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シャロンは、なすすべもなく震えていた。
見知らぬ館の一室、置かれている調度品からも、その部屋が過度なくらい、煌びやかで華美な趣味だと窺い知れる。
だが室内は、どんよりとした重苦しい空気に制されていた。
小さなランタンの弱々しい灯が、まるでシャロン自身の心境を映し出すように、物悲しく揺らいでいる。
シャロンは、重苦しい部屋の隅に座り込み、膝を抱えて、ふるふると身を震わせた。
真珠とダイヤモンドを縫いつけた、純白のロングドレスをまとったままの姿で……。
岩のように大きな男が、見張りとして扉前で仁王立ちしていた。
時折鞭を振って吠えまくる。
「逃げ出そうなんて気を起こすんじゃねえぞ。
くだらねえ企みを持つな、奴隷ども」
逃げたくとも逃げられるはずがない。
シャロンは今、繋がった金属の輪に両手首を拘束され、好きなように身体を動かすことができない状態に追い込まれている。
身動きするだけで派手な金属音を立てる拘束具は、強固な錠が手首内側あたりについており、道具なくして外すことは不可能に思えた。
悪目立ちするそれを外せない限り、万一ここから逃げ出せたとしても、街中ですぐに捕まってしまうだろう。
もうひとり、容赦なく罵声を浴びせてくる男がいる。
小さな酒瓶を片手に持ち、腰には鍵を携えているその男は、もうひとりの見張りほどではないが、シャロンの細い腕など容易に折ることができそうなほどの巨漢であった。
「逃げ出したら痛い目にあうことくらい、承知しているだろうよ。
その女でな」
シャロンの隣で肩を上下させて鳴咽している女性が、見張りのひとりに指をさされて、解かれたように身体を揺らした。
せきを切ったように泣きだす女性の肩に、そっと手を置いた。
女性は、シャロンのほっそりとした指にですら、触れられると怯えたように反応した。
女性の着ているドレスはびりびりに裂かれ、あちらこちらに泥がついている。
肌も赤く腫れて、小さな擦り傷が見てとれた。
乱暴された痕跡を目にすると、シャロンの心まで踏み荒らされたような気持ちになる。
(女性に暴力を振るうなんて酷い。
悪魔のような人たちだわ)
チャラ、ガチャ……と、女性が肩を震わせ涙を零す度に、金属の擦れる音が室内に響く。
無情な見張りたちは冷ややかに笑いながら、憐れな女性にこう告げた。
「さっさと泣きやめ。
次はおまえが競りにかけられる番だ。
汚い泣き顔だと価値が下がるぞ」
女性は必死で鳴咽を堪えようとしたが、漏れる悲しみは抑えきれない。
汚い泣き顔どころか、絶望の雫がとどまることなく服を濡らしていく。
残酷無比な暴言を吐く鬼畜のような見張りたちを、シャロンは横目で睨みつけた。
見張りたちは、非力な女性の悲惨な様子を目にして、ニヤニヤと野蛮な嗤いを浮かべている。
その酷薄さも、また許せないと思えた。
シャロンは、今から闇オークションにかけられ、売られていく。
横で泣いているこの女性も、無言で椅子に座っている男性も同じ運命だ。
ほんの数十分前まで、この部屋にはもっと多くの男女がいた。
順々に、この乱暴な見張りどもに連れ出され、別室へと連れて行かれたのだ。
すると数分後、大きな歓声と激しい拍手が鳴り響き、オークションが大盛況であることが、この部屋にまでひしひしと伝わってきた。
浮かれる喚声や、ひやかしの口笛は、残された者を更なる絶望へと追い詰める。
しばらくすると、戻ってきた見張りに、またひとり連れて行かれる、それの繰り返し。
なぜこんな目にあっているのかシャロンにもわからない。
ただひとつ、わかっていること。
それは……。
「諦めろ、借りた金を返せないからこんな目にあうんだ。
恨むなら親を恨め」
借金を返済するために売られていく、ただそれだけ。
「裕福な商家の旦那や奥方が愛人として落札してくれたら、おまえらも食うに困らない人生を送ることができるだろうよ。
だが、中には……」
アルコール臭を振りまきながら、見張りが下卑た表情をした。
「文字通り、朝から晚まで奴隷として、こき使いたいという目的の奴もいる。
せいぜい愛想よくして、高値で売られるように媚を売れよ」
そう言うと見張りのひとりが、ピシリッと激しい音をたてて鞭を床に一振りした。
わあっと両手で顔を覆って、号泣する女性に、シャロンは労るよう囁いた。
「泣かないで、きっと助けがきます。
ひとをひととも思わない悪辣で非道な行い、神が許すはずがありません」
それを聞いた見張りたちが、げらげらと下衆な笑い声をあげた。
「助けだと?
