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現子爵令嬢テティ

「テティ、こっちよ」

「ヒナ、遅れてごめんなさい。詩作の課題を仕上げるのに時間がかかってしまったの」


 私は、手を挙げて呼ぶ従妹と落ち合う。

 ルキウサリアの学園に、従妹であるヒナが入学して、数年ぶりに再会した。

 私たちだけではなく、周囲にもそういう親類の話は聞くし、やはり住む場所が離れるとどうしても疎遠になってしまうものだ。


「詩作の授業なら、昨日私もやったよ。サッと書いてパッと出して。時間かかる人もいるみたいだけど、考えると余計に何も浮かばなくなるんだよね」

「私も授業時間の内に書けたんだけど、清書に時間がかかってしまったのよ」

「え、清書したんだ。テティ、丁寧だね。私書いたまま出しちゃった。そういうところも減点対象かな?」


 私は文芸学科で、ヒナは商業学科。

 別の学科だけど基礎科目は同じで、私は学年が上がっても詩作の授業が続いている。

 けれどヒナは、一年で基礎科目を終えてその後に専門教科を学習する予定だ。

 私ほど気を遣う必要はないでしょう。


 放課後落ち合った私たちは、そのまま街中のカフェへと向かう。


「はぁ、おしゃれなカフェ。いいわぁ。私もこういうお店やりたい」

「好きね、ヒナ。入学して三カ月経つけれど、こちらの生活には慣れたみたいね」

「帝都に暮らしてたテティはわからないだろうけど、田舎に行くと本当に何もないんだよ」

「でも田舎も嫌いではないんでしょう?」

「そりゃ、お義父さまが良くしようとしている場所だもの。好きよ」


 それでも都会への憧れを語るヒナは、私を羨む。

 かつては一緒に帝都の我が家で暮らしていたからこそ、懐かしむ思いもあるでしょう。


「けれどそんないい暮らしじゃないことは知っているはずよ。だって我が家は名ばかりの子爵家だもの」

「そうなの? 小領主やってるうちより上なイメージだったけど?」


 どうやら暮らした頃が幼くて、実情は知らないままだったらしい。


「我がナトリアス子爵家は、伯爵家の継嗣が継ぐ爵位としてあったの。けれどすでにナトリアス伯爵家は断絶していて、子爵家だけが残ってしまったのよ」

「う、うん? それってどういうこと? 子爵が伯爵になれば良かったんじゃない」

「そうもいかない事情があったそうよ」


 貴族としての財産、地位、爵位、名誉、縁故は伯爵家とともに消えたという。

 残された子爵家は権勢とも離れ、子爵である父も勢いのある男爵よりも弱いくらいだ。


「そっか、大変なんだね。そう言えばおばさまも、大変だってよく言ってたし」

「まぁ、そんなことを覚えているの? 恥ずかしいわ」


 母は口癖のように暮らしの貧しさを語っている。

 事実だけれど、ヒナの記憶にも残っていることに胸が苦しくなった。


 だって貧しいために、夫を亡くして身を寄せた叔母とヒナにつらく当たっていたのだから。

 ヒナは覚えていないようだけれど、その母に、私も同調していたことがある。


「…………ごめんなさいね」

「お母さんが口うるさいのなんてうちも同じだよ」


 笑って許してくれるヒナだけれど、それが余計に心苦しく感じる。


 幼い頃から我が家は明るい雰囲気ではなかった。

 そんな中で、ヒナの闊達さは際立つようで。

 冴えない父、いつも何かに焦っている母。

 ヒナには宮殿で働く立派な叔母と、父親を早くに亡くしたことを不憫がる祖父母がいた。

 私こそが、ヒナを羨んでいたのだ。


「そう言えば手紙で弟と妹がね、私はいつ帰ってくるのって聞いて来るの。気が早すぎるよ」

「あら弟や妹は元気? もう五歳と三歳だったかしら?」

「元気だよ。夏季休暇には帰るためにお金貯めないといけないんだけど、どうしてもこういうカフェに足が伸びちゃうんだ」


 そう言いながらカップソーサーの絵柄を眺めるヒナは、昔と変わらず元気で明るい。


 それに比べて私は変わった。

 母の勘気と私の悋気が悪いほうへことを運んでしまった時に。

 それが契機だったのに、巻き込んでしまったヒナに自覚はないようだ。


「テティも弟がいるでしょう。長期休暇は帝都に帰るの?」

「いいえ、勉強に励むようにと言われているわ」


 我が家にはお金がない。

 母はそれを理由に弟が生まれてから子を作ることを拒否した。

 理由は、これ以上増やせば子供たちで教育の格差をつけなければいけないから。

 そんな可哀想なことはさせられないと。

 男子が増えた時、後回しにされるだろう私を思いやって。


 けれど祖父母は不安がった。

 何せ父の上は兄と姉が、そしてヒナの母親であるハーティ叔母さまの姉にあたるベリス叔母さまも成人してから亡くなっている。

 できる限り産み増やすべきだとおっしゃった。


「勉強かぁ。それも文人サロンに行くには必要なんだろうけど…………ところで、いい人見つかった?」

「もう、ヒナったら。またどなたかのラブロマンスにでも影響されたの?」


 好奇心旺盛で屈託のない従妹は正直可愛い。

 だからこそ、私は幼い頃嫉妬して意地悪をした。

 なのにヒナは気にせず、どころか私や母の言うことを真に受けてしまったのだ。


 そうして第一皇子殿下に無礼を働き、そのことでハーティ叔母さまと今も関係が微妙な状態が続いている。


「ほら、新入生にルキウサリアの王女さまがいるでしょ。その方と帝国の公爵令息の方が道ならぬ恋って話で」

「けれどその方は婚約者がいらっしゃるのだから大きな声で言ってはいけないわ」

「そうなんだけど、今、その公爵令息は留学でいなくて、女の戦いがいつ起きるかって」

