ヘルコフルート2
迷子になった日から、僕は伯爵家の目を盗んで屋敷を抜け出すのが日課になった。
「まだばれてねぇの? 貴族の屋敷もけっこう雑なんだな」
「何人か気づいてる人はいると思うよ。ラト」
僕は仲良くなった猫獣人のラトと軽口を交わす。
出会ってかれこれ一年が経った。
ラトは旅をする商人で、お店や生産者を回る形の業態だという。
だからひと月、ふた月帝都にいないこともあるけど、僕の同じ歳の友達だった。
ラトも親族に囲まれてるから、人間の友達は僕が初めてだって言ってる。
「あれ、ヘリーさんじゃない」
ラトが猫の耳をくりくり動かして、死角にいた人物に気づいた。
言われて見れば青白い肌の海人の男性と、赤い熊の獣人のヘリーさんが話してる。
「全く、一介の警護に無茶を言ってくれるな、隊長」
「悪いな。だが、あいつもお前さんのことは覚えてただろ」
「あぁ、お蔭で警護としてお側に侍るよう求められた」
「ほう、出世か?」
「まさか。侯爵はあちらの派閥じゃないからな。正直立場が微妙になった」
「ま、今さらそんな派閥なんて気にするたまじゃないだろ」
なんだか大人の話らしい。
ラトを見ても、ヘリーさんと話す海人については知らないと首を横に振る。
海人の人と別れたヘリーさんは、僕たちに気づいて手を挙げた。
「まだいたのか、アーシャ。日が暮れる前に帰れ。三食出る分食べておけ」
「はーい。次は二日後に来るね」
これでも伯爵家預かりの身で、一応貴族子弟の枠に入る。
だから勉強のために家庭教師はつけられてた。
あんまりいい人とは言えないし、見咎められて邪魔されるより真面目に授業は受けてさっさと帰ってもらうようにしてる。
だから家庭教師の目を盗めそうなのが二日後だということを告げた。
「お勉強大変だな、アーシャは。俺、明日からまた帝都離れるから。次会う時は、土産話してやるよ」
「うん、楽しみにしてる」
僕はラトと約束して、ヘリーさんは途中まで送ってくれる。
けど平民だから、貴族が出入りする界隈までは入れない。
それでも迷子になったり変なのに絡まれたりしないように、ここまで送ってくれるけっこう面倒見がいい人だった。
この一年こんな感じで僕は、もうなんだか家出する気はなくなっている。
ただ約束の二日後には、今までにないことが起こった。
僕はヘリーさんが働く、モリーさんの酒店に人を同行させたんだ。
「こちら、ウェズ叔父さんです」
「は、初めまして。この度は、甥がお世話になっていたそうで、面目ない」
黒髪は父と同じらしいけど、銀髪の僕とは似ても似つかない叔父。
けど就職を前に伯爵家に帰って来た五男で、僕の父の弟だという。
この人は母と面識があったようで、僕の不遇を気にしていた。
さらには謝ってくれて、望むなら伯爵家から引き取るとも言ってくれてる人。
「…………どっちでしょうかね?」
ウェズ叔父さんに、ヘリーさんが厳しい顔でそんなことを聞いた。
途端に、ウェズ叔父さんはわかった顔で苦く笑う。
「末の、弟です。もしかして、隊長さんですか?」
貴族ってことで今日は、モリーさんのお店の中。
いつもは外でラトと遊んだり、その辺にいる子供と遊んだりしてるけど、僕は前世があるし教育も受けてるから、読み書き計算でモリーさんの手伝いをすることもあった。
けど、お客を迎えるための部屋に招かれたのは初めてのことだ。
「まぁ、ヘリーのこと聞いてらっしゃるのでしょうか?」
「はい、義姉からの話でしたが。兄も、軍で上司に恵まれたと。その、私は確かに伯爵家の者です。しかし家を長兄が継げばその籍も抜かれる。貴族として対応していただかなくともけっこうですよ」
ウェズ叔父さんはちょっと自嘲しながら、自分の身の上をモリーさんに話した。
これは僕も知らない話だ。
まぁ、まともに話さないから伯爵家の事情はだいたい知らないけど。
そのウェズ叔父さん、学園の上の院に通っていて、それで何年も帰らず僕も会うのは初めての親戚。
で、僕の不遇を見て引き取ると言ってくれたけど、僕としては今の状態が気にいってる。
だから状況が悪いだけじゃないってことを見せるために今日はついて来てもらった。
「まぁ、確かにこのままじゃ貴族としてもなぁ」
ただこのままでもいいと思ってたのは僕だけらしい。
ヘリーさんにモリーさんも、ウェズ叔父さんと一緒に悩み始める。
モリーさんは、確認するように聞いた。
「やっぱりお父上の身分を考えると、先々はお家を持つのでしょう?」
「たぶん庶子として領地と爵位を与えられます。しかし、確かに今のままではそれも難しい環境です。なので、学園入学をすべきだと考えています。父も伯爵家の面目のためにそれくらいはしてくれるはずですから」
ウェズ叔父さん曰く、どうやら見栄のために学費は出してくれるらしい。
養父か養祖父かわからないけど、ともかく父の養父だった伯爵はよくわからない人だ。
わかることと言えば、僕を要らないもの扱いなことだけど、今養育してるのも面目のためかもしれない。
自分の子供じゃない皇帝を、実子として育て続けてた人だし、体裁を整える気はあるのかな?
