ルキウサリアルート1
令和五年六月十日、『不遇皇子は天才錬金術師』一巻発売。
帝国が大陸全土を掌握した異世界。
前世日本人の僕が転生した場所はそんな所らしい。
そして母は物心つく前に亡くなり、僕は三歳で前世を思い出した。
そうして知った自分の生い立ちは、前世では考えられないほど数奇だ。
「陛下にはもう、情がなくなってしまったのでしょうか? 何故これほどアーシャさまが不遇をかこつ必要があるのでしょう?」
父は皇帝の隠し子で、現皇帝となったそうだ。
皇帝の落胤と知らず育った父の元、ニスタフ伯爵家の一員として生まれた息子が僕だった。
父が皇帝となるために宮殿へ上がると、ニスタフ伯爵家に置いて行かれて皇帝の庶子となっている。
それが二歳頃らしい。
以来、僕は父と会ったことはなく、僕を思って泣く乳母に育ててもらった。
「ハーティ、泣かないで。今まで僕を育ててくれてありがとう。だからこそ、最後は笑顔で別れたいんだ」
「アーシャさま…………!」
ハーティは亡くなった僕の母の妹で、今日まで乳母として慈しんでくれた。
けれど七歳になった今年、ニスタフ伯爵家から解雇を申しつけられている。
正直なところ、父とは二歳で別れて顔も覚えてないから、ハーティが泣いて憤る理由が良くわからない。
前世でも父は子供に興味のない人だった。
今生の父も子供なんて都合よく育てばよし、そうでなければ興味もないんじゃないかな。
「本当に、本当に駄目だと思えば私を訪ねていらしてください。ウェアレルどのにお声かけできれば良かったのですが」
「うん、大丈夫。僕は大丈夫だよ」
去らなければいけないハーティから懐かしい名前が出された。
五歳頃までニスタフ伯爵家に雇われていた、獣耳魔法使いのウェアレル。
置いて行かれた皇帝の庶子である僕は腫物扱いどころか、いなくていいような扱いだった。
その中でハーティは必死に僕を教育し、それをたまたま見たウェアレルは、元教師という経験から気にかけてくれていたんだ。
教材になる本を与えてくれて、才能があると褒めてもくれた。
ただ五歳頃には別の雇われ先へと行ってしまったけど。
「さて、思い出は助けにはならないし、僕も行動しようか」
きっと僕はこのままだと伯爵家で飼い殺しになる。
衣食住は提供されるけど、誰も話しかけない、誰も目を合わせない、誰も僕を認めない。
そんな環境で育つ異常さは、前世があるから良くわかる。
「はぁ、生まれ変わっても家族とは縁がないのか。いや、ずっと抑えつけられるよりもいないほうがまだ気楽かな」
言いながらカーテンを取り外して、少ない荷物をカーテンに包んで風呂敷代わりにする。
お金はハーティが母の遺産だと言って、残して行ってくれた。
満足とは言わないけど、家出するには足りるだろう。
ニスタフ伯爵家の人間は、今日全員が何かの催しがあるらしくて不在。
そして使用人たちもそれに合わせて今の時間は人を少なくしている。
大人しく部屋に籠ってた僕を見張るような人間はおらず、呆気ないほど簡単に家出は成功した。
「ここから先がまた問題だけど。って、すごい人。いったい何が…………?」
ちょっとわくわくして、僕は賑やかなほうへと歩きだす。
ニスタフ伯爵家では屋敷を歩くことすら怒られた。
ハーティと二人隠れるように暮らしていたんだ。
だから興味のままに足を動かせるのは楽しい。
僕が人垣に近寄って行くと、ちょうどその向こうに見上げるほどの馬車を見た。
そして、微かに開いたカーテンの隙間から、オレンジ色の髪をした少女と目が合う。
「うわ、綺麗な子。お姫さまみたいだ」
馬車は止まらず進んで、目が合ったのも一瞬。
そして周囲の人の声を聞くと、どうやら本当にお姫さまが乗った馬車だったらしい。
しかもルキウサリア王国という、僕も聞き知っている国だった。
ウェアレルが教師をしていたという学園のある国のお姫さまだったなんて。
「運が良かったな」
僕は帝都を出て順調に旅をし始めた。
向かう先は学園のあるルキウサリア王国。
だからちょうど今は、ルキウサリア王国の偉い人たちが通るために周辺の危険は排除された後で、旅をするには都合がいい時期だった。
