犯罪者ギルドルート2
僕が道に迷って辿り着いた地下室、そこは魔法使いの工房だった。
「わぁ、話には聞いてたけど、本当に魔法使いっているんだ」
僕は光る壁を光源に、本を開いて呟く。
文字はハーティに習ったからなんとか読める。
「知らない単語もあるし、全部手書きだから癖で読みにくいけど」
それでも読める。
そしてそこには魔法について研究する日誌のようなものが書きつけてあった。
装丁がきちんとしてた外観から、印刷物をイメージしてたけど、ここは異世界で工業化なんてしてない。
本は手書きで、この工房を作った魔法使いの研究記録のようだ。
「で、机の横はこれ、ベッドか。で、さらに奥のこのテーブル、台所兼用の食卓?」
こじんまりとした部屋には、小さめの家具ばかりでも狭い。
けど何処から水引いてるのか、ちょろちょろと壁の突起から流れる水が床の配水路に落ちてた。
「他に記録は…………あった。こっちは日記だ」
研究記録は魔法のことばかりだったけど、日記はここでの生活を書き残しているようだ。
僕はつい、外の魔物のことも忘れて読みふけった。
この世界で前世を思い出して以来、本に触れたのは数える程度だったから。
「ふぅ、活字っていうか、情報に飢えてたんだなぁ」
僕は伸びをして、なんとなく部屋を出てから自嘲する。
何せ外に通じる僕が落ちた穴からは、白っぽい空が見えるんだ。
つまり、朝日。
「子供の体で、徹夜ってできる…………わけないか」
眠くて瞼がくっつきそうだ。
僕は周辺の探索を諦めて、鍵の壊れた戸をできる限りしっかり閉める。
さすがにいつから使われてないかわからないベッドは遠慮して、壁を背に寝ることにした。
起きて考えれば、この地下の工房は道に迷った僕にとっては悪くない場所だ。
研究日誌は難しいけど、魔法使いの日記は走り書きやメモ書きに近い。
短文だし、日々の暮らし方を書き止める様子は読み解ける。
「へぇ、この人魔物食べてたんだ。素人が手を出しても美味しくはないって。元はそれなりにいいもの食べてたのかな?」
見ず知らず、そして死体こそないけど、戻ってない様子からすでにこの世にもいない人。
そんな他人の足跡を眺めながら、僕はまず食べられると書き残された野草を探すことにした。
さらに自力で火をつける練習。
そして地下暮らしで魔法使いが困ったことを見つけては、同じようにならないために備えをする。
「…………今日で、十日目か。けっこう早いけど、はは、何してるんだろ」
なんとかこの十日ですぐさま死なないようにはできた。
けどそれでどうしたというのか、ふと空しくなる。
目の前の文字を書いた人は、すでに死んでいるだろう。
これだけ研究をしたのに、その成果はこうして僕というただの子供の目にしか触れない。
「なんにもなってない」
地下に潜って一人で研究して、けれどその結果は何もない。
そこにある空しさを、自分のことのように感じて気分が落ち込む。
そしてひと月が経つ頃には自分に置き換えて、想像するまでになってしまった。
前世があるせいでよりリアルに思えるのは、前世の三十年で何かを成したことなんてないからだ。
受験につぎ込んで、結果的に社会人になって、そして死んだ。
社会の中に埋もれるだけで、こうして本を残すようななにがしかに情熱を注いだこともない。
「熱心だな。はは、僕にはないんだ。ただ暮らしが少しでも楽になりたいとか、快適にしたいとか程度」
魔法使いの文字から伝わる魔法を解明しよう、自ら新たな魔法を生み出そうという熱量。
けれどそんなもの僕にはない。
というか、そもそも読み解いたところで、僕は魔法を使えていない。
こうして見ているだけではなんにもならないままだ。
「…………いや、火を興すのも魔法でしてるっぽいし。できるようになったほうがいい」
何せ外には魔物がいるんだ。
犬を食べる気にはならないけど、食べられる野草や鳥くらいなら狙ってみるか。
生きることが優先だ。
安心できないし、楽しむ余裕はない。
それでも何か少しくらい進歩が欲しくて、半年魔法を使おうとした。
けど結局何もわからなくて、苦しいばかりで、前世の受験勉強に似た追い詰められた気持ちになる。
だからこそ、また僕はこの人生でも何もできないかもしれないという思いは強まる。
「生まれ変わった、意味なんてないじゃないか。生きるだけなら前世のほうがずっとましだ」
生活に慣れて少しの余裕が、目の前の現実を突きつけてきた。
何してるのか、何がしたいのか、そんなもの、何もないことを。
ただ生きるためなんて理由でこの空しさは晴れない。
生きてその先は?