「たぶん、将来の皇太子が通うだろうラクス城校への入学は許されないものと思いますが」
「庶子が並び立つようなことがないように? いっそアーシャの賢さを超えてみろくらい言えれば、度量を示すことにもなるでしょうにねぇ」
けっこう好戦的なモリーさんの言葉に、ウェズ叔父さんが困ってる。
ヘリーさんは顎に指をかけて唸った。
「親としてはそんなはっぱかけるようなことはしない奴だ。となると、王侯貴族側の見栄のが大きい。アーシャを優遇することはないだろ」
「あ、あの、そういう話は、アーシャと?」
ウェズ叔父さんが困って、結局僕を窺がいながら聞く。
うん、会ったばかりだからね。
僕がどんな性格かも知らないんだ。
それにヘリーさんとモリーさんは、なんでもない顔してる僕を見た。
「まぁ、優秀だわな。この歳にして冷静で感情に流されねぇ。物覚えも良くて大人の事情の裏もきっちり読む」
「伯爵家の教育どうなってるのかと思えば、何も。つまりはアーシャの資質。その高さを最初から殺すつもりだなんてもったいないことですよ」
「そ、そう、なんですね。となると、兄のようにリーウス校に入れるのも違うのかな?」
ウェズ叔父さんにリーウス校について聞くと、騎士とか軍人になる人が通う学校。
聞いた感じ肉体系で、僕は子供で今からどう育つかは未定だけど、あんまり体格は良くない。
「いや、その辺りが妥当だろ。確か調べたら庶子は軍人になって家立てるってのがいくつか見られた。帝国軍も学園卒の参謀部所属はいくらでもいるし、頭もいる」
「…………ヘリーさん、そんなこと調べてくれてたの?」
思わず聞くと、熊の顔で照れたように目を泳がせる。
モリーさんは肘で突きつつ、教えてくれた。
「昔の伝手頼って、すぐに皇帝陛下にご注進したくらいよ。ま、アーシャが騒がれるの嫌みたいだから、動くなってことは言い含めたらしいけど」
「そうなんだ、ありがとうございます。僕も今さら顔も覚えていない父に口を出されるのはやりにくいから、そのほうがいいな」
僕の気持ちを聞いて、ウェズ叔父さんは困る。
この一年で僕に慣れたモリーさんは笑うだけ。
ただ父を知ってるというヘリーさんは耳を垂れさせた。
その上で、僕の頭を撫でる。
「まぁ、なんだ。あいつも気にかけてるんだ。少なくとも、面倒ごとの多い宮殿に連れて行くよりもましだって判断しての結果だからな。アーシャが邪魔だとか、そんなんじゃねぇぞ」
「そこは普通に、長子相続の中で皇帝になるなら置いて言って正解だと思うな。逆に連れていかれてたら、僕って相当まずい立場になってたんじゃない?」
だってすでに皇帝の長子は生まれてる。
さらには双子の皇子も生まれたと聞くし、そんなところに母親は死んでいて、弱小貴族の血筋だけど、長子相続の風習の上では長子な皇子って、ねぇ?
うん、お家騒動の火種にしかならない。
さらに皇帝にさせた後見人の公爵の娘が皇妃だし。
皇帝と皇妃の間の子供を皇太子にしなきゃ、皇帝自身が役立たずで切り捨てられるかもしれないかもしれないんだ。
「たぶん、前例に倣えば変な介入もないと思う。そう考えると学識は欲しいから、リーウス校について前向きに考えるよ。まずはどんな学校か、ウェズ叔父さん、教えてください」
僕が前向きに検討したら、ウェズ叔父さんは途端に頭を抱えてしまった。
「もっと上の学舎に行けそうなのに、私に伝手でもあったら良かった…………。すまないアーシャ。君の才能を生かす道を示すこともできないなんて」
突然落ち込みだしたウェズ叔父さんに、ヘリーさんとモリーさんはなんでか頷いてる。
「ま、俺らがどうこう言うよりも確実な方法を考える頭があるんだ。サポートすると思って、自分を責めすぎるなよ」
「良かったわ。親類にまともな人がいて。本当に今のままだと生かすどころか才能を殺すだけだったもの」
ヘリーさんとモリーさんの言葉に、ウェズ叔父さんはなんだか涙ぐんでるようだった。
全七話
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