幽閉ルート1
帝都郊外には、かつて帝都を守る街道に作られた砦がある。
年月が過ぎて街道も変わり放棄された砦は、今では監獄としてその役目を新しくしていた。
「シャルさま、お目覚めの時間にございます」
「うん、おはようマルさん。着替えは自分でしたから入っていいよ」
監獄であるはずの一室は天井高く、一人の囚人を入れておくには広すぎる。
内装も天蓋付きの寝台や、彫刻の施された椅子や机があって、まるで貴族の一室だ。
ただし、僕が返事をして開けられる扉の鍵は、外からしか施錠も開錠もできない造り。
鍵を開けて入って来たマルさんは、まず僕が顔をきちんと隠しているかどうかを確認した。
「朝食をお持ちしました」
和やかに言って給仕をするマルさんの背後で施錠の音がする。
締まるまでの間に、扉を守る兵の二人が僕からも見えた。
そして施錠を確認してから、僕は顔に被っていた布を取る。
途端に目の前に落ちかかる銀髪は、整えるのも面倒で伸ばしてるせいで、顔にかかった。
雑に自分の髪をかき上げて、ぼやきが零れる。
「食事の度に被って脱いでって面倒だな。もっとよくいる目に生まれれば良かった」
「たまに左右で目の色の違う者もいますが、青に金の差す瞳というのはなかなか」
軽く笑うマルさんは、監獄にいるには不釣り合いな高価な服装。
髭もばっちり整えた壮年で、僕の世話係だ。
「窮屈ではありましょうが、そこは過去のご自身の自重のなさを顧みてくださいませ。お飲み物はミルクでよろしいでしょうか? 紅茶のご用意もありますが?」
チクッとしつつ甲斐がいしく世話をするマルさん。
そこは僕も自覚してるから言い返せない。
何せ、僕には日本で生きた前世があるんだ。
気づけばこの異世界の第一皇子になっていたんだけど。
(前世と違って父が褒めてくれるから、嬉しくて年甲斐もなくはしゃいじゃったよね)
前世での父は褒めるなんてことしてくれなかった。
けど転生した先の皇帝である父は、僕のことを手放しでほめて愛してくれたんだ。
だから期待に応えたくて、褒めてほしくて、笑ってほしくて、三歳で覚醒してからは大人の思考と知識をフルに使って成果を上げた。
「今は自重してるでしょ」
「おやおや、ここに流れ着くまでにずいぶんと色々となさっておいででしたが。お蔭で私も初日から監獄長には睨まれておりますよ」
「僕は会ったことないから知らないなぁ。監獄長、直接会ったら小言でも言ってくるかな?」
「まさか。あの方はあなたさまにお会いする権限などございません」
マルさんは変わらずにこやかだ。
けど今、僕という顔を隠した囚人が、何者であるかをトップが知らされていないという、とんでもない事実を語ってる。
まさか死んだことになってる第一皇子が、こうして囚人として生きてるなんて、どれくらいの人が知らされているんだろう?
「そう言えば、マルさんと会ったのは他の国だったけど、マルさんの出身って何処?」
「この帝都でございますよ」
「あ、そうなんだ。僕と同じだね。と言っても、正直帝都について覚えてることなんてほとんどないんだけど」
三歳まで帝都で育ったけど、そこから宮殿に上がってたから覚えてない。
そして嫡子じゃない第一皇子になった後は、十歳の時に罪に問われた。
仕組んだのは父の後見人で、第二皇子の外戚であるルカイオス公爵。
そして自分の息子を皇帝にしたくて、僕を可愛がる皇帝を廃位に追い込んだ皇妃。
「あぁ、そうです。散歩に出られれば目にされるでしょうからお知らせしましょう。皇弟殿下がお亡くなりになりました」
「皇弟ってことは…………あれ、双子じゃなかったけ?」
「はい、病弱であられた次子の方が」
どうも謎の病気だったとか言う弟がいた気がする。
正直、僕への隔離は徹底していて異母弟たちには一度も会ったことがない。
父も双子の弟たちは似てるって言ってたから、たぶん一卵性だったんだろう。
そうなると病弱な体質って、もう一人の双子にも継がれてることになるけど。
双子のどちらが病を発病するか、それはきっと運だったんだ。
今生きてる双子の片割れも、何かをきっかけに発病する恐れがあるかもしれないな。
「僕が今十四で、四つ下?」
「五つ下にございます」
「うわ、十歳にもならなかったのか。可哀想に」
「おや、弟君に興味はないかと思っておりました」
