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時は、シャロンがいくら足掻こうとももがこうとも、無情に望まぬほうへと流れていく。
まもなく婚礼の儀という、ある日の午後。
不安に耐えかねたシャロンは、母に結婚話の経緯について相談することにした。
「ねえ、お母様……。
わたくしどうしても不安なことがあるの」
「何を不安に思うというの?
あと数日であなたは世界一幸せな花嫁になるのですよ」
婚礼衣装の仮縫いをしている最中。
シャロンは分不相応とも思えるドレスを、まじまじと視界に映した。
鏡に映るのは、高級絹の生地にたっぷりのチュールレース、真珠とダイヤモンドを無数に縫いつけた、恐ろしいほど高価な純白のウエディングドレス姿の花嫁。
シャロンは部屋を見回した。
壁には高名な画家の作品だと思われる絵画。
テーブルには銀のダイニング食器類、ソファには異国からわざわざ取り寄せたファブリックの数々。
半年前の館内とは違いすぎるインテリアに、シャロンはほおっと落胆の息を落とした。
「不安が増殖されて、どうしていいのかわかりません。
わたくしは、以前の館が好きでした……。
素朴で使い勝手がよくて、手入れもきちんとされていて、とても温かみを感じましたわ。
今の館は、趣味の悪い成金そのものです」
それを聞いた母が、驚愕の表情でシャロンを見返してきた。
「これらは全部あなたの輿入れ道具ですよ。
これくらいしないと、所詮男爵家だと見下され、シャロンが辛い思いをするかもしれないと思い、わざわざお金を借りてまで……」
「借りた?
お金を借りてまで、こんな高価なものを買ったというのですか?」
シャロンの咎める視線を受けた母が、気まずい様子で目を逸らした。
「お母様……。
最近館を訪れる、人相の悪い方々はもしかして……」
もうすく結婚式だというのに、話を持ち込んできたピーターソンは、ここ最近まったく姿を見せなくなっていた。
代わりに風体の悪い男たちが、毎日のように訪れている。
その男たちはシャロンを見つけると、舐めるように眺めては妙な薄笑いを浮かべるので、その度に大層嫌な気持ちにさせられた。
「お母様、もしかして返済に困っているのでは」
「何を言うの、そんなことは」
その時、鋭い呼び鈴の音が、母の言葉を都合よく遮った。
「来客かしらね。
あなたたち、仮縫いは小休止としましょう」
母はお針子たちに手を止めるよう命じ、シャロンの追及から逃げるように、部屋からそそくさと出て行った。
シャロンは、どんよりと渦巻く不安を胸中に抱えたまま、窓辺の椅子に腰かけ、暮れゆくオレンジ色の空を眺めた。
(お父様もお母様も、いくら頼んでも結婚相手を教えてはくださらない。
それどころかピーターソン様に、求婚をお断りしたら家族が牢獄に繋がれると脅されたわ。
更に、その方の格が上だからとお金を借りてまで無駄使いをなさって、男爵家を金箔で飾った張りぼてにまでして。
こんなことでいいのかしら、このままだと心には憂慮しか残されない……)
そう思い悩んでいると、扉の外が急に騒がしくなった。
たくさんの足音、父の怒声、母の悲鳴が入り交じる。
「何事なの?」
休憩中のお針子たちも訝しい顔をして、扉の向こう側に視線を向けた。
シャロンが立ち上がり、ショールを肩にかけ扉へと向かったその瞬間、扉が勢いよく鼻先で開かれた。
荒くれた体裁のいかつい男たち、その連中にとりすがる父、泣き崩れている母。
およそ男爵家にふさわしくない、そして見たこともない情景が視界に入った。
事態に恐れおののく執事や、メイドたちの困惑した視線が、シャロンを更に不安へと駆り立てる。
あまりにも異様な場面に面食らった。
「あ……、あなた方は?」
でっぷりとした腹を揺らして、ひとりの男がシャロンの前に現れた。
ニッコリ笑い金歯を光らせ、続いて嘘くさい巧言令色を口する。
「おお、あなたがシャロン嬢。
評判通り美しい!
