藤原良太
ピピピピ―――ピピピピ―――
―――カチッ
「うーん・・・はぁ、おはよう」
日本・福岡県福岡市。鳥のさえずりが住宅街に木霊する、天気のいい朝。
決して若くはなくなってしまった35歳のサラリーマン・・・として生活している藤原良太は今日も一日を始めようとしていた。
藤原は普通の家庭で育ち、地元の公立高校を卒業した後、大学に進学し情報工学を学ぶ。大学卒業後はIT企業に就職し、現在はシステムエンジニアとして働いている。
「またあの夢か・・・」
藤原はIT企業での仕事を通じて、ハッキングやセキュリティの知識を深めていった。もともとそういうスキルや知識は自己流で培ってきたし、自分の腕を試すという意味でも報奨金プログラムを目的に多くの企業に情報を提供してきた。いわゆるホワイトハッカーとしての活動だ。
「昨日の依頼の所為だとは思わないが・・・頻度が増している気がするなぁ」
それだけの腕を持っていると、もちろん正規の依頼を受けることも多々増えるが、一方でどこから嗅ぎつけたかわからない、表の社会にはあまり出てこないような人たちからの依頼も舞い込むこともある。暗い噂のある企業、ヤクザ、地球の裏側からのマフィア、場合によっては国に連なる人物からの依頼だ。直接、藤原本人につながるようなヘマはすることはないが、オープンにしている経路をもとにそういう話が舞い込む。藤原はそうやって日常を謳歌しつつも普通ではない人生を歩んでいた。
「神託・・・ねぇ」
藤原は日常の世界ではサラリーマンとして、少し深く潜った世界では凄腕のクラッカーとして活躍しながら生活している。アメリカ国家安全保障局 (NSA) などが運営する、極秘の大量監視プログラム「Nexus」。その情報をリークしたのは藤原。その時は世界が少しばかり混乱した。ランサムウェアと呼ばれる、世界中の多くの企業や政府機関にデータ普及のための身代金を支払わせる目的で莫大に広がりを見せたマルウェア「アイクライ」。藤原はこれを直接手掛けてはいないが、このマルウェアの前身となる手法を取り扱った創造主である。「オルフェウス」、すべての者たちがその音色に耳を傾けるようになってしまうほど無視することは敵わず、滑稽な手を用いながら敵対する組織・人物を陥れていったシステムである。実はもう一つ別の顔としても、本人は有名ではあるが・・・そういう生き方をしている藤原も、仕事とは違う方面で頭を悩ませていた。特に最近その頻度が増えてきている夢・・・・
「風が運ぶ、その音を聴け。彼方より訪れし者たちの、運命の鐘が鳴り響く。彼らは導かれるべき道を探す、汝がその手を差し伸べよ。3つの鍵を見つけ、選ばれし者たちを導け。新たなる時代の幕開けを告げよう――――だっけか?」
よくもまぁ覚えているものである。それもそうだ、最初は霞むような声で所々しか聞こえなかったが、2回、3回と聞くにつれて明確になっていき、今では思い出さずとも口から流れ出るくらいには身についてしまったものである。藤原が言うように、たしかに神託としか言われようがないほど、くどく感じられた。
「明日、人が会いに来るから出会ったら右フックかましてぶん殴ってね☆ ってくらい言いたいことあるなら伝わりやすくしてくれ・・・」
寝ぼけた頭をスッキリさせるために洗面台で顔を洗っていた。藤原にとって今日は久々の休日である。予定は何もなく、家で過ごすつもりだったが、突然思いついたように身支度を始めた。
「気持ちの持ちようは大事だ、適当にぶらつくか・・・」
いつも着慣れた一張羅をまとって、少し暖かみを感じられる季節と心地よい風が吹く中を、藤原は気持ちよく出かけていった。
――――――――――――――
朝の散歩としゃれこみ、好き勝手に歩いていると近場の海浜公園についてしまっていた。藤原は別にここを目指していたわけではないが、心が思うままに歩を進めていたらここまでやってきていたようである。
「おー、やっぱ人多いなぁ。休日でもあるし、天気も良いしそれもそうか」
