幽閉ルート6
皇妃の首飾り事件は、市井でスキャンダラスに流布したようだ。
僕はマルさんに差し入れられた、新聞と呼ぶにはお粗末な紙一枚の版画の文字を眺める。
木版画で文字までを彫って、風刺画で人目を引く形の情報紙。
荒いインクの塗りで掠れて読みにくい所もあるし、文字も誤字脱字が目立つけど、意味は推測できる。
「なんで摂政女帝のほうが詐欺を働いたことになってるんだろう?」
風刺画は首飾りを掲げている、冠を被った頭の大きな女性が目立つ。
足元には男が横たわり踏まれている姿は、悪逆という言葉を如実に表した形。
内容と合わせると、愛人に高価な首飾りを、詐欺を働いて格安で買ってこさせたという。
けれど愛人は逆に騙されて安い首飾りを摂政女帝へ贈り、それに怒った摂政女帝が愛人を殺害。
ヒステリックで暴虐で、地位に見合わない愚かな人物として書き立てられている。
「失礼します、シャルさま」
「はいはい、ちょっと待って」
僕は黒子を被って、改めて入室の許可を出す。
入って来たマルさんは手元に気づいて声をかけて来た。
「楽しまれましたか?」
「これを? こんな他人を貶めるためだけに書かれた悪意のにじみ出る文章読んでも、気持ち悪いだけだよ。それにノーマが冤罪着せられてたとか、サビーヌ司教が窃盗犯だとか、協力者のティオキス主事が、フィドラ使って別の窃盗も働いてたとか。実像の何も語ってない。この絵だってお粗末だ」
「おやおや、シャルさまが暴かなければ、サビーヌ司教、ティオキス主事の悪事は裁かれることはなかったのに残念でございますね。そして、その絵は摂政女帝と似ていませんか?」
「全然。マルさんは会ったことないの?」
「私のような者ではかないませんとも」
促すようにマルさんがこっちを見る。
「って言っても、僕も二、三回しか見たことないし。少なくともこんなに口は大きくなかったかな。頭は良さそうだったけど、すごく戸惑った様子の人だった。あの頃は年相応だったんじゃない? 今は知らないけど」
ちゃんと会ったのは三歳か四歳頃だから十年以上前だ。
摂政女帝も二十歳くらいで、子持ちの父とは初婚。
養子縁組とかしてないから、僕の母じゃないし、その後会うこともなかった。
「結局僕に罪を押しつけたのはルカイオス公爵で、その時にも遠目に見たかなってくらい」
青緑色の髪で父の隣にいたから、そうかなってくらいに顔も覚えてなかった。
僕を連れて行かせないよう声を上げる父を止めてたように思う。
「あぁ、あの時はなんて言うか、陰鬱な感じだけど、何処か怒ってるような顔してたな」
「陰鬱で、怒っているですか?」
「そ、少なくともこんなに元気に怒ってる感じじゃなかったよ。何より僕を一度も見なかったから、その感情も父上に対してだろうね」
「ふぅむ、シャルさまは摂政女帝に関しても他人ごとですな」
「他人だし」
それこそ顔も知らない弟たちと近い感覚だ。
違いと言えば、父を廃位して幽閉したっていう実害があったことくらい。
ただ僕にとって父は父で、皇帝である人のことじゃないから、廃位も大したこととは思えなかった。
不自由なく暮らせているなら問題じゃないし、欲を言えば父と一緒に暮らしたかったってことくらい。
宮殿にいる間にもっと大人しく、周りを気にして、皇子らしく振る舞っていたら、今も父と一緒にいられたのかもしれないから、そこは僕の問題だ。
「あ、でも父上を貶めること言うなら軽蔑するかな」
「それはございませんな。現皇帝陛下のお父上でありますから、先帝への悪い風評は潰す方針です」
「ふーん…………。ところで、そろそろその持ってる封筒渡してよ」
僕は手を出して催促すると、マルさんは手にした封筒を差し出す。
すでに開けられてるのは危険がないかの確認がされた後。
「それでは、どうぞ」
恭しく言うけど、封筒にはマルさんの名前マルサスとだけある。
送り主は名前の代わりに地方の名前だけがある私信にしか見えないもの。
ただその地方は、父が幽閉されている離宮のある場所だった。
「ふふ、釣りしたんだって」
「あちらは清流がありますが、その分岩も多い。危険はなかったのか心配ですな」
「え、そうなの? あ、ヘルコフが一緒で結局素手で捕まえてたって」
「あの熊の獣人の方でしたら、容易に想像できますな…………」
手紙は幽閉生活をしてる父からのもの。
ただ僕と違って敷地内は自由に移動できるらしい。
というか、周りが森に囲まれてて馬車とかないと出て行くのは自殺行為なんだとか。
そもそも父に地縁もない場所だから、世話する人以外に頼る当てもないようにされてる。
この四年、逃走もしないってことでけっこう自由にやってる様子が書かれてた。
