ルキウサリアルート6
「ロス、ロス!」
弾むように僕を呼ぶ声で手を止める。
振り返れば、アデルの私室にある図書館の扉が開かれた。
僕はすぐに座っていた椅子を立って出迎える。
「ロス!」
「これは姫さま。ご用命でしょうか?」
「いや、座れ、ロス。ディオラ、はしたない真似をするな。他の者たちが困っているだろう」
飛び込んで来た妹に、部屋の主であるアデルが注意をした。
実際、部屋周辺の守りの衛士も、姫付きの侍女も部屋の前で困り切っている。
「どうしてお前はそうロスのことになると子供っぽいんだ?」
「そ、そんなことは…………」
自覚があるからこそディオラは赤くなって言葉尻が消えた。
アデルは呆れたように肩を竦めて、諭すように続ける。
「ロスは今から入試に向けて詰め込む。だからディオラの側に控えられない。その通達は陛下から行っているだろう」
「そう、そうです! ロス、学園入学を頷いてくれたの?」
期待いっぱいに僕を覗き込むディオラは、頬を紅潮させている様子から喜んでくれているようだ。
そんな表情を向けられると、なんだか胸がくすぐったい気分になる。
「はい、殿下より強く勧められまして」
「何が勧められただ。命令しても抵抗したくせに」
「まぁ、無理強いはよくありません…………よくは、ありませんが」
ディオラは僕を見て、アデルに頷く。
「ご英断です」
「ディオラも陛下も勧めて、それでも頷かなかったからな。強引でもなんでも頷かせるしかない」
アデルに言われる前に、ディオラから熱心に学園入学は勧められていた。
それで頷かないと、陛下に呼ばれて話をされもしている。
もちろん学費も後見も全てルキウサリア国王が負うという内容で、僕にはいいことづくめ。
だからこそ断っていたんだけどね。
正直申し訳なさの方が先立っていた僕に、強引だけど本心から自分の目標のために進学しろと言ったアデルの言葉には心動かされた。
そんな話は聞いていないだろうディオラは満面の笑みだ。
一緒にいたいと以前から強請るお姫さまは可愛らしいし、どんな感情であれ慕われていることを表してくれるその笑顔からは目が離せない。
「それで、お兄さまの図書室でお勉強ですか?」
「私が使ったものがあったからな。といっても、だいたいそれを使って勉強している時にはロスも一緒だったからまずは復習からになる」
「お勉強なら私も一緒に…………」
「進み具合が違う。それにロスがいるとディオラのほうが集中できないだろう」
「そ、そんなことはありません」
「家庭教師から、話がよく脱線すると聞いているぞ」
「うぅ」
ディオラが言い返せなくなると、アデルはからかうようにその様子を見ていた。
その姿は仲のいい兄妹で、ちょっとうらやましい。
前世、僕は一人っ子で兄弟への憧れがあった。
けれど親自体が前世と同じような人っぽいので、今世の兄弟にも今さら期待はない。
「ほら、もういいだろう。邪魔をするな」
「いえ、その、ロスがどの学科を受けるのかを聞きたくて来たのです」
「それも復習次第だな。と言っても、大抵のことはそつなくこなす。本人がやりたいことがあるなら、希望を優先するが?」
アデルは僕に入学を命令した割に、そこは自由に選んでいいらしい。
政治学科で学んで部下につけと言うでもなく、魔法学科に進学して名を高めろと言うでもなく、か。
強引なようで優しさがあるんだよね。
ディオラも幼少から身分関係なく優しかった。
ルキウサリア国王も、息子が怪我させたからって今も面倒見てくれてるし、そういう血筋なのかもしれない。
「特別にこれということは…………ただ、どうすれば恩返しができるかとは考えています」
「自分のやりたいことはないのか?」
「ロスはルキウサリアの学園に興味があると、昔言っていたでしょう?」
ディオラとは出会った頃に目的地を話して、その際に学園に興味があると語った気がする。
「目的がないからこそ、知っていることを口にしました。今となってはあまり」
正直前世で大学まで行ったし、勉強は嫌いじゃないけど今さら感がある。
魔法も教えてもらえたけど、それで役立つビジョンも微妙だ。
「許されるならお近くで仕えることを。そう思うと教養学科で良いかと思います」
教養学科は広く浅くなイメージ。
政治もやれば、魔法もやるし、王侯貴族とのつき合い方なんかも授業でやる。
専門化してない基礎的な学科らしい。
「確かに王侯貴族の伝手を作るには教養学科か」
「ですが、お兄さま。ロスはもっとできます」
強く主張するディオラに、アデルも頷く。
まだ復習をしようって段階で、できるって何かな?
