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城での生活にも慣れた頃、レスターの招待で、シャロンは同盟国の親善大使を歓迎するレセプションパーティに参加することになった。
「シャロンが結婚するはずだった男性が現れるかもしれない」
レスターにそう言われ、華やかな場所は苦手だが、出席することを決めたのだ。
ルードのエスコートでパーティ会場に足を踏み入れると、どこからともなく孔雀のように装ったベアトリスが現れた。
扇で口元を隠しながら、鋭い視線をシャロンのドレスに突き刺してくる。
「あら、ルード公爵様、ごきげんよう。
今日もベイビーの子守りかしら?
シャロンちゃんは、いつまで城に滞在するつもりなの?
客は三日もいれば腐臭を放つというわ、そのような格言もご存じないのかしら」
ベアトリスの皮肉は、ここ最近ひどい悪口雑言となっていた。
初めの頃の、それとない嫌味や当てこすりとは違い、シャロンを見れば、すぐさま罵倒し侮蔑してくるのである。
正面から悪意あるそしりを受けるのは、あまりに心が痛い。
シャロンは、ルードの背に隠れて、邪悪な存在をやり過ごそうとした。
震えるシャロンをルードは背に隠し、ベアトリスに向かってこう言明した。
「シャロン様は、レスター元帥閣下の正式な来賓客として、王城に滞在していただいております。
ベアトリス様が口を出すことではございません」
ベアトリスにとって、その話は寝耳に水らしく、たちまち許しがたいといった表情に変化した。
シャロンはその凶悪な面持ちを見て、ますます恐怖に陥った。
「レスター陛下の正式な客ですって?
男爵令嬢ごときにそこまでするなんて信じられないわ。
一体どうやってそこまで取り入ることが……」
とうとうシャロンは、ぎりぎりと鋭い目つきで睨んでくるベアトリスが恐ろしくて、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。
かたかたと震えるシャロンを見て、ルードが恭しい口調でこう言った。
「レスター元帥閣下はしばらく大使夫妻と別室でお話をされるそうです。
その間、シャロン様のエスコートを頼まれているので、これにて失礼します」
「……そう。
子守りも大変ね」
ベアトリスは、最後の最後までシャロンを蔑視し、不躾に睨み付けながら、ふんと鼻を鳴らして人混みに消えていった。
ふうと胸を撫で下ろすと、ルードが申し訳なさそうな顔を向けてきた。
「ベアトリス様のような激しい気質の女性をあしらうのは苦手で、上手く対応できていなかったと想います。
心苦しい思いをさせてしまいました。
申し訳ございません」
シャロンは生真面目に謝意を口にするルードに、首を振って否定を示した。
「いいえ、ルード様は庇ってくださいました。
わたくし、心強かったですわ」
それを聞いたルードが、今日初めての笑みを見せた。
そして恭しく一礼すると、礼儀正しく手のひらを差し出した。
「気を取り直すことにいたしましょう」
「はい、ルード様」
エスコートされパーティ会場を歩くと、次々と来賓客が訪れ、ルードによって紹介された。
だが未だに、シャロンの結婚相手だという人物は現れない。
「わたくしに結婚のお申し込みをされた方は、本当に存在したのかしら」
人波が切れて、ルードとふたりきりになったとき、シャロンはそう独り言ちた。
「シャロン様……」
「ごめんなさい、ちょっと……、不安になってしまって」
国王が主催するレセプションパーティに、出席しない高位貴族など考えられない。
よほどの高齢であるか人間嫌いか。
口外できない事情がある相手かもしれないと思うと、もし相手が判明したとしても、結婚を考えるのは怖いと思えた。
「クーリオと黒幕が捕まっても、わたくしの借金が消えるわけではないもの。
結局は、結婚相手の方にお金を借りて、借金取りに返済しなければいけない運命なのね」
悩ましげに俯くシャロンに、ルードが手をすっと差し出した。
「シャロン様、ダンスをご一緒していただけますか」
「ダンス、でございますか?