神だと?
おまえら、もう一度話すから、よく聞けよ」
見張りのひとりがそう言うと、もう片方も続いてこう言った。
「貴様らは親が借金を返せなくなったから、ここに連れてこられたんだ。
おまえらを競りにかけて、金持ちどもが支払う金で借金は返済される。
非道も何も、借金のカタにしたのはおまえらの身内だ、考え違いするんじゃねえぞ」
それを聞いた女性は「お父様……、お母様が……」とぶつぶつ言いだすと、目の焦点がおかしくなってしまった。
(そんなはずがないわ、親が子を売るなんて、絶対にあり得ない!
なんてひどいことを言うひとたちなの!)
シャロンは、あまりにもひどい言い分に憤慨した。
「ひとの親が、そのような鬼畜な行為をするはずがありません!」
「じゃあ、なぜおまえはここにいる?」
問われて、シャロンは何も言い返せなかった。
なぜ闇オークション会場の控室で震えねばならないのか、なぜ借金のカタに売られなければならないのか。
両親が誰かに金を借りて返せなくなったから、そしてシャロン自身を担保としたからに相違ない。
「わかったら黙れ。
おい、おまえ」
項垂れるシャロンの横にいた女性の腕を、見張りは強引に引っ張り上げた。
「出番だ。
泣くんじゃねえ、泣きはらした顔のまま連れて行くと、おれたちがどやされるだろうが!
もし落札されなかったり、落札額が借金額を下回ったりしたら、おまえらの両親が金貸しに殺されるか、奴隷として売られていくんだぞ!」
「うっ……、うう……。
助けて……、誰か……」
女性は泣きはらしながら、引きずられるようにして、見張りに連れて行かれた。
見張りがシャロンに向かって、圧力をかけるようにこう言った。
「おれたちがいない隙に逃げ出そうなんて、くだらねえ考えは持つなよ。
ちゃんと扉の前で見張っているからな」
見張りたちに両脇を挟まれ、泣きはらしている女性は、部屋から連れ出された。
扉は大きな音を立て、虚しく目前で閉められてしまう。
ガチャガチャと扉の外から、鍵の閉められる音がする。
この部屋の扉は、当然のように内側からは開けられない仕組みになっていた。
シャロンは伸ばした手を、力なく床にゆっくりと下ろした。
両手首にはめられている輪を繋ぐ鎖が、じゃらりと悲しく響く。
(わたくしはなんて無力なの……。
邪な行いと、悪魔の振る舞いを目にして、何ひとつ事態を変えられないなんて)
それどころか、結局は同じ運命が待っている。
こんな恐ろしい闇オークションの参加者など、きっとひとでなしに違いない。
残虐非道なひとたちに買われていくのかと思うと、ぞわりと背筋が凍え、鳥肌が震え立つ。
思わず背を丸め、組んだ両手を額に当てた。
誰に祈るわけでもないが、ひたすら祈った。
もし神がいるのなら僅かでもいい、願いを叶えてほしい。
シャロンの境遇を不憫に思い、少しばかりの慰めを与えてほしい。
「そなたはなぜ、ここにいる?」




