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太平洋核戦争  作者: 藻草
17/17

ペテロの門

ワシントンD.C.の中心部に設けられた即席の演壇の前には、すでに数え切れないほどの人々が集まり、怒りと不安と期待が混ざり合った空気が熱を帯びた層のようにその場を覆っていた。

群衆は静まり返っているわけではなく、低く唸るようなざわめきが絶えず渦巻いており、その中には報復を求める声もあれば、状況を知りたいという切実な叫びも混じっている。

それらの群衆の前に姿を現した大統領、ハリー・S・トルーマンは短く周囲を見渡し、やがてゆっくりと演壇に立つ。


一瞬だけざわめきが強まるが、次には、拡声器を通した彼の声が響いたことで空気は徐々に静まっていった。


「合衆国国民の諸君……我々は今、これまで経験したことのない事態に直面している」


その始まりは簡潔でありながら、群衆の注意を引き寄せるには十分だった。

言葉は重く、はっきりと発せられる。


「太平洋の拠点は打撃を受け、同盟国もまた大きな被害を受けた、これは疑いようのない事実だ」


群衆の中に、わずかなざわめきが走る。

それでも誰も妨害しようとヤジを上げたりはしない。


「だが────」


一拍置かれる。


「我々は無力ではない」


その言葉に、空気がわずかに変わる。


「現在、合衆国は反撃のための準備を進めている。軍は再編され、新たな戦力の構築が急ピッチで進行している」


それは希望を提示する言葉だったが、同時に時間が必要であるという事実も含んでいた。


「──この戦いは、衝動で勝てるものではない」


声がわずかに強くなる。


「我々は耐えなければならない、冷静でいなければならない」


群衆の中に緊張が走った。

期待とは別の方向の圧力。


「軽挙妄動は、敵に利するだけだ」


明確な言葉。

それは、今この場に集まった人々の感情そのものに対する自制の呼びかけでもあった。


「──怒りは理解する、だがそれは、正しく使われなければならない」


トルーマンの視線は、群衆の奥まで見通すように向けられている。


「我々は必ず反撃する、そのために必要な準備を整えている」


その言葉に、今度は明確な反応が返ってくる。

群衆の抑えられていた声が、わずかに上がる。

完全な歓声ではない………だが、否定でもない。




その瞬間だった。


演壇の脇に控えていた側近の一人が、急ぎ足で近づいてくる。

動きは控えめだが、その表情には明らかな異変があった。

トルーマンのすぐ後ろに立ち、身をかがめる。


小さく、耳打ち。


言葉は群衆には届かない。

だが、それを聞いた瞬間の変化は、隠しようがなかった。

トルーマンの表情がわずかに崩れ、それまで保たれていた緊張感が、驚嘆に揺らいでいく。

視線が止まり、言葉が途切れた。


「────何だと…ロサンゼルスが…?」


 






ロサンゼルスの市街地は、かつて西海岸一だった都市の輪郭をほとんど失い、その表土を複数の爆心を中心に引き裂かれたように歪ませ、焼け焦げた構造物の残骸と黒く変色した地面がどこまでも広がっていた。

五発の核爆発がほぼ同時に市の一帯で炸裂した結果、建物は多方面から押し潰されるように崩れ、剥き出しになった鉄骨はねじ曲がり、アスファルトは泡立ったまま固まり、その全てが真空状態となった爆心に流れ込む逆風の音のみが響く中に沈んでいる。

