元子爵令嬢ハーティ
私は子爵令嬢として生を受け、家は貧しくはないけど余裕もない中育った。
姉の結婚が遅くなって、私は妹と共に相手を待たせる形だったのが十代の終わり。
そうして結婚しても二年で終わってしまっている。
再婚した今は田舎の領地で野趣ある屋敷に暮らしていた。
帝都は発展していて華やかで素敵な場所。
けれどこの不自由はあるけれど穏やかな暮らしも私は肌に合う。
「奥さま、お手紙が届いております」
「ありがとう、誰かしら? まぁ、アーシャさまから」
家政婦長が届けた手紙は、ルキウサリア王国に留学している第一皇子アーシャさまからだ。
私が乳母を辞し、帝都から離れて七年。
幼かったアーシャさまがもう入学する年齢だなんて、早いものだと留学についてお手紙をいただいた時にも思った。
封筒一つで頬が緩む私に、一緒にいた夫が尋ねて来た。
「ハーティ、先日ルキウサリアの学園から届いた感謝状。あれもやはり第一皇子殿下の采配なのかな?」
「そうだと思います。錬金術科の教師は、アーシャさまの家庭教師をなさっているウェアレルさんのご兄弟ですもの」
アーシャさまにお願いされて小雷ランプという物を探した。
運良く壊れた物がこの屋敷に一つあり、夫が親類を当たってさらに一つ手に入れた。
送ったところ、一つがアーシャさまの手によって修理され戻って来ている。
ところが先日、ルキウサリアの学園から感謝状と共に新たに作られた小雷ランプが送られてきた。
アーシャさまに送った壊れた小雷ランプのもう一つは学園へ送られ、研究資料となったそうだ。
そして再現できる技術が確立したため、小雷ランプの提供に感謝とできた物を送ると書かれていた。
「あの方は本当に博学多才なものだ。これからルキウサリア王国から発表される新技術はきっと第一皇子殿下が関わられているのだろうな。…………勿体ない」
夫は残念そうに漏らす。
「けれど、アーシャさまは姉と同じく、家族で過ごす時間を願っています。そのためには目立つことは避けるでしょう。そう、幼い時分に自らお決めになりましたから」
「聡すぎる上に、欲がなさすぎるな。もっとと、関係のない私でも願ってしまうよ」
「アーシャさまはあなたの気遣いをわかっていますよ。ほら、手紙にもあなたへの感謝の言葉が。それに実証できた治水案は、あなたの名で広めてくれるほうが他の者のためになると書かれています」
アーシャさまから手紙は、夫が感謝していたことへの返事だった。
夫は領主として豊かな水のある土地を治めている。
ただそれ故に、水害が数年ごとに襲う問題のある土地でもあった。
そのことは私が再婚して、ここに来た時からアーシャさまにご相談している。
最初は土地に関して興味を持たれたために、お手紙で説明をするだけだったように思う。
それがいつしか、アーシャさまが帝室図書館から過去に有効性があったと報告された治水方法をお教えくださり、問題解決の提案をする内容が増えていった。
「元は帝室が保持していた案だと言われても、水害軽減のための費用を集める際に増税での反発を緩和する施策の例までご提案くださった。どう考えても第一皇子殿下の非凡さだ。私の名前で発表するなんて恐れ多いよ」
夫は広めるべきか、控えるべきか、困り顔で顎を撫でる。
実際やってみないとわからない、そして実行して労を負うのは夫であると、アーシャさまはおっしゃっていた。
どころか実証したならば、それを夫の名で世に出して功績にするようにと無欲が過ぎるご提案。
確かに数年がかかりで対処をしたのは、夫であり、この地に住まう人々だ。
堤防や河川の工事、畑の再編など夫と従う者たちの苦労は私も側で見て来た。
それでもまず手をつける最初を示してくれたアーシャさまに、感謝を受け取ってほしいと思う気持ちもわかる。
「アーシャさまこそお役立ていただきたいとは思いますが。もし、アーシャさまが名声を望まれることがあっても、きっと、自らそうなるよう新たに別の功績をお立てになるでしょうね」
「そうだろうなぁ。私では想像もつかないことを成し遂げて初めて、称賛を受けられるのだろうな」
私は夫と共に、残念にも思いながらも、諦めを含んだ笑みを交わした。
そこに軽い足音共に、息子と娘がやって来る。
「お父さま」
