犯罪者ギルドルート1
再婚で子供を祖父母の家に置いてく親なんて、二十一世紀の日本にもいた。
ただまさか、現代日本で死んで転生した異世界で、そんな目に遭うとは思わなかったんだ。
「アーシャ、どうか覚えておいて。私も姉さんも、きっとあなたのお父さまも、あなたを愛しているわ」
「ありがとう、ハーティ」
去る乳母は亡き母の妹で、唯一僕の世話をしてくれた肉親だった。
けれど七歳になった僕には、もう乳母はいらないと解雇される。
父はそれこそ物語のような成り行きで、皇帝へと成り上がった人で、その時に公爵令嬢と再婚して死んだ前妻の子供である僕を置いていった。
二つか三つの時らしいから覚えてないし、愛していると言われても実感はないけどね。
覚えのある前世では、両親に愛していると言われたこともない。
それで言えば、僕を最後まで心配してそう言ってくれた叔母のハーティは有情で、そんなハーティにきっと愛していると言われる父も、無情ではないんだろう。
「ま、こんな所いられないんだけど」
前世三十まで生きた記憶があるからわかる。
僕が預けられたニスタフ伯爵家は決して僕を愛することはない。
皇帝の隠し子だった父を実子として養育し、その父が皇帝になった後は、皇帝になる前に生まれた僕の養育を任された。
それだけなら別に問題ないんだけど、そこに感情の交感はないんだ。
声を何日も聞かないこともあるし、顔も見ないし、同じ家にいるだけの他人でしかない。
「子供一人で生きていけないくらいはわかるけど、ここで飼い殺しにされるよりましだと思うんだよね」
僕はカーテンを包み袋にして、少ない私物を抱えて伯爵家を抜け出す。
「わ、すごい人。怪我しそうだし、回り道するか」
ニスタフ伯爵家の人たちが出かけるような公式行事があるという。
そのせいか、帝都の道には見物人らしき人の壁ができていた。
僕は近づくのをやめて大きな通りを避ける。
そうして気づけば、見知らぬ道にいた。
「えー? すっごい流された。僕もしかして同年代でも小柄なのかな?」
前世の日本人だった時には、成長期から高身長の部類に仲間入りしたんだけど。
今はともかく、また人混みに巻き込まれるともっと流されるしかないから、安全のためにひとの少ない方向へ行こう。
「と思ってきたはいいけど。うーん、ともかく見える範囲に帝都を出る門があるんだよね。いっそ一度出て回り込んだほうがいいのかな」
帝都は北に宮殿、南に湖を持つ都市だ。
そして帝都の出入り口は東西に別れている。
建物があるから太陽の位置も判然としないし、ここにいても判断材料はない。
そう思って一度帝都を出た僕は、すぐに現在位置を把握できた。
「あ、うん。こっち南西だ」
南東の門に出たかったのにな。
これは湖を回り込んで、湖に面した小山をさらに回る必要がありそうだ。
「帝都を突っ切るのとどっちが? って、そうか、戻るには審査とお金が必要なのか」
周囲で門に入ろうとする人たちの動きで、僕はこの世界の常識を思い出す。
できれば無駄に、ハーティが残してくれた母のお金を使いたくはない。
僕は歩いて回り込むことを選んだ。
ただ、気持ちは大人でも体は子供。
あっという間に日は傾いてしまっていた。
「これはまずい。何処か風を避けて、隠れるような場所を探さないと」
いきなり野宿なんて、悪いほうにばかり転がってる。
しかも暗くなってるせいか、急いで帝都に行こうとかなりの速度を出す馬車も街道にはあった。
僕は一度すれ違った馬車の容赦のなさに、安全のため主要な街道の脇にある細い横道を辿ることにする。
ただこれも悪手だったようだ。
「これ、獣道だったのか」
行きついたのはあからさまな廃墟。
今は通う者なんていない崩れかけた石壁が並び、建物らしい残骸は屋根が落ちている。
「まずいな、戻らないと。本当に暗くなる」
そう思って振り返った瞬間、僕以外の足音が聞こえた。
しかもかすかに聞こえる葉擦れの音が低い。
これ、人間じゃない。
「壁、いや、獣を考えて高い位置とかに逃げないと」
近くの崩れかけた壁に回り込んで身を隠したけど、それだけだと危険と判断して高い場所を探す。
けど家らしい壁の中は何処もがらんどう。
朽ちた木材や壁に残った梁の様子で、二階は屋根ごと落ちてるのがわかった。
ただ足音は追うように近づいて来てる気がする。
ここから出るのも危ないかも。
こうなったら壁際に積み重なった残骸によじ登るしかないか。
「よいっしょ」
子供の体重でもきしむくらいの足場を使って、なんとか上まで登る。
運良く、壁を貫通する形で残った梁の残骸に手が届いた。
梁の残骸に登って立てば、二階部分の窓らしい壁に空いた穴にさらに手が届く。
ここは安全のためにさらに登るべきだろう。
そうして窓の高さによじ登った瞬間、獣の唸りが聞こえた。
「犬、に角? いや…………魔物だ」
前世でも野犬さえ見たことないのに、明らかに角を生やしている。
しかも角の蔭に三つ目の目があるように見えるんだけど?
