ゴリラへの詫び状
その日僕はゴリラに会った
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ゴリラは傘をさしていた
理由は明確だ
雨が降っていたから
ゴリラなのに、濡れるのを気にするのかと僕は思った
僕自身はやはり、人間なので当然気にして
ただ、ゴリラよりも計画性がないと言われるのは不愉快であったが、傘を忘れてたのでシャッターの閉まった店先で雨宿りをしていた
ゴリラは僕の前を一旦通り過ぎ、それからUターンして僕の下に戻ってきた
「どこに行かれる予定ですか?」
ゴリラが人間の言葉を喋ったので驚いた
更に、中々イケボだったので悔しくなった
「〇〇駅です」
「一緒にどうですか?」
ゴリラの言葉の意味に僕は一瞬考えあぐねた
そして、このゴリラは僕と相合い傘をして駅まで向かおうかと提案していると気づくと慌てて首を横に振った
「いやいや、そんな見ず知らずのゴリラに悪いですよ」
ゴリラもひかない
「今日の降水確率は90%ですよ
このままじゃ、ずっとそこに立ち尽くすことになって風邪をひいてしまいます」
ゴリラの言葉に僕の心中がうっとなる
明日も普通に仕事だ
早く帰って風呂に入りたい
しかし、ゴリラと一緒の傘に入って帰るなんて…
ここは、通行人も居ないが、駅にいけばそれなりに人がいる
ーー周りから見たらどう思われるだろう
ゴリラはうんうんと唸る僕を見て、財布を取り出した
僕がゴリラの行動を不思議に思っていると、ゴリラはそこから一枚の紙切れを渡して僕に言う
「それで、タクシーでも拾ってください、それじゃあ」
立ち去るゴリラの腕を僕は慌てて掴んだ
ゴリラの腕は僕の3倍ぐらい太くて、かたくて、黒い毛が冷え切った指先に感触を与えてくる
「そんな、悪いです
やめてください」
僕はゴリラからお金を渡されるほど、落ちぶれていない
それに、そんなことされたら困る
「じゃあ」
そう言って、ゴリラは僕が何か言う前に僕をその大きな傘の中に引き込んだ
僕も諦めてゴリラと歩いた
「…雨、すごいですよね」
ゴリラが会話を振ってくる
「はぁ」
僕は人見知りだし、何よりゴリラと会話する人間だと思われたくないので適当な相槌を打つ
だが、ゴリラには人間の察する、という能力がないようで、駅までの歩いて20分程の距離の中で沢山の会話を投げかけてくる
最近、何か楽しい事とかありましたか?
テレビとか何見てます?
仕事、うまくいってますか?
僕はそれら全てに曖昧な解答を返す
ゴリラに人間の趣味嗜好が分かるとも思えないし、ゴリラがテレビなんか見るとも思えないからだ
その内、遠くの人の足音が雨音を凌ぐぐらいになった時、ゴリラは言った
「じゃあ、ここで」
「え」
ゴリラは僕の手に彼の傘を押し付けると、先程来た道を猛スピードで戻っていった
傘を持たずに済んだからか、4本足で去っていく彼はあっという間に姿が見えなくなった
僕はゴリラから渡された傘を片手に暫く立ち尽くしていた
駅はもう目の前で、この路地を抜けて信号を渡ればいいだけなのだ
雨の冷たさで僕ははっとする
そうして、僕は踵を返した
その日、家に帰ってから、僕は手紙をしたためた
謝罪文だ
口下手な僕は
しかも、人の目を気にする僕は面と向かって物を言うことなどできるとは思えない
とち狂って不審な行動をとるのが目に見えている
僕は慣れない手つきでペンをとる
ゴリラへの感謝と
そして、僕の素晴らしい人間性に対する謝罪だ
ゴリラはーー、ゴリラはきっとあそこで立ち尽くす僕を見て、心配して来てくれたのだろう
本当は、あそこを通るつもりがなかったのにわざわざ来てくれたのだ
そして、やはり初対面だから躊躇して一旦、通り過ぎてから勇気を出して僕に声を掛けてくれたのだろう
そう思うと、ゴリラの優しい心遣いに胸が暖かくなった
と、同時に僕がどれだけ小さな人間なのかと苦しくなった
もしかしたら、彼はゴリラだからこそ優しいのかもしれない
人間のような小賢しさというか、汚さを持ち合わせていないのかもしれない
彼は体こそは毛むくじゃらだが、内面は人間の僕よりも美しく高尚だ
僕は、自分の本心を書いた
汚い人間性を露わにした心情を書いた
ゴリラと一緒に歩いているのを見られるのが恥ずかしかったこと
ゴリラに負けている自分をみたくなかったこと
ふと、気づいた
あぁ、そうか
だから、ゴリラは駅前で取って返したんだ
僕の気持ちを察して、ゴリラである自分と一緒にいるところを見られないようにと
すると、きっと、その場を埋めるために思えた質問達も本当に、僕の事を気にかけてしてくれたのかもしれない
僕は恥ずかしかった
穴があったら入りたい
僕はもう二度とゴリラを馬鹿にすることは無いだろう
その気持ちはこの手紙に吐き出して、僕の中にはそれらは消え去るんだ
もう二度とゴリラと一緒に歩く事を躊躇わない
今度は僕ももう少し会話をする努力をしよう
今度、があるのか僕には分からないが
X
ある日、僕はあの道を通っていた
ゴリラに会ったあの道だ
あの日から数日はその道を通ってみたのだが、お目当ての人物?には会えなかったのでやめた
元々、あの日は偶然そこを立ち寄っただけで会社から駅に向かう最短距離ではないのだ
今日は、なんとなしにその道を通った
少し、歩きたかったのかもしれない
「あ」
例の場所で目が止まる
僕が雨宿りしていたシャッターの閉まった店だ
だが、今そこはあの侘しさを思わせる灰色はなかった
扉は開放され、中を除くと明るい色の花々が店中に溢れている
その中に黒い塊を見つける
背を向けていた彼は僕が入った事を知らせるドアベルの音に此方を振り向いた
「ゴリラの花屋にようこそ」
ゴリラは相変わらずのイケボで僕を迎えると同時に、僕の顔を見て驚いた
「ど、どうもこんにちわ」
僕は必死に笑みをつくる
ゴリラも僕に笑いかけてくれた
胸の中でくしゃりと音がする
ゴリラへの詫び状
今度会えたら渡そうと思っていた
だが、
だが、それはもう少し彼と仲良くなってからにしよう
僕の汚い内面を見ても彼が許してくれるぐらいになってから
これを読んで彼が呆れ顔で僕を見つめるぐらいになるまで、ここの花を買おう
そしてとりあえずの僕は、今度来るときは胸ポケットの中の手紙の代わりに彼の傘を返しに来るのだ