たどり着いた先にはきれいな砂浜と見渡せる海が、藤原の心に清涼剤として浸透していった。海を楽しむためにやってきた男女たち、周辺のお店で休日を楽しむ家族連れ等。ロマネスク様式の結婚式場やマリンスポーツショップ、バーベキューもできるレストランが完備されており、子供から大人まで楽しんでいる光景が映っている。
「こりゃバーベキューをキメたくなるなぁ」
昼食をどうしようかと考えていると、美味しそうなお肉と野菜を焼いている音、その香りが空腹へのスパイスとなって藤原の本能を殴りつけていた。代り映えのない普通の休日で過ごすような日常・・・藤原も精一杯堪能しようと決めた矢先に、これから起こるであろう問題に対してため息をついた。
「あ~・・・はぁ、まぁわかっていることですけどねぇ、休日くらいちょっとはおまけしてくれよな」
まだ何も起こりえていない、それでも何かが起こるのだと確信している藤原は、少しばかりその意識を人々が密集している方向へと向ける。顔はそちらに向いていないし、はたから見たら、のんきに海とバーベキューを眺めているリーマンとしか認識されない。
――――そんな中、遠くから一人の男が全速力で藤原の方に駆け出していた。
「う・・う・・うわぁああああああ!!!」
突如としてやってきた男は片手にナイフを持ち、もう片手には見慣れた銀色の筒状の物体を握りしめていた。全速力で藤原に走り出していた男に気づいた周辺の一般人たちが突然の光景に悲鳴を上げる
「キャー!!」
「や、やばいよ!ナイフもってる!」
「真紀ちゃん早くこっちにいらっしゃい!!!」
女性たちが悲鳴をあげ、同行している男性らも急なイベントにうろたえている。母親はやはり強しなのか、すぐさま自分の子の手を引っ張り遠くへと避難を開始する。
「危ない!!」
大勢の人が、男が突っ込んでいった先には冴えないサラリーマンがいることを確認しており、暴漢も彼を狙うために突き進んでいるのだろうと認識したために声を張り上げて危険を知らせようとしている。そんな混乱の最中にいる人物は、慌てることなく暴漢へと身体を向けた。
「し、しねぇええ!!」
男がナイフを握りしめて、藤原に刺しにかかる―――切っ先は外から見ると十分に腹に刺さりこんでいるように見えた――――
「きゃーー!!」
周囲の人々が騒然とする中、藤原は何事もないように呟いた
「・・・例え、お前が何の関わりを持ってなくても、理不尽には理不尽を、暴力には暴力を」
―――パキッ、ガッ、ドサッ
腹に刺さったように見えたナイフは先端がぽっきりと折れ、次いで足払いをかけて身体が不安定になった暴漢に対して胸をつかんで地面へと一気に投げつける―――その間わずか1秒にも満たない時間である。
「ぐぁああああ!!」
ついでに暴漢の腕を締め上げ、肩を外して無力化をしておく。
一方でもう片方の手に持っていた筒状の物体が急激に圧力を膨らませながら爆発する兆しを見せていた。
それでも藤原は気にも留めずに、言葉を紡ぐ。
「―――キューブ」
誰もが何が起こったのかもわからないだろう。爆発物である筒状の物体が、そのエネルギーを解放しきる前に、半透明な立方体が筒状のものを覆い込んだ。中からの音は何も聞こえない、しかし爆発したであろうと認識するのは、中の物体が粉々に破壊された状態になったからである。少しばかり周囲を見渡しながら藤原は襲ってきた暴漢を見つめた、ついでに意味もないと思いつつも聞いてみようと思い・・・
「どの組織からの差し金?」
肩を外され、足蹴にされている暴漢は痛みにこらえながら、大の男としては情けない声で叫んだ
「お、おれはただ言われただけなんだ!!ただ、もって突っ込めばいいと!!!そうしないと・・・!!」
「いや、もういいよ―――ショット」
半透明な何かしらの小さな塊が、正確に暴漢の顎を打ち抜いた。それまで泣きわめいていた男は、崩れるようにして気絶をした。
「こんなことしても意味ないのわかってると思うんだけどなぁ、何が目的だ~?」
喧騒の中、暴漢が制圧されて脅威が去ったと感じ取った一般人たちが、落ち着きを段々と取り戻しながら状況を確認し始めていた。視力を強化した藤原は、遠方から警備員のような人物が二名ほどこちらに走ってきているのを確認した。どうやら誰かが通報したようだ。
「まぁ落とし前は後程つけるとするか。それよりどうやって逃げるか・・・」
