イクトルート3
何ごともなく時は過ぎ…………いや、本当に何もなかったのが異常なんだけど。
広いとは言え同じ帝都、しかも貴族屋敷の界隈にいるのに本当、何もなかった。
使用人として暮らしてても、表掃除してたりするから目撃情報くらいあるだろうにね。
まぁ、ようはあの伯爵は僕を捜しもしてないんだ。
関わっても来ないならそれはそれで僕も気楽なもので、前世庶民だからこそ言える身分制の堅苦しさからは解放されてた。
ただそれで済まないのは貴族で、僕を拾ってくれたイクトさんなんだけど。
「さすがにこのまま成人まで放置はないだろう。というか、成人して結婚も考えると、貴族籍のあるなしは大きな問題になる。その辺りがどうなっているかを確認しないと、将来妻子を得ても身分を理由に引き離されることもあるぞ」
普段宮殿への通いの問題から、宿舎にいるイクトさんが屋敷で僕にそう言った。
呼び出されて座らされた僕は苦笑いしか浮かばない。
気が早すぎると思ってしまうのは、晩婚化の進んだ前世の記憶があるせいか。
ちなみに僕は今年で十歳になる。
ただこの世界、人間以外の人種がいる上に、成人年齢はまちまち。
種族によっては体が成熟したと見做されたら中学生くらいでも結婚するんだとか。
「イクトさんは最初に結婚話が出たのいつですか?」
相手は海人だけど、人間の国で貴族をしてる広い見識の持ち主。
だから僕とそんなに変わらない結婚観かと思ったけど…………。
「十、五? いや、四だったか? まぁ、それくらいだな。成り行きで助けた相手の姫君が勢いで言っただけだったが」
「早!? というか、貴族になる時の結婚話もそんなじゃなかったですか?」
「早くもない。子が産めるようになればいつでも結婚の可能性はある。それに職業柄、危機を救った相手から好意を向けられることは多かったからな」
結婚が早かったり遅かったりの事情は、身分や財産によって違うそうだ。
平民でも親や顔役が世話することが多くて、当人の恋愛感情なんて二の次三の次なんだとか。
そして助けた相手に結婚を迫られるのもよくあるらしい。
実は平民だった時のほうがもてたのか、イクトさん。
「そういう選り好みが許されるのは、ほどほどに余裕がある貴族か、商人、町人だな」
「へぇ」
本気の驚き半分、もう半分はこの話長引かせて有耶無耶にできないかなって下心。
「それで、アーシャ。お前のことを皇帝陛下の耳に入れるが」
「はい!?」
皇帝という言葉に、伯爵への暴露を想定していた僕は声が裏返る。
いや、宮中で仕事してるからばれる可能性はあった。
けど、僕の成人とか結婚とか言ってたところで出るってことは、つまり…………。
「知って、たんですか? 僕の身元」
「即位される前に仕事で何度か。二年前に故郷に帰るという陛下の元上官が挨拶に来たから、その時に長子の名はなんだったかと聞いて知った」
「いや、その上官の人もよく覚えてましたね」
「アーシャの母親が亡くなった後に、ひどく気落ちしているのを毎日のように慰めてたというからな。その時に名前も何度も聞いていたそうだ」
初めて聞く話だ。
僕が生まれて一年で母親は死んで、記憶なんてない。
父親も物心ついた時にはいなかったから覚えてない。
だから印象だけで、再婚して皇帝になって僕を置いて行った人ってくらいのもの。
どうやら妻を亡くして、赤ん坊抱えて取り乱すくらいには普通の人だったらしい。
乳母をしてくれた母方の叔母が言うには、情の深い人だったらしいけど、七歳まで連絡なしだし、子供捨てて興味もないような人だと思ってた。
「僕のことを聞いて、皇帝陛下はどうすると思いますか?」
「引き取ると言い出しそうではあるが、アーシャにとってそれは迷惑だろう?」
イクトさん、けっこう無礼だ。
けど、引き取るって言うなんて、すぐに出てくるくらいの人らしい、僕の父親。
その上で再婚相手の父親が後見して皇帝になってるから、そんなところに前妻の息子引き取るって問題しかないのは想像できた。
「僕にとって、あんまり空気がいいとは思えませんね」
「本来、貴族子弟ならこんな屋敷もいい環境ではないはずなんだがな」
「そんなことないですよ。何をするにも気にかけてくれるし、挨拶したら返してくれるし、僕をちゃんと人として見てくれる。当たり前に人として接してくれる。ここで生活したいと思うには十分な環境です」
「それはまた」
呆れたように言って、イクトさんは考える。
「貴族としての生活には未練がないのだろうとは思っていたが、人として、か」
「僕は籠の鳥じゃないんです。餌だけもらってれば生きていけるなんてこともないんですよ。逆に、心が生きてれば大変でも生活ってできると思っています」
「心が生きるというのは?」
「簡単に言えば楽しめるなら、苦労も労働も嫌じゃない」
