艦。
それらは「帰投した艦隊」というより、生き残っただけの残骸の集合体に近かった。
1945年3月20日 ウルシー環礁
───米海軍第5艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将
スプルーアンス大将は、泊地を見下ろす旗艦の艦橋で、双眼鏡を下ろした。
…………これが、沖縄上陸を控えた主力艦隊の姿か。
参謀たちの報告は、艦艇数だけ見ればまだ戦力を保っているようにも見えた。
だが、数字だけでは何も分からない。
現に、主力となる空母は半数を喪失し、航空隊は壊滅的打撃を受けている。
そして何より──敵が何を使ったのか、未だに説明がつかない。
「日本軍は、新型爆弾を使用した可能性が高い」
情報参謀の声は、抑制されていたが、硬かった。
「単艦撃沈を目的とした兵器ではありません。艦隊そのものを無力化する……そういう性質の爆弾です」
スプルーアンスは黙って聞いていた。
机上には沖縄の地図が広げられている。上陸予定海岸、艦砲射撃、航空支援計画。
それらすべてが、今は紙切れ同然だった。
「同様の攻撃が、上陸部隊に対して行われた場合……」
誰かが言いかけて、言葉を飲み込んだ。
スプルーアンスは、ゆっくりと口を開く。
「………成立しないな」
短い言葉だった。
だが、それで十分だった。
「我々は日本軍が沖合いの艦隊に手を出せない、少なくとも大打撃を与える手段を喪失していること前提に作戦を組んでいる。だが、たった1発で艦隊を壊滅させる……完全阻止以外が意味をなさない兵器が存在するなら、艦隊はただの標的だ」
誰も反論しなかった。
窓の外では、修理中の艦から黒煙が上がっている。
「沖縄上陸作戦は──
スプルーアンスは一度、言葉を切った。
──現時点では不可能と判断する」
ウルシー泊地には、何百隻もの艦が浮かんでいる。
だが、彼にとってその姿は既に頼りないものとしか映らなかった。
───そして、その遥か上空からプラズマの尾を引いて落下してくる物体を知る事も無かった。
スプルーアンス将軍の暗号電文は、夜明け前にグアムの太平洋艦隊司令部へ届いた。
文面は簡潔で、余計な修辞は一切なかった。
だが、行間に滲む緊急性は、通信士でなくとも読み取れた。
『三月十八日以降の対日航空作戦において、敵は未確認の大威力兵器を使用。
強烈な閃光と爆風を発し、複数艦艇に同時的・致命的被害を与える性質を確認。
空母五、戦艦二、巡洋艦および駆逐艦多数喪失。
被害規模および日本軍の攻撃能力を鑑み、沖縄上陸作戦は現段階において成立せず。
第五艦隊はウルシー泊地に後退、再編および原因分析を実施中。
追加指示を乞う。』
数時間後 グアム 米太平洋艦隊司令部
───太平洋艦隊司令官チェスター・ニミッツ大将
ニミッツは、電文を読み終えると、静かに机に置いた。
グアムの司令部は、いつもと変わらぬ朝を迎えていた。
椰子の木越しに見える海は穏やかで、遠くで補給艦がゆっくりと動いている。
ここが、太平洋戦争の心臓部であることを忘れさせるほどに。
────だが、内容は穏やかではない。
空母五隻。
それだけで、作戦計画の前提が崩れる。
ニミッツは、作戦図を引き寄せた。
4月に控える沖縄上陸作戦……そのすべては、我が方の持てる海軍戦力が万全に機能することを前提に組み上げられている。
それが、意味を失ったとスプルーアンスは言っている。
「新型爆弾……?」
独り言のように呟き、首を振った。
爆弾という言葉では説明がつかない。
空中での異常な閃光、主力艦を一撃で大破させる破壊力、艦隊単位での無力化。
マンハッタン計画の詳細を知らぬ彼にとって、それは全くの未知だった。
「日本が……そこまでのものを?」
可能性は低い。だが、否定もできない。
ニミッツは、参謀たちを呼び寄せるよう指示を飛ばした。
戦術、作戦、戦略、すべてを洗い直す必要がある。
沖縄上陸は、太平洋戦争の帰趨を決める作戦だ。
それを止めるという判断が、現場から上がってきた。
しかも、スプルーアンスから。
ニミッツは再び電文に目を落とした。
単なる損害報告に留まらず、戦争の前提そのものが揺らいでいる。