普段はサラリーマンとして生き、少し深い世界に入り込みながらクラッカーとしての依頼をこなす日常の延長。表もあれば裏もあるのが世の常であるが、二つともどちらも表の顔だ。表裏一体の世界の中で藤原が持つ裏のもう一つの顔がある。
―――サイキッカー。
現代日本でも公にされていない能力者としての藤原良太である。それは裏の世界で蔓延る非日常の中では特異な存在、まだ世には知られることがない者たちが闊歩する世界で、その名を知らぬ者は潜りであると言われるほどの理不尽の権化として君臨する。藤原と同じような位置にいるサイキッカー達には事の真偽を理解しているが、まだその世界に足を踏み込んで間もない者たちや、理解力の乏しい者たちからは眉唾物だと認識されている。
「ちょっとは時間あるし、少し一服するか・・・」
―――ジュポッ
タバコに火を入れながら、背広を整え、ひとっ風呂浴びてきたような心地よさで肺にたまった煙を吐き出す。
「ふぅ・・・」
現代日本は能力者が溢れる世界になってしまったのか?それは違う。あくまで存在するが、公にはされていない者たちである。そんな彼の境遇も、また明かされる時がくるだろう。非日常に身を置いた者が感じる心地よさを噛みしめながら、藤原もそろそろ退散するかと考えたその時―――
―――ドォオン!
パリィイン!
「きゃーー!」「うわぁっ!」
思わず藤原も驚愕する
「な、なんだ?」
ちょっとだけその音にびっくりした藤原が感じたのは、身体を何かが叩きつけるような感触と、その直後に周辺の建物の窓が吹き飛ぶ光景だった。心当たりのある藤原がその現象を呟く
「衝撃波か・・・なぜ・・・ん?」
ソニックブームの発生によって、窓ガラスがその圧に負けて割れてしまったのである。次々に起こる出来事に周囲もまたざわつき始めるが、なぜこのような現象が起こってしまったのか。藤原はサイキッカーの誰かがまた性懲りもなく殴り込んできたのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。周囲の人々が見上げる先に同じように視線をやると―――
―――空から巨大な火の玉が落ちてきていた
「・・・・・・」
思わず藤原も言葉を失った。非日常の中に身を置いている自分を脇に置いても、このような光景を見ることはないと思っていた。それが、突然と空から隕石のような巨大物体が火の玉のごとく落下してきているのである。もはや周囲はパニックどころではなくなった。
――に、にげ
キャアァアーーー
―――ハハ・・・世界の終わりだ
逃げ惑う者、その場で泣き出すもの、神に祈りを捧げだすもの、三者三様の光景を映し出しながらも、藤原は少し冷静になった頭で改めて状況を再確認していた。その中で、落ちてきている隕石のようなものが何か人工的なものであるということを認識した。
「・・・人工衛星?違う、物質が判別できないが、形状からして船体のように見える。シャトルか?・・・それも違う、こんなサイズのものは存在しないはずだ」
状況把握に努めどう対処しようか計画を練っていた時に、さらなる非日常が藤原にアッパーを食わらせにきた。
―――パァアア
なっ、なに?――
―――眩しい!
―――――もう落ちたの!?ばくはつしたの!?
「・・・・」
大混乱もいいところである。パニックにパニックをかさねた人々が響かせる交響曲は、くっさいお父さんの靴下を闇鍋につっこんで、納豆とくさやを練り混ぜて、カオスをトッピングした殺戮兵器みたいになってしまっている。もはや言葉を失う以上に、感情が抜け落ちそうになってしまっていた。白く強い光が砂浜に幾何学的な模様を作り出し、光の柱が立てられ、神秘的な粒子を吐き出しながら広がっていった。空からは火の玉が徐々に迫りつつある中、地面からは謎の光の魔法陣。ゆっくりと光の強度が収まってきている中心部には、薄っすらと人影のようなものを確認できた。
「スゥ――――ふぅ」
目を細めて事の次第を見続けていた藤原は、たばこの火を消しながら呟いた―――
「いや、どうすんのこれ」
――――藤原良太、太陽系第三惑星地球・日本出身―――運命の鐘が鳴り響いた。