「お母さま」
まだ幼い兄妹は、今の夫との間の子供たちだ。
「ルキウサリアからお手紙来たって。お姉さま?」
「まぁ、違うのよ。第一皇子殿下からなの。ヒナからはまだ来ていないわ」
息子は妹である娘の手を引いて残念そうに眉を下げた。
「まだ入学して三カ月。そう何度も手紙は出せないんだよ」
言って、夫は不満そうな息子の頭を撫でる。
私は足に懐く娘を抱き上げた。
前夫との間に生まれた娘のヒナは、ルキウサリアの学園へ入学した。
今の夫はアーシャさまにヒナを実の娘として育てると約束し、学園入学も快く許可してくれている。
「…………ヒナは、いいお姉さんよね」
「うん!」
娘の答えはわかっていたけれど、私は胸に湧く悲しみに目を閉じる。
そんな私の肩を夫が撫でた。
「ヒナも、殿下の素晴らしさを理解するさ。学園で学び成長してくれる。君の娘なんだ。優しい子だよ」
ヒナは夫に懐いているけれど、私には反抗的な態度を取るようになっている。
母親として至らない自覚はあるけれど、それでも、アーシャさまを否定するような娘に落胆してしまう心を抑えられない。
「何が悪かったのかしら」
帝都に住んでいた頃、アーシャさまに会いたいとヒナが言い出した。
お伝えすると、アーシャさまも喜んでくださったのに。
実際会わせてみれば、ヒナはアーシャさまの悪評を叩きつけるという無礼を行ってしまった。
それを許したアーシャさまこそお優しいのに、ヒナは今もその事実を受け入れてはくれない。
いえ、あの時アーシャさまには、いっそ私の側の血縁者は期待できないと諦めさせてしまったのかもしれない。
それでもアーシャさまは、母親を奪ってしまったと無礼を働いたヒナを庇った。
そう教えても、ヒナはアーシャさまの悪評を真に受けて譲らず、今もそのことで喧嘩してしまう。
「…………テティは、考え直してくれたもの、ね」
「あぁ、そうだよ」
兄の娘であるテティは、ヒナと同じくアーシャさまの悪評を信じていた。
帝都を離れてからも、兄のいる実家とは季節の挨拶はしていて入学も知らせている。
ヒナと学園で再会したテティは、私にも手紙を送ってくれた。
だからアーシャさまにご挨拶してはと提案したところ、受け入れてくれたのだ。
「アーシャさまに、テティが恐縮していたことはお伝えすべきかしら? テティからお礼のお手紙を受け取った後がいいかしら?」
「そうだね、入学祝をいただいたから、君にお礼の手紙の書き方を助言してほしいと言っているんだろう? 少し間を置いてからでもいいかもしれない。殿下はお忙しくなるとのことだろうし」
「えぇ、ルキウサリアで国が関わる錬金術の研究に一時注力なさるとあるわ」
今回の手紙にその旨が記されていた。
だから手紙の返事が遅れるか、誰かに代筆してもらうかもしれないと。
テティからのお礼の手紙はできるだけ早く。
そしてアーシャさまがお時間ができる頃に私から補足の手紙をお送りするのがいいでしょう。
夜、本を読みふけって寝坊した幼い頃のことを思い出す。
普段大人びているのに、興味関心には前のめりで子供らしかった。
今も楽しく錬金術をできているなら、嬉しいことだ。
「お母さま、アーシャさまからなの? 贈り物はある?」
「まぁ、そんなことを言わないの」
贈り物を欲しがる娘を窘めると、息子が大いに頷く。
「そうだよ、誰の誕生月でもないんだから。誕生月にはもらえるよ」
「もう、この子たちったら」
アーシャさまは私の子供たちに、誕生月のお祝いをくださる。
もちろんヒナにも。
思えば入学前にヒナと喧嘩になったのは、誕生月の祝いに礼の手紙を書けと言ったこと。
頼んでない、勝手にやってるだけと言って拒否された。
あまりに子供っぽい上に礼儀知らずな我儘に、正直学園でやって行けているのか心配になるほど。
「そうだ、テティ嬢にも気を配ってもらったらどうかな? ヒナとは仲良しなんだろう?」
「そう、そうね。私だから反発してしまうのかもしれないわ。お願いしてみます」
夫に言われて、沈んでいた気持ちに喝を入れる。
アーシャさまは家族仲良く暮らすことを望んでいた。
それは自分のことでもあり、私のことでもある。
その気遣いに報いたい。
私はヒナと仲直りする糸口を求めて、手紙を書こうと立ち上がった。