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ところが、ピーターソンはしばらくは館を訪れず、いつまで経ってもお披露目パーティどころか、社交界や上位貴族主催のお茶会にさえも呼ばれることはなかった。
そして十八歳の誕生日を、何事もなく迎えた。
もちろん、結婚を申し込んできたという相手との顔合わせどころか、名前も知らないままだ。
父と母が勝手に取り揃えたドレスや宝石、華やかな飾りがついた帽子や派手な靴が、毎日のように届く。
クローゼット部屋にとうとう入りきらなくなり、貴賓室以外の部屋すべてが衣類で埋め尽くされた。
その後も乱費は続き、シャロンの結婚にまったく関係のない絵画や高価な食器類、調度品にまで及んだのである。
シャロンは目が点どころではなかった。
いくら男爵家とはいえ、財産や資産などは限られている。
これでは嫁ぐ前に破産してしまうかもしれない。
シャロンは目を覚ましてほしくて何回も何回も進言した。
その度に、父母はこう言った。
「これくらいしないと、周りに認められないとピーターソン様がおっしゃるのだよ」
父母は世間知らずかもしれないが、浪費家ではない。
そのふたりが、ピーターソンという男性の持ち込んできた話を鵜呑みにし散財するさまは、あまりにも奇妙に見えた。
その日の午後、フィヨルド公爵ピーターソンが館を訪れた。
フィヨルド公爵ピーターソンは、年の頃三十代後半の伊達男で、いつも高級ジャガード仕立てのタキシードに、品の良いシルクのネクタイを身に着けていた。
宝石をちりばめた懐中時計や高級革靴など、持つ小物も贅沢かつ華美な趣味をしている。
長身で、がっしりとした体格。
この国では珍しい宵闇のような黒髪に、黒い瞳の持ち主。
表情に変化は少なく、いつも目を細めて周りを慎重に窺っている。
どこか異国の香りを感じさせるエキゾチックな雰囲気のひとで、脚が悪いのか、銀の持ち手がついた杖を持っていた。
ピーターソンが気取った手つきでシルクハットをくるりと回すと、満面の笑みを向けた。
「これはこれはシャロン嬢、相変わらずお美しい。
まるで、泡から生まれた美神のようですな。
いや、それとも磨き上げた最高級真珠のようと申し上げましょうか」
口から先に生まれてきたようなひとだと思った。
そして、シャロンを子供扱いしているのか、まったく相手にしない様子を見せた。
シャロンは、ピーターソンがコートを脱ぐ間も待つことができず、早々に肝心なことを訊いた。
「ピーターソン様。
あなた様からご紹介いただけるという、わたくしのご結婚相手というのは、どこのどなた様なのでしょうか」
「それを訊いてどうするね?」
「できれば、お断りしたいと思っております。
わたくしは、早く地に足がついた生活に戻りたいのです」
ピーターソンは細い目を精一杯見開き、心底驚いたような顔をした。
「断るだって!
身の程知らずのお嬢さんだ!
そんなことをしたら君のご両親が、どうなるかを考えて口にしているのかね?」
「どうなると、おっしゃいますと?」
ピーターソンは大仰に振る舞ったあと、ささめくようにそっと言った。
「不敬罪に問われるということですよ。
何しろシャロン嬢に結婚の申し込みをされているお方は、格上も格上、私など足元にも及ばないような尊いお方。
お嬢さんの我が儘でどうにかなるような相手ではないのです。
お父さんとお母さんを牢獄に繋ぎたいのかね?」
牢獄という、極めて物騒な単語を耳にしたシャロンは、想像しただけで指先が震え、唇がわなないた。
(結婚のお申し出をお断りしたら、不敬罪に問われるほどのお方、公爵家よりも格上だとおっしゃられる方。
それは一体、どなただというの?)
「世間知らずの無知なお嬢さん、二度と結婚しないなどと勝手を言って、ご両親を困らせないように。
そして相手を詮索するような卑しい真似もおよしなさい。
たかだか男爵家の令嬢ごときが、注文をつけられるような相手ではないのだから」
相手を教えてくれと問うただけなのに、卑しいと言われるなんて夢にも思わなかった。
そのひどい言われように、心をひどく傷つけられ呆然としていると、慌てた様子の母が玄関口に現れた。
「まあ、ピーターソン様。
どうぞ、貴賓室に温かいお茶とマフィンをご用意しておりますわ。
シャロン、ピーターソン様をご案内せず何を……。
申し訳ございません、気のつかない娘で」
「いえいえ、可愛らしいお嬢様と楽しくお話をさせていただき、誠に光栄の至りですよ」
「そうおっしゃっていただけますと……。
さあ、どうぞ。
暖炉のある部屋へ」
ピーターソンは、先ほどまでシャロンに向けていた恐ろしい顔を和らげ、母の後について片足を引きずりながら、貴賓室に入っていった。
シャロンは自分の知らぬところで、わけのわからぬ話が着々と進んでいることに恐怖を覚え、そして抗えぬ運命の歯車に怯えるしかなかった。