野生動物でもどうにもできないのに、魔物なんて無理だ。
何せ魔法を使ってくる動物だから魔物と呼ぶらしいし。
未熟な個体は魔法を使わないなんてこともあるらしいけど、どう見ても下にいるのは成犬。
「ふぅ…………行ったぁ」
息を殺して見守っていた僕は、家の外へと出た魔物の尾が消えるのを見て息を吐く。
たぶん僕に気づいてはいたけど、登る道がなかったから諦めたようだ。
「あの獣道があいつの通り道だったとしたら、戻るのもまずいよね」
けど周りの蔭は濃くなるばかりで、人の手が入ってないから木々もうっそうとしてる。
周辺は見通しが悪く、下に降りたらもっと条件は悪くなるだろう。
「せめて二階部分が残ってる家は?」
何があった場所かわからないけど、いくらか石壁が残って建ってる。
だからこそ見通しはさらに悪くなってた。
上から見てると動く影があるのは、さっきの魔物だ。
離れて行くけど、やはり獣道のほうに向かってるみたい。
「奥に、行くしかないか」
僕は思い決めて降り、夜を明かす場所を探して建物の群れの奥へと向かった。
ひと先ず獣道は見当たらない。
ただその分下草が多くて進みにくい。
上から見て木材が見えた小屋のほうへ向かってるはずだけど。
そんな風に手探りで目指していたら、藪のような所に突き当たった。
「あの、建物なら…………う、あ? 足が、抜けな…………!?」
硬く太い茎の草の塊に足を突っ込んだら、はまって抜けなくなる。
いっそ踏み越えようと力を入れた途端、底が抜けるように体が落ちた。
浮遊感などなくただ転がり落ちる。
激しい音と共に枝葉が折れる騒音がバキバキと鳴るのも一瞬に思えた。
ちょっとだけ浮いた気がしたけど、僕はすぐさま硬く冷たい石の上に転がることになる。
「う、く…………ここは、僕は、落ちたの?」
目を開けて辺りを見回しても暗い。
夕日の光が差す上を見れば、僕が落ちただろう蔦や草の間に穴が開いてた。
その草が浅く根を張ってるのはどうやら石造りの階段の上。
僕が落ちたのは階段を塞いでいた木戸が朽ちた穴だったようだ。
「つまりここは、地下室?」
振り返っても影が深くてよく見えない。
ただ、微かに光が漏れる場所がある。
そこに手をかけるとどうやら風化を免れて残っていた木戸があるようだ。
そしてその奥からほのかな光が漏れている。
「鍵は、あ、取れた。…………お邪魔しまぁす」
朽ちかけの木戸は半ば壁から外れて、子供一人身を滑り込ませる隙間ができる。
僕は魔物のいる地上よりも、未知の地下へと足を踏み入れた。
そこはまるで蓄光塗料でも使ったように壁が光る部屋。
そして見るからに怪しげな薬瓶と怪しげな装丁の本が並ぶ本棚がある。
朽ちていながら何処かファンタジーを感じさせる、誰かの工房が広がっていた。