何かしてほしいことあるならやるけど。
「魔法の使い方が独特で、家庭教師も目を瞠るほどなのです」
「頭も回るからな。政治学科でもやって行けるだろう」
真剣に兄妹で話し合うけど、本当にどこでもいいんだよ。
いや、そう言えば一つ役立てるかも知れないことがあったかもしれない。
「姫さまは、どちらの学科に?」
「お兄さまと同じく政治学科と思っていたの。でも、お声がけがあって、薬学科を目指してみようかと」
「あぁ、テスタ老か」
アデルは何か聞いていたらしく応じる。
テスタ老というのは確かルキウサリアの学術研究では権威で、以前ディオラが助言した魔力回復薬にも関与していたそうだ。
その後は、着眼点がいいと言って、ディオラに薬草研究の場や薬学に関する会合に招待するなどしていると聞いていた。
権威からの誘いでというのは志望理由としては大きいだろう。
ただ薬学科となると専門的な学科になる。
王侯貴族としての顔繋ぎなんかは難しくなると思っていい。
「それなら」
「ロス、駄目よ。私ではなく、ロスが望むようにしてくれないと」
答えを止められて困る僕を、アデルは笑って見ているだけ。
「お役に立つことは、確かに僕の望むことで…………」
「それは、嬉しいけれど違うの」
「ロス、目標を明確にして説明しないとディオラは退かないぞ。そしてディオラ、ともかく今日は下がれ。まだ入試までに時間はある。その間にロスの目標も定まるだろう」
笑いを堪えるアデルにそう言われ、ディオラはその日は退いてくれる。
ただ僕はその後も、ディオラに学科は自分の意思で選ぶよう迫られることになった。
それから一年経ち、学園にはルキウサリア王家の馬車が止まる。
今日はディオラの入学式の日だ。
「お手をどうぞ」
僕は馬車を先に降りて、手を差し出す。
その手を支えに、ディオラは馬車を下りた。
「お兄さまには感謝しなくては」
突然何を言われたかわからず答えに窮すると、ディオラは気にせず笑顔を浮かべる。
「私、こうしてロスと並んで歩くのが夢だったの」
「姫さま…………」
「駄目よ、学園は格差なく過ごす場なのだから。それをお兄さまも望んでいらっしゃるもの。だったら、ここでは私をディオラと呼んでちょうだい」
楽しげに求めるディオラは、笑顔が輝くように感じた。
まるで太陽だ。
諦めかけた僕の顔を上げさせた光、凍えそうだった心を温めたぬくもり。
笑って、話して、僕を一人の存在として認めてくれた人。
「ディオラ…………さま」
「ふふ。さぁ、行きましょう、ロス」
僕の呼びかけに、照れたように笑うディオラ。
握った手を引かれ、僕の口元も緩む。
隣を歩けることが嬉しいと、僕からも言えればよかったかもしれない。
けれど今はその言葉が憚られる。
ただ、この先はそう言える機会もあるかもしれない。
そう思えば、入学を命じてくれたアデルの強引さに感謝も湧く。
「ディオラさま」
「なぁに、ロス?」
「僕を見つけてくれてありがとう」
今はその言葉に思いの全てを託して。
僕は目指すべき光を見つめて、一歩足を踏み出した。
一巻発売記念終