12
シャロンは、ゆっくりと瞼を開けた。
ベッドの周りには誰もおらず、ひとの気配すら感じられない。
状況が今ひとつ飲み込めないシャロンは、起き上がり、きょろきょろとあたりを見回した。
起きたばかりだが、まるで運動したあとのように全身が汗で湿っている。
手のひらをしっとりとした額にあて、からからに渇いた喉を潤すものがないかを探した。
「誰か……、水を……」
どこからも返事はなかった。
部屋内はシンと静まり返っている。
男爵家よりも、数段高価な内装と調度品の部屋が視界に入った。
天蓋つきの、弾力のあるべッドで寝ていたシャロンは、一瞬身体を震わせる。
「ここは……、わたくしの館ではないわ。
ま、まさか……、隣国の公爵の……?」
慌ててベッドから下り、今いる場所を確認しなければと、窓枠に駆け寄った。
毎週お祈りに行く教会の十字架、お気に入りの公園、歌劇を楽しめる円形劇場。
視界に映るのは、角度こそ違うが慣れ親しんだ光景に間違いない。
(よかった隣国の公爵は憲兵隊から逃げるため、わたくしを置いてどこかへ行ってしまたもの。
ここが公爵家のはずがないわね)
「じゃあ、一体ここはどこなの?」
訝しみながら部屋の中を徘徊したが、誰の館なのか推理できるようなものは見られなかった。
そっと扉を開け、廊下の左右を交互に窺ってみる。
見上げると、天井には均等な間隔でクリスタルガラスのシャンデリアがぶら下がり、壁には高名な画家の絵が要所要所に飾られていた。
廊下というにはあまりに広い。
見事なまでの豪華絢爛さは、シャロンの館でたとえると、貴賓客用の大広間に該当する。
「わたくしは、どこの高位な爵位ある方の館に迷い込んでしまったというの……」
「王城だよ、お嬢さん」
突然声をかけられ、シャロンは飛び跳ねるほど驚いた。
「だ、誰……」
扉の陰に、ひとりの男性が面白そうな顔をして立っていた。
「あ、あなたは……」
輝けるプラチナブロンドと豪奢な白い軍服、赤いファーがついた長いマントが、色鮮やかにシャロンの視界に飛び込んできた。
(やはりこの方は我が国の……。
なんてことなの、今までまったく気がつかなかったなんて!)
今になって、黄金の軍神の正体がわかったのだ。
「陛下……、本日はご機嫌も麗しく……」
必死で体裁を整えるシャロンを見て、黄金の軍神は声をあげて笑った。
「どうしたのかな、急にしおらしい態度を取るなんて。
闇オークション会場で、気丈に振る舞っていた勇ましいお嬢さんは、まだベッドの中でおねんね中のようだな」
「ま、まあっ……」
(まるっきり子供扱いだなんて!
わたくしはもう一人前のレディなのよ、結婚のお申し込みだっていただいているわ。
それを、おねんねだなんて)
「レスター陛下、そのおっしゃりようは、あまりにひどいです。
わたくし、あのときは心を奮い立たせようと必死で!」
黄金の軍神、レスターは、指を顎にあて、懸命に訴えるシャロンを見下ろしていた。
どうしても痛快そうな顔をやめてくれない。
黄金の軍神の正体は、レスター国王陛下。
我が国の君主で有り国防の要である軍隊の最高責任者、元帥を兼任している。
レスターは、勇猛果敢な唯一無二の軍人王として近隣諸国に名を馳せている、国家の英雄だ。
御年三十七という男盛りだが、伴侶はおらず過去に一度も王妃を迎えていない。
まずは国内外の平定を優先すべきだと考えており、結婚は後回しの意向だと噂されている。
貴族とはいえ、おいそれと気安く声をかけられる相手ではない。
ましてや貴族の中でも下位に属する男爵令嬢のシャロンでは、遠くから眺めるのが精一杯だと思えた。
軍人王と言われるからには、もっと無骨で乱暴なひとだと思っていた。
だが目前のレスターからは、不遠慮な面はあれど、軍人あがりの粗野な男という印象は感じられない。