………ゆっくりと息を吐いた。
どう大統領に報告したものか、と思考を切り替えたその時
「ウ、ウルシーが……攻撃を受けています!」
その報告は、形式を成していなかった。
参謀が司令室に駆け込んできた時点で、すでに声が裏返っている。
ただ、切れ切れの言葉が、呼吸と一緒に吐き出されるだけだった。
ウルシー泊地。
第5艦隊の主力が集結し、損傷艦が身を寄せ、次の作戦を待つ場所。
西太平洋における、最大にして最も安全な錨地──そのはずだった。
「日本軍か?」
「不明です!第5艦隊司令部は、何の前兆も見受けられなかったと……!」
言葉が続かない。
それだけで、事態の異常さは十分だった。
別の参謀が割って入る。
「巨大な閃光が確認されたと……艦艇上空で、複数……」
その単語に、ニミッツの背筋が冷えた。
閃光。
スプルーアンスの電文にあった、あの表現。
「……攻撃があったのは、何時だ」
「情報が錯綜しており、不明です!数時間前……もしくは数分前とも……」
司令室の空気が、一気に張り詰める。
誰もが、言葉にしない同じ考えに行き着いていた。
──ここも、安全ではない。
「提督、地下指揮所へ」
参謀が、ほとんど決定に近い声で言った。
避難手順は整っている。想定はしていなかったが、用意はされている。
ニミッツは一瞬、机の上の地図に目を落とした。
ウルシー、グアム。
前線と後方の区別が、意味を失いつつある。
「────よし、行こう」
そう言って、一歩踏み出す。
その瞬間、窓の外が白くなった。
1945年3月21日 午前0時~6時頃
ウルシー環礁泊地およびグアム太平洋艦隊司令部上空で熱核兵器を搭載した試作型弾道弾(推定核出力1.2Mt)が炸裂。
両拠点は基地機能を喪失、チェスター・ニミッツ大将が即死し、レイモンド・スプルーアンス大将が放射線障害により後日死亡。
また、ウルシー泊地に対しては同時に、潜特型から核弾頭搭載型艦対地ミサイル(推定核出力500~800kt)が複数発発射された。
視界が戻るまで、どれほどの時間が経ったのか、スプルーアンスには分からなかった。
ただ、光が去ったあとに残ったのは──燃えている海だった。
ウルシー泊地は、もはや泊地の形を保っていない。
停泊していたはずの艦艇群は散り散りになり、あるものは横倒しに、あるものは艦橋だけを残して黒煙の柱となっている。
空母、戦艦、巡洋艦、駆逐艦、補給艦。区別は意味を失い、すべてが同じ「残骸」としてそこにあった。
「……状況を確認しろ」
声に出したつもりだったが、喉は焼け付くように痛み、言葉はかすれていた。
周囲では、通信兵が無線機を叩き、参謀が地図や資料を押さえながら必死に叫んでいる。
しかし、その多くは途中で言葉を失い、ただ呆然と炎を見つめていた。
空が、明るすぎる。
雲が炎の光を反射し、まるで地獄が口を開いたかのようだった。
いや、違う。まさしくここは地獄だ。
「…………!」
その瞬間、第二の閃光が走った。
今度は距離が近い。
熱と圧力が一緒に押し寄せ、スプルーアンスの身体を床に叩きつける。
衝撃波が司令部を貫き、構造が歪み、破片が宙を舞う。
「なぜだ……」
床に伏したまま、彼は思った。
ウルシーは後方だ。
一応、制空権はまだある。警戒網も敷いていた。
ここが容易く攻撃される理由は、どこにも存在しない。
それなのに。
燃える艦……沈みかけた戦艦の傍で、転覆した補給艦が炎上しながらゆっくりと没している。
海面には燃料が広がり、そこに降り注ぐ火花が、泊地全体を一つの巨大な炉に変えていた。
第三の閃光、衝撃。
遅れて、轟音。
さらに遅れて、悲鳴。
スプルーアンスは歯を食いしばり、拳で床を叩いた。
これは何だ。
ただ、押し潰すだけの力。
抵抗も、降伏も、選択も許さない理不尽。
「……こんなものを……」
言葉は、続かなかった。
炎に包まれた泊地の向こうで、また一隻、艦が沈んでいく。
それを見ながら、スプルーアンスは理解した。
この戦争は、もう────
知っている戦争ではない。
理論も、計画も、経験も。
すべてが、光の前では無意味だった。
ウルシー泊地は、燃え続けていた。