「駄目よ、そんなことを楽しみにしては。はしたないわ。それに、当人方は苦しんでいるかもしれないじゃない」

「う、それは、そうかも。…………そうだよね、好きになった人と一緒にいられないなんて辛いだけだよね」


 他人事だったのが、私の言葉を受けいれて思いやることができるのに。

 今もヒナは第一皇子殿下のことで叔母さまと喧嘩をすると聞いていた。


 叔母さまが再婚して、我が家を出て行く直前の事件だ。

 ヒナは第一皇子殿下にお会いして、悪行を非難した。

 けれど実際はただの噂で、それどころか我が家のほうが保身を優先して、なんの援助もなく不義理を働いていたそうだ。

 ヒナに嘘を教え、孤独な第一皇子殿下を傷つけたと激高し、私の両親と祖父母をなじるあの時の叔母さまは怖かった。


「…………辛いわね」

「そうだよね」


 ヒナは反省して肩を落とす。

 できるのに、何故か第一皇子殿下のこととなると頑ななヒナ。


 あの一件で、第一皇子殿下を怒らせたと、我が家は震え上がった。

 だってそれは皇帝陛下に伝わるから。

 実権のない方と聞いているけれど、我が家には影響が大きかった。

 理由は、皇帝となる前に結婚していたベリス叔母さま。

 我が家に墓があり、だから皇帝陛下からの愛はなくなったとも思っていた。

 けれど毎年花代としてまとまった金額が我が家に送られ、それは今も続いていて、私の学資金にもなっている。

 いずれは弟の学資金となるだろう。


「あら、あれは…………」

「何なに? あ、うわぁ、美人なエルフ。あと海人と獣人。猫と、なんの獣人かな?」

「錬金術科の新入生たちよ」

「…………ふーん。どうでもいいや」


 窓の外を通りがかった学生たちの正体がわかると、あからさまに声が低くなる。

 理由なんて第一皇子殿下の趣味が錬金術だからとしか思えない。

 この反応は、いっそ憎んでいると言ってもいいくらいに暗い。


 けれど接触は一度切りのはずで、お相手は宮殿に住まわれていた。

 そしてそこで軟禁状態で育ったと言う。

 母は亡くなり、父には会えず、片手で足りる人しか側には寄れない。

 弟君に会っただけで、暗殺を疑う冤罪をかけられたともいう。

 怒りに任せてハーティ叔母さまが語った不遇の皇子。

 普段のヒナなら、同情もするはずなのに、第一皇子殿下に関しては本当に頑なだった。


「どうしてそこまで憎んでいるの?」

「別に、関係ないよ」

「関係ないのなら余計に…………」

「うるさいな! …………あ、ごめん」


 テーブルを打って甲高い音が立つと、正気づいた様子でヒナは謝る。


 私は、第一皇子殿下にお会いしたことはない。

 けれど酷い方とは思えないのだ。

 今も、皇帝陛下から花代は送られてくるのだから。

 第一皇子殿下は、ヒナのことを、吹き込んだ我が家を、言いつけたりはしなかった。


「昔のことに拘らなくてもいいんじゃない?」

「別に、拘ってないし、昔は関係ないし」


 少しでも解きほぐせないかと言葉を選んでみても上手くいかない。

 ハーティ叔母さまはヒナのこの頑なさを気に病んでいる。

 第一皇子殿下はそんな叔母さまに、ヒナを思いやるお手紙を送っているとか。


 思われているのにそれを拒否しても、誰も報われない。

 ヒナもちゃんと他の人のことなら、寄り添えるのに。


「…………拘ってるのは、お母さんだもん」

「ヒナ?」

「なんでもない」


 そっぽを向いてしまったけれど、ヒナが漏らした言葉はきっと本心だ。

 三カ月、ようやく少し聞けた。

 考えてみればそうでしょう。

 一度だけ会った第一皇子殿下よりも、生まれてから一緒だった母親に対しての感情だったのだ。

 それを第一皇子殿下という存在を挟んでしまったことで、こじれている。


 そうとわかれば少しは私にもできることがあるかもしれない。

 従妹で姉妹のように育ったヒナは、馬鹿な嫉妬を自覚した今身内として可愛い。

 そしてそんなヒナを思いやる第一皇子殿下には感謝をしている。

 あの方の気遣いがなければ、私はこうして入学することはできなかったのだから。

 お礼を言いたくてお手紙差し上げた時にも、入学の祝い金を貰ってしまってどうすればいいのか迷っているけれど。

 添えられた第一皇子殿下の手紙には、決して悪意や侮りはなかった。


「お茶、冷めてしまったわね。もう出ましょうか」

「うん…………ありがと、テティ」


 私が心配していることもわかっていて、ヒナは顔を向けないけれどお礼を口にする。

 ヒナがまだ素直になれないのなら待とう。

 その間に、ハーティ叔母さまのほうも問題が違うということを気づいていただかないと。

 それでヒナとハーティ叔母さまが仲直りしてくれるなら、手紙代くらい惜しくない。


 それが少しでも第一皇子殿下への恩返しになることを願って。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  まーヒナ視点だと母親が自分を差し置いて第一皇子の事ばかり気にかけているように見えるのでしょうね。  ここは一番の妙薬、「時間」に頼るしか‥‥‥。  案外向き合ってぶつかりあえば‥‥‥と…
[一言] もう一人の従姉妹はとても良い子だった。 アーシャ様の母方実家の貧すれば鈍す感。 しかしヒナは中学生女児、しかも母親は働き詰めで、親類である伯母には辛く当たられていたのを考えると、母親への期待…
[一言] 女の子は流石に鋭い。
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