空は灰色に濁り、舞い上がった塵と煙が太陽を覆い隠す。

昼であるはずの時間帯が終わりの見えない薄闇へと変わり、焼けた空気そのものが重くまとわりつくように肺へ入り込んでくる。


街のあちこちで炎が生きており、瓦礫の隙間から立ち上る火は風に揺れながら広がり、人の存在など意に介さないまま燃え続けている。


遠くで建物が崩れる音、焼き熔け、千切れた何かが落ちる音、そしてかすかな呻き声が断続的に混ざり合い、意味を持たない雑音として空間に漂っている。


「……………あぁ、神よ……」


その中を、一人の消防士が歩いている。

満足な装備は無く、服はところどころ焼け焦げていた。

顔は煤と汗で汚れ、呼吸は浅く不規則でありながら、それでも足を止めることなく瓦礫の山へと向かっていく。

彼の視線の先には、崩れた建物の下からわずかに覗く手があった。


小さな手、子供の手。


彼はその場に膝をつき、素手で瓦礫をどかし始める。

破片が皮膚を裂き、指先から血が滲んでも手は止めない。


「……待ってろ……」


掠れた声。

瓦礫を一つずつ退かしながら、ようやく顔の一部が見える。

埃に覆われ、血で濡れた幼い顔。

生きているのかどうか、分からない。

それでも彼は手を伸ばし、さらに重い破片を動かそうとする。


その時ふと視界が揺れ、一瞬だけ、力が抜ける。

だがすぐに踏みとどまり、再び作業を続ける。


周囲では、人々がふらつきながら彷徨っていた。

衣服は焼け、皮膚はただれ、どこを目指しているのか分からないまま、ただ足を前に出している。


誰かが倒れるが、それを助けようとする者はいない。

あるいは、助ける余力がない。

すべての動きが遅く、鈍く、現実から切り離されたように見える。


炎はその間を縫うように広がり、倒れた人のすぐ側で燃え上がる。

生と死の境界が、曖昧になっていく。


消防士の手が、ようやく瓦礫の奥に届く。

指先が、挟まれた子供の身体に触れる。

温もりを感じ、その瞬間、わずかな安堵が胸をよぎった。


…………だが同時に、強い吐き気が込み上げた。

身体の奥が腐るように澱み、呼吸が乱れる。


「……くそ…っ…」


言葉にならない声が漏れる。

視界がさらに歪み、焦点が合わない。

手の感覚が鈍い……力が入らない。

それでも彼は、最後の力で瓦礫を押しのけようとする。


だが、体は言うことを聞かない。

膝から崩れ、その場に倒れ込む。


──────急性放射線障害。


それは目に見えない形で、すでに彼の体を侵していた。


内部から崩れていく感覚。

何もできないまま、ただ機能が失われていく。

彼は地面に手をつき、再び立ち上がろうとするが、その動きは途中で止まった。


音が遠ざかっていき、焦げた地面が視界一杯に広がり………そして暗くなる。

彼の手は、なお瓦礫の中へと伸びたままだった。

だが、その先にいるはずの誰かを引き上げる力は、もう残っていない。


街は燃え続けている。

人の有無など関係なく、ただ燃え、崩れ、そして静かに終わりへと向かっていく。

その中で、いくつもの命が、誰にも知られないまま消えていった。



1945年9月9日 11時50分

アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス上空でMRV型ICBM(弾頭出力200kt、弾頭数5)が炸裂。

現地におけるミサ、日曜礼拝の終わり頃、もしくは昼食準備中のタイミングで市街地を直撃。

推定死者数約80万人。









数日後 アラスカ州アンカレッジ上空


狭いコックピットの中で、機体は寒空を切り裂くように滑空している。

外界はほとんど何も無い自然の風景。

ただ空と、山と、森林と、わずかな文明の影が遠くに滲んでいるだけだった。


P-80シューティングスターの操縦桿を握るパイロットは、ヘッドセット越しに流れ続ける雑音と短い交信に耳を傾けながら、核爆撃機からの防空任務という言葉が持つ意味の重さをありありと実感していた。


戦場は太平洋の向こう側にあるはずだった。

だが今、その前提は崩れている。

彼らの前線は既に、ここアラスカ……ひいては“本土そのもの”となりつつあった。


──無線から、短く声が飛ぶ。


『……不審な反応あり』


新設された重厚なレーダーサイトからの言葉。

その一言で、空気が変わる。


『方位270、高度3万フィート……高いな……』


高高度。

従来の航空機であれば、上昇限界ギリギリの高度だ。


『不明機は西から侵入、東に向かっている……』


その言葉を聞いた瞬間、パイロットは操縦桿をわずかに押し込み、機首を不明機の方向へと向ける。


「迎撃に向かう」


短く応答しながらエンジンの出力を上げると、機体はわずかに震え、増速。

雪山の上の空を切り裂くように進み、パイロットは目を凝らし、空の中のわずかな違和感を探す。


そして───見えた。


遠く、わずかに光を反射する影。

通常の機影とは違う…………シルエットが、どこか異質だった。


「目標視認……」


声が低くなる。


「……なんだ、あれは……」


言葉が続かない。

それは、見慣れた従来機ではない。

プロペラは無く、翼が後退角を持ち、滑らかな流線型の胴体。

そして……コクピットが見当たらない。


「大型機……ジェットエンジン……?」


自分でも信じられない言葉が口から出る。

だが、他に説明がつかない。


「畜生、相手もジェットだ!」

 

速度計に目を移すが、それは既存の日本軍機の性能を明らかに逸脱している。

パイロットはスロットルを限界まで押し込んだ。

…………だが、距離は縮まらない。


「駄目だ……追いつけない!」


歯を食いしばる。

照準に捉えようとするが、その前に、徐々に引き離されていく。


「フルスロットルなんだぞ……!」


怒りと焦燥が混ざる。

その様を嘲笑うかのように前方の影は、空の中へと溶け込むように遠ざかっていった

 