苦手だとおっしゃっていませんでしたか?」
「私はレスター元帥閣下よりも格段に下手ですが、シャロン様のご気分をいい方向へと変えられるのなら、喜んでお付き合いします」
ルードが気の進まないダンスを、シャロンのために踊ってくれようとしている。
その心配りがとても嬉しかったシャロンは、素直に礼を言い、その手にそっと手のひらを乗せた。
「ありがとうございます、ルード様」
ルードに手を引かれてフロアに出ると、一瞬周りがざわついた。
ルードが踊るという珍しい光景に会場中の視線が集まる中、ルードのリードで、シャロンは足を一歩踏み出した。
音楽隊の奏でる調べが、ルードの思いやりに溢れた心と混じり合う。
レスターからプレゼントされた、アクアマリンのパーティドレスが舞う度、縫いつけられたサファイアやエメラルドがシャンデリアの光を受けてキラキラと反射する。
ぎこちなくステップを踏むルードが、シャロンの美しいダンスに感嘆の息を漏らした。
「まるで蝶が舞うように踊るのですね。
本当は踊りの女神の生まれ変わりなのではないのですか」
「まあ、ルード様ったら。
宮廷の詩人に女性が喜ぶ褒め言葉を習われたのですか?
大袈裟ですわ、わたくしは男爵令嬢です」
それも没落した、と言いかけてやめた。
いくらベアトリスに非道な言葉を投げつけられたとしても、自分で自分を卑下する必要はない。
シャロンは、あまり上手でないルードのターンにも、軽やかにステップを踏んで楽しそうに踊った。
そんなシャロンに合わせていると、ルードも調子が出てきたようで、ふたりは瞬く間に会場内の来賓客たちの視線を釘付けにした。
だが、羨望の眼差しの中、ひとり鋭い視線を送る女性がいた。
ベアトリスだ。
彼女は手近な男性を伴い、ホールの中心へと出てきて、情熱的なダンスを踊った。
真っ赤な光沢あるドレスを翻し、くるくるに巻いた巻き毛を揺らして円舞するベアトリスは、大輪の薔薇のように見える。
(ベアトリス様のダンスは、その外見のように鮮やかで大胆で、とても情熱的なのね)
ベアトリスの大きな動きに、ホールで踊る他の人たちの波が引いていく。
ルードもその動きに合わせて、ベアトリスから遠ざかろうとした。
だが、なぜかベアトリスはシャロンたちを追うように、ステップを踏んでくる。
そして大きな一歩を踏み出し、 シャロンのドレスの裾を思い切り踏んだのである。
「きゃあっ!」
「危ない!」
シャロンは大きな悲鳴をあげて、無様にも床へと転んでしまった。
大理石の冷たい床に腰をしたたかに打ちつけ、あまりの痛さに、しばらくは身動きがとれそうにない。
音楽隊の指揮者は間抜けな顔をしてタクトを落とし、周囲もダンスの足を止めた。
(なんてこと……!
大事なレセプションパーティで、こんなみっともない姿……)
頭が真っ白になり、シャロンは暫し呆然として指一本すら動かせなかった。
時が止まったかのような錯覚に、これが夢であればと切に願った。
そっと周りを痛うと、皆目を見開き、口をあんぐりと開けて、驚愕の面持ちでシャロンを注視している。
ベアトリスが腕を組んで「思い通りにことが運んだ」という表情をし、高飛車にシャロンを見下ろしているのが見えた。
「シャロン様、大丈夫ですか?」
ルードが慌ててしゃがみ込み、手を差し出した。
シャロンは一刻も早く、この場から立ち去りたかった。
俯いたまま、ルードの手を取ろうとした、そのとき。
「まあっ……、下位貴族のお嬢様は、マナーもご存じないのかしら」
高笑いをするベアトリスの声を耳にして、シャロンの全身が硬直した。




