Life goes on
NZの自宅に帰った翌日、二時間前に、母の訃報を受け取りました。
がんではなく、くも膜下出血だそうです。
二ヶ月に及ぶ母との最後の日々は、一生忘れることはないです。
十五年前の、そのうち日本に帰ったら、親孝行するよ、という約束は永遠に果たされませんでした。
いつも思うのですが。
残されるほうは、後悔ばかり。
もっと、優しくしてあげればよかった。
もっと、してあげられることがあったのに。
年末には、母の容態がかなり落ち込んで、私は滞在の延長を考えていましたが、年が明けてから持ち直した母の様子を見て、いったんNZの家族のもとへ帰ることにしたのでした。
命の火は、燃え尽きる前にいっそう輝いて燃え盛るというのは、ほんとうのことかもしれません。
年明けて、ふたたび寝たきりから持ち直し、活動的になっていた母の姿。
少なくとも、もう痛みや苦しみから解放されたいという母の願いは叶えられたですから。
母の最期の誕生日、彼女の7順目の辰年をともに迎えられたことは、娘である私にとって意味があることなのでしょう。
彼岸を垣間見たことのある私だから思うのですが。
あの至福の地に母がたどり着けたのなら、それはすばらしいことだと思います。
ともにいたとき、母はいつも「早く死にたい」と私に言っていました。
がん細胞が神経を圧迫する痛みが耐えられないと言って。
そして、痛み止めのモルヒネはどんどん増やされていきました。
「私が殺してあげることはできないよ。あなたのこの世の役目が終わったら、神様だか仏様だかがお迎えをよこすんじゃないかな」
「こんな寝たきりになって、私の役目なんてもうないけん。終わっていい」
「命の役目って、私もあんたにも、決められることじゃないよ。最後まで生きるのが、命の仕事じゃなのかな。きっと意味があるんだよ。本人にはわからなくてもね」
生まれてくる命、生きている命、去り行く命、地上に流転するすべての命に、さいわいあれと祈る、南半球のひとり通夜でありました。
というわけで、しばらく創作はお休みさせていただきます。