とはいっても世の中、前世の日本ほど社会基盤が安定してない。
ぼったくりやかつあげに遭いそうになって走って逃げたし、山賊に襲われたという怪我人も見た。
あと普通に子供がお金を持ってると、問答無用で奪いに来る半グレのような人間が何処の村にも町にもいる。
「そして結構バカなんだよね。いや、杜撰? それとも想像力がない?」
勢い任せの突発的な犯罪は通り魔的で、僕から見ると馬鹿げている。
その目論見自体があまりにも甘い予測であることもしばしばだ。
そして、たまたま通りかかった僕が視界の範囲外にいることも気づかず、犯罪の打ち合わせなんてしないでほしい。
「いや、この場合、馬鹿は僕か」
馬車を降りる瞬間を狙うと話す犯罪計画を聞いた僕は、何も考えずそれを馬車の護衛らしき人に伝えたんだ。
途端に誘拐犯の仲間と目されて捕まりました。
日本じゃないんだから、本当何やってるんだろう、僕。
危機管理ガバで、杜撰なのは僕だ。
「これに懲りたら紛らわしい真似するんじゃねぇぞ!」
「あの、お金返し、て…………!?」
「さっさといなくなれ!」
捕まった時に奪われた荷物さえ返されず、冤罪と知ってなお乱暴に蹴りつけられた。
(そうか、ここはこんな世界か)
そう諦めかけた時、足音が近づいた。
そして倒れ込む僕に柔らかな手が触れる。
「何をしているの!」
興奮した子供の声。
そして目の前に広がるオレンジ色の髪。
見上げる横顔は怒りで赤くなっていた。
目が合った一度で記憶に焼き付くようなその姿は、帝都で見たルキウサリアのお姫さまだ。
「無抵抗の相手に乱暴を働くのが我が国の兵卒の仕事だとでも? この人が何をしたと言うの」
「いえ、その、殿下を誘拐しようとした不埒者の仲間で…………」
状況的におかしな言い訳をする兵士に、どうやら聡いらしいお姫さまは困惑の表情を浮かべた。
「ではなぜ外に? あなたは今、いなくなれと見逃すようなことを言ったでしょう?」
あまりに冷静な突っ込みに、僕も状況を思い出して膝をついて礼を取る。
相手は姫だ。
皇帝の庶子とはいえ、見捨てられたような僕が話しかけていい相手じゃない。
それに、そんなこと言うつもりもないし。
「まぁ、あなたは何処かの貴族子弟?」
「…………失礼ながら、お答えさせていただければ、そのような身分は持ちえません」
実際親はもう貴族じゃないしね。
「私を攫おうとしたの?」
「いいえ。攫うという不埒な企みを聞いたので、そのことを告げたところ、仲間と思われ囚われました」
「何故そんなことに? いえ、それよりも手をすりむいているわ。まずは手当てを」
「分不相応です。どうか、お構いなく…………。ただ、旅の荷物を返していただければ、この場を去りますので」
告げ口をすると、蹴った兵は慌てた。
「その、すでに荷物は検めて処分したと聞いているので、えっと…………」
僕はその言葉に思わず顔を顰める。
お金や着替え、ウェアレルに貰った本、ハーティから贈られたハンカチや手袋など、僕にとっては数少ない私物だったのに。
「そんな、なんてことを。旅をしているの? 何処へ? せめて送り届けないと」
困り顔のお姫さまは真剣に僕を心配してくれる。
その純粋さが眩しいほどだ。
手を引かれて立つと、お姫さまは僕を安心させるように笑って見せた。
「ともかくお父さまへご相談しましょう。それに手当ても。さぁ、こっちよ」
「あの、そんなことをしてもらうようなことは…………」
「いいえ、助けてくれようとしたのに酷いことをしてしまっているのだもの。どうか、謝罪をさせて。私はネルディオラ、ディオラと呼ばれるわ。あなたは?」
「ア…………ロス」
「そう、ロス。あなたは何処へ向かうのかしら?」
他人に優しくされるなんて、ひどく遠い記憶のような気がして、僕は思わず俯く。
けれど僕の口から出た偽名は、ディオラに呼ばれたその日から、生涯の名前となった。
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