子爵家ルート1
異世界転生なんて信じてなかったのに、僕は三歳で前世を思い出した。
それは日本で三十歳まで生きた記憶だ。
「どしたの、アーシャ?」
「ううん、なんでもないよ。ヒナ」
一緒の部屋で遊んでいた従姉妹のヒナは、年相応に幼い喋り口で、赤い髪の元気な子。
僕たちは兄弟のように一緒に育っていて、母親同士が姉妹だ。
そしてヒナの父親はヒナが生まれてすぐに亡くなり、乳母としてヒナの母親であるハーティ叔母さんが我が家に住み込んで以来一緒に育ってる。
「…………ヒナ、この子爵家に来る前のこと覚えてる?」
「うーん、いつもベッドの横にいたのは覚えてる」
言われてみれば、そんな気もした。
と言っても一歳くらいまでしか、僕らは父の家にいなかったと聞く。
その後二歳くらいはニスタフ伯爵家という父方の実家に身を寄せた。
三歳になった今、僕たちがいるのは母方の実家、ナトリアス子爵家だ。
転々とした理由は、母の死後、父が皇帝の隠し子だとわかったこと。
そして皇帝になったため、父が再婚したからだ。
僕はいわゆる皇帝の庶子という立場らしいことは、三歳の今聞いた覚えがある。
「けっこう覚えてるな」
「何が?」
「大人が話してたこと」
「そうなの?」
ヒナは覚えてないようだけど、父とハーティ叔母さんの言い争いを一緒に聞いたはずだ。
今までは何か怖い程度の記憶だったけど、今なら言葉の意味を理解できる。
父は僕を実子として城へと連れて行くと言った。
けど周囲に反対されニスタフ伯爵家に置いて行くことになったんだ。
ただそれにはハーティ叔母さんが反対していた。
絶対大事にはされないと訴えて、ナトリアス子爵家に引き取ってくれている。
「ねぇ、僕のお父さん知ってる?」
「うん、お花送って来る人。ベリス叔母さんとの絵あるよ」
「うん、結婚した時の記念の肖像画がね。じゃあ、おじいさんは?」
「ナトリアスのお祖父ちゃん?」
他は知らないというように母方の祖父のみを上げるヒナ。
そう思っても仕方ないくらい、ニスタフ伯爵家の祖父は疎遠だ。
父も母の墓に沿える花を最近送って来たから覚えてる程度。
けど肖像画で顔はわかってるんだよね。
少し寂しかったような気もするけど、前世を思い出した今はホッとする。
あまり前世では親子関係良くなかったから、いないならいないでいいや。
「ハーティ叔母さんは今日、どれくらいで帰って来るかな?」
「暗くなったら帰って来るよ」
ハーティ叔母さんは未亡人で実家に帰され、働きに出る形で僕の乳母になった。
けど、今は実家にまた帰ってきて、家庭教師として働きに出てる。
つまり僕たちを養ってくれてるんだ。
養育費とかどうなってるんだろう?
ナトリアスの伯父さんかお祖父さんに聞いてみようかな。
なんて、我ながら三歳の思考じゃないけど、思い出したら気になるんだ。
そして五歳になる頃にはだいぶ自分の状況は理解できた。
ただ実年齢よりも精神が大人の前世に引っ張られてるから問題も起きる。
「どうしてテティを泣かせたんだい? 仲良くできないのかな」
ナトリアス子爵である伯父さんがいうテティは、もう一人の従姉妹で、ナトリアス子爵家の娘だ。
「駄目だぞ、仲良くしようという者を泣かせるなど」
「そうよ。みんなで楽しく遊んだほうがいいわ」
怒っているというには優しすぎる声の祖父母に窘められた。
そしてテティは伯父の妻であるカリスおばさんに抱えられて泣いてる。
僕の後ろにはヒナがいるんだけど、困惑したまま僕とテティを見比べてた。
「まず、テティが何を言って僕が泣かせたと言ったのかを教えてください。僕の側からすれば、テティが勝手に泣いて走って去って行ったんです」
「その冷たい言い方をしたのなら、泣くのも当たり前じゃない」
テティの母親であるカリスおばさんが文句を言うけど、一旦無視して伯父を見る。
「遊ぼうと声をかけに行ったら、遊ばないと言われたと言っているけど?」
「そうですね。可哀想な子だから遊んであげると言われたので、自分もヒナも可哀想だと言われるほど落ちぶれてはいないので、遊ぶ必要はないと答えました」
僕の返答に、伯父はヒナを見る。
ヒナは素直なので、そのまま事実を肯定して頷いた。
