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必死で見えぬ何かに祈っていたら、椅子に座っていた男性に、いきなり声をかけられた。
今まで一言もしゃべらず、無言で椅子に座っていただけのひとだ。
シャロンは目に涙を浮かべながら、その男性を睨みつけた。
「あ、あなた……、女性が無体な真似をされて連れて行かれたというのに……、何もせず、ただ見ているだけなんて、とても紳士とは思えませんわ」
「私もそなたと同じ境遇だが?」
そんなことは重々承知している。
シャロンが言いたいのは、男性ならば、見張りたちの暴挙に、何か一言でも物申したり、楯突いたりする勇気や気概がないのかということである。
しかし、すぐにその考えは愚かだと改めた。
この男性も両手首に重い枷をはめられている。
思うように動けない立場であることは、シャロンとなんら変わりはない。
男は顔を隠すように綿の布を頭からかぶっていた。
その隙間から、豪奢なプラチナブロントがはらりと零れ落ちる。
シャロンは一瞬、その美しい金髪に目を奪われ思わず息を呑む。
男が落ちる髪を払う瞬間、その容貌がシャロンの瞳に映り込む。
(なんて美しいひとなの。
とても逞しくて立派な身体つきだわ。
それによく見たら、思っていたよりも年上の男性のようだけど。
一体どうして捕まってしまったのかしら)
シャロンは首を傾げながら、美貌の男を凝視した。
男も布越しにシャロンを見返してくる。
強い意志の宿る緑色の瞳と金糸のような髪を持つ男が、先に口を開いた。
「見たところ、結婚式用のドレスを着ているようだが、挙式の途中に連れてこられたのか」
「仮縫いの最中に、突然変なひとたちが館に現れ、わたくしを強引にここへ連れてきたのです」
シャロンは俯き、意味のなくなったドレスの腰下あたりを、くしゃりと握りしめた。
「結婚相手の男が助けにきてはくれないのか」
シャロンは首をふるふると振った。
「どこの誰か知らないひとと結婚するのです」
「知らない相手と結婚?」
咎めるような問いに、思わず言い訳めいた返答をしてしまう。
「父と母が決めた結婚です。
わたくしは相手を知らされておりませんでした。
政略結婚ではよくあることですわ。
だから、わたくしがこんな目にあっていると、その方は知らないと思います」
「不憫なことだな」
(男は他人事のように言った。
シャロンはその語調に違和感を覚えた。
(わたくしと同じ不幸な境遇だというのに、なぜ堂々としていられるのかしら。
これから待ち受ける悲しい運命が、恐ろしくはないのかしら)
「あなたは、なぜ……」
ここにいるの?
と問いかけようとして、言葉を止めた。
突然騒々しく扉が開き、見張りたちが戻ってきたのだ。
見張りたちは何かに気がついたように、シャロンと男の間に割って入る。
「おい!
おまえら、何くっちゃべってる!」
シャロンはふいと目を逸らし、足元に視線を落とした。
「何も話しておりませんわ」
その答えが気に食わなかったのか、見張りが突然シャロンの腕を掴んだかと思うと、投げ捨てるように強い力で床に突き飛ばした。
「きゃっ……、何を……」
怯えながら顔を上げると、見張りの男がニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていた。
妙な圧迫感がシャロンを囲い込む。
「生意気だな、自分の境遇を理解していないのか、それとも向こうっ気が強いのか」
「おれたちは、つんとすましたご令嬢を、少々お仕置きしてもいいというありがたい特権を持っていてな」
腰に鍵をぶら下げた男が、もうひとりに言った。
「おれが、こっちの男をオークション会場に連れて行く間に、思う存分楽しんでおけよ。
戻ってきたら交代だ」
「いいぜ、それまでにこの生意気な雌猫を躾けておくぜ」
聞くもおぞましい会話に、シャロンの身体が恐怖で震えた。
「おい。
立て!
次はおまえの番だ」
見張りに怒鳴られ、金糸のような髪を持った美貌の男が、ゆっくりと立ち上がった。
シャロンは怯えた心境のまま、美しい男が見張りに連れられ、重い扉の向こうに消えていくのを見ていた。
きっちりと扉が閉じられ、鍵がかけられると、待ってましたと言わんばかりに、残った見張りの男が舌舐めずりをして、シャロンを見下ろしてくる。
「生意気な口を叩いたこと、後悔させてやる」
「……い、嫌、触らないで……」
シャロンは、伸ばされた手から逃れるように、ドレスが汚れるのも厭わず、後ろへとずり下がった。
ガタンと音を立て、壁に沿って並べられている椅子に背が当たった。
背後には、これ以上の逃げ場がない。
恐る恐る見張りを見上げると、シャロンの視界に、ただれた欲情に顔を高揚させ、鼻を異様に膨らませた醜悪な悪魔が入り込む。
「や……、やめてください」
懇願を無視した見張りが、ドレスの裾を手荒く掴み、強い力で引っ張った。
その拍子に、シャロンはしたたかに背を椅子に打ちつけ、反動で床に倒れ込む。
ビリビリと胸元の布が引っ張られ、パラパラと真珠が床に散乱する。
見張りは、数粒を拾ってボトムのポケットに突っ込み、次は縫いつけてあるダイヤモンドに手を伸ばした。
「いやっ……、い……」
この部屋には、シャロンと見張りの、ふたりしかいない。
誰も来ないとわかっていてもシャロンは助けを求めることをやめなかった。
「誰かっ!
助けてください、誰か」
見張りが暴れるシャロンの手首を、手枷ごとまとめてねじり上げた。
脂肪と筋肉の乗ったごつい身体が、ぴったりと密着する。
見張りはシャロンの動きを封じ込め、抵抗のすべを次々と奪っていった。
「やっ……、やあ……」
「大人しくしていたら、十分に可愛がってやるよ」
見張りが顔を近づけ、唇を合わせようと、ひび割れた唇を開いた。
シャロンは必死で頭を振り、嫌な唇が虫ほどの面積も触れないよう、もがきあがく。
すると、もう片方の手で顎を掴まれ、親指と人差指で頬をぐっと押された。
骨が軋むようなその鈍痛に、思わず涙が流れ出る。
「暴れると舌を噛むぞ。
表面上さえ傷ついてなけりゃ、おれは一切叱られねえ。
さあ、その可愛い舌を差し出すんだ」
こんなところで下劣な男に唇を奪われ穢されるなんて、とても耐えられない。
(なぜわたくしがこんな目にあうの?
どうしてお父様とお母様は、お金を借りてしまったの?)
あまりに事態の流れが急すぎて、把握することも理解することもできない。
シャロンは、襲いくる恐怖から逃れたくて、瞼を伏せた。