「……逃がすか……!」


呟きが漏れるが、その信念は、不明機には届かなかった。

不明機はすでに、迎撃可能な距離の外へと抜けつつある。


「……見失う……くそっ!本土に連絡してくれ!至急だ!」






数時間後 イリノイ州シカゴ


シカゴの一角にある酒場は、外の世界で何が起きているのかを半ば切り離したような空気を保ちながらも、ラジオから流れる断片的な報道と人々のざわめきが、どこか落ち着かない緊張を内側に溜め込んでいた。

カウンター席に並んで座る二人の男は、グラスを手にしながらも飲むペースは遅く、互いに言葉を選びながら話しているようで、その視線は時折ラジオの方へと向けられていた。


「……ニューヨークがああなって、今度はロサンゼルスだ」


低く吐き出すような声で、一人が言う。


「もう、本土も安全じゃないな……」


もう一人が応じるが、その口調には苛立ちと同時に、現実を認めたくないような硬さが混じっていた。


「ニューヨークの銀行が吹き飛んで、うちの工場も資金繰りが大変らしい。日本の猿ども……よくやってくれたな」


グラスを強く置く音が、短く響く。

怒りは明確だった。

だが、それをどの様に日本へと向ければいいのか分からないまま、言葉だけが先に出ている。


「軍は何やってるんだ、やり返せばいいだろ、同じことを」

「できるなら、とっくにやってるだろうさ。まだ新兵器とやらが揃ってないのかもな」


即座に返される言葉。

そこには現実への理解があり、同時にどうしようもない無力感が滲んでいた。


しばらくの沈黙。

ラジオの雑音が、その隙間を埋める。

やがて、一人がふと笑う。

それは楽観ではなく、どこか投げやりな響きを含んでいた。


「……なあ、ニューヨークとロサンゼルスだろ」


グラスを傾けながら、軽く肩をすくめる。


「大都市を二つもやられてるんだ、次はここかもしれないな」


冗談めかした口調。

だが、その言葉には誰も笑わない。

シカゴの都市人口はニューヨークに次ぐ2位であり、狙われる理由は十分に存在する。

しかし、いくら日本とはいえ、遥か太平洋の彼方からアメリカ本土に攻撃するのは、国家の総力を挙げた乾坤一擲の作戦である筈だ。

常識的に考えて、青息吐息になりながらするような物だろう………常識的に考えれば、そうでなくてはならない筈だ。


「よせよ、ここは太平洋から2000マイルも離れてるんだぞ。いくら新兵器だとしても、そんな都合よく何度も───」






その瞬間、轟音。


空気そのものが裂けるような衝撃が店内を貫き、窓ガラスが一斉に砕け散る。

破片が内側へと飛び込み、客たちは反射的に身を伏せ、椅子やテーブルが音を立てて倒れる。


誰かが叫ぶが、誰も何が起きたのか分からない。

だが、それが“ただ事ではない”ことだけは、全員が理解していた。


二人の男も立ち上がる。

耳鳴りが残る中で、互いに顔を見合わせた。

言葉は出ない。

そのまま、半ば無意識に店の外へと飛び出す。


通りには、同じように外へ出てきた人々が立ち尽くしていた。

誰もが同じ方向を見ている。


遠く、街の北側。

そこに、異様なものが立ち上がっている。

巨大な柱……異様な黒煙と橙炎が混じりあった柱が空へと伸び、その上部でゆっくりと広がりながら、傘の形を作り始めている。

それはあまりにも現実離れした光景でありながら、誰一人として目を逸らすことができない。


「……おい……」


どちらか掠れた声を出すが、その先に言葉は続かない。

さっきまでの会話が、頭の中で反響する。


冗談のはずだった。

だが今、その冗談は目の前で現実になっている。

逃げる者はいない。

まだ、何が起きたのかを理解しきれていない………あるいは……理解することを拒んでいるのか。


煙と塵が広がり、星空が鈍く濁っていく。

雲はなお膨張を続け、その存在を誇示するかのように空を覆い始めていた。




1945年9月13日 夜

イリノイ州シカゴ北部上空で大陸間巡航ミサイル(推定核出力2~3Mt)が炸裂。

初期型誘導システムの精度限界により着弾が北側に外れ、都市中心部への被害は限定的に終わる。

直接的な死者数推定約10万人弱。



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― 新着の感想 ―
ああ、なるほど。ICBMに乗っけてるのが大威力核弾頭か多弾頭型核爆弾のどっちかなのは、多少ズレても確実に被害を出せるように広範囲を吹っ飛ばせるからか。
良いか悪いかは置いといてこの世界だと地球温暖化は全然進むのが遅そうだな基礎人口がが全く持って違うからね(ぐるぐる目)
ジェット爆撃機もですか。もはや安全な所は・・・。
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