馬の鬣のようなブラウンの髪に、湖のような水色の瞳、果物みたいな唇。
透き通るような白い肌に、細い腰、ふくよかな胸。
噂にたがわぬどころか噂以上の美貌!
主様の言う通り、まるで至極の真珠、国一番の美姫ではないか」
歓迎されざる客のくせに、賛辞を連ねる舌の、なんと滑りがよいことか。
シャロンは毅然とした態度で言い返した。
「わたくしが聞いているのは、あなた方が何者で、なんの権限があって、この館に入り込んできたかということです」
男たちが、わざとらしく豪快に笑った。
野太い声が部屋中に響き、シャロンを更に不安にさせる。
腹のでっぱった男が慇懃無礼にお辞儀をし、からかい口調でこう言った。
「初めまして、私はクーリオと申します。
貴族ではありませんが、人気のイベントを主催しておりましてな、金はそこそこ貯め込んでおりますよ」
初対面で金のことなど、貴族であろうとなかろうと品のない言動である。
シャロンはさらりと流して、質問を繰り返した。
「……クーリオ様、なぜわたくしの館に突然来訪されたのです?
それもこんな乱暴に」
「この館は、もうあんたたちのものではないんでね」
「え? それはどういう」
「あんたのご両親は、この館とあるものを担保に金を借りた。
そしてとうとう今月返せなくなった。
借りた金を返せない以上、担保をいただくしかない。
まずはこの館だ」
「なんですって……、そんな」
シャロンは項垂れる父と母に顔を向けた。
シャロンの目を一切見ないどころか、顔を上げようともしない。
問い詰める必要もなく、クーリオの言うことが、嘘偽りのない真実だと知った。
「では、わたくしたちに、この館から出て行けと……?」
「ご両親と召使いは、早速館から出て行ってもらおうかね」
クーリオは、二重あごを揺らして楽しそうに笑つた。
そして、数人の手下にシャロンを拘束しろと命じると、父母に向かってこう言い放った。
「そしてもうひとつの担保、美しい男爵令嬢も、館同様借金のカタに貰っていくことにしよう」
それを聞いた父母が、やっと面を上げ、クーリオにとりすがった。
「シャロンだけは……、お願いですから、もうしばらく返済を待ってください」
クーリオは聞く耳持たぬと、見下した顔をして冷たく父母を突き飛ばした。
「駄目だ。
おまえらはすでに、何をしても返せない域にまで借金額が到達しちまっている」
そう言い、紙を一枚床に落とした。
シャロンはそれを素早く拾い、ざっと目を通した。
「借用書」と書かれているその紙には、気が遠くなるような数字が明記されている。
「お父様、お母様、……なぜこのような大きい金額の借金を?」
「シャロンが嫁げば返済できると思って」
(そうだわ!
わたくしが結婚すれば、相手からお金を借りることができるかもしれない)
シャロンはクーリオに向かって、心を込めて懸命に訴えた。
「わたくしは間もなく結婚いたします。
その方は上位貴族の方ですわ。
どうか、もう少しだけ返済期限に猶予をくださいませ。
必ず……、必ずや借りたお金を……」
クーリオが喉を震わし、薄ら笑いを浮かべた。
そして地の底から響くような声で言った。
「夢物語は、寝て見るんだな。
現実はそんなに甘くないよ、世間知らずの無知なお嬢さん」
「そんなっ!
夢物語だなんて……!
お願いです、お願いですから……」
シャロンの嘆願虚しく、クーリオの部下に両腕を拘束され、引きずるように館から連れ出された。
「お父様!
お母様!」
懸命に叫ぶが、声は館に届かないのか、父母も、執事もメイドも現れなかった。
手荒に馬車に放り込まれ、両腕を鎖の付いた手枷で縫い止められる。
シャロンの横に、滑り込むように乗り込んできたクーリオが、腹をドアにつっかえさせながらこう言った。
「あんたの父母は売り物にならないし、やはり担保は美しい娘に限るな」
「う、売り物?」
怯えるシャロンに、クーリオは醜悪な笑みを向けた。
シャロンは、こうして闇オークションの会場に連れてこられたのである。




