6.白色の城と色とりどりの小人(後編)
「――まあ! すっかり元通りじゃない!」
その日の夜、メイラー夫人のご機嫌な声が邸宅中に響き渡った。普段は静まり返っている白色の家は、その声に驚いたようにカタカタと小さく揺れた。
メイラー夫人は惚れ惚れしながら手で真っ白に戻った壁をなでた。色とりどりの絵はきれいさっぱり無くなった。壁は、他の壁と同じく純白だ。
「素晴らしいわ、ロティアさん! あなたに頼んで正解よ!」
「喜んでいただけて良かったです」
ロティアとメイラー夫人は固く握手を交わした。
「明日の旦那様の帰国に間に合って本当に良かったわ。わたしが旦那様に叱られるところだったんだから」
メイラー夫人は陶器のような肌にしわができるほどの笑顔でそう言うと、ロティアに追加の報酬をくれた。依頼の出来具合によってはこのような臨時の報酬ももらうことができ、会社でも受け取ることが認められているのだ。
「ありがとうございます」
「感謝料よ。壁だけじゃなく、チャーシャも元に戻してくれたもの。助かったわ」
そう言ってメイラー夫人は、大人しく書き物机の椅子に座るチャーシャの方に目を向けた。チャーシャは鼻歌を歌いながら、お気に入りの本を読んでいる。チャーシャはもう一人で本を読むことができるのだ。
「機嫌が良くなって良かったわ。ロティアさんは子どもの扱いがうまいのね」
「フフランもいてくれたので、三人で会話が弾んだんです。ね、チャーシャさん?」
チャーシャはパッと素早く顔を上げ、にっこりと笑って「うん!」と答えた。
――今から数時間前、ロティアがメイラー邸に到着した頃、作業が一段落したリジンは、少し遅い朝食をとっていた。昨日買っておいたバゲットとチーズとココアだ。ロティアが見たら、野菜も食べるように言われそうな朝食だ。
『リンゴでも買っておけばよかったな』
そうつぶやいた時、ホテルの部屋のドアがノックされた。
リジンはバゲットをテーブルに置き、口元を拭いてからドアを開けた。すると、ロティアとフフランが部屋になだれ込むように飛び込んできた。
『わっ! 驚いた!』
『リジンッ! おっきい紙ちょうだい!』
『……おっきい紙?』
リジンがオウム返しをすると、ロティアとフフランは大きくコクッとうなずいた。
事情を説明し、リジンから大きな紙をもらうと、ロティアとフフランは大急ぎでメイラー邸に戻った。
『お待たせしました、チャーシャさん!』
絵本を読んでいたチャーシャは、のろのろと顔を上げた。
ロティアはチャーシャの傍に屈みこみ、カバンの中に小さく折りたたんでしまっておいた大きな紙を取り出した。チャーシャは不思議そうな顔をしている。
ロティアはチャーシャの肩にそっと手を乗せて話し出した。
『チャーシャさん、お仕事とはいえ、大切な絵を取ってしまってごめんなさい。許してもらえないかもしれないですけど、わたしなりに償いをしたいので、どうか、これを受け取ってもらえませんか?』
『……この、紙?』
『いいえ。ちょっと待っててくださいね』
ロティアがそう言うと、フフランがカバンの中から一つの瓶を取り出した。さっき取ったチャーシャの絵のインクを入れた瓶だ。ロティアはその瓶を受け取ると、紙の上にサッとかけた。チャーシャの肩がピクッと揺れる。
ロティアは『見ててくださいね』と声をかけると、杖の先をインクにつけた。そして紙の上に、ゆっくりとインクを伸ばし始めた。
『……あ! ファララ!』
チャーシャは思わず立ち上がった。紙の上に、星型の帽子をかぶったファララが再び現れたのだ。
『わたしの魔法で、ファララたちをこの紙にお引越しさせてほしいんです。メイラーさんのご要望にお応えするのがわたしの仕事ですが、それでチャーシャさんが傷つくのは嫌なので』
