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シャロンは、何回も何回も胸中で謝罪しながら、その光景を悲しい思いで見つめる。
やっかいな男が片付いたからか、予想以上の金が動いたからか、ほくほくした表情のクーリオが、扉の陰で震えていたシャロンに声をかけてきた。
「おや、シャロン嬢。
呼んでもいないのに、わざわざおでましとは。
おまえさんたちを見張らせていた奴らは何をしているんだ。
決められた仕事もできないとは許せんな。
おや?
手枷はどうした」
言われてシャロンは、はっと手首を押さえた。
「見張りの方にお願いして、は、外してもらいましたわ……。
手首が真っ赤に染まると、高く売れなくなるだろうと」
クーリオは金歯を見せてせせら笑った。
「ほう、高値で買われるよう考えるとは、なかなかいい心がけを見せる。
何しろお嬢さんの借金額はあまりにも多いからねえ。
もし落札金額が借金の残金を下回ったら、ご両親の命でまかなわねばならない。
せいぜい愛想を振りまいて、値打ちを高めるんだよ。
さあ、シャロン嬢。
出番だ、会場の真ん中へ進みなさい。
お金持ちの旦那様が高額で落札してくれるといいねえ」
シャロンはその言葉を、なんの感慨も受けずに聞いていた。
クーリオは気取って、エスコートでもするように腕を差し出した。
シャロンはそれを無視して、部屋に一歩足を踏み入れる。
そう、シャロンにはどのみち逃げ場はない。
さっき逃げたとしても、借金が消えてなくなるわけでもなく、ましてや家族三人で逃げ切れるわけでもない。
シャロンの両親は、苦労を経験したことがない。
もちろんシャロンだってない。
そんな世間知らずの貴族が、金も持たずなんのあてもなく、ひたすら借金取りに追われ、どうやって安住の地を見つけて生活できるだろう。
シャロン自身がこのオークションで売られ、その落札金額で残りの借金を支払わないと、両親は助からないのだ。
シャロンは、大広間の中央に向かって、一歩一歩足を進めていく。
その姿はまるで、真っ赤なバージンロードを歩く花嫁のようで、清楚で可憐なウェディングドレス姿は、この妙な熱気を帯びたオークション会場の人々の目を一瞬で惹きつけた。
それまで、シャンパンカクテルやつまみの肉を振り回し、品のない罵声や野次を飛ばしまくっていたはずの連中が、シャロンを見てしんと静まり返る。
「美しい……、なんと……純真無垢な……」
ざわつく男性陣の欲望を煽るためか、クーリオが声を張り上げた。
「本日の目玉、没落した男爵令嬢、名はシャロン。
十八歳になったばかりです。
見てください、この白磁の肌、艶やかなシルクのような巻き毛、傾城、傾国の美姫とはこのお嬢さんのこと。
さあ、掘り出し物ですよ!
二度と出ないかもしれない逸品です」
今更「人間を物扱いするなど、心ない人たちだわ」なんて嘆いたりしない。
ただシャロンは、やっとこの段階にきて、人間が奴隷として売られていくという恐ろしい現実に直面し、先の展開に怯えを抱いた。
父母のためと覚悟を決めたはずなのに、あっという間にその心積もりが粉々に砕けそうになる。
何十個もの目が、シャロンを品定めするために、ぎょろぎょろと動いていた。
手足はがくがくと震え、心臓は飛び出しそうなくらい高鳴っている。
色めき立った男性陣の様子に、嫉妬をむき出しにした奥方たちが、罵詈雑言を浴びせかけてきた。
怒声を受けたシャロンは、言いしれぬ恐怖に身を震わせる。
「まあ、どこが美姫なのやら、まだ子供じゃないの。
あんなに貧相で男性を喜ばせることができるのかしら」
「いえいえ、意外としたたかで図太い小娘かもしれませんことよ。
騙されてはいけませんわ、男を知らない初心な生娘のふりをしているだけかも」
奥方たちの、シャロンを侮蔑する暴言が、毒の棘となり鼓膜と心を突き刺す。
思わず両手で耳を塞ぎ、その場にうずくまってしまった。
もう足が一歩も進まない。
足だけではない、全身が固まったまま動けなくなった。
人々が、座り込むシャロンを見て嗤笑している。
それぞれ何か言葉を発しているが、まるで水中でもがいているみたいに歪んで聞こえてきた。
全身の血が凍りつき、氷のような冷たい汗が流れる。
天地が逆さまになったのかと思うほど目が回り、意識が空の彼方へ遠のきそうになる。
「よし!
落札だ!」
その鋭い一声で我に返り、クーリオが指差した方向を見た。
ゆうに三人は腰かけられそうなくらいのソファに、ぎちぎちとはまり込むように座っている年輩の男性が、手を挙げていた。
湯気が出そうなほどクーリオが興奮している。
「シャロン嬢、よかったではないか。
隣国の公爵だ。
あのお方なら、残りの借金全部支払ってくれるぞ。
最近七人目の妻を亡くされたという噂を聞いたが、新しい妻を探しに来られていたのか」
シャロンは何も言えなかった。
その隣国の公爵は、ひとりでは動けないらしく、従者の手を借りて立ち上がった。
年齢がいくつかはわからないが、髪は全部抜け落ち、顔は土気色、瞼は重く垂れさがり、頬と顎の肉が、揺れるほど伸びている。
クーリオが公爵のもとに駆け寄り、愛想笑いをした。
「公爵、お久しいですな。
半年ぶりですか」
公爵が、揉み手せんばかりの媚を無視し、細い目を懸命に見開き、シャロンをじっと見据えてきた。
思わず、びくりと後ずさりしてしまう。
「今度の娘は丈夫かね?」
気管が圧迫されているのか、その声はくぐもり、聞き取りにくかった。
クーリオは豪快に嗤い、シャロンの腕の腕を摑んで公爵の目前に差し出した。
「大丈夫ですよ、一年もちますなあ。
何せこの通り若くて健康ですから」
シャロンには、今の会話がまったく理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
想像しただけで怖じ気が背筋を這い上がってくる。
(何……、どういう意味なの……。
七人目の妻とか、半年とか、今度は一年もつだろうとか……。
考えたくない、想像したくもないわ。
わたくしは、黄金の軍神様がおっしゃる通り、この場から逃げ出すべきだったの?
でも、そうするとお父様とお母様のお命が……。
ああ、でも嫌、このひとの八番目の妻になるのはどうしても……)
ぱんぱんに腫れた指が顔面に伸び、シャロンの髪を掴むと、強引に引っ張り上げた。
「痛いっ……!」
「ブラウンの髪か、金髪がよかったな」
公爵が、気に入らないところはないかを探して、右から左から覗き込む。
シャロンは髪を引っ張られるだけでなく、口に指を入れられたり、腰を触られたり、まるで飼った猫を検分するような扱いを受けた。
「細い腰だ。
夜伽に耐えられるのかね」
「や、やめて……」
クーリオが涙目のシャロンを、鋭い口調で叱責した。
「黙りなさい、シャロン嬢。
もうあんたは公爵の妻、公爵夫人になったのだ。
夫に対する言動ではないぞ」
それを聞いた他の客が、口笛を吹いたり拍手をしたり、からかうように囃し立てた。
公爵の妻、公爵夫人と聞いても、シャロンに歓喜は一切沸き上がらなかった。
それどころか、絶望の淵へと追い詰められた心情にしかならない。
(ああ……、黄金の軍神様……。
あなたの親切をないがしろにした罰でしょうか?)




