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シャロンは今、悲惨で絶望的ともいえる状況に追い詰められていた。
闇オークションの控室。
シャロンはここで、見張りの男に陵辱されそうになっていた。
太く節くれた指が、胸元のレースに手をかける。
たとえ少しの面積だとしても、触れられるとそこから穢れが広がるようで、悪寒が背筋を走り、気持ち悪さが喉元からこみ上げた。
恐慌に陥ったシャロンは、両肩を掴まれているとはいえ、必死に全身を左右に揺らして拒絶を表す。
見張りはにやにや嘲笑いながら、それがどうしたと言わんばかりに、シャロンの細い腰を抱き寄せようとした。
薄ら笑う醜悪な顔が間近に迫り、生暖かい鼻息と酒臭い息が、鼻腔を鋭く突き刺してくる。
あまりに近いその距離に、極度の不快感が増殖した。
「いやっ!
触らないで!」
「もったいぶんな、暴れると小指の骨を折るぞ」
「やっ……、やぁ……」
見張りがシャロンの髪を掴み、唇を寄せようとした。
腐臭を放つ汚らしい唇に、思わず吐き気がこみ上げる。
至近距離で顔を見たくなくて、瞼をぎゅっとつぶった。
(この男と唇を重ねるくらいなら、沼地の蛙としたほうが何倍もましだわ。
お願い、誰か助けて。
まだ見ぬわたくしの旦那様、お願いです、わたくしを救いに来て……!)
どこの誰か、名すらわからぬ人物に救いを求めるなど、愚かで無意味な行為だとわかっている。
それでもシャロンは、祈るしかなかった。
(ああ……、誰か……)
シャロンの唇に、見張りの唇が触れそうになった、その瞬間。
ぐきりと鈍い音が耳に入り、押さえつけられていた圧迫感が、突如として消え失せた。
ゆっくり瞼を開くと、シャロンの足元に見張りの男が崩れ落ちていた。
「な……、何……」
見張りは口端から泡を吹き、白目を剥いている。
「間一髪だな、お嬢さん」
「え……」
先をほどまで、部屋にはシャロンと見張りのふたり以外、誰もいなかったはずだ。
シャロンは息を整えながら、傍らに立つ誰かをゆっくりと見上げた。
そこには昂然とひとりの男が立っていた。
頭を覆っていた布をはらりと取り外すと、先ほどまでここにいた美しい男だとわかる。
男は間違いなく、オークション会場へと連れて行かれたはず。
「どうして……、どうやってここに……?」
「遅くなって悪かった。
いかな私といえど、手首を拘束されたまま、デカブツふたりを同時に相手するのは分が悪かったものでね」
いつの間に手枷を外したのだろう、と見たら、男の両手首は手枷をはめられたままだった。
(手枷をはめたまま、岩みたいに頑丈なこの男を倒したというの?)
全ての疑問を込めて、シャロンは男性を凝視した。
揺れる黄金の髪に、怜悧なエメラルドの瞳、意志の強そうな引きしまった唇。
勇壮さと壮麗さを兼ね備えた圧倒的な強者の風格。
ぼろぼろの簡素な服に、黄金の髪は数日櫛も通されていないだろうという様相なのに、悪漢を倒し威風堂々と立つその姿は、神話に登場する雄々しく戦う貴き神のように映った。
顔半分が布で覆われた状態のときはわからなかったが、はっきりとその容貌を目にした今、新しい事実を知ることになった。
(わたくしはこの方を見たことがある……、まるで黄金の軍神のようなこの方を……)
どこで見たのだろう、一生懸命記憶の隅を探ってみる。
遠くからただ眺めているだけのような、手を伸ばそうにもけして届かない距離のひとのような……、そんな印象しか思い浮かばない。
そんな逡巡を遮るように、男性……、黄金の軍神は手に持っていた鍵を、シャロンの手枷の錠穴に差し込んだ。
すると、がちゃりと大きな音を立てて、手枷は足元へと滑り落ちた。
「どこから鍵を……?」
「もうひとりの見張りを倒して奪い取った。
さあ、今のうちに逃げろ」
確かに、この岩みたいな見張りを倒すことができたのだから、鍵を持っていたほうを倒すことなど、さほど難しいことではないだろう。
(ひとりで逃げることもできたのに、わたくしを助けるために、わざわざこの部屋に戻ってきてくれたの……?)
真っ赤な痕を残した手首をさすりながら、シャロンは問うた。
「あなたは一緒に逃げないのですか?」
黄金の軍神は深く頷き、用心深い顔で扉の外に視線を向けた。
「私は、もう少し様子を探る」
「え?
でも……」
「そなたは早くこの部屋から出て、どこかに身を隠しておきなさい。
私がオークション会場に足を踏み入れたら、そなたが逃げやすいよう、ひと騒動起こす。
その隙に脱出するのだ。
わかったね?」
シャロンは、ふるふると首を振った。
「それだと、あなたが逃げられないわ」
「私はいい、仲間がいる。
それに……」
黄金の軍神は、扉の外が騒がしくなったことに顔をしかめた。
「闇オークションの、真の黒幕を見つけ出し捕らえることが、私の最終目的なのだよ」
その言葉を聞いたシャロンは、驚愕で何も言えなくなってしまった。
(この方は一体何者なの?
手枷をつけられたまま見張りを倒すことができ、更にはオークションの黒幕をとらえるだなんて……)
「そろそろオークションの進行役が、私が現れないことを不審に思うだろう。
ここまで探しに来られたら実に面倒だ。
さあ、私の背に隠れなさい」
シャロンの手枷は外されたが、黄金の軍神はつけたままだ。
それなのに、王者の風格と魂を、ひしひしと感じる。
シャロンは黄金の軍神とともに、陰気な部屋をあとにした。
鬱屈とした暗く長い廊下を、びくびくしながら歩く。
途中、にょきっと太い脚が扉の隙間から伸びていて、シャロンは思わず「きゃっ」と小さく悲鳴をあげた。
見ると鍵を腰にぶらさげていた見張りが、そこに倒れていた。
黄金の軍神は、その太い脚と落ちている酒瓶を蹴飛ばし、見張りを部屋の中に押し込んでから、扉をきっちりと閉める。
高貴な印象なのに、時折ちらりと乱暴というか野性的な面が覗く。