前世があるからこそ思う。
楽しむ余裕もない状況なんて、どれだけ生活が安定してても息苦しい。
それよりもここみたいに、話して笑い合って子供でも仕事して認められるほうが、ずっと心が生きてるし楽しいんだ。
イクトさんは僕の答えを聞いて、眉を上げてみせた。
「大抵人は、得ている特権、受けられる優遇を手放しがたく思う。固執するからこそ、失うことに絶望もするものだが」
「何処に価値を置くかじゃないですか? 僕は少なくとも自分を蔑ろにされてまで貴族に固執はしないです」
たぶんこの世界の平民の現実知ったら、後悔することもあるだろう。
けど伯爵家の暮らしと今を選べと言われたら、断然この屋敷での使用人生活だ。
「…………私は前にも言ったが今の職に未練はない。貴族になったのも成り行きだ。いっそ、皇帝にも秘密で帝都を離れるか?」
「それ、お尋ね者になりません? さすがに知ってて無視するのは後から迷惑になるし」
イクトさんを困らせたいわけじゃない。
そんな説得で、話は僕のことを皇帝にだけ知らせるってことになってしまった。
現状維持で荒立てないよう言い含めてもらうお願いはしたけど…………。
そして数日後、日も落ちてずいぶん経ってからイクトさんが屋敷に帰った。
「おや、旦那さま。今日はまたなんで帰ってきたんですか? というか、今夜お戻りの予定なかったじゃないでしょう。お食事の用意はないので、私らと同じもんしかありませんよ」
いつかのようなイースさんが出迎える。
けどイクトさんは軽口に答えられないくらい疲れてた。
その上、無言で手招いて僕を呼ぶと二人で話をすることに。
「今日、帝室の者が大聖堂に少数で参るという話を聞いてな。皇帝陛下かと思ったら、皇子たちだった。しかもそこで賊の襲撃が起きた」
「はい!? なんで皇帝、いや、僕のことか。じゃなくて、え、襲撃? うん? 宮殿で?」
物騒な話に、僕は何処を拾い上げればいいのか混乱する。
「まぁ、殺しには慣れてそうだったが、連携もなく、変装に使った騎士の兵装にも慣れてなかったお蔭で一人一人は大したことはなかったが」
実戦経験豊富な元狩人が、なんでもないように言う。
けど皇子たちは命に別状はない程度の怪我を負ったんだとか。
そして守った宮中警護っていう、イクトさんの同僚が重傷らしい。
ただ襲撃された皇子も護衛も全員生きて、暗殺は未遂に終わった。
そして危機を脱してから皇帝も駆けつけ、イクトさんを覚えていたそうですごく感謝されたとか。
けどそう話すイクトさんは溜め息を吐く。
「アーシャの件が片付いたら、さっさと海を見に旅に出ようかと思っていたが」
「そんな大変な事件に関わって、離職なんてできないでしょう?」
「扱いにくいと倦厭していた上司が、皇帝陛下とも顔見知りということで、陛下の要請を受けるという、恩を着せる形で私を使おうという腹積もりになったようだ」
「え、今までは知り合いってこと知られてなかったんですか?」
「軍務経験のある貴族子弟など珍しくない。皇帝の前職など気にする者もいないし、私は外部協力という位置だったから、そもそも交流があったこと自体知る者は少ない」
けどけっこう覚えてられてて、顔合わせてすぐ感謝されたのか。
そうなるとイクトさんの腕が立つことも知ってるだろうし、宮中警護にいること知ってたら、皇帝はもっと早くに声かけてたんじゃない?
「ちなみに僕のことは…………言える雰囲気じゃなかったですよね?」
皇子というのは僕の腹違いの弟になる。
確か三人いるはずだけど、子供が襲われて怪我したなんて聞いたら、他人ごとでも心配してしまう。
「いや、騒がしかったからこそ、ちょっと耳に入れた」
「だいぶ心労ひどいことになりません?」
僕の指摘に、イクトさんは今さら気づいたって顔で小さく口を開けた。
息子が暗殺未遂の上で、置いて行ったとは言え他の息子も家出してたって、けっこう頭の痛い問題だと思うんだけど。
「聞きますけど、どんな風に言ったんですか? それによっては重く受け止めない可能性もあります」
「…………あなたの子息は預かっている」
「駄目じゃないですか」
「そうだな。端的に済ませようと思ってしまって。今思うと…………」
僕の突っ込みに疲れてるイクトさんも改めて考えなおしたみたいだ。
もう遅いけどね。
「ともかく、近い内にきちんと知らせるための言葉を今から考えましょう」
僕はイクトさんのやらかしを挽回するため、そう声をかけたんだけど。
次の機会を待つよりも早く、夜中の屋敷に皇帝の側近っていうおかっぱの人が来た。
やっぱり皇帝も気になりすぎてたらしい。
仕方なく僕は今日までの経緯を話して、イクトさんも他意はないってことを伝える。
けど帰る時のおかっぱさんの顔は、困惑と疲労で血色が悪くなってたのだった。
全七話