「今日の配達人は誰だった?」
「海人でございました」
「イクトか。だったらマルさん、また睨まれた?」
「以前剣を投げつけられた時よりも穏やかでございましたとも」
マルさんはりついた笑みでそんなことを言ってみせる。
宮殿住まいで皇子をやってる頃、頭角を現した僕は、周りに配置された大人を引きはがされそうになった。
それでも抵抗して残ったのが、家庭教師のウェアレル、ヘルコフ、イクトの三人。
イクトなんて宮中警護って言う仕事があったのに、辞めて家庭教師になったくらいだ。
「あの者は気が短いのでは? お返事は早いほうがよろしいでしょう」
「あぁ、うん。そうかも。じゃ、手紙を書く道具ちょうだい」
大抵のものは手に入るけど、僕が書き物をする道具は部屋に置かれない。
前それで、家庭教師たちを呼び寄せることになったからだ。
マルさんが内容確認した上でなぞなぞ書いて紙飛行機で飛ばし、囚人や監視が悩む様子を上から見てた。
それがたまたま監獄の外へ飛んだことがあった。
それを拾った家庭教師たちは、僕の筆跡とわかって即座に救出に動いてしまったんだ。
「…………はぁ、あの者たちは何故あれで宮殿にあがれていたのでしょうな?」
「父上の知り合いだからだよ。実戦経験豊富って前にも言ったでしょ」
そのせいで、三人揃って監獄に侵入し、僕を攫う直前まで行った。
そこにマルさんが居合わせて阻止しようとしたんだけど、危うくイクトの剣で死にかけたんだよね。
格子のはめられた窓の向こうから、的確に胸狙って剣を投げつけられたせいで。
その時にイクトを止めて狙いを逸らしたのが僕。
ウェアレルも雷魔法で撃とうしてたのも止めた。
結果的に、僕自身が脱獄に反対してその時はことが治まったんだ。
「ま、父上には下手なことすれば僕を殺す。僕には下手なことすれば僕を殺して父上も殺すなんて言ってたせいだね。だからあの三人も攻撃性が高かったんだよ」
「少なくともこの身は、シャルさまに不自由なく暮らせるよう便宜を計れと命令されておりますのに」
よよっと泣き真似してみせるけど、その腰にはいつでも僕を殺すための剣がある。
そして黒子は徹底させるし、失言にも厳しい。
たぶん即座に殺しにかかったイクトと、似たような判断能力だと思うんだけどね。
「そう言えば、ノーマから聞いた話書いてもいい? ほら、帝室には秘密裏に皇帝の命令を受けて暗躍する暗殺者一族がいるって都市伝説」
「そんな面白くもない話をですかな?」
「えー? けっこう面白いと思うんだけど」
「実在しないことはわかっていますでしょう」
「まぁね、マルさんそうかなって思ったけど、それにしては面白いこと好きすぎだし」
「違いますなぁ。そうした者は、成功すると用済みとなって処理されますから、一族で引き継ぐなどということはありません。処理されず重用されても、増長して最終的に処理される者ばかりですから」
「…………あぁ、うん。暗殺者一族は、いないってことね」
そしてそれ知ってるってことは、まさか?
いや、つまりは個人的に頼まれただけで、違うって話か。
何よりマルさんは表の顔が人目につくほうで、暗殺者というには無理がある。
「そう言えば、ノーマに結局マルさんの身分言ってないけど知ってるかな?」
「さて、ひと月もここで暮らせばおのずと聞こえるはず。それをあえて口にされてない淑女であるということでございましょう」
「まぁ、甲斐がいしく顔を見せない謎の囚人の世話をする副監獄長なんて、噂にならないはずないしね」
マルさん、実はここの副監獄長だ。
初めて会った監獄では、監獄長だった。
僕は、獄吏として職場を変えるマルさんについて行く形で監獄を移動してる。
他国の監獄長から、帝国地方の監獄長。
そして今は帝都近くの副監獄長だ。
そこについて来る謎の囚人は、秘密を知ったらヤバいくらいは誰でも想像がつくだろう。
あとは好奇心に負けるかどうか。
「さて、それではもう一件」
そう言ってマルさんは報告書を差し出した。
それはカテーテリオス伯爵の死を調べ直した結果。
「あぁ、無断使用してた飾りの杯に鉛が使われたのか。ま、置き去りにされたなら、実用に問題があってしかるべきだよね」
「はい、ですのでシャルさまがおっしゃるとおり、他殺でも自殺でもなく病死でございました」
部屋に置き去りにされてた、見た目は立派な杯を勝手に使って酒を飲んでたカテーテリオス伯爵という名の詐欺師。
しかも初めてじゃないし、きっと鉱物毒が静かに蓄積してたんだろう。
結果、女中が去った後で鉛中毒で意識不明になり倒れ、頭を打って血を流し。
臓器不全か何かで一人死亡というのが真相だった。