ロティアは手を止めて、チャーシャと目を合わせた。
『どうか、受け取ってくれますか?』
チャーシャは星のように目を輝かせ、コクコクコクッと何度も力強くうなずいた。
『この方が、いつでも一緒にいられるもん! こっちの方が良い! これが良い!』
チャーシャはすっかり興奮して、椅子から立ち上がってピョンピョン飛び跳ねた。年相応な無邪気な笑顔に、ロティアはホッとした。
『気に入っていただけて良かったです。大事な作品ですもんね』
『それにね、友達なの』
ロティアとフフランが『友達』と繰り返すと、チャーシャは再び現れたファララをなでながら話し出した。
『お人形も、ぬいぐるみも買ってもらえないから、ずっと話し相手がほしかったの。だから、自分で作っちゃえば良いんだって思ったの。でも、消せって、すごく怒られて……』
ロティアはぐるりと部屋の中を見回した。
チャーシャの部屋には書き物机の他に、一人用のベッド、花の彫刻が施された洋服ダンス、本棚らしき大きな棚が置かれているが、それも扉が閉まっている。それはいずれも白色をしている。
一見するとさっぱりしたきれいな部屋に思えるが、子ども部屋としては少々味気無い。
今まではその味気無さは、まぶしすぎる白色にあると思っていた。
しかしチャーシャに言われて初めて、この部屋には子どもが遊ぶためのものが一つもないことに気が付いた。
ロティアの実家の部屋と言えば、壁紙とカーテンは花柄、棚の上にはブロンドヘアの人形や、クマのぬいぐるみ、実際にドアなどが開閉できる立派なドールハウスなどが所狭しと並んでいた。
どれも子どもの頃からロティアの宝物だ。今も実家に帰ると、ぬいぐるみと一緒に寝ることもある。
そういうものがないのだ、チャーシャの部屋には。
それに気が付いた途端、ロティアは胸が締め付けられたように苦しくなった。
――チャーシャさんは悪さをしようとして絵を描いたんじゃない。寂しかっただけなんだ。
フフランも同じように感じたのか、頭がしょんぼりと垂れている。
チャーシャは急に静まり返ったロティアたちを不思議そうに見上げてきた。
ロティアは無理やり笑顔を作り、チャーシャの小さな頭をなでた。
『……大切な、お友達なんですね』
チャーシャは笑顔でうなずく。
『それじゃあ、急いでお引越しさせますね! 長い間壁と紙で離れ離れになってたら、リーリンさんたち、寂しがるかもしれませんから』
フフランはチャーシャの肩に飛び乗った。
『ロティアが超特急で終わらせるから、仕事が終わるまでは、オイラと遊んでようぜ!』
『うん!』
こうしてチャーシャの絵は、無事にすべて紙に移動した。大きな紙を二枚張り合わせた世界に一つの巨大な紙だ。今はチャーシャの白い棚の中に、丁寧に畳まれて、大切に仕舞われている。
チャーシャはチラッと棚の方を見てから、「ロティアさんもフフランも優しかったよ」と言った。
「良かったわね、チャーシャ。人見知りのあなたがそう言うんだから、間違いないわ」
「嬉しいお言葉です。あの、チャーシャさんに、今度遊びに行きましょうって誘っていただいたんです。よろしいですか?」
そしたらいろんなものを買ってあげたい。
その気持ちもあるが、それが原因でチャーシャが怒られるのは嫌だ。
だからせめていろんなものを、いろんな色を見せてあげたい。
ロティアはそう強く思った。
「ロティアさんなら大歓迎よ」
「ありがとうございます! 嬉しいです!」
ロティアとフフランはこっそりと目を合わせ、「よしっ」と心の中で拳を上げた。
――良かった。最後はメイラーさんもチャーシャさんも笑顔になって。
そしてチラッとチャーシャの方を見て、にっこりと微笑み合った。




