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シャロンは館の一番上のバルコニーから、爽やかな風を受けながら、大好きな景色を眺めていた。
さわさわと緑がそよぐ公園や、美しい装飾をてっぺんの十字架に施した教会、遠くにうっすらと見える荘厳な王城。
ここから見る首都は絶景で、清廉で清々しい気持ちになる。
シャロンは、まもなく十八歳の誕生日を迎える、男爵家の令嬢である。
ブラウンのつややかな巻き髪に、透けるような白磁の肌と、湖の底を思わせるアクアマリンの瞳。
小柄で華奢なことから儚げな深窓の令嬢に見えるらしいが、シャロン自身はそう思っていない。
乗馬も散歩も好きで、お気に入りのビスケットを買いに、繁華街へ足を向けることもある。
貴族の中では下位の部類に入る男爵家だが、ひとり娘であるシャロンは、特段生活に不自由を感じたことはなかった。
それは単に、シャロンが贅沢志向の娘ではなかったこと、父も母も平々凡々で、先代の遺産を無駄な投資などに費やさなかったことが理由にあげられる。
平和な日々を普通に生きる、どこにでもいる貴族の娘。
「シャロン、下りてきなさい。
お茶にしましょう」
「はい、お母様」
テーブルにはシャロンの好物である、りんごの香り立つ温かい紅茶に、ナッツやアーモンド、いちじくやオレンジを乾燥させたドライフルーツたっぷりのクッキーが並んでいる。
シャロンのお気に入りである小薔薇模様のティーカップで、りんごスライスを浮かべた紅茶を一口含むと、口腔から鼻奥にかけて甘酸っぱい香りと渋みある紅茶の味が広がる。
美味しい紅茶を堪能していると、父が出し抜けにこう一言った。
「シャロンが絶世の美姫だと評判になっているらしい」
父は頬を上気させ、とても嬉しそうに見えた。
そして母も、同じく上機嫌でそれに追随した。
「あなたがまるで、生まれたての真珠のように美しいと称されているのですって。
結婚のお申し出がくるかもしれなくてよ」
シャロンは、ここ最近、父母が少々おかしいことに気がついていた。
そして、再びお茶を一口飲んでから、呆れ顔でこう返した。
「大袈裟な表現ですわね。
社交界では、そんな妙な表現やたとえをする詩人がもてはやされているのですか?
美辞麗句を並べた比喩も、愛のない結婚も、わたくしは興味ありませんわ」
おかしいというのは、毎日のように話題に上る結婚話のことだ。
まもなく誕生日という時期になってからというもの、毎朝の定例の会話になっている。
正直、結婚などまだ早いと思っている。
だからいつも適当に聞き流しているのだが、ここ数日、父母は執拗に結婚を勧めてきた。
「今回のお申し込みは玉の輿なのだよ、お相手は高貴な方だそうだ」
かなり地位の高い方からの求婚だろうか、ふたりともかなり興奮していた。
(恋愛も未経験なのに、政略結婚をしなければいけないなんて……)
ある程度は覚悟をしていた。
貴族の子女として生を受けた以上、いつかは政略結婚の駒になるだろうと予測もしていた。
だが突然、降って湧いたみたいに、結婚話が持ち上がるとは想像していなかった。
お相手は公爵家か公爵家か……、まさか、大公なんてことはないだろう。
「お父様、お母様。
一体どなた様からのお申し込みだとおっしゃるの?」
言いたくて堪らない顔だというのに、なぜか父は首を振った。
「その方の名を口外してはならぬと言われていてね。
……シャロンにも言えないのだよ」
「最近よく館に来られるピーターソン様、シャロンも知っているでしょう?」
母が得意げな表情でそう言った。
「ピーターソン様?
背のお高い」
ここ数カ月、フィヨルド公爵ピーターソンと名乗る長身の男性が、よく館を訪れていた。
その度に「至極の真珠である美しい姫君へ」と歯の浮くような台詞と一緒に、豪華な花束や高級砂糖菓子を手渡してくる。
張りついた笑顔の下に何か別のものが隠されているようで、まったく好感を持てない相手だが、父母が最上級のもてなしをするので、シャロンも適当に合わせていた。
「最近よく来られている方ですね。
お申し込みはそのピーターソン様?」
「いいえ、ピーターソン様は仲介者で、もっと高貴な方からのお申し込みなのですよ」
(公爵より高貴な地位?
そうなると相手が限られてしまう……。
あり得ないことだわ、そんな都合のいい話。
フィヨルド公爵ピーターソン様……。
家でしか耳にしたことのないお名前だけれど、わたくしが社交界に疎いせいかしら)
「ピーターソン様は、どちらの領地にお住まいの公爵様なのですか?」
シャロンの疑惑からくる問いに、父母は取り合わなかった。
「そういえば、宝石商をピーターソン様が紹介してくださったよ。
早速明日呼ぼう」
「カクテルドレスも必要だわ。
巷で人気のドレスデザイナーを呼びましょうか」
倹約家で堅実な父母とは思えぬ発言に、シャロンは驚愕した。
お相手は、父母が雲上まで舞い上がるほどの大物なのだろうか。
「お父様、お母様、教えてくださいませ。
一体どなたからのお申し込みだとおっしゃるの?」
シャロンが強い語調でそう訊くと、父母はお互い顔を見合わせて、眉尻を下げた。
「聞いたところによると、私たち男爵家が取り立てられるのを、快く思わない勢力がいるらしい。
そのひとたちの嫌がらせや妨害によって、結婚話に水を差される可能性だってある。
その方のお名前を、けして口外してはならないと、ピーターソン様に厳重に注意されているのだよ」
「当人のわたくしにもですか?」
父母は「それがピーターソン様のご意思だから」と言い、頑なに相手の名を口にしなかった。
シャロンには、その言い分は半分正しいようで、半分胡散臭いものに思えた。
「どんなドレスがティータイムドレスにふさわしいかしらねえ。
ピンクを基調としてレースとリボンをふんだんに使い、ロマンティツクなスタイルにしようかしら」
小躍りする父母を見て、シャロンはぼそりと呟いた。
「ピーターソン様……。
次にお会いしたとき、相手を教えていただかなくちゃ」