どちらかというと、国王らしい崇高さと優雅さを兼ね備えた、高貴なる紳士という風情である。
白い軍服もレスターの持つ雰囲気と調和しており、道徳的な清廉さを際立たせていた。
子供扱いされて涙目のシャロンに、レスターは苦笑を浮かべた。
「悪かった。
しかし私が言いたいのは、そういう意味ではなくてね。
その恰好で堂々としていられるなんて、羞恥心をベッドに置き忘れてきたのかなという意味だよ」
「恰好……、でございますか?」
シャロンは、自分がどのような服装をしているのか、頓着していなかった。
ゆっくりと胸元を見下ろしてみる。
すると、繊細なレースがふんだんに装飾されている、ピンクのネグリジェを着用していた。
胸元はリボンで調整できるとはいえ、大きく谷間が見えるほど開かれているし、身体のラインが見えるほどの薄い素材だ。
しっかりした質量のある胸の膨らみと、リボンのついたショーツがはっきりとレスターに見えていたのである。
「や、やぁ……」
恥ずかしさのあまり、両腕で身体を抱え込み床にしゃがみ込んだ。
「レディの部屋に入らせてもらうよ」
レスターは余裕の笑みを浮かべたまま、クローゼットからガウンを取り出し、シャロンの肩にふわりとかけた。
「メイドには、嫁に出た妹の夜着を着せるよう命じたのだが、何を深読みしたのか少々派手なものを選択したようだな。
それを羽織っていなさい」
シャロンはかけられたガウンに袖を通し、腰紐を結んだ。
しっかりと胸とショーツを隠してから立ち上がり、再度お辞儀をした。
ガウンの裾を人差し指と親指で優雅に摘まみ、白鳥が羽ばたく前の一瞬のように腰を引いて、そっと膝を緩める。
「レスター国王陛下。
本日は王城にお招きいただきまして、誠にありがとうございます。
わたくしシャロンは、一生心の財産とさせていただきます」
慇懃にそう言うと、レスターも腰を落とし、完璧ともいえる挨拶をした。
「愛らしくも美しいお嬢さんに、喜んでいただけて光栄ですよ」
冗談とはいえ、最高権力者である国王が礼を示してくれたことに、シャロンは心底驚いた。
それどころか、まるでレディをエスコートするように、手のひらをすっと差し出してきた。
「シャロン嬢。
少々私の話に付き合っていただけないだろうか。
食事でもしながらね」
「食事、でございますか?」
シャロンも手を差し出し、誘導されるがまま、ゆっくりと部屋の中央にあるテーブルに移動した。
引かれた椅子に腰を落とすと、レスターも向かい側の椅子に腰をかける。
「そうだ。
そなたが気を失ってから十二時間以上経過している。
腹が減っていることだろう」
そう言われて、やっと空腹であることに気がついた。
「昼を過ぎているから、アフタヌーンティーでもどうだろうか。
女性の好みに合うよう用意させたのだが」
確かに空腹だが、自分の置かれている状況を考えると、のんきに食事をとれるような気分ではない。
しかし、国王自らシャロンを気遣って、女性の好きそうな料理を用意してくれたのが、とても嬉しいと感じた。
「ありがとうございます。
いただきますわ」
「よかった、早速この部屋に運ばせよう」
窓から燦々と降り注ぐ陽光を受けたレスターが、黄金の輝きを伴って破顔する。
しばらくすると、メイドが食事を運んできてくれた。
テーブルの上には、気品ある香りの紅茶と、ウォールナッツ入りのオートミールクッキーに、イチゴを使ったケーキ、新鮮な野菜がふんだんに挟まれたサンドイッチ、生クリームたっぷりの焼きたてスコーンが並ぶ。
そのどれもが美味しそうで、シャロンは自然と食欲が戻ってくるのを感じる。
このひととき、自分の身に起こった不幸な出来事を忘れ、シャロンはレスターと一緒に、仮初めのティータイムを楽しむことにした。