「僕としては、いったい誰が僕たちを可哀想な子だから遊んであげるべきだなんて、テティに教えたのかを聞きたいです」
「いや、それは、やはり両親揃っていたほうが何かと安心で。お前たちも親が亡くなっていることを悲しかろうと」
「そうですよ。言葉の選び方は悪かったかもしれないけれど、テティもあなたたちを思いやってのことではないの」
どうやらこの祖父母が言い出したらしい。
そしてテティは上から来たのは、大人が正しいと言ったことを実行したことによる子供らしい慢心かな。
一緒に暮らした印象として、この祖父母は後ろ向きだ。
そして子爵家はあまり裕福ではない。
それがより憐れみや、すぎた気遣いに繋がるんだろうけど、今回悪いほうに転んだ。
「…………父さん、母さん。アーシャは賢い。ベリスによく似ている。ためにならないことをすれば、厳しく指摘されるのはベリスと同じじゃないか」
どう対処しようかと考えていたら、伯父さんが祖父母を窘めた。
どうやら僕の母親はそういう人らしい。
そしてこの祖父母は、娘である母からそういう指摘をされたことがあるようだ。
「アーシャ、責めるように言って悪かった。そこは私の過誤だ。ただ伝え方が悪かっただけで、テティに悪意がなかったことはわかってくれるか?」
「それはもちろん」
子供って大人の言ったことそのまま言うし、ヒナもそうだ。
テティもそんなもので、僕が違うだけ。
「では、テティと一緒に遊んでくれるかい?」
「はい、僕とヒナでは遊びたいことが違うこともあるので、テティがヒナの相手をしてくれるなら、僕も本を読む時間ができます」
ここは罪悪感を覚えたらしい大人たちにちょっとひと押ししてみよう。
こういうところが狡い大人の考えだなぁ。
「なので、できれば新しい本を貸してくれませんか。どなたのものでもかまいません。大事に扱うことは約束します」
「もうアーシャの年齢で読めるものは読んだんじゃないか? 私は他に持ってる物語はないし。カリス、君の詩集はどうだろう?」
「え、えぇ、そうね」
黙ってたカリスおばさんが焦ったように返事をする。
普段はけっこうカリカリしてて、さっきも怒っていたようなのに。
今黙ってたのは、もしかして祖父母よりも後ろめたいこと、テティに言ってた?
うん、これはチャンス。
実はこの家で一番本を持ってるのは祖父、そして次はカリスおばさんだ。
「テティの読み聞かせにも使えますから、貸してください」
「そう、では、しょうがないわね」
母親としては娘を大事にしているようだ。
そこを突いたおかげで、読める本の当てができた。
この世界、科学技術が進んだ前世と違って工業化してないから、本も貴重品で値段が張るんだ。
まず情報を入れようにも、情報を得られる媒体がほぼない状態。
そもそも知らなければ誰かに聞くってこともできないし。
読める本があるだけましな状況だとは思う。
「それじゃ、ヒナ。テティを部屋に連れて行ってあげて。僕は本を持って行くよ」
「うん、わかった。行こう、テティ!」
「え、う、うん…………」
ヒナは無邪気に誘い、テティもよくわからない様子で応じる。
けど笑うヒナにつられて笑顔を浮かべ、泣きやんだテティに大人たちも安心した様子だ。
「では、カリスおばさん。本を貸してください。遊ぶ中でテティに限らずヒナも泣くこともあるでしょうが、まずは僕たちで話し合ってみます。ですから、こうして呼び出すようなことをする前に、話を聞いてください」
「わかったわ。今回は、言い方が、悪かったと思います。でも…………本当に子供かしら?」
おっと、何やら戸惑いの声が聞こえたな。
五歳でこの物言いは駄目だったか。
でもヒナの相手をしてても子守してるような気分になるんだよね。
もちろん一歳しか違わないテティも同じ括りだ。
子供の喧嘩に親が出て来るなんて大人げない真似しないでほしいとか、うん、五歳の思考じゃないな。
「どうしたの、アーシャ? いらっしゃい」
呼ばれた僕は、カリスおばさんの独り言は聞こえないふりで、ヒナを真似て子供らしく笑って見せる。
それはそれで変な顔されてしまったから、これはヒナとテティを観察して、子供らしさを繕ったほうが、円満に暮らせる気がした。