そう考えてしまったら、もう駄目だった。
一人で食べ物を求めて、怯えて、苦労して。
けど達成感なんてないまま。
「ちまちま水を溜めて汲んで、火が消えないようにうろうろ見張って。きっと僕は独りだ」
魔法使いの本はほぼ読んだ。
走り書きで崩れすぎてる記述なんかは、もっと考える必要あるけど。
それによるとここに住んでた魔法使いは、病気か何かで変調をきたして去ったようだ。
共感していたはずだけど、どうやら魔法使いには帰る場所があったらしい。
けど僕にはない。
「もう冬になる。これで凍死しても誰も、気づきもしないんだろうな」
さすがにそれはみじめすぎる。
寒さのせいかどうも最初より考えが悪い方向に向かうようになった。
本当に年相応の子供だったら耐えられない。
けれど前世は一人暮らししてたから、半年くらいじゃ絶望するほどじゃないけど。
「とは言え、子供だからこそこの寒さで熱でも出したら本当にまずいだろうし。せめてしのげるくらいにしたいけど、薪拾いもな。魔法でもっと大きな火を維持できれば」
なんて楽観を口にするけど、無理だ。
魔法はそんな便利なものじゃないと、魔法使いの手記でも書かれてる。
残された新たな魔法の理論は難しすぎるし、知らない単語も多いせいで流れから類推するしかないけど、お手軽な技術じゃないことはわかった。
行間を読むとか、作者の意図を計るとか、前世の国語の授業のありがたみが初めてわかった気がする。
「ま、それも科学文明に適合した学習で、科学のかの字もないこの世界じゃね。本一つまともに読めないし、火の一つもガスコンロをつけるようにいかな、い…………」
思い出しながら、僕は暇さもあって手を動かした。
前世では毎日やっていた動作で、耳にカチッという点火の音さえ聞こえるようだ。
どうも、そのリアルな想像が鍵だったらしい。
僕の目の前にはガスでつけたような青い炎が吹きあがって、消えた。
「え、え!? 今火が、魔法!? 僕、魔法使った?」
またやろうとするけど上手くいかない。
どうやらリアルに想像することと、集中して雑念を消すことが必要だった。
「しかも、ついても、維持が…………。く、これは確かに魔法陣とか別の補助がないと」
実践して初めてわかる、魔法使いの研究の概要。
読んだだけではそういうものと流していた部分が重要だとわかる。
ここにいた魔法使いは火の魔法が苦手で、火を使うためには魔法陣や魔法を強化する触媒を使っていたようだ。
そうしないとちょっとつけるだけで火を燃やし続けることはできない。
「いや、ガスとか、空気を供給し続ければ燃焼は持続するはずで、酸素はここにあるはず」
科学的な知識にそえば、可能なはずなんだ。
「そうか、そのために呪文だ。火を魔法で維持する理屈はないけど、それを魔力で補うようにしてあるんだ。燃えること、燃え続けること、火があること、火であること。そんな状態をひたすら重ねて呪文にすることで無理矢理安定させてる。そんなのは非効率だ。空気があって、酸素があって、燃焼があって、火が点いてるんだから、それを呪文に表せば」
魔法に興味関心がないとは言わない。
けれどそんな希望に満ちた気持ちではなく、差し迫った命の危機を覚える寒さに僕は本気で取り組んだ。
燃料の問題は死活問題だ。
「ここは魔法使い曰く魔法が使いやすい土地らしいし。魔法陣の持続も長いとか書いてあったから、きっと、僕でも…………!」
冬はもう目の前で、地下は冷える一方だ。
僕は突き動かされるように、独り魔法の研究を始めたのだった。