「他人でもそんなに早く亡くなる子がいたら、普通に同情はするよ。それとも、僕が毒を盛ったとかいう悪評、まだ生きてるの?」
「さすがに死んだことになってる方ですから。ただ、呪いとは言われておりましたね」
「いや、普通に病弱だったんでしょう? 会ったこともない相手に毒を盛ることも、呪いをかけることもできるわけないから」
少なくとも幽閉された四年間、僕が何をすることもできないとマルさんは知ってる。
僕にミルクのおかわりを注ぎつつ、それ以上、僕の悪評については話題にしない。
「で、死んだのがどうしたの?」
「あぁ、そうです。ですから半旗が掲げられるので、外ではめったなことはおっしゃらないようご注意ください」
「そういうことか。わかった」
これで扉の外の見張りさえ、僕の正体を知らないこと確定か。
まぁ、監獄長も知らないならそうだろうな。
「あまり勘ぐられる発言があると、摂政女帝に聞こえますので」
「あの方、神経質すぎない?」
摂政女帝とは、夫を廃位させ、第一皇子を亡き者にし、幼い第二皇子を帝位に据えたと噂される僕の父の再婚相手。
そもそも僕が弟たちと会えなかったのは、皇妃であった頃の摂政女帝が、長子相続の慣習において、自分の産んだ第二皇子他と、僕が争うことを見据えたせいだ。
顔を合わせたら、年少の息子たちが何されるかわからないと思っていたんだとか。
(その上、父に褒められたくて色々発表してたのも、長子として帝位を狙うためだとか疑われたんだっけ。ただの趣味だよ。魔石だって、もう少し他のアプローチ試せたら、人工生成できたかもしれないのに)
父や僕の側にいてくれた人たちにも、すごいと言われたからやってただけだ。
だから近寄って来て、こっちを利用しようとするエデンバル家なんかは拒否した。
なのに、結果として反逆を企てたエデンバル家と共に捕まって、罪に問われたんだ。
(今思うとあの厳重に隔離された左翼棟にエデンバル家って、没落に巻き込んで僕を潰すためにわざと繋ぎ取らせたんだなぁ)
本当に父しか見てなかったから、政治的なことは無関心でいた。
結果、気づけば罪人にされて移送中、事故に見せかけ攫われ。
そのままマルさんのいる他国の監獄に放り込まれた。
そこからは四年間、マルさんに世話されて幽閉生活だ。
囚人や兵たち相手にも、存在を探られたりしないよう一、二年で転々と監獄を引っ越してもいる。
「はい、それではこちらをどうぞ」
食事を終えると、僕が適当に放り出してた顔を隠す布をマルさんが差し出した。
受け取るのは、前世的な歌舞伎なんかの黒子が被ってそうな黒い布の被り物。
全く見えないことはないけど正直見にくい。
「これいる?」
「あなたの生存と秘匿は、先帝陛下が自らを危険にさらして勝ち取った条件であり、お顔の秘匿もまた、その際の条件の内ですので」
「はいはい」
父を出されると弱いのわかってて、マルさんは言ってるんだよなぁ。
僕を罪に問う中で、父は抵抗してくれた。
後見人であるルカイオス公爵という格上にも噛みついて、僕の助命を願ってくれた。
ただその必死さが、どうやら皇妃から愛想を尽かされるきっかけにもなったらしいけど。
(そう言ったのは、マルさんだっけ)
朝食を片づけて出て行くマルさんは、前世的には執事のようなことをする人だ。
けど確かに囚人として僕の部屋の外から鍵をかけもする。
色々話しやすいし、今さら気を遣う相手でもない。
(父も幽閉されてるけど、無事でいるって教えてくれたのもマルさんだし。父と月一の手紙のやりとり提案してくれたのもマルさんだったよね)
気安いし尽してくれるし、僕を見下げることもなければ虐げもしない。
ただ、決して役目も忘れない仕事人だ。
マルさんの腰にはいつも剣がある。
それは僕が今の帝室、皇帝となった弟を害するような発言、自らが正統だと主張することに繋がる発言をすれば処断するためのもの。
「つまりは処刑人って言ったほうがいいのか」
僕は独り、監獄というには広い部屋で呟く。
黒子の被り物を取れば、また銀髪が垂れて来た。
「あぁ、いつになったら父上に会えるんだか」
幽閉とか皇子じゃないとかそこはどうでもいい。
だって前世は庶民だったんだから、身分になんて拘らない。
だったら僕が願うのは、ただ僕を愛してくれた父との再会だ。
たとえ幽閉生活でも、もう一度一緒に暮らしたい。
そのために今は大人しく、反意がないことを